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アンチコのブログ一覧

2009年06月06日 イイね!

ぶらぶらドライブ

とはいっても刈谷の依佐美送信所記念館周辺ですから地元の周辺をまわっただけなんですけどね。
さて私は仕事や買い物や趣味旅行を除けばひきこもりインドア派なので、オフの日にぶらぶら出かけてもせいぜい自宅から10キロ圏内しか行きません。
その割りに浜松にはちょくちょく遊びに行くのは何故?(笑)

ということで地元で比較的近いにもかかわらずこっち方面はあまり行ってはなかったのです。
古本屋とか結構あるんですけどね。

で、立ち寄った古本屋で、何と「のらくろ」を発見!
昭和40年代の復刻本ですが、6冊ほどありました。
値段が1冊800円と大変安かったです。
希少価値を考えればプレミア価格になっててもおかしくないのになぁ^^;
ほしいのは山々ですがお金もないし、しかも同じ内容が収録されてる全集を持ってますのであきらめました。
良いマニアに買われるんだぞ。

帰りはなじみの食堂でから揚げ定食をウマウマ。
ミニ蕎麦の味が落ちたなぁ・・・・
昔よく行ったスーパーがドラッグストアになってたり、ずいぶんかわってました。
近い場所でも意外と気がつかないものですね。
Posted at 2009/06/07 02:47:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記
2009年06月06日 イイね!

依佐美送信所跡にいってきました

昨日のしとしと降り続いた雨もあがって良い天気!
ということでドライブがてらにここにいってきました。


愛知県刈谷市にある依佐美送信所記念館。
(写真がいがんでるとかってゆーな!w)


ここはかって依佐美送信所と巨大な空中線がありました。
終戦前までは欧州等に向けた短波・長波の送信施設として、戦後は米海軍の長波送信施設として長く重要な役割を果たしてきていました。


では今は記念館になっていますので中を見ていきましょう。

これが依佐美送信所のシンボルともいえる鉄塔の一部です。
長さは25米ですが、これは解体された鉄塔が展示保管用に残されたものです。
基部と塔頂部を接合させています。
解体前はこの鉄塔の高さは実に250米といいますからこの10倍もの長さだったわけです。
紅白に塗られていますが、これは戦後に航空機の障害物としてわかりやすくするために塗られたものです。
それまでは黒っぽい色だったとか。


依佐美送信所のダイオラマです。
紅白のポールのようなものが鉄塔で、これ1本が高さ250米もあり、実に8本の鉄塔が設置されていました。
写真ではわかりづらいですが、この鉄塔の塔頂部にはワイヤーのようなものが張られています。
これが空中線で超長波のアンテナになっています。
鉄塔は空中線を貼るためのものだったわけですね。


記念館の前景です。
送信所があった当時に似たレイアウトとなっています。
右側にみえる部屋は制御室です。
手前にあるのは主誘導電動機と主直流発電機、その奥は主直流電動機と高周波発電機。
その奥は高周波塞流線輪、高周波コイルとなっています。
発電所の中身かと思ってしまうほど中には巨大な電気設備が設置されています。


主誘導電動機と主直流発電機です。
外部の発電所から送られてくる交流電流をこの2つの電動機と発電機で直流電流に変換させます。
さらにこの電流で主直流電動機に送られ、高周波発電機を動かします。
ここで5.814kHzの超長波と500KWの大電力を作り出します。


高周波コイルです。
5.814kHzの超長波を周波数変更機で3倍の17.422kHzに変換してアンテナに送信します。
写真のコイルは最適な周波数を得るために調整するための設備です。




・・・書いていてなんですが電気や周波数のことはさっぱりわかりません(^^;
いつもと違っていかにもパンフに書いてありそうな文章なのはそういう理由だったりします。
(でも著作権のからみもあるので、いちおー参考程度にとどめてはいますけどね)



ここが米海軍の施設だったんだなとわかる象徴的なものがこれです。
米海軍のプレートですね。

依佐美送信所は欧州に向けて日本独自の通信手段を確保するために昭和2年に建設が始まり、昭和4年から運用されました。
それまでの日本の欧州への通信手段は欧米の所有する海底ケーブルに頼るほかありませんでした。

そこでつくられたのがこの依佐美送信所です。

大正14年に日本無線電信(後の電気興業)という国策会社がつくって管理を行い、逓信省(後の郵政省や電電公社となる通信を監督する省庁)が運用を行うことになりました。

長波の送信には大規模な設備が必要(らしい。よくしらんけど)ということでこのような巨大な送信施設になりましたが、竣工当時には既に大規模な設備が不要(みたいよ?よくしらんけど)な短波の技術が発達していました。

そこでこの通信所では維持運用コストを低く抑えるために主に短波の送信所としての役割を負っていました。
長波のほうはどちらかといえば短波を補完する役割だったようです。

が、長波の特徴として水中でも電波がある程度届くため、潜水艦への通信手段として注目を浴びました。
長波設備は大日本帝国海軍が運用を行っています。
昭和16年12月の日米戦争開戦となるハワイ作戦ではこの依佐美送信所からニイタカヤマノボレの暗号が送信されたといわれています。

終戦後占領軍に接収され、短波送信設備は撤去されましたが長波の送信設備に目をつけた米海軍が昭和27年から平成5年まで潜水艦用の通信手段として利用をしています。
設備は電気興業が受け継ぎ、運用は在日米海軍が行っていました。
平成6年に日本に返還され、解体となりました。


鉄塔の基部です。
この鉄塔は解体された鉄塔のうち1本のみを記念鉄塔として展示保管したもので、当時と同じ場所に立てられています。
250米にもなる鉄塔なので基部は非常に巨大と思いきや、実は細くなっています。
鉄塔そのものはこの基部で支えるのではなくワイヤーで支えています。
もしこの基部で支えようとしたらとんでもなく巨大になる上に風や地震にも弱かったでしょうね。


その基部の台座です。
球状になってるのは風などで鉄塔が揺られたときに荷重を一点でうけることで下の台座に荷重を均等に分散させるためとされています。
昭和19年12月の東南海地震(マグニチュード7.9で志摩半島沖を震央。この周辺の広い範囲で震度5だったようです)、昭和20年1月の三河地震(マグニチュード6.8の直下型で、隣の西尾市で震度6~7)、昭和34年の伊勢湾台風(名古屋で瞬間風速47.5米)など
この地域は何度も自然災害に襲われています。
しかしそれらにすべて耐えているのは驚くべきことですね。



こちらは塔頂部です。
250米にもなる高さの鉄塔ですので飛行機の障害になります。
そこで航空障害灯が設置されています。
子供の頃遠くから見た鉄塔はこの航空障害灯が赤く光っていました。

で、愛知に住んでるのになんで今更ここなんだって?
実は”やっちまい”ました。
というのもこの送信所記念館周辺はいわば地元圏内といってもいいぐらいなのですが、子供の頃からずっとあったので米海軍の施設だということはもちろん知っていたのですが、かなり遠くからも鉄塔が見えましたからもはや風景のひとつになってました。
あまりにフツーにあったので1回もまじまじと見たことが無かったんです。
学生時代に地元を離れたときに鉄塔を解体したということも聞いてたのですが、そのあと記念館になってたなんて知りませんでした。
なんという不覚orz

Posted at 2009/06/06 23:21:08 | コメント(5) | トラックバック(0) | ミリタリー関係 | 日記

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