この方が零戦のブログを書かれたので、私も便乗しました(^^)
零式艦上戦闘機といえば日の丸がついてるプロペラ機なら誰しもが「ゼロ戦」と呼ぶほど、広く親しまれている飛行機です。
隼、疾風、月光など数々の名機がありながら、日本人ならば「ゼロ戦」という言葉を知らない人はいないほど知名度が高いのはなぜなんでしょう。

こちらは東海地方で零戦といえばまず挙げられる航空自衛隊浜松基地に隣接する浜松広報館に展示されている零戦五二甲型(43-188)です。
昭和39年1月にグアムから回収したものを復元したものです。
元343空所属機のようで、長く航空自衛隊浜松南基地に保存されていました。
現在は浜松広報館でこのような飛行状態で展示されています。
ではここで零戦について。
零戦の「零」とはもちろん「ゼロ」のことです。
「零式」とは採用された年をいいます。
例えば「90式戦車」なら1990年に制式化された陸上自衛隊の戦車ですが、零戦も同じです。
ただ、「零」というのは二六〇〇年を指します。
日本は終戦まで紀元暦という暦を広く使っていました。
昭和15年にちょうど紀元二六〇〇年となったわけですが、この年に制式採用されたので「零式」となったわけです。
つまり零式艦上戦闘機とは、「零年」に制式化された艦上戦闘機ということです。
(同じように「九九艦爆」は二五九九年=昭和14年に制式採用された艦上爆撃機ということですね)

こちらは東京九段にある靖国神社の資料観「遊就館」に展示されている零戦五二型(81-161)です。
この機体は河口湖自動車博物館が復元したものの1機で、2002年に靖国神社へ奉納されました。
さて、零戦は「零式艦上戦闘機」の名前の通り、艦上戦闘機、つまり空母に搭載する艦載機です。
日本には戦時中「赤城」「加賀」「蒼龍」などの大型空母がありました。
零戦はこれらの空母に搭載され真珠湾攻撃で有名なハワイ作戦、ウエーク島攻撃作戦、珊瑚海海戦など数々の作戦に参加しています。

この2枚は広島県呉市にある呉市海事歴史科学館(通称大和ミュージアム)に展示されている零戦六二型(210-B118)です。
この機体は今の愛知県安城市にあった明治基地第210空の所属機でしたが、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着、昭和53年に引き上げられて復元されたものです。
京都の嵐山美術館に展示されていましたがその後和歌山の白浜に移されて展示されていました。
現在は呉市の大和ミュージアムに展示されています。
零戦の特徴は運動性と長大な航続距離です。
とにかく非常に軽く、徹底的に軽量化が施されています。
これは当時の日本の戦闘機が格闘戦に重点を置いていたことによります。
零戦は九六式艦上戦闘機の後継として誕生しましたが、この戦闘機は非常に格闘戦に強い戦闘機でした。
零戦はこの九六艦戦に劣らぬ格闘戦能力をもちながら機体を大型化して航続距離と速度性能をより増すというものすごく厳しい要求で開発された戦闘機です。
航続距離は二一型で投下式燃料タンクを使って何と3350キロというすさまじい能力があります。
これは防御力の弱い長距離攻撃機の護衛のためですが、実際前任の九六艦戦の航続距離が短くて長距離攻撃機の護衛ができなかったために大きな被害をだしたのだそうです。

こちらは実機ではなくレプリカです。
在日米海兵隊岩国飛行場に保管されている零戦二一型(レプリカ)です。
昭和59年に上映された「零戦燃ゆ」のために作られた実物大模型で、岩国基地オープンハウスの時にこのように展示を行っていました。
零戦は「ゼロファイター」と当時の連合軍のパイロットから恐れられていました。
1対1では絶対にゼロファイターと戦うなとさえいわれていたようです。
それだけ格闘戦に強かったということですが、機体は非常に軽く、全幅12メートル、全長9メートルの大きさなのに全備重量はわずか2.4トンしかありません。
熟練のパイロットが駆る零戦はまさに無敵の強さといわれ、昭和15年8月~昭和16年8月まで支那事変での中国戦線で敵機の撃墜・撃破266機、対する損害は対空砲火による3機のみというものすごい記録を残しています。
中国戦線では機体が旧式で搭乗員の練度に問題があったと指摘されていますが、太平洋の戦いでも米海軍機を圧倒し、恐れられていました。

こちらは今はなき名古屋国際空港ビル内の航空宇宙館に展示されていた零戦三二型(Y2-128)です。
名古屋国際空港が閉鎖されてしまったため、今は福岡の大刀洗平和記念館に展示されてるようです。
昭和54年にサイパンで発見・復元された機体のようです。
無敵の零戦も昭和17年頃には悲運の戦闘機となっていきます。
「機体が軽い」ということは徹底的に軽量化を図ったためですので、防弾性に難があります。
わずか数発の機銃弾で致命的なダメージにつながってしまうわけです。
また、もともと徹底的にしぼりこまれた機体ですので、後の発展性にも限界もあります。
また、「格闘戦に強い」ということは、熟練パイロットがいてこその話で、米軍は格闘戦を避けることで対処したほか、ミッドウェー海戦での空母の喪失と相次ぐ消耗戦で熟練搭乗者が次々に戦死されてしまいました。
格闘戦は厳しい訓練で習得していく技術ですが、消耗戦でその熟練搭乗員を失ってしまったことで一転して悲運の戦闘機となってしまいます。

こちらは名古屋空港時代に一緒に展示されていた計器版です。
意外とシンプルですね。
上の大きな二つの計器は左が人工水平儀、右が旋回計、その下の中央にあるものが羅針盤です。
左の6つの計器は左上から排気温度計、航空時計、速度計、その下にいって無線帰投方位測定器航路計、エンジンスイッチ(?)、高度計となっています。
右の6つの計器は左上から油圧計、燃料圧力計、エンジン回転計、下にいってシリンダ温度計、燃料圧力計、ブースト計となっているようです。
零戦といえば特攻隊を思い浮かべる方も多いと思います。
零戦は特攻(特別攻撃)に最も多く使われた悲運の機体でもあります。
相次ぐ機体の消耗、熟練搭乗員が次々失われ、さらに連合軍の防空システムが高性能化していくともはや戦果が望めなくなってきました。
そんななかで昭和19年10月の比島決戦で初めて組織的な特攻作戦が行われます。
零戦に重い250キロ爆弾を搭載し、搭乗員が機体もろとも敵艦に突入していくまさしく自爆攻撃です。
この作戦では米空母”セントロー”などを撃沈しますが、以後大々的に特攻作戦が行われていくのがご存知の通りです。

こちらも名古屋空港時代に一緒に展示されていた零戦の機銃です。
零戦には20ミリ、13ミリ、7.7ミリ機銃が装備されていました。
写真は九九式20粍機銃と九七式7.7粍機銃です。
九九式はスイスのエリコン20ミリ機銃を国産化したもので「恵式20粍機銃」とも呼ばれていたそうです。
九七式はイギリスのビッカース7.7ミリ機銃をベースに国産化したもののようです。
ここには写っていませんが、13ミリ機銃は三式13ミリ機銃が使われていましたが、この機銃は実は米軍のブローニングM2 12.7ミリ機銃を参考に開発されていたようです。
組織的な特攻作戦が行われたのは昭和19年10月ですが、それ以前から特攻兵器の開発は始められていました。
特攻作戦での戦果に気を良くした軍上層部が特攻作戦を次々すすめていきましたが、重い爆弾を搭載しているため動きが重鈍で、さらに新米パイロットの操縦では敵艦に近づくことすらままなりません。
もちろん日に日に高度になっていく米軍の防空システムの前に、多くのパイロットが戦死されていきました。
特攻作戦ではある程度の戦果はあったものの、最初から死ぬことが前提の作戦です。
決死の覚悟ではなく、必死の作戦。
特攻が前提の兵器も数多く開発されてきました。
人間ロケット「桜花」、自爆モーターボート「震洋」、人間魚雷「回天」、水中にもぐってさおの先にある爆薬で敵の船底に穴を開ける「伏龍」・・・
どれもまともとは思えません。
確かに当時の状況では特攻しかなかったとしても、志願する若者の気持ちを利用して自爆前提の兵器を開発したり組織戦闘に組み込んでしまうことは許されることではないと思います。
(ではどうすればよいのか・・・とても答えなどでるはずもありませんが)
ですが、特攻隊をはじめ、戦争で多くの方々が亡くなり、そのあまりにも大きな代償と引き換えに今の日本の繁栄と平和があるのも事実です。
命をかけて日本を守ろうとした方々に対して、心から感謝をし、ご冥福をお祈りいたします。
亡くなられた方々のためにも私たちが日本の平和をまもっていく努力と、守ろうとした「日本の国」をよりよくしていく努力が必要だと思います。
靖国神社の英霊に、恥ずかしくない日本を見せてあげたいですね。
零戦は総生産数約10430機といわれています。
生産は三菱と中島飛行機(今の富士重工)が行っていました。
ですが現存するのは紹介した写真の機体を含め、世界中に数えるほどしかありません。
栄光と同時に数々の悲劇の当事者でもあった零戦。
だからかもしれませんが、非常に美しい機体はどこか物悲しさも感じます。
無敵の強さという栄光と特攻や消耗戦という悲劇。
まさに太平洋での日米の戦いを象徴している戦闘機だからこそここまで広く知名度があるのかもしれませんね。
残っている機体はいつまでも大切にしていってほしいです。
※ちなみにここで挙げたデータは「丸 92年新春2月号別冊付録 日本の戦闘機」、「日本陸海軍戦闘機1930-1945」、「航空ファン1994年8月号」、「大和ミュージアム常備展示図録」「歴史群像シリーズ決定版零式艦上戦闘機」などからもってきました。
資料がバラバラですし中には古いのもありますし、さらには私の主観もはいっていますので、解釈や事実が違う場合があるかもしれませんが、お許しを・・・・(^^;
Posted at 2010/03/11 22:02:49 | |
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