
昭和20年3月26日、帝国海軍は沖縄を守るべく最期の大作戦「天一号」作戦を発動しました。
大和を中心とした第2艦隊が囮となり南西諸島方面に来襲した敵攻略部隊を撃滅するというものでしたが、4月1日に沖縄が米軍に上陸すると海軍の総力をあげ総特攻する「菊水一号作戦」が発令されました。
可能であれば沖縄の読谷に乗り上げ陸上砲台として打撃を与えよというもはや作戦とは呼べないものです。
満足な航空支援を得られないまさしく無謀な特攻。
(片道分の燃料しか入れてないといわれていますが、そのような事実はないようです。実際は上陸後のことを考えある程度の現金も輸送していたようです)
第2艦隊がどのようになったのか、ご存知だと思います。
4月7日、数百機の米艦載機の攻撃により駆逐艦「朧」「朝霜」「磯風」「濱風」、巡洋艦「矢矧」、そして戦艦「大和」が沈没。
帝国海軍の戦力はここに事実上壊滅しました。
多くの方々が亡くなられています。
死にいくことがわかっている出撃、乗組員の方々はどのようなお気持ちだったんでしょうか。
副砲要員として戦死された白渕大尉の言葉がとても重いです。
「進歩のない者は決して勝たない 負けて目覚めることが最上の道だ
日本は進歩ということを軽んじすぎた
私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた
破れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか
今目覚めずしていつ救われるか
俺達はその先導になるのだ
日本の新生にさきがけて散る
まさに本望じゃないか」
私は特攻を決して美化するつもりはありませんが、自分の死について受け入れ、傷つき、日本を守ろうとされた多くの方々には本当に頭が下がる思いです。
あの戦争で多くの方が亡くなられたのですから今度は今を生きる私達が生まれ変わった日本の平和を守り続けなければなりませんね。
日本が戦後長い間戦争にならなかったのは自衛隊の不断の努力と日米同盟はもちろんですが、亡くなられた多くの方々が見守っていてくださるからだと信じています。
Posted at 2008/04/09 00:40:25 | |
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