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アンチコのブログ一覧

2008年12月30日 イイね!

そうだ舞鶴へ行こうその1(12月29日)

母を京都駅に見送って私はそのまま舞鶴線で東舞鶴へ。
京都から東舞鶴へは綾部経由で特急でも1時間半以上かかります。
意外と時間がかかるんですね。
もともと予定なんかしてなかったのでホテルも急いで確保してちょっとバタバタしてました。
軽くつまみたかったのですがコンビニも意外と少ない・・・
さて到着しました。
寒っ!
さすが日本海に面する舞鶴です。
かなり寒い。
ホテルにチェックインして荷物を置くとタクシーで基地フェンスの近くへ。


赤レンガ博物館が近かったりします。
直前に雨が降ったこともあって水溜りに赤く映るレンガがとても綺麗です(写真はよがんでますが)。


フェンス前から写したのがこの1枚。
掃海艇MSC-670”あわしま”が美しく照らし出されていました。

掃海艇の美しい姿にうっとりしてホテルに戻りました。
ちなみに戻るときに食堂に寄って馬刺しとカツどんを食べたのは内緒だ。
ホテルにつくと・・・・このホテルなにやら臭うですが。
魚を焼いたの失敗したような悪臭。
臭いよ。

さて3日目の朝です。
あまり美味ではない朝食を食べて準備を整えて赤レンガ博物館へ。
時間があれば舞鶴市政記念館や引き上げ記念館もみてきたいな。

れれっ!
29日からお休み?
なんてこった!
寂しいので赤レンガの説明をしちゃうぞ。
舞鶴は明治34年に大日本帝国海軍の舞鶴鎮守府が設置され、初代の長官は日本海海戦で名高い東郷平八郎が任命されています。
写真の建物は市政記念館とまいづる智恵蔵ですが、この建物は明治35年に建設された兵器廠倉庫です。
赤レンガ博物館はもともと水雷庫でした。


さて気を取り直して。
舞鶴造修補給所には2隻の掃海艇が停泊していました。
昨日見た掃海艇MSC-670”あわしま”とMSC-578”とびしま”です。


掃海艇MSC-670”あわしま”(基準排水量490トン)です。
”あわしま”は”はつしま”型掃海艇の22番艇で湾岸戦争後のペルシャ湾掃海作業では”ゆりしま””ひこしま””さくしま”とともに参加しています。
舞鶴地方隊第44掃海隊に所属しています。


こちらは掃海艇MSC-678”とびしま”(基準排水量490トン)です。
”はつしま”型の性能向上型”うわじま”型の6番艇で、同じく舞鶴地方隊第44掃海隊に所属しています。


こちらは多用途支援艦AMS-4301”ひうち”(基準排水量980トン)です。
”ひうち”型の1番艦で舞鶴地方隊直轄艦となっています。
護衛艦などの射撃訓練支援や航空機用魚雷投下訓練の支援などを行う艦です。


こちらはもうご存知ですよね。
YT-64”曳船64号”(基準排水量260トン)とYT-92”曳船92号”(基準排水量260トン)です。
ともに”曳船58号”の同型船になっています。


ユニバーサル造船舞鶴で修理中の掃海艇MSC-680”ながしま”(基準排水量490トン)です。
”うわじま”型掃海艇の8番艇で舞鶴地方隊第44掃海隊に所属しています。


ユニバーサル造船舞鶴で艤装中の砕氷艦AGB-5003”しらせ”(予定基準排水量12500トン)です。
横須賀地方隊に配備が予定され、平成21年11月からの南極観測隊を支援を予定しています。


ユニバーサル造船舞鶴のバースに停泊中の護衛艦DE-229”あぶくま”(基準排水量2000トン)です。
”あぶくま”型の1番艦で沿岸警備用の護衛艦として以前は舞鶴地方隊に所属していましたが平成20年度の大改編により護衛艦隊第14護衛隊に所属になりました。


ユニバーサル造船舞鶴に停泊しているミサイル搭載護衛艦DDG-175”みょうこう”(基準排水量7250トン)です。
SPY-1DレーダーアンテナにカバーがかけられていますがMD改修工事中だと思われます。
第3護衛隊群第7護衛隊所属。




こちらは護衛艦DD-154”あまぎり”(基準排水量3500トン)です。
護衛艦”あさぎり”型の4番艦で第2護衛隊群第2護衛隊に所属しています。


護衛艦群です。
手前右はミサイル護衛艦DDG-177”あたご”(基準排水量7750トン)第3護衛隊群第3護衛隊所属、その後ろは護衛艦DD-126”はまゆき”(基準排水量2950トン)護衛艦隊第14護衛隊所属、手前左はヘリコプター搭載護衛艦DDH-141”はるな”(基準排水量4950トン)、その後ろは護衛艦DD-114”すずなみ”(基準排水量4650トン)第1護衛隊群第5護衛隊所属です。

このあとタクシーで舞鶴地方総監部に向かいました。

あ、今回写真取った場所はもちろん私有地や立ち入り禁止区域には立ち入ってませんよ~。

舞鶴へ行こうその2へ
Posted at 2008/12/30 21:12:00 | コメント(4) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ舞鶴へ行こうその2(12月29日)

タクシーで舞鶴地方総監部に向かいました。
ここには海軍記念館があって見学を申し出ると中に入らせてもらえます。
自衛隊基地に入れるなんてちょっとドキドキです(^^)

海軍記念館には大日本帝国海軍の資料約200点が展示されています。
その中でも特に目にとまったのが第六潜水艇事故の佐久間艇長の資料を読むと目に熱いものを感じました。
不慮の事故で岩国沖に沈底してしまった第六潜水艇ですがまさに艇内の空気がなくなって絶命する直前まで乗組員全員が持ち場につくか復旧作業についていました。
潜水艦の事故といえば死への恐怖から将棋倒しや乱闘になった状態で絶命するまさに地獄絵図となります。
ですがこの第六潜水艇では誰一人そのようなことはせず配置についたまま絶命という状態だったそうです。
佐久間艇長は絶命するその瞬間まで艇内の状態を詳細に手記につづり、また乗組員の家族が困窮することのないよう取り計らってくれるよう遺書を残しています。
この見事な最期は世界中で話題になり、英国では潜水艦乗りの鏡として教本にさえなっているといわれます。
佐久間艇長はこのとき30歳だったとのことですが私とほとんど同い年にもかかわらずここまで自分の仕事に責任感をもって取り組む姿には心から尊敬します。
自分にもっていないものが何なのか少しだけ判ったような気がします。

さて広報の方にお礼を言って次は北吸桟橋(自衛隊桟橋)です。
ここではやはり見学を申し出れば桟橋に立ち入りができます。
目の前の護衛艦やミサイル艇、曳船群に鼻血でそう・・・・
写真も撮り放題で立ち入り禁止区域でなければ何を写してもいいとのこと。
幸せです♪


まずは護衛艦DD-154”あまぎり”(基準排水量3500トン)です。
”はつゆき”型の拡大改良型の”あさぎり”型の4番艦となっています。
前からの艦影が”はつゆき”型と似ているのがお分かりでしょうか。


”あまぎり”の側部。
門松がなんとも日本的でいいですね。


”あまぎり”を後ろから。
特徴的な2本のランテイスマストと巨大なヘリコプター格納庫と甲板がよくわかります。
武装はOTOメララ76ミリ62口径単装速射砲1門、RGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射装置、3連装単魚雷発射装置2基、ASROC発射システム一式、RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機1式、高性能20ミリ機関砲CIWSが2基、さらにSH-60哨戒ヘリコプターの搭載が可能です。


舞鶴の大型護衛艦2隻です。
左側はヘリコプター搭載護衛艦DDH-141”はるな”(基準排水量4950トン)、右側はミサイル護衛艦DDG-177””あたご”(基準排水量7750トン)です。
どちらも第3護衛隊群の護衛艦ですが、旗艦の”はるな”よりも”あたご”のほうがふた周りほど大きいことがわかります。


”はるな”の艦首から艦橋にかけて。
”はるな”は海上自衛隊初のヘリコプター搭載護衛艦でコンパクトな艦体でありながら大型のHSS-2対潜哨戒ヘリコプター(今はSH-60対潜ヘリコプター)を3機搭載できる世界でも類を見ない水上戦闘艦です。


”はるな”の艦首です。
2門の75式54口径5インチ単装速射砲が設置されています。
この速射砲は米国のMk42速射砲を国内ライセンス生産したものです。
”はるな”の武装はRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射装置、3連装単魚雷発射装置2基、ASROC発射システム一式、RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機1式、高性能20ミリ機関砲CIWSが2基、さらにSH-60哨戒ヘリコプター3機の搭載が可能です。


”あたご”と”はるな”を後ろから。
”はるな”は護衛艦でも最もベテラン艦、”あたご”は現在就役している護衛艦では最も新しいタイプの護衛艦です。
艦体やステルス性を考慮したマストなど新旧の対比が面白いですね。
”あたご”はミサイル護衛艦”たちかぜ”の後継でイージスミサイル護衛艦”こんごう”の性能向上型として建造されました。
”こんごう”型に対してSH-60対潜ヘリコプターの運用が可能になったことと速射砲をOTOメララ127ミリ速射砲からMk45-mod4に変更したことがあげられます。


次は護衛艦DD-114”すずなみ”(基準排水量4650トン)と護衛艦DD-126”はまゆき”(基準排水量2950トン)です。


”すずなみ”の艦橋部分です。
”すずなみ”は”たかなみ”型汎用護衛艦の4番艦で従来の護衛艦と違ってシースパロー短SAMとASROC対潜ミサイルを垂直発射機VLSに装填していることが特徴になっています。


”すずなみ”と”はまゆき”を後ろから。
汎用護衛艦最新の”たかなみ”型と現在就役中の中で最もベテランの汎用護衛艦”はつゆき”型の対比が興味深いですね。
排水量は1.5倍の差ですが後ろから見るとそれ以上あるように感じます。


桟橋の対岸を見るとユニバーサル造船舞鶴のバースで数隻の艦艇が修理を受けています。
こちらは補給艦AOE-425”ましゅう”(基準排水量13500トン)です。
修理中ということで艦内には補給用の油脂類がないこともあって喫水線が海面の上まできていることがわかります。
護衛艦隊第1海上補給隊。


同じくユニバーサル造船舞鶴のバースに停泊中のミサイル護衛艦DDG-175”みょうこう”(基準排水量7250トン)です。
現在”こんごう””きりしま”がMD対応改修工事を済ませており、現在はこの”みょうこう”が、来年度は”ちょうかい”が受ける予定になっています。


ユニバーサル造船舞鶴で修理中の護衛艦DE-229”あぶくま”(基準排水量2000トン)。
近海警備用の護衛艦で同型艦が6隻就役しています。
巨大なマストとヘリコプターの運用を想定していない後部甲板が特徴的です。
DEは他の護衛艦と異なり短SAM発射機を装備していません。


ユニバーサル造船舞鶴で艤装中の砕氷艦AGB-5003”しらせ”(予定基準排水量12500トン)。
今年用途廃止になったAGB-5002”しらね”の後継として名前を引き継いでいます。


ミサイル艇PG-824”はやぶさ”(基準排水量200トン)とミサイル艇PG-828”うみたか”(基準排水量200トン)です。
平成11年に発生した北朝鮮の工作船事件を教訓に最高速力と耐弾性の強化と.50口径機関銃の装備が行われました。
両艇とも舞鶴地方隊舞鶴警備隊第2ミサイル艇隊の所属です。


”はやぶさ”の艇首に装備された速射砲です。
OTOメララ76ミリ62口径単装速射砲を1門装備しています。
これは”むらさめ”型や”あさぎり”型と同じ速射砲ですが写真のように砲塔にステルス性を考慮したシールドが設置されています。


”はやぶさ””うみたか”の艦尾に設置された艦対艦ミサイル発射機です。
ミサイルはハープーンではなくSSM-1B 90式艦対艦誘導弾を4基装備しています。


”はやぶさ”と”うみたか”を後ろから。
3本の煙突が目を引きます。
”はやぶさ”型はウオータージェットのガスタービンを3基装備していて最高速力は44ノットを出すことが出来ます。


こちらは油船です。
YO-33”油船33号”(積化重量490トン)とその同型艦”油船25号”型です。


こちらは曳船YT-72”曳船72号”とYT-94”曳船94号”です。
ともに曳船58号の同型船で基準排水量は260トンです。


”曳船72号”を横から。
赤い色のものは消火用の放水砲でしょうか?


”曳船72号”を後ろから。
全長30メートルに満たない小型の船ですが1800馬力の出力を出すことが出来ます。


さて最後は今回の一般公開で公開艦に指定されていた護衛艦DD-124”みねゆき”(基準排水量2950トン)です。


なんと見学のため甲板まであがれてしまいます。
門松が風流ですね。


”みねゆき”のASROC発射機Mk112です。
ASROCとはAnti Submarine ROCketの略でロケット弾に短魚雷を装填して発射するシステムです。
目標潜水艦近くになるとパラシュート降下して着水、目標に向けて突入していく西側の標準的な水上艦艇用対潜装備です。


”みねゆき”の右舷に設置された3連装短魚雷発射機です。
圧縮空気により短魚雷を海中に投射させるものです。


RIM-7シースパロー短距離艦対空ミサイル発射機。
シースパローはF-15やF-4戦闘機に搭載されるスパロー空対空ミサイルの艦載型です。


”みねゆき”の艦橋付近です。
筒状のものはRGM-84ハープーン艦対艦ミサイル発射筒になっています。
特徴的な巨大で太い煙突が目立ちます。
以上、舞鶴基地での一般公開の模様でした。
この後PXで

のお土産をゲットしてきました(京都チーズケーキだけは京都駅で買ったもの)
それにしても海軍カレーで舞鶴と佐世保でどう味が違うのか楽しみです。

舞鶴にいこうその1へ
Posted at 2008/12/30 20:43:30 | コメント(2) | トラックバック(1) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ乃木神社に行こう(12月27日)

京都旅行で私がどうしても行きたい場所がありました。
そこはJR奈良線桃山駅から徒歩15分ぐらいの場所にあります。


乃木神社です。
乃木神社とはその名前の通り日露戦争で名高い乃木希典陸軍大将を祀った神社です。


乃木神社内にある忠魂碑です。
陸軍大臣陸軍大将南次郎の名前があります。
南次郎は日露戦争で旅順要塞総攻撃を行っている1904年には日露戦争に出征し大本営参謀となっています。


帝国海軍将兵の慰霊碑です。
主戦場は陸でしたが日露戦争では黄海開戦、旅順港閉塞作戦、日本海海戦のほか数多くの海戦が行われています。


その慰霊碑には錨がモニュメントになっています。
これは装甲巡洋艦”吾妻”(基準排水量9326トン)の主錨です。
”吾妻”は日露戦争直前の1900年に竣工された装甲巡洋艦でフランスに発注されて作られました。
45口径20サンチ砲4門、40口径15サンチ砲を12門ほかを搭載しており、日本海海戦では連合艦隊の第2艦隊(上村彦之丞中将)隷下の第2戦隊に編成されていました。


私がどうしても見たかったもの。
これがそうです。
乃木将軍が指揮を執った大日本帝国陸軍第三軍が旅順要塞攻略戦の際に司令部として使われた柳樹房の民家です。
そのままのものをここに移築しています。


明らかに日本の民家とは違った佇まいですね。
旅順要塞攻略作戦では日本軍第三軍総兵力13万人のうち戦死1万5千400名、戦傷4万4千名というすさまじい損害を出しましたがその中には乃木将軍の2人の息子もいました。


旧乃木邸です。
乃木将軍は元長州藩士で1849年に今の六本木ヒルズがあるあたりに生まれました。
1858年に長府に帰郷しましたがそのときの乃木邸がこれです。


乃木将軍の胸像です。
乃木将軍は明治4年に陸軍少佐に任官、その後西南戦争に歩兵第一四連隊長心得として従軍していますがここで連隊旗を喪失する失態を演じ、生涯苦しんだといわれます。
日清戦争では第1歩兵旅団長として出征、旅順要塞攻略を担当しています。
その後台湾総督府、近衛師団長を歴任していますが日露戦争では旅順要塞を1日で陥落させた功績により第三軍の司令官に抜擢されます。
日清戦争当時とは比較にならないほどの強固に補強された要塞群や機関銃の登場などにより旅順要塞攻略は大激戦となり実に6万人近い大損害を受けています。
その指揮に対しては批判がありましたが難攻不落といわれた旅順要塞を陥落させた司令官というネームバリューはすさまじく、日露合計60万人の兵力がぶつかった奉天会戦ではロシア軍司令官クロパトキンは乃木第三軍がいつ投入されるかを恐れていたといわれます。
旅順要塞攻略戦で大きな損害をだしたことで乃木将軍は大きな批判をうけますが息子2人を攻略戦で失うと同情を受けています。
乃木将軍は大変温厚だったことで知られ、敵だった旅順要塞ロシア軍司令官アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセル中将は降伏調印式での帯刀を認められたことに感激し武士道を高く評価しています。
また乃木が殉死すると香典を送っていもいるようです。


乃木将軍の愛馬璞号です。
旅順要塞陥落の際にステッセル将軍から馬”壽号”が贈られました。
璞号はこの子で璞号と壽号の像は拝殿の前で御霊を護って対峙しています。


乃木神社の拝殿です。
乃木将軍は明治天皇への強い忠誠心でも知られ、明治天皇が崩御され大葬が行われた大正元年9月13日に乃木夫妻は自刀しています。
多くの国民がこの殉死に感銘を受け大正5年にこの乃木神社が作られました。


これはさざれ石です。
国歌”君が代”に登場するさざれ石はこの石のことで、小さな石が炭酸カルシウムなどにより固まり、大きな石になったものをいいます。
君が代の由来になったさざれ石は岐阜県の揖斐川にあるそうです。

以上、乃木神社の見学でした。
このほかに敷地内に資料館があり乃木将軍の遺品が展示されていました。
乃木将軍の作戦の評価や殉死についての評価はさまざまですが、資料的価値も大変高いので機会があれば参拝するのもいいと思います。
Posted at 2008/12/30 10:51:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ京都に行こうその1(12月27日)

なぜか京都に行くことになりました。
母が京都に行きたいと言い出したので案内役となったわけです。
準備から出発まで1日ありませんでしたが、なんとかなるもんですね。

新幹線で京都駅に。
京都駅からは市内各所の名所旧跡にいけるように市バスがあちこちを走っています。
1日乗り放題で500円なのでこれをうまく使えばタクシーを使うことなく迅速かつ楽チンかつ安価にまわることができます。

まず向かった先は鹿苑寺です。

鹿苑寺の舎利殿です。
なんといいますか、ド派手でリッチな建物です。
鹿苑寺は足利義満が1397年によって創建させたといわれています。
別荘だったわけですが義満の死後は禅寺になりました。
しかし・・・こんなに金ピカでは雑念(money)が消えることはなさそう(爆)
ちなみに舎利殿は昭和25年に見習僧によって放火されて全焼してしまています。


舎利殿がかすかに写る鏡湖池には8隻のフリゲイト艦水鳥がいました。


鹿苑寺の夕佳亭です。
Tea-Room茶室ですね。


次は龍安寺です。
こちらは庫裡です。
ここを入ると・・・・


おなじみの方丈庭園ですね。
25メートルプールぐらいの広さの敷地に砂を敷き詰めて模様を書いたシンプルな石庭です。


知足の蹲踞です。
ええっ、これってパチモンなの?
(複製だそうです)


鏡容池です。
龍安寺は1450年に細川勝元が創建したといわれています。


龍安寺を出てしばらく行くと次は仁和寺です。
こちらは仁和寺の仁王門。


仁王門の金剛力士阿形像。


同じく吽形像。
じっくりみると怖いです(汗)


宸殿から北庭をみたところです。
風情があります。
仁和寺といえば吉田兼好の「徒然草」でたびたび登場し、坊さんが宴会やってるときにふざけて鍋をかぶって踊っていたら抜けなくなって引っ張ったら怪我したという情けないエピソードで有名ですね。


仁和寺の九所明神です。


観音堂。
仁和寺は888年に創建された大変古い寺で皇室ともゆかりがあるため「御室御所」とも呼ばれています。


仁和寺の五重塔です。
五重塔はポピュラーな仏塔のひとつで法隆寺をはじめあちこちで見かけるメジャーなランドマークタワーです。
仁和寺の五重塔は37メートルあるのだとか。

仁和寺の後は太秦へ。
映画村ですよ。
お約束のコースですね。
が、バスを降りて映画村の入り口に向かうと妙な気が。
人がいない。
怪しいと思って映画村の受付に電話してみると年内は終了しましたとのアナウンスが!
やられた~!
バスの運ちゃんおしえてくれてもよかったのに。
ここはバスが1時間に1本しかないのでJRで京都駅にもどってきました。
既に15時回ってきましたがここでお昼ご飯。
安い天ぷらそばだよ。
あ、てんぷらが生煮えだ・・・・
昼ごはんの後は京都駅から奈良線にのって乃木神社を参拝してきました。
参拝が終わるともう真っ暗です。

日が暮れた京都の空には京都タワーが妖しく輝いています。
登ってみましょう。


伝統と先端技術が融合した大都市・京都の夜景を見ることが出来ます。
ちなみに京都タワーですが展望エレベータのアナウンスがコテコテの京都弁で私を含め他の見学者が思いっきり引いていたぞ・・・

この後ホテルにインしました。
1泊2万円近くするホテルですがネットで予約したため1泊5000円と超破格でした。
ちなみに食事は駅の地下で買った酢豚と寿司だよ。
京都では湯豆腐?
高すぎますがな。


そうだ乃木神社に行こう(1日目)へ
そうだ京都に行こうその2へ(2日目)へ
そうだ舞鶴に行こうその1(3日目)へ
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Posted at 2008/12/30 01:57:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ京都に行こうその2(12月28日)

さて2日目です。
泊まったホテルがゴージャスだったので気分もいいですね。
ただ格安プランにしたので朝食はコンビニのおにぎりですけどね。
だってホテルで朝食つけると1500円アップですもん。

昨日と同じく京都駅前のバスセンターで市バス1日券をゲットして出発進行~。
まずは東山慈照寺です。
慈照寺の創建は室町時代の1490年で足利義政が作らせたといわれています。
昨日の鹿苑寺の金ピカチャチャラしたゴージャスなものではなく観音殿は質素で風流な美しさがあると知られています。
風流な・・・・

・・・工事中やんけ!!
全く見えんやん!
拝観料その分安くせいやw


こちらは慈照寺庭園の銀沙灘です。
江戸時代にこの形になったといわれています。

次は平安神宮です。

平安神宮は明治28年に平安京遷都1100年を記念して作られた桓武天皇を奉る神社として建立されました。
こちらはその應天門です。


こちらは平安神宮の白虎楼です。
平安神宮は昭和51年1月に過激派のテロリストにより放火され貴重な本殿などが消失してしまいましたが寄付などを募って3年後に再建されました。

平安神宮を後にして八坂神社におまいりにいってきました。
ここでは先日買った宝くじが当たりますようにと。

楼門です。
八坂神社は素戔嗚尊を奉る神社として656年に創建されたといわれています。
・・・だんだんサ○エさんのオープニングのような写真になってきたな・・・


八坂神社を出ると祇園の町並みが見えます。
この通りは石原プロモーションが作成したスペシャルドラマ「祇園囃子」でパトカーの行列が走ったあの場所で有名ですね。

次は京都のモストポピュラー名所、清水寺です。

清水寺は778年に創建されたといわれている意外と古い寺です。
こちらは仁王門(手前)と三重塔(奥)。


本堂です。
いわゆる清水の舞台というものですが、「清水の部隊から飛び降りるつもりで」のあの部隊です。
飛び降りたら確実に即死でジ・エンドと思いきや記録では意外と生存率は80パーセントを超えていたのだとか。
でも良い子はダイビングしちゃだめよ。


清水寺から降りる三年坂です。
転ぶと3年以内に死兆星が降りるという恐るべき伝説があるようで、三年坂が残念坂になってしまいます。


ラストは蓮華王院本堂です。
1001躯もの千手観音が並ぶ修学旅行でもおなじみの場所ですね。
1001人といえばほぼ2個大隊に匹敵する戦力
ずらりと並んだ千手観音には圧倒されます。
蓮華王院本堂は後白河上皇が1165年に創建させたといわれています。

この後京都駅に戻って休憩した後に特急で舞鶴に向かいました。
さらば京都!


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Posted at 2008/12/30 00:56:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記

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