海上保安庁の観閲式が終わり、帝都を離れて横須賀に。
明日は終日は横須賀を満喫するぞ!
でもその前にやっぱり見たいものがあります。
JR横須賀駅を降りると目の前にはヴェルニー公園がありますが、そこには横須賀港を見ることが出来ます。
そう、横須賀の夜景ですよ。
雰囲気最高の場所であちこちでカッポー様がイチャイチャしてる中でカメラ構えて軍艦を撮る姿は怪しい以外のナニモノでもありませんが気にしません(爆)

海上自衛隊横須賀地方総監部と桟橋です。
巨大な艦船がありますが”ひゅうが”?
いえ、これは”ましゅう”型補給艦AOE-425”ましゅう”(満載排水量25000トン)です。
舞鶴に停留港をもっていますが、消磁を行うために横須賀に来たのでしょうか?

こちらは米軍側です。
手前には”タイコンデロガ”級ミサイル巡洋艦CG-63”カウペンス”(満載排水量9957トン)、その奥には”アーレイバーク”級フライトⅠミサイル駆逐艦DDG-54”カーティス・ウイルバー”とDDG-63”ステザム”(満載排水量8950トン)、フライトⅡAのDDG-85”マッキャンベル”(満載排水量9155トン)のマストを見ることが出来ます。
見えにくいですが右側に”おやしお”型潜水艦(水中排水量3500トン)が見えます。

同じく米海軍側。
”ベネワ”級宿泊船APL-40”ニュエセス”とその後ろに海上自衛隊の新型護衛艦”ひゅうが”型ヘリコプター搭載護衛艦”ひゅうが”(満載排水量18000トン)が見えます。
軽く夜景を写した後はホテルにチェックインして一休み。
ホテルでお約束の”むふふ(//▽//)”なビデオ(なんと無料で見放題)もありましたが、昨日・今日と疲れたのでどうでもいいやw
近くにあるコンビニで次の日の朝ごはんを買ってきました。
え?朝食はホテルのサービスなの?
と、ここで
みんカラをアップ。
ホテルではネットが無料なので使いたい放題なのですが、いかんせん英語キーボードですので使いにくい・・・
さて3日目です(ここからですよ)。
朝8時に目が覚めました。
旅行でこんなにゆっくりと目覚めたのは初めてかもしれないなあ。
いつも旅行での起床は6時ごろですから。
フロントではパンとマーガリンがおいてありました。
これを勝手にトースターに入れて焼いて食えと。
こういうセルフサービスも好きだな♪
自分のペースでできますものね。
ひととおり準備を終えてチェックアウトをすませてタクシーでショッピングセンターへ。
実はここの横でこれをやっています。
軍港めぐり。
チケットの販売はまだなのでヴェルニー公園から横須賀港を写してきました。

米海軍の水兵が潜水していました。
何かの訓練かブイの確認でもしてるんでしょうか?

ヴェルニー公園の一角には大日本帝国海軍に関する石碑がいくつかあります。
これは海軍の碑です。
黒船来航による鎖国政策の崩壊から日本の近代化、そして海軍力の発展と終戦による終焉まで横須賀は海軍の街としてその歴史を刻んでいました。

軍艦山城之碑です。
戦艦”山城”は大正2年度計画で建造された”扶桑”型戦艦の2番艦で昭和6年に竣工した基準排水量34500トンの超ド級戦艦です。
35.6センチ45口径連装砲を6基を搭載していましたが、比較的低速だったために太平洋での戦いでは前半は後方に控えていました。
しかし昭和19年10月の捷第一号作戦では西村艦隊の旗艦としてスリガオ海峡に突入、アメリカ艦隊の壮絶な集中砲火を受けて壮絶な最期を遂げています。

國威顕彰碑です。
戦艦の艦橋の形をしていますが詳細は不明です。
どうも昭和大正末期~初期頃作られたのではないかといわれてるようです。

軍艦長門碑です。
戦艦長門は大正5年度計画で建造され大正9年に竣工した超ド級戦艦です。
完成以来連合艦隊の主力となり、日米戦開戦時では連合艦隊旗艦をつとめています。
終戦時まで唯一生き残った戦艦でしたが米国に接収され昭和21年にビキニ環礁での原爆実験で最期を迎えました。

軍艦沖島の碑です。
敷設艦”沖島”は昭和11年に竣工され、機械水雷の敷設や物資の輸送などで活躍しました。
昭和17年に米軍の潜水艦による攻撃を受け沈没しています。
さて、写真ですが記念碑だけ妙に白いモヤがかかってるのですが・・・
霊現象?
まあ埃か何かがついてそう見えるだけなんでしょうけどね(^^;
横須賀は聖地だその2へ
Posted at 2009/04/29 15:31:22 | |
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