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アンチコのブログ一覧

2008年12月30日 イイね!

そうだ乃木神社に行こう(12月27日)

京都旅行で私がどうしても行きたい場所がありました。
そこはJR奈良線桃山駅から徒歩15分ぐらいの場所にあります。


乃木神社です。
乃木神社とはその名前の通り日露戦争で名高い乃木希典陸軍大将を祀った神社です。


乃木神社内にある忠魂碑です。
陸軍大臣陸軍大将南次郎の名前があります。
南次郎は日露戦争で旅順要塞総攻撃を行っている1904年には日露戦争に出征し大本営参謀となっています。


帝国海軍将兵の慰霊碑です。
主戦場は陸でしたが日露戦争では黄海開戦、旅順港閉塞作戦、日本海海戦のほか数多くの海戦が行われています。


その慰霊碑には錨がモニュメントになっています。
これは装甲巡洋艦”吾妻”(基準排水量9326トン)の主錨です。
”吾妻”は日露戦争直前の1900年に竣工された装甲巡洋艦でフランスに発注されて作られました。
45口径20サンチ砲4門、40口径15サンチ砲を12門ほかを搭載しており、日本海海戦では連合艦隊の第2艦隊(上村彦之丞中将)隷下の第2戦隊に編成されていました。


私がどうしても見たかったもの。
これがそうです。
乃木将軍が指揮を執った大日本帝国陸軍第三軍が旅順要塞攻略戦の際に司令部として使われた柳樹房の民家です。
そのままのものをここに移築しています。


明らかに日本の民家とは違った佇まいですね。
旅順要塞攻略作戦では日本軍第三軍総兵力13万人のうち戦死1万5千400名、戦傷4万4千名というすさまじい損害を出しましたがその中には乃木将軍の2人の息子もいました。


旧乃木邸です。
乃木将軍は元長州藩士で1849年に今の六本木ヒルズがあるあたりに生まれました。
1858年に長府に帰郷しましたがそのときの乃木邸がこれです。


乃木将軍の胸像です。
乃木将軍は明治4年に陸軍少佐に任官、その後西南戦争に歩兵第一四連隊長心得として従軍していますがここで連隊旗を喪失する失態を演じ、生涯苦しんだといわれます。
日清戦争では第1歩兵旅団長として出征、旅順要塞攻略を担当しています。
その後台湾総督府、近衛師団長を歴任していますが日露戦争では旅順要塞を1日で陥落させた功績により第三軍の司令官に抜擢されます。
日清戦争当時とは比較にならないほどの強固に補強された要塞群や機関銃の登場などにより旅順要塞攻略は大激戦となり実に6万人近い大損害を受けています。
その指揮に対しては批判がありましたが難攻不落といわれた旅順要塞を陥落させた司令官というネームバリューはすさまじく、日露合計60万人の兵力がぶつかった奉天会戦ではロシア軍司令官クロパトキンは乃木第三軍がいつ投入されるかを恐れていたといわれます。
旅順要塞攻略戦で大きな損害をだしたことで乃木将軍は大きな批判をうけますが息子2人を攻略戦で失うと同情を受けています。
乃木将軍は大変温厚だったことで知られ、敵だった旅順要塞ロシア軍司令官アナトーリイ・ミハーイロヴィチ・ステッセル中将は降伏調印式での帯刀を認められたことに感激し武士道を高く評価しています。
また乃木が殉死すると香典を送っていもいるようです。


乃木将軍の愛馬璞号です。
旅順要塞陥落の際にステッセル将軍から馬”壽号”が贈られました。
璞号はこの子で璞号と壽号の像は拝殿の前で御霊を護って対峙しています。


乃木神社の拝殿です。
乃木将軍は明治天皇への強い忠誠心でも知られ、明治天皇が崩御され大葬が行われた大正元年9月13日に乃木夫妻は自刀しています。
多くの国民がこの殉死に感銘を受け大正5年にこの乃木神社が作られました。


これはさざれ石です。
国歌”君が代”に登場するさざれ石はこの石のことで、小さな石が炭酸カルシウムなどにより固まり、大きな石になったものをいいます。
君が代の由来になったさざれ石は岐阜県の揖斐川にあるそうです。

以上、乃木神社の見学でした。
このほかに敷地内に資料館があり乃木将軍の遺品が展示されていました。
乃木将軍の作戦の評価や殉死についての評価はさまざまですが、資料的価値も大変高いので機会があれば参拝するのもいいと思います。
Posted at 2008/12/30 10:51:10 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ京都に行こうその1(12月27日)

なぜか京都に行くことになりました。
母が京都に行きたいと言い出したので案内役となったわけです。
準備から出発まで1日ありませんでしたが、なんとかなるもんですね。

新幹線で京都駅に。
京都駅からは市内各所の名所旧跡にいけるように市バスがあちこちを走っています。
1日乗り放題で500円なのでこれをうまく使えばタクシーを使うことなく迅速かつ楽チンかつ安価にまわることができます。

まず向かった先は鹿苑寺です。

鹿苑寺の舎利殿です。
なんといいますか、ド派手でリッチな建物です。
鹿苑寺は足利義満が1397年によって創建させたといわれています。
別荘だったわけですが義満の死後は禅寺になりました。
しかし・・・こんなに金ピカでは雑念(money)が消えることはなさそう(爆)
ちなみに舎利殿は昭和25年に見習僧によって放火されて全焼してしまています。


舎利殿がかすかに写る鏡湖池には8隻のフリゲイト艦水鳥がいました。


鹿苑寺の夕佳亭です。
Tea-Room茶室ですね。


次は龍安寺です。
こちらは庫裡です。
ここを入ると・・・・


おなじみの方丈庭園ですね。
25メートルプールぐらいの広さの敷地に砂を敷き詰めて模様を書いたシンプルな石庭です。


知足の蹲踞です。
ええっ、これってパチモンなの?
(複製だそうです)


鏡容池です。
龍安寺は1450年に細川勝元が創建したといわれています。


龍安寺を出てしばらく行くと次は仁和寺です。
こちらは仁和寺の仁王門。


仁王門の金剛力士阿形像。


同じく吽形像。
じっくりみると怖いです(汗)


宸殿から北庭をみたところです。
風情があります。
仁和寺といえば吉田兼好の「徒然草」でたびたび登場し、坊さんが宴会やってるときにふざけて鍋をかぶって踊っていたら抜けなくなって引っ張ったら怪我したという情けないエピソードで有名ですね。


仁和寺の九所明神です。


観音堂。
仁和寺は888年に創建された大変古い寺で皇室ともゆかりがあるため「御室御所」とも呼ばれています。


仁和寺の五重塔です。
五重塔はポピュラーな仏塔のひとつで法隆寺をはじめあちこちで見かけるメジャーなランドマークタワーです。
仁和寺の五重塔は37メートルあるのだとか。

仁和寺の後は太秦へ。
映画村ですよ。
お約束のコースですね。
が、バスを降りて映画村の入り口に向かうと妙な気が。
人がいない。
怪しいと思って映画村の受付に電話してみると年内は終了しましたとのアナウンスが!
やられた~!
バスの運ちゃんおしえてくれてもよかったのに。
ここはバスが1時間に1本しかないのでJRで京都駅にもどってきました。
既に15時回ってきましたがここでお昼ご飯。
安い天ぷらそばだよ。
あ、てんぷらが生煮えだ・・・・
昼ごはんの後は京都駅から奈良線にのって乃木神社を参拝してきました。
参拝が終わるともう真っ暗です。

日が暮れた京都の空には京都タワーが妖しく輝いています。
登ってみましょう。


伝統と先端技術が融合した大都市・京都の夜景を見ることが出来ます。
ちなみに京都タワーですが展望エレベータのアナウンスがコテコテの京都弁で私を含め他の見学者が思いっきり引いていたぞ・・・

この後ホテルにインしました。
1泊2万円近くするホテルですがネットで予約したため1泊5000円と超破格でした。
ちなみに食事は駅の地下で買った酢豚と寿司だよ。
京都では湯豆腐?
高すぎますがな。


そうだ乃木神社に行こう(1日目)へ
そうだ京都に行こうその2へ(2日目)へ
そうだ舞鶴に行こうその1(3日目)へ
そうだ舞鶴に行こうその2(3日目)へ
Posted at 2008/12/30 01:57:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記
2008年12月30日 イイね!

そうだ京都に行こうその2(12月28日)

さて2日目です。
泊まったホテルがゴージャスだったので気分もいいですね。
ただ格安プランにしたので朝食はコンビニのおにぎりですけどね。
だってホテルで朝食つけると1500円アップですもん。

昨日と同じく京都駅前のバスセンターで市バス1日券をゲットして出発進行~。
まずは東山慈照寺です。
慈照寺の創建は室町時代の1490年で足利義政が作らせたといわれています。
昨日の鹿苑寺の金ピカチャチャラしたゴージャスなものではなく観音殿は質素で風流な美しさがあると知られています。
風流な・・・・

・・・工事中やんけ!!
全く見えんやん!
拝観料その分安くせいやw


こちらは慈照寺庭園の銀沙灘です。
江戸時代にこの形になったといわれています。

次は平安神宮です。

平安神宮は明治28年に平安京遷都1100年を記念して作られた桓武天皇を奉る神社として建立されました。
こちらはその應天門です。


こちらは平安神宮の白虎楼です。
平安神宮は昭和51年1月に過激派のテロリストにより放火され貴重な本殿などが消失してしまいましたが寄付などを募って3年後に再建されました。

平安神宮を後にして八坂神社におまいりにいってきました。
ここでは先日買った宝くじが当たりますようにと。

楼門です。
八坂神社は素戔嗚尊を奉る神社として656年に創建されたといわれています。
・・・だんだんサ○エさんのオープニングのような写真になってきたな・・・


八坂神社を出ると祇園の町並みが見えます。
この通りは石原プロモーションが作成したスペシャルドラマ「祇園囃子」でパトカーの行列が走ったあの場所で有名ですね。

次は京都のモストポピュラー名所、清水寺です。

清水寺は778年に創建されたといわれている意外と古い寺です。
こちらは仁王門(手前)と三重塔(奥)。


本堂です。
いわゆる清水の舞台というものですが、「清水の部隊から飛び降りるつもりで」のあの部隊です。
飛び降りたら確実に即死でジ・エンドと思いきや記録では意外と生存率は80パーセントを超えていたのだとか。
でも良い子はダイビングしちゃだめよ。


清水寺から降りる三年坂です。
転ぶと3年以内に死兆星が降りるという恐るべき伝説があるようで、三年坂が残念坂になってしまいます。


ラストは蓮華王院本堂です。
1001躯もの千手観音が並ぶ修学旅行でもおなじみの場所ですね。
1001人といえばほぼ2個大隊に匹敵する戦力
ずらりと並んだ千手観音には圧倒されます。
蓮華王院本堂は後白河上皇が1165年に創建させたといわれています。

この後京都駅に戻って休憩した後に特急で舞鶴に向かいました。
さらば京都!


そうだ京都に行こうその1(1日目)へ
そうだ乃木神社に行こう(1日目)へ
そうだ舞鶴に行こうその1(3日目)へ
そうだ舞鶴に行こうその2(3日目)へ
Posted at 2008/12/30 00:56:43 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記
2008年12月29日 イイね!

そうだ舞鶴へいこう

3日目。
今日は半日舞鶴です。
朝むっちゃさむかったですが暖かくなっていいかんじ。
朝一番で軽く護衛艦を見てその後赤れんが記念館と舞鶴市政記念館へ。
、、、
年末年始で閉館してました。
その後海軍記念館と自衛隊桟橋へ。
たっぷりゆっくり堪能できました。
来てよかったo(^-^)o
Posted at 2008/12/29 13:13:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | ミリタリー旅行記 | モブログ
2008年12月28日 イイね!

そうだ京都に行こう2

ということで2日目です。
清水寺などを見てきました。
その後は私だけ京都に残ってそのまま舞鶴へ。
今舞鶴で~す。
一度きてみたかったんだよね~
Posted at 2008/12/28 20:11:13 | コメント(1) | トラックバック(0) | 日記だぎゃ | 日記

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