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アンチコのブログ一覧

2010年08月14日 イイね!

美ら島での航空機

沖縄への交通手段といえば飛行機ですね。
ということで那覇・嘉手納で見かけた飛行機を何枚か写してきました。


こちらは航空自衛隊那覇基地。
南西航空混成団第83航空隊第204飛行隊のF-15J邀撃戦闘機です。
ミサイルを搭載していませんが、この日(8日)は日曜日でしたが訓練かな?


離陸体制に入るF-15J。
那覇飛行場は民間機の離発着も激しいので何分もホールドされていました。


こちらは9日の在日米空軍嘉手納基地。
展望台からこんな眺めがみることができます。
49FWのF-22A航空支配戦闘機。
垂直尾翼に「HO」と書かれていましたが、米国本土のホロマン基地から展開にきている機体です。
機体側面のウエポンベイドアが開いて、中にサイドワインダー空対空ミサイルが見えます。
※念のために掩体の中は画像加工して塗りつぶしています。


49FWのF-22Aです。
排気口をカバーで隠していますね。


こちらはAMCのKC-10A空中給油機です。


こちらは海軍エリアに駐機しているP-3C
手前の2機がVP-9、次にVP-4、さらにVP-9、奥のは・・・どこの部隊だろう?


瀬長島から航空自衛隊那覇基地をみたところ。
ANAのB767-300が、奥に那覇救難隊のU-125A救難捜索機が見えます。


B767-300の離陸の瞬間。
こんなアングルで見られるのも瀬長島ならではですね。


こちらは離陸上昇中のANKのB737-500
湿度が高いからか、エンジン部からベイパーをひいています。


離陸上昇中のJTAのB737-400。


さて那覇空港の見学者デッキをのぞいてみましょう。
ANAのB767-300が着陸してきました。


先ほどのB767-300が駐機場にむかってきました。


ポケモン、ジェットだぜ!


このポケモンジェットはB747-400Dです。
強烈なインパクトがありますね(^^)


離陸滑走中のポケモンジェット。
これは・・・いい!


着陸しようとするJALのB767-300。
青い海が南国の雰囲気がありますね。


国際線エリア。
チャイナエアラインのA330-300やスカイネットのB737-400、ANAのA320-200がみられました。


着陸してきたJALのB747-400D。
こうしてみると巨大ですね。



Posted at 2010/08/14 12:30:23 | コメント(3) | トラックバック(0) | 航空宇宙 | 日記
2010年06月30日 イイね!

宇宙探査機「はやぶさ」

youチューブを見ていたらこんなのみつけました。
宇宙探査機「はやぶさ」のドキュメンタリーです。
といっても宇宙戦艦ヤマト風になってますけど。

しかしよくできてるなぁ・・・・・


よく「はやぶさ」のそのあまりに奇跡的な帰還の実現と、二手も三手も先を読んだ技術者の用意を「そんなこともあろうかと」で宇宙戦艦ヤマトになぞられることがありますが、
・・・・確かに納得します。
宇宙戦艦ヤマトに匹敵する超ウルトラスーパーミラクルな何かといってもいいぐらいの旅路。
大作映画1本を十分とれるほどのものすごい功績です。
次々壁にぶつかって、それを乗り越えていく奇跡的な「はやぶさ」の旅路は、ここまでくるともはや奇跡ではなく、努力と知恵と、「はやぶさ」に込められた魂なのかなとすら思います。




ヤマトで「何もかもが懐かしい」という有名なセリフがありますが、「はやぶさ」のために作られた言葉だったのか・・・・とすら思えちゃいます。

これだけものすごく感動的で世界に誇れる日本の技術なんですから特番やってじっくり・・・・やるわきゃないですね、今のひな壇に若手芸人ならべて誰も面白くない内輪話をして手叩いて笑ってるだけのバラエテー作ってるテレビ局じゃあ。
Posted at 2010/06/30 23:07:01 | コメント(2) | トラックバック(0) | 航空宇宙 | 日記
2010年06月14日 イイね!

おかえりなさい、”はやぶさ”!

いやもう、感動しました。
昨日探査衛星”はやぶさ”の帰還をネット中継で見ていました。
読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/space/news2/20100614-OYT1T00972.htm
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/science/science/100612/scn1006122244000-n1.htm

新聞やネットでも”はやぶさ”の超超超ミラクルスーパーウルトラ困難な道のりは紹介されていますが、その困難を乗り越えてよくぞ母なる地球に戻ってきたなと感動しましたよ。
大気圏再突入直前に撮影した地球の写真の写真は実に見事でした。
60億キロの道のりの末のラストの1枚はどんな科学技術関係の写真よりも美しく感じました。

再突入の際はテレビで・・・・と思ったのですが、どこもサッカーだのバラエテーだの・・・・
絶望した!

こんなにドラマチックなニュースなんてめったにないのですから、こういうときこそテレビやるべきじゃない?
と、思ったのですが考えてみたらくだらない馬鹿タレントのしゃべりや、自分しか見えてない司会者に”はやぶさ”が汚されるならいっそ特別番組はやらないほうがいいのかな。。。。と思ったのも確か。
なんだかね。


さて、これだけ日本中ばかりか世界中からも注目された”はやぶさ”は後継機のプロジェクトがあります。
きっと予算も・・・・
とおもいきや、今日の読売新聞。
http://www.yomiuri.co.jp/space/news2/20100614-OYT1T00192.htm
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100614-OYT1T00947.htm
あの悪名高い事業仕分けでわずか3000万円まで縮小されました。
3000万円ですよ?
人件費が一人当たり仮に50万円とすれば10人で6ヶ月でおしまいです。
材料も何にも買えません。
3000万円で何が出来るのか・・・・

子供手当てという究極の無駄使いでは1年間で5兆円を超えるお金をドブに捨てるのに、わずか17億円を出せないんですからね。
外国(しかも特定の国)には1兆円規模でポーンと援助しちゃうのに、たった17億をしぶるわけです。
ちなみにせっせと売国活動してる人もふくめて国会議員は平均で1人当たり1億円の歳費(給与含めて)がかかります。
その1人の国会議員の1/3にしか満たないお金しかくれないんですよ?

日本の敵はやはり同じ日本人なのか・・・・orz
Posted at 2010/06/14 22:39:36 | コメント(4) | トラックバック(0) | 航空宇宙 | 日記
2010年03月11日 イイね!

零式艦上戦闘機特集

この方が零戦のブログを書かれたので、私も便乗しました(^^)

零式艦上戦闘機といえば日の丸がついてるプロペラ機なら誰しもが「ゼロ戦」と呼ぶほど、広く親しまれている飛行機です。
隼、疾風、月光など数々の名機がありながら、日本人ならば「ゼロ戦」という言葉を知らない人はいないほど知名度が高いのはなぜなんでしょう。


こちらは東海地方で零戦といえばまず挙げられる航空自衛隊浜松基地に隣接する浜松広報館に展示されている零戦五二甲型(43-188)です。
昭和39年1月にグアムから回収したものを復元したものです。
元343空所属機のようで、長く航空自衛隊浜松南基地に保存されていました。
現在は浜松広報館でこのような飛行状態で展示されています。



ではここで零戦について。
零戦の「零」とはもちろん「ゼロ」のことです。
「零式」とは採用された年をいいます。
例えば「90式戦車」なら1990年に制式化された陸上自衛隊の戦車ですが、零戦も同じです。
ただ、「零」というのは二六〇〇年を指します。
日本は終戦まで紀元暦という暦を広く使っていました。
昭和15年にちょうど紀元二六〇〇年となったわけですが、この年に制式採用されたので「零式」となったわけです。
つまり零式艦上戦闘機とは、「零年」に制式化された艦上戦闘機ということです。
(同じように「九九艦爆」は二五九九年=昭和14年に制式採用された艦上爆撃機ということですね)




こちらは東京九段にある靖国神社の資料観「遊就館」に展示されている零戦五二型(81-161)です。
この機体は河口湖自動車博物館が復元したものの1機で、2002年に靖国神社へ奉納されました。



さて、零戦は「零式艦上戦闘機」の名前の通り、艦上戦闘機、つまり空母に搭載する艦載機です。
日本には戦時中「赤城」「加賀」「蒼龍」などの大型空母がありました。
零戦はこれらの空母に搭載され真珠湾攻撃で有名なハワイ作戦、ウエーク島攻撃作戦、珊瑚海海戦など数々の作戦に参加しています。






この2枚は広島県呉市にある呉市海事歴史科学館(通称大和ミュージアム)に展示されている零戦六二型(210-B118)です。
この機体は今の愛知県安城市にあった明治基地第210空の所属機でしたが、エンジントラブルにより琵琶湖に不時着、昭和53年に引き上げられて復元されたものです。
京都の嵐山美術館に展示されていましたがその後和歌山の白浜に移されて展示されていました。
現在は呉市の大和ミュージアムに展示されています。





零戦の特徴は運動性と長大な航続距離です。
とにかく非常に軽く、徹底的に軽量化が施されています。
これは当時の日本の戦闘機が格闘戦に重点を置いていたことによります。
零戦は九六式艦上戦闘機の後継として誕生しましたが、この戦闘機は非常に格闘戦に強い戦闘機でした。
零戦はこの九六艦戦に劣らぬ格闘戦能力をもちながら機体を大型化して航続距離と速度性能をより増すというものすごく厳しい要求で開発された戦闘機です。
航続距離は二一型で投下式燃料タンクを使って何と3350キロというすさまじい能力があります。
これは防御力の弱い長距離攻撃機の護衛のためですが、実際前任の九六艦戦の航続距離が短くて長距離攻撃機の護衛ができなかったために大きな被害をだしたのだそうです。






こちらは実機ではなくレプリカです。
在日米海兵隊岩国飛行場に保管されている零戦二一型(レプリカ)です。
昭和59年に上映された「零戦燃ゆ」のために作られた実物大模型で、岩国基地オープンハウスの時にこのように展示を行っていました。




零戦は「ゼロファイター」と当時の連合軍のパイロットから恐れられていました。
1対1では絶対にゼロファイターと戦うなとさえいわれていたようです。
それだけ格闘戦に強かったということですが、機体は非常に軽く、全幅12メートル、全長9メートルの大きさなのに全備重量はわずか2.4トンしかありません。
熟練のパイロットが駆る零戦はまさに無敵の強さといわれ、昭和15年8月~昭和16年8月まで支那事変での中国戦線で敵機の撃墜・撃破266機、対する損害は対空砲火による3機のみというものすごい記録を残しています。
中国戦線では機体が旧式で搭乗員の練度に問題があったと指摘されていますが、太平洋の戦いでも米海軍機を圧倒し、恐れられていました。






こちらは今はなき名古屋国際空港ビル内の航空宇宙館に展示されていた零戦三二型(Y2-128)です。
名古屋国際空港が閉鎖されてしまったため、今は福岡の大刀洗平和記念館に展示されてるようです。
昭和54年にサイパンで発見・復元された機体のようです。





無敵の零戦も昭和17年頃には悲運の戦闘機となっていきます。
「機体が軽い」ということは徹底的に軽量化を図ったためですので、防弾性に難があります。
わずか数発の機銃弾で致命的なダメージにつながってしまうわけです。
また、もともと徹底的にしぼりこまれた機体ですので、後の発展性にも限界もあります。

また、「格闘戦に強い」ということは、熟練パイロットがいてこその話で、米軍は格闘戦を避けることで対処したほか、ミッドウェー海戦での空母の喪失と相次ぐ消耗戦で熟練搭乗者が次々に戦死されてしまいました。
格闘戦は厳しい訓練で習得していく技術ですが、消耗戦でその熟練搭乗員を失ってしまったことで一転して悲運の戦闘機となってしまいます。







こちらは名古屋空港時代に一緒に展示されていた計器版です。
意外とシンプルですね。
上の大きな二つの計器は左が人工水平儀、右が旋回計、その下の中央にあるものが羅針盤です。
左の6つの計器は左上から排気温度計、航空時計、速度計、その下にいって無線帰投方位測定器航路計、エンジンスイッチ(?)、高度計となっています。
右の6つの計器は左上から油圧計、燃料圧力計、エンジン回転計、下にいってシリンダ温度計、燃料圧力計、ブースト計となっているようです。






零戦といえば特攻隊を思い浮かべる方も多いと思います。
零戦は特攻(特別攻撃)に最も多く使われた悲運の機体でもあります。
相次ぐ機体の消耗、熟練搭乗員が次々失われ、さらに連合軍の防空システムが高性能化していくともはや戦果が望めなくなってきました。
そんななかで昭和19年10月の比島決戦で初めて組織的な特攻作戦が行われます。
零戦に重い250キロ爆弾を搭載し、搭乗員が機体もろとも敵艦に突入していくまさしく自爆攻撃です。
この作戦では米空母”セントロー”などを撃沈しますが、以後大々的に特攻作戦が行われていくのがご存知の通りです。








こちらも名古屋空港時代に一緒に展示されていた零戦の機銃です。
零戦には20ミリ、13ミリ、7.7ミリ機銃が装備されていました。
写真は九九式20粍機銃と九七式7.7粍機銃です。
九九式はスイスのエリコン20ミリ機銃を国産化したもので「恵式20粍機銃」とも呼ばれていたそうです。
九七式はイギリスのビッカース7.7ミリ機銃をベースに国産化したもののようです。
ここには写っていませんが、13ミリ機銃は三式13ミリ機銃が使われていましたが、この機銃は実は米軍のブローニングM2 12.7ミリ機銃を参考に開発されていたようです。





組織的な特攻作戦が行われたのは昭和19年10月ですが、それ以前から特攻兵器の開発は始められていました。
特攻作戦での戦果に気を良くした軍上層部が特攻作戦を次々すすめていきましたが、重い爆弾を搭載しているため動きが重鈍で、さらに新米パイロットの操縦では敵艦に近づくことすらままなりません。
もちろん日に日に高度になっていく米軍の防空システムの前に、多くのパイロットが戦死されていきました。
特攻作戦ではある程度の戦果はあったものの、最初から死ぬことが前提の作戦です。
決死の覚悟ではなく、必死の作戦。
特攻が前提の兵器も数多く開発されてきました。
人間ロケット「桜花」、自爆モーターボート「震洋」、人間魚雷「回天」、水中にもぐってさおの先にある爆薬で敵の船底に穴を開ける「伏龍」・・・
どれもまともとは思えません。
確かに当時の状況では特攻しかなかったとしても、志願する若者の気持ちを利用して自爆前提の兵器を開発したり組織戦闘に組み込んでしまうことは許されることではないと思います。
(ではどうすればよいのか・・・とても答えなどでるはずもありませんが)

ですが、特攻隊をはじめ、戦争で多くの方々が亡くなり、そのあまりにも大きな代償と引き換えに今の日本の繁栄と平和があるのも事実です。
命をかけて日本を守ろうとした方々に対して、心から感謝をし、ご冥福をお祈りいたします。

亡くなられた方々のためにも私たちが日本の平和をまもっていく努力と、守ろうとした「日本の国」をよりよくしていく努力が必要だと思います。

靖国神社の英霊に、恥ずかしくない日本を見せてあげたいですね。




零戦は総生産数約10430機といわれています。
生産は三菱と中島飛行機(今の富士重工)が行っていました。
ですが現存するのは紹介した写真の機体を含め、世界中に数えるほどしかありません。
栄光と同時に数々の悲劇の当事者でもあった零戦。
だからかもしれませんが、非常に美しい機体はどこか物悲しさも感じます。

無敵の強さという栄光と特攻や消耗戦という悲劇。
まさに太平洋での日米の戦いを象徴している戦闘機だからこそここまで広く知名度があるのかもしれませんね。

残っている機体はいつまでも大切にしていってほしいです。




※ちなみにここで挙げたデータは「丸 92年新春2月号別冊付録 日本の戦闘機」、「日本陸海軍戦闘機1930-1945」、「航空ファン1994年8月号」、「大和ミュージアム常備展示図録」「歴史群像シリーズ決定版零式艦上戦闘機」などからもってきました。
資料がバラバラですし中には古いのもありますし、さらには私の主観もはいっていますので、解釈や事実が違う場合があるかもしれませんが、お許しを・・・・(^^;
Posted at 2010/03/11 22:02:49 | コメント(6) | トラックバック(0) | 航空宇宙 | 日記
2010年01月31日 イイね!

RJGGにいってきました(1月23日)その1

プリンやチョコレートラーメンやアニメネタだけでは寂しいので・・・
久しぶりに航空ネタです。

1月の中頃に中部国際空港に初撮りにいってきました。
空港に到着したのは15時ごろでそろそろ日が傾く頃だったのですが、感じたのは旅客機の数がずいぶん少ないなということでしょうか?
昨年、一昨年と比べると数が減った気がします。
時間帯なのかもしれませんが、ちょっと寂しかったような気も・・・


滑走路にむかってタキシングする全日空のボーイング767-300。
中型旅客機767型機の胴体延長型です。


さあ離陸です。
ちなみに私がはじめて乗った飛行機が小学生のときに乗ったボーイング767でした。


エアChinaのボーイング737-700。
その巨大なウイングレットが目を引きます。
・・・すごい色ですね。


滑走路に向かうボンバルディアDHC8‐Q400。
小型の地方路線用で、上のボーイング737の座席が150席なのに対して、その半分の74席となっています。
最大離陸重量が約29トンと、意外にもF-15戦闘機の約31トンよりも小さ(そもそも比べる機体が間違ってるか・・・)かったりします。


離陸するDHC-8-Q400。
ボンダルディアDHC-8といえば、Q300型を海上保安庁がYS-11型機の後継として導入を進めています。


貨物ターミナル側をみてみるとエアーニッポンのエヤバスA320-211とエアホンコンのエヤバスA300-600です。
白と黄色の機体が非常に派手ですが、これは輸送会社DHLと提携してるためです。
垂直尾翼の形が「あれ?」と思ってしまいますが、実はこれ2機が並んでるんですよ。


今回のセントレアの初撮はこれがお目当てでした。
日本航空のボーイング747-400です。
「ジャンボジェット」の愛称で親しまれた747は「トップスチワーデス物語」にも登場するようにJALの顔でした。
ところが法的整理となってしまたため、747は全機がJALから姿を消すことになります。
今のうちに747の姿を目に焼き付けておきたかったわけですね。


滑走路に向かう747-400を後ろから。
やはり非常に巨大な姿が印象的です。


離陸滑走をする747-400です。
このあとモチロン離陸していくわけですが、撮影場所の関係上、機首上げをしようとするまさに肝心のところで撮影タイミングを逃してしまいました(^^;


国内線ターミナルを離れて誘導路に向かうエアーニッポンのボーイング737-800。
やはりこの機体も大きなウイングレットを装着しています。


こちらもエアーニッポンです。
エヤバスA320-211が着陸してきました。
この頃になると風がかなり強くなってきましたので、パイロットにとっても緊張の一瞬かもしれませんね。


こちらはエアーネクストのボーイング737-500です。
エアーネクストは2005年6月1日に運航を開始した全日空グループの航空会社で、5機の737-500を運行しています。
エンジンカバーにはイルカの塗装がされていますね。



全日空のボンバルディアDHC-8-Q400です。
こうしてみてみると非常に機体が細いですね。
全日空は2009年4月現在Q400を14機運用しています。


さきほどのエアーネクストの737-500が離陸していきます。
737-500は全長31m、全幅28.9mと、ボンバルディアQ400(全長32.8m、全幅28.4m)と寸法的には意外と近いものがあります。
ですが機体の胴体の太さやエンジンの大きさから、それにともなう燃料搭載量などもの関係で両機の重さは全く違っていて、離陸最大重量は737-500の53トンに対してQ400は29トンとなっています。


日本航空のボーイング747-400が着陸してきました。
やはり他の旅客機と比べてもひときわ巨大です。
747-400は航空自衛隊にて特別輸送機B-747-400(政府専用機)として2機が運用されています。


着陸滑走中の747-400です。
さすがに機体が大きいので他の中型/小型旅客機と比べると離着陸の滑走距離も長く感じます。
こうしてみると-400の機体の半分ちかい長さまで二階部分があるのがわかります。


747-400を前から。
二階建てのコクピット、4つのエンジン、巨大な機体と非常に特徴的な機体です。
-400は747シリーズの新世代機ともいえるもので、従来の747に対して新技術を織り込んだもので、電子装置を新型にしたために、操縦には航空機関士レスの2名体制になっています。

________________________
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Posted at 2010/01/31 22:22:36 | コメント(6) | トラックバック(0) | 航空宇宙 | 日記

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「commもそうですが、「LINE 個人情報」「LINE 危険性」でぐぐって、それでもokと判断できるなら使ってもいいかも。私はちょ~っと躊躇して未だに使ってませんけど。」
何シテル?   04/11 00:38
こんにちは。 アンチコと申します。 車はレガシィTWに乗ってます。 やっぱトランスフォーマーG1といえば「ロボット殺虫剤だって?」のあの人だよね~ ...
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