2009年08月15日

いつものように港へ。
この夏休み何回来てるんだろう?
ぶっちゃけあまり船いないんですけどね。
でも港湾施設は心が癒されるわぁ~
夜景も綺麗ですしね。
今年の夏は海成分が増えたぞ!
Posted at 2009/08/15 19:50:54 | |
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艦船 | 日記
2009年08月15日
昭和20年8月15日、玉音放送が正午から放送されて国民に終戦が知らされました。
ポツダム宣言の受諾は8月14日に連合軍に知らされ、降伏文章は9月2日に署名されています。
8月15日以降も実は戦闘が続いていて、停戦後にもかかわらずソ連の侵攻で9月5日まで北海道の島嶼の上陸作戦が続けられています。
北方領土とは8月15日以降にソ連が上陸して蹂躙し、国際法を一切無視して奪った日本の領土のことです。
8月15日を過ぎても多くの日本兵が国を守るために亡くなられている事を忘れてはいけません。
さて、ここからは一切の主観や思想を排除し、疑問に思ったことを書きます。
8月15日の玉音放送ですが、
「朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ・・・(中略)
然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス・・・・(以下略)」
という勅語でした。
テレビの放送で繰り返し流れていますから幾度となく聞いていると思います。
ここでずっと疑問に思っていたことがありました。
本当に意味が判ったのかなと。
私も放送の詔勅を何度も聞いてみましたし、文章を読んでみましたが、意味がさっぱりわかりませんでした。
何やらとても重大そうだということはなんとなくは判りますが、その要旨はわかりません。
実際、漢語調なこともあって非常に難解なわけです。
本当に当時の国民は詔勅を聞いて意味が判ったのかな。。。。と。
実は要旨は判らなかった人が多かったようです。
詔勅を録音してあるレコード盤の品質がよろしくなく、また当時のラジオの性能も悪いので音質も非常に悪かったようです。
さらに難解な言葉ですので実際には意味がよくわからなかった人が多かったようです。
ではどうやって終戦を知ったのかといえば、WIKIPEDIAや終戦について記述してあるサイトを調べてみてようやくわかりました。
その後にアナウンサーによる解説があったことと、新聞の朝刊(この玉音放送にあわせ、新聞朝刊を昼に配達するよう要請があったようです)で知ることになったとのことでした。
8月14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決定、終戦詔書が発布されたのは午前会議後ですが、その日の21時に翌15日の玉音放送の予告放送、23時30分頃より詔勅の録音作業開始、翌15日の午前1時過ぎまで作業が続けられたといいます。
よく知られてるように、玉音放送までにクーデター未遂事件や玉音放送阻止のための一部反乱があるなど、14日から15日にかけては想像以上にあわただしく、”一番長い日”だったようですね。
Posted at 2009/08/15 16:27:52 | |
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