それではおまたせしました。
ここからは海上自衛隊の航空機地上展示です。
はるばる綾瀬市にまでこれを見に来たといっても過言ではありません。
それではいってみましょう。

やはり海上自衛隊といえばP-3C哨戒機ですね。
P-3Cは俺の嫁
海上自衛隊からは固定翼機として第4航空群第3航空隊のP-3C哨戒機と第61航空隊のYS-11M輸送機が地上展示に参加しました。

第4航空群第3航空隊のP-3C哨戒機の機首部分です。
P-3対潜哨戒機はP-2対潜哨戒機の後継としてロッキードL188エレクトラという中型旅客機をベースに対潜装備を搭載するなどして開発されました。
原型となるYP-3Aの初飛行は昭和33年、実に51年前です。
P-3シリーズの最初の仕様P-3A、続くP-3Bの能力向上方がP-3Cで初飛行は意外と古くて昭和43年と実に41年前だったりします。
年代だけ聞くと大変古めかしいですが最も重要な対潜システムはその後も能力向上を続けていて現在でも世界を代表する対潜哨戒機です。

第4航空群第3航空隊のP-3C哨戒機の尾部です。
尾部はかなり特徴的な形をしていますが、この中にはMADと呼ばれる磁気探知装置が設置されています。
MADとは海中に金属の固まりがあるとその周囲にわずかな磁場の乱れが発生するのでそれを感知して潜水艦を探知する装置です。

第61航空隊のYS-11M輸送機です。
海上自衛隊には10機のYS-11が配備されていてそのうちの6機が大型機を操縦するパイロット教育用練習機のYS-11Tが、残りの4機が輸送機仕様のYS-11Mとなっています。
第61航空隊のYS-11MはYS-11旅客機の最初の量産型YS-11-100型をベースにしたYS-11Mが2機、貨物搭載型、人員/貨物搭載型のYS-11M-300/400型をベースにしたYS-11M-Aが2機任務についています。

第61航空隊のYS-11M-A輸送機のカーゴドアから機内を。
YS-11M/M-Aは海上自衛隊唯一の輸送機で航空基地間の人員/貨物輸送を行っています。
搭載量は約3トン、人員なら40名を搭乗させることができるようです。
YS-11は進駐軍によって徹底的に破壊された航空技術を失った日本が生み出した国産旅客機で昭和37年に試作機が初飛行を行っています。
その後は世界各地で中距離旅客機として活躍していましたが、海上自衛隊はP-2V-7/P-2J対潜哨戒機の練習用と輸送機用として、また航空自衛隊でも輸送機、電子戦機、支援機として導入されています。
こんな美しい輸送機が世界にあるのかと思うほど美しい飛行機ですね。

海上自衛隊の回転翼機として唯一展示された第51航空隊のSH-60K哨戒ヘリコプターです。
SH-60Bと同じように機体の下面には探索用レーダーが設置されています。
第51航空隊は航空機や装備の運用評価や運用研究、テストパイロットの養成を行う部隊でSH-60J/kのほか、P-3C、UP-3、MCH-101掃海輸送ヘリコプターなどが配備されています。

SH-60K対潜ヘリコプターのコクピットです。
大型のディスプレイが6つ(そのうち1つは戦術情報処理表示システム)並んでいて、米海軍のSH-60Fと比べてもデジタル化が進んでいることがわかります。
(許可を得て撮影しました)

こちらは機内キャビンにある対潜戦コンソロールです。
SH-60Bと比べると見た目だけでも大きく違うことがわかります。
SH-60KはSH-60Jを元に開発されましたが、そのベースとなるSH-60Jは米海軍のSH-60Bが元になっています。
ただベースになったのは機体のみで中身の対潜システムをはじめ電子装置は米国が輸出制限をかけたためほとんど国産開発のものを搭載しています。
SH-60Kはさらに進化した対潜・戦術情報処理システムを採用しているとのことです。
(許可を得て撮影しました)

こちらはSH-60K哨戒ヘリコプターのMAD(磁気探知装置)システムAN/ASQ-81です。
このほかSH-60KにはディッピングソナーHQS-104やソノブイ、探索用レーダーが搭載されているほか、SH-60Jでは対潜用の短魚雷2発と機銃のみしか搭載できなかった武装が短魚雷に加えヘルファイア対艦ミサイルの搭載も可能になったために限定的ながら対水上艦艇打撃能力も付与されているようです。

地上展示機ではありませんが、会場奥のエプロンにはP-3C哨戒機とUS-2救難飛行艇が翼を休めていました。
こちらは第31航空群第71航空隊厚木分遣隊のUS-2救難飛行艇です。
第71航空隊は岩国基地に置かれていてUS-1A救難飛行艇とUS-2救難飛行艇を装備しています。
厚木基地には分遣隊を展開していて厚木と岩国基地から洋上救難任務を行っています。

こちらも第31航空群第71航空隊のUS-2救難飛行艇です。
白地に青色という目立つ塗装をしていますが、本機がUS-2の試作2号機だから。
71航空隊で運用評価を行い、平成20年度中に任務に就いています。
US-2救難飛行艇はUS-1Aの後継となる救難飛行艇で、見た目はプロペラ以外にUS-1Aとほとんど同じですが大きく進化を遂げています。
飛行艇という特殊な運用だけに職人技級の操縦技術が必要だったUS-1Aですが、US-2はフライバイワイヤ(操縦系を電気ケーブルでつないだもの)とコンピュータによる姿勢制御を採用して操縦者の負担を軽減させたり、エンジンの出力向上とキャビン内を与圧にすることでより高高度を飛べるようになっています。
救難システムとしては赤外線暗視装置を搭載しています。

エプロンにズラリとならんだ第4航空群第3航空隊のP-3C哨戒機。
これほど並ぶと実に圧巻ですね。
これをみるためだけに来たといっても過言ではありません。
まさに感動。
これだけP-3対潜哨戒機をズラリと並べているところは世界中探してもそう多いもんじゃありません。

こちらも第4航空群第3航空隊のP-3C哨戒機です。
海上自衛隊のP-3C哨戒機はP-2J対潜哨戒機の後継として昭和56年4月に米国で引き渡され、以後川崎重工でライセンス生産が進められ101機を整備しています。
現在ではうち20機を保管状態または他機種に改造されているようで80機が任務に就いています。
P-3Cは世界トップクラスの対潜哨戒機として知られていますが、米海軍が約200機を世界各地に展開させているのにたいし、海上自衛隊は日本国内だけで100機を保有して対潜水艦任務にあたらせています。
これは米海軍が海上自衛隊に日本周辺地域の対潜任務を委任していることもありますが、太平洋戦争では日本は米軍の潜水艦などから徹底的な通商破壊戦を行われて敗戦の一因となった教訓があるとも言われています。

哨戒監視任務から帰ってきた第3航空隊のP-3C哨戒機です。
桜祭をやっているこの日(まさに4月8日の北朝鮮による弾道弾発射実験間近)も監視任務は行っていたようで、1機が着陸してきました。
機体上面にドーム状のものが見えますが、これは衛星通信装置です。
さてこれで地上展示はおしまいです。
終日まったりモードですごしていましたが日が暮れてくるとゲートガードの機体もライトアップされていました。

そのうちの1機、EA-6B電子作戦機ですが、よ~くみるとフラップと電子妨害装置がはずされていてちょっと寂しい。
以上、在日米海軍厚木航空施設さくら祭でした。
え?主役のはずの「桜」がない?
う~ん・・・

一分咲きなんだよね(笑)
いかがだったでしょう?
写真がやたら暗いのはカメラの設定ミスのようです(本当はP-3Cの着陸する瞬間もあるんですが、夜間のように真っ暗・・・)
また米軍の艦載機の部隊のニックネームを和訳して(例;ゴールデンドラゴンズ→黄金龍部隊)入れたら中国軍みたいになってしまった(笑
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