本当なら今日は出勤だったのですが、しょはんのじじょーによりお休みに。
まぁ不況ですしね。
(予定とかたてたいから頼むからこういうのは早く教えてくれよ・・・・)
ということでぶらぶらとドライヴに。
といっても行くところなんかそうはありませんので・・・・
ここにいってきました。

幸田町にある郷土資料館ですって、めっちゃ地元やん(笑)。
昼頃にいったのですが、なんと資料館は不在・・・
お昼はお昼休みのため出かけてるみたいです(^^;
なんというフリーダム(笑)
ちなみに1日の来場者は7人ぐらいなんだそうです。
前回は8月に訪れたのですが、今回はじっくりみることができました。
その模様は別途。
このへんのことがよくわからなかったので、展示物の説明にかいてあった神社にいってみようと職員の方に伺ったのですが、残念ながら存じなかったようです。
でも野外展示をみていた私にわざわざ本を探してきてくださりました。
大変ご親切でありがたかったですm(__)m
野外展示は別途として、こんなのが資料館内に展示してありました。

礼服です。
(いつの時代の何の・・・?一切解説はなかったです^^;)

これは見事な絵ですね。
「清国田庄台攻撃之図」とあります。
日清戦争での戦勝記念として、熊野神社に奉納されたとありますが、作者の名前も解説にはありません。。。。
田庄台といえば日清戦争の激戦地で、1895年3月にここの攻略のために日本軍は3個師団を投入したそうですが、そのうちひとつが第三師団(名古屋)ということもあって幸田に奉納されたんでしょうか?
日清戦争については書籍を1冊も持ってないのでよくわかりません・・・・勉強しないとなぁ。

その後ぶらぶらと熊野神社(上の絵が奉納された神社とは別のとこよ)に。
西尾の熊野神社です。
特に寺社仏閣に特別興味があるわけではないですが、神社ってなぜか心が癒されるんですよね。
まぁ自宅の裏が神社ですし、子供の頃から慣れ親しんだ空気が神社共通の雰囲気としてあるんでしょうね。
とはいっても、やはり神社を訪れると見たいもの軍関係ですね。

この鳥居は「紀元二千六百年」とありました。
日本は以前「紀元暦」という独自の暦を用いていました。
神武天皇が即位して年をスタートとして考える暦で、広く用いられていました。
紀元二千六百年とは昭和15年(1940年)のことで、「零式艦上戦闘機」の「零(0)年」とは紀元二千六百年を示しています。
同じように「九九艦上爆撃機」は紀元二千五百九九年(昭和14年)を示します。
紀元二千六百年を記念して当時は大規模な祝賀記念祭が行われたようで、あちこちの神社や石碑にその文字をみてとることができます。

熊野神社の拝殿です。
木造で立派ですね。
(うちの近所の神社の拝殿なんて総コンクリート製だしなぁ・・・笑)

熊野神社にあった平和記念碑。
戦争でなくなられた方々のご冥福と、平和への願いをしてきました。

狛犬です。
台座に「日露戦争戦勝記念」とあります。
日露戦争では愛知からも部隊が出征しています。
当時の愛知には第三師団(名古屋)がおかれ、常備団体として名古屋に歩兵第五旅団、豊橋に歩兵第一七旅団がおかれていました。
第三師団は第二軍に編入されて遼陽会戦や奉天会戦などの激戦に参加しています。
その後はぶらぶらと古本屋やショップをみてまわってきました。
久しぶりにのんびりした休日だったなぁ(^^)
Posted at 2010/01/16 21:21:46 | |
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