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SPEED GROOVE @ yoshiのブログ一覧

2018年06月03日 イイね!

GT-R Magazine 7月号「情熱 R 人生」



** 情熱「R」人生 **

僕は35のボディに手を入れたことがない。
今のように35が広まり、町の板金工場に入庫するようになる前に引退した。
だから、35のボディ構造について確かなことを言える立場にはない。
その上で思うのは、まあ、よくある損傷レベルだなと。
まず写真を見て、率直にそう思った。
おそらく内側の補強パネル類が第二世代よりも頑丈な作りになっているだろうから、
そのあたりの修正と交換作業で苦労したかもしれない。
多少なりともフロアやリヤメンバーまで及んでいるようにも見える。
あとは、やはりドアがこれだけ破損していることからAピラーへの波及がどれほどだったか。
おそらく、それなりに修正は必要だったことだろう。
個人的には、編集長の気持ちに同感で、これで廃車や部品取りにしていては勿体ない。
クルマが悲しむ。

クルマの命運というものはオーナー次第というところがある。
たしかにそうだろう。
でも、そうではないケースも多々経験してきた。
それは、誰かが事故車を買って直す、というもの。
捨てる神あれば拾う神あり。
こんな言葉もあるとおり、
まるで敗者復活戦のような逆転劇が繰り広げられることもあるから。

ただ、これが35だったからいいようなもので、もし32や他の第二世代であったらどうだろうか。
現在、外板部品は無いと聞く。
そうなると、残念ながら、このようなレベルであっても不可能に近いのかもしれない。
もしくはセカンドベストな方法として、部品取り車からの移植するのが一番リスクが少ない方法だろう。
このようにして最悪のケースを想定しておくとおかないのとでは、32をはじめとした第二世代オーナーの気持ちの持ちよう、ゆとりが違ってくることと思う。
そのためにこそ必要なのは情報網となる横のつながり、ネットワークになるのだろう。
そういう観点から今号の記事で特に気になったのは、いろいろなショップさんがイベントを開催しているということ。
今号でいえば目黒さん、グローバルさんがイベントや走行会を開催している。
この手のイベントは、ショップの利益云々というよりも楽しみ優先なんだろう。
だから、参加オーナーは皆、生き生きと参加されているようだ。

翻って、かつての自分をみてみれば、「楽しみ」という観点もあって仕事をしていたとは思う。
ただ、当時はまだ周囲の考え方がそこまでには至っていなくて、一番はやはり利益であった。
ようは、そこまで余裕がなかったのだ。
町工場のレベルでは、そこまでの大々的なサービスは難しいのが現実だから。
でも、いまになって思うことがひとつある。
ほんとうに難しかったのだろうか・・・ということ。
それは、自分ひとりの力でやろうとしていたことに問題があったのかもしれない。
イベント記事をみていたら、そう思えてくる。
というのも、けしてショップの社長なり、スタッフだけで開催しているのではないようだから。
応援者となってくれるひとや、実地にボランティア的に協力してくれるひともいたのではないだろうか。
そうすると、ここで問題点がハッキリとしてくる。
それは仲間を頼れるかどうか、ということ。
つまり、つながり。
仲間の大切さというものが効いてくるのではないか。
おそらく、かつて僕はそれに気づいていながら結局は実現できなかったと思う。
どちらかというと、職人として一匹狼的なスタンスであったように自分では思っている。
チームではあったが、気持ちとしてはいつも孤独であったことは間違いなく、
仕事の環境として味方なんだか敵なんだか、よくわからない状況になっていたかもしれない。
責任の重さもあり、とてもじゃないけど頼れるどころの話じゃなくなっていたとも思う。
だから、ざっくりいえば、全部ひとり。
ひとりで背負っていくしかなかった。
そこに苦しみが生まれのは当然のことであって、
いずれ限界にぶつかるであろうことは内心感じていたことと思う。



あらためて今号をみてみると、30万キロを超えてまだ乗り続けるための方法、抜け道がけして途絶えたわけではないことが理解できてくる。
ぼくにはそれが奇跡のように思えてならなかった。
正直な気持ち、まさか、ここまで続くとは・・・。
そんなふうに思っていたから。
だから、GTRというクルマを通してのつながりは、ほんとうに凄い力を持っているんだと思う。
つくづく、そう思う。
毎号毎号、そのつながりの素晴らしさを誌面を通じて見てきた。
辞めた人間にしたら、嬉しいような辛いような、そんな複雑な気持ちもあった。
でも、いま素直にこう思う。
つながりこそ、かけがえのない財産なんだと。
Rを通して、走りを通して、人と人がつながっていく。
たったクルマ一台で、こんなにも素晴らしいことが得られるだなんて、それこそが奇跡なんだ。
Speed Groove. yoshi
Posted at 2018/06/03 21:22:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日記
2018年04月15日 イイね!

GTR magazine 5月号『運まで味方につけるのが真のトップドライバー』



先々月に右手首を複雑骨折した。
たかが骨折と、軽く考えていた。
病院に行き、ギブスで固定すれば、あとは日柄で治っていくものだろうと。
いま思えば、どこか余裕でいた。
それは、それだけ何かあっても、落ち着いていられる自分になってきたからなのかもしれない。
良く言えば、前向き。
でも、実のところは違っていたようだ。
症状を甘く考えていて、あとで医者に叱られた。
結果、普通ならば、それほど長い入院とはならずにすんだものを、
すべてが裏目裏目となり、長引き、酷く苦しんだ。
まるで腕が切断されたかのような焼き切られたような強い痛み。
朦朧とした意識のなかで、うめき、のたうちまわり、
それは、これからも生きていかなければならないと思うと酷すぎて、
死よりも生きていくほうがよっぽどつらく感じられた。
いっそのこと麻酔のかかったまま戻ってこなければ・・・
と思わずにはいられなかったくらいに。

いま、ようやく退院して思うのは、なぜこんなことになってしまったのか、ということ。
それは思うに、骨折の前、数ヶ月前から感じていた自分の意識に実は違和感があったこと。
その違和感への対応を軽んじていたことに起因するように思う。
そのような折、今号掲載のレーシングドライバー本山哲選手の言葉が心に響く。



『常に周りからどう見られているかを把握していないとトップドライバーでいることは難しい』

それは、トップでいることの厳しさと難しさを表していると思うし、
もっと言えば、ひとが大過なく生きることのコツのようなものにさえ思えてくる。
走りのプロとして求められていることは結果を出すこと。
チームを勝利させること。
順位をひとつでも上に上げること。
実にわかりやすいシンプルな世界だ。
しかし、シンプルな勝負の世界というものは実力だけでは何とかならないもの。
表面的な思い、人知を超えた領域に触れて初めてその本質的な部分が見えてくる。
勝負ごとの本質とは、自分との勝負。
自分を知り、自分を磨き、自分の本質である心を研ぎ澄ましていくこと。
その過程では、必ずと言っていいほど避けては通れないことがあるようだ。
失敗、負け、敗北、挫折。
つまりは、日頃望んでいる方向の逆サイドの体験。
それをどのように経験し、いかに乗り越えてきたか。
それによって人生は磨かれていくものなのだろう。
本山選手は次のように語る。

『レーサーは自分を持っていないと速くはなれない。』

自分を持って生きていくためには、自分で考えて自分なりの道を拓いていくことが必要。
誰か他人の考えは、そのひとにとっていま必要な尊重すべきもの。
自分とは感覚が違っていても当然のこと。
そう考えられて初めて自分を自分を認められ、
自分の道を生きること、自分を活かすことができると思う。
レースなどの勝負ごとにおいて致命傷になる時というのは、自分が見えなくなったとき。
他人の意識や感覚が入り込んできたとき。
つまりは、自分への迷いや悩みがおきてきたとき、
違和感として感じるその感覚のセンサーが発信することが、
心の声、助けを求める声であったりもする。

踏めるときは踏めると。
危険なときは危険であると。

大抵、クラッシュにしても、不運、不幸の前には何か違和感が感じられている。
それに気づくことができていたかどうか。
微細な感覚の違和感、気持ちの変化。
さらには、周囲を流れる全体的な意識。
本山選手の持つ感覚を僕なりに読み解いていけば、
どうやら、トップに立ち続けるには、そういった感性を高めていくことが必要とされるようだ。
それが紙面では、この言葉で締めくくられている。

『運まで味方につけるのが真のトップドライバー。』

運まで味方につける。
そのためには、自分を俯瞰した視点でみてみること。
自分を客観的にみることが基本になると思う。
ポイントは、人の考えに影響されすぎてはいないかどうか。
勿論、参考にしたり、学びとするのはだいじなこと。
でも、そこからの新たな気づき、ひらめきは、自分の感覚、内面を感じなければ出来ない。
自分は、いま何を考え、何を感じ、何を恐れ、何をしたがっているのか。
自分の感覚に素直になってみること。
そして・・・

『超一流と呼ばれるひとたちはあまり教わっておらず、自分で考えて行動している。』

結果が義務というレーサーの世界。
命をかけた究極の自己責任。
だからこそ、純粋に速く走ること、その原点の気持ちに素直であること。
本山選手は、そう伝えてくれているように思う。

speed groove by yoshi
Posted at 2018/04/15 22:45:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2017年12月13日 イイね!

GT-R Magazine 2018年1月号 〜板金塗装店との付き合い方〜



GT-R Magazine 2018年1月号
〜板金塗装店との付き合い方〜

まず、誌面にあるこの言葉から深めてみたいと思う。
『チューニングでは当たり前に気にされている、誰が、どこで、何を使って、どんなことをやっているのか、をそこまで追求されていないように感じます』

なぜこう思うのかといえば、それはたぶん、どこで修理をしても大差なし。
さして変わり映えはしないと思うからなのだろう。
ようは、ボディ修理というものは、修理をした結果パワーがあがるわけではなく、
フィーリングやパフォーマンスの向上が体感できるようなものではないから。
チューニングショップが担当するエンジン関係に手をいれたときほどの違いは感じられにくい。

だから、どこで修理をしても同じ。
同じ形、同じ色のボディに戻るだけ。

そう思ってしまうとしても、それは無理のないことだろう。
なにしろ依頼内容の目的、完成形が「元に戻ること」なのだから。
ユーザにしてみれば、ボディに対して、そもそも変化など求めていないし、
むしろ変化があってはいけない。
だから、ボディ修理に個性を出す余地などない、というのが常識的な考え方であって当然なのだろうと思う。
でも、実際は違う。
ほんとうのところは、
エンジンチューンと同じかそれ以上に個性が出るのが板金塗装なのだと思う。

板金塗装業界のひとたちにしてみたら、
常にと言ってもいいくらい「ボディは蔑ろにされている」と思っている。
しかし、世間的な位置付けとしては、
あいかわらずレストアはマニアのすることかキワモノ扱いであったり、
事故車などの大破起こしはアヤシイひとたちが一枚噛んでいそうな雰囲気をもっているような気がする。
ま、これは、自分自身が板金塗装業界に携わってきて肌で感じてきたことから思うこと、つまり、自分の意識の投影ではあるのであるが。

では、板金塗装の個性とはなにか?というと、
それが、冒頭の『誰が、どこで、何を使って、どんなことをやっているのか』という部分であり、具体的に一例をだして言えば、板金方法であり、溶接方法であり、
塗装下地の作り方であり、もっとわかりやすくいえば、パネルを交換するのか板金して叩き出すのか、ということであると思う。





これを、もうすこし補足して書いてみる。
掲載の写真にサーキットで追突された32GTRのデモカーがあるが、
トランクフロアが製造打ち切りのために新品部品への交換ができないようだ。
そういった場合どうするか?
かつて大破起こしをしていた者の見立てからすれば、たしかに誌面にあるように、ドナー車からの移植という方法も一法。
ドナー車を用意するという手間はかかるが、たぶん考えられるなかでの一番無難なやりかただろう。
そして、もし、ドナー車がない場合など、ほかに方法があるとすれば、
それは板金していくというものになると思う。

手順としては、次のような流れ。
①修正機を使ってリヤストラットとリヤフレームの大まかな位置修正
(写真から、やや上方への入力もある様子なのでルーフへの波及もチェック)
②クオーターパネルの取り外し
③ホイールハウスアウターの取り外し
④トランクフロアの取り外し
⑤フレーム類の位置合わせ・修正(寸法図での正確なあわせ)
⑥外したホイールハウスアウターとトランクパネルを単体で板金
⑦フレームと合わせて位置調整の後に溶接
 (最重要項目はリヤストラット)
⑧クオーターパネルの取り付け
なお、場合によってはトランクヒンジ周辺の修正も。

部品のないときの方法として、このようなパネル単体にして板金をして再度取り付けるというのは有効。
そのとき、さらにこだわるとしたら、取り外しの際に開いたスポット溶接の穴部分を切り貼りなどで作り直しておくと、見栄えが、よりいい感じで仕上がる。
仕上げの塗装を純正ふうプラスアルファで、少々ザラっぽく仕上げておけば、
パッと見で違和感なく、事故歴すらわからなくできるかもしれない。
もちろん手間は相当かかるが、部品がなくても方法はあることはある。

今回の誌面記事で一番伝えたいことは、『作業者との対話』であるように思う。
そして、その目的は『自分の思いを伝えて作業者の引き出しを開けること』であると。
そうすると、そこで大切なことは、やはり『人となりの見極め』なのだろう。
作業者の引き出しを開ける、その結果、なにが出てくるのか?
聞くべきこと、確かめるべきことはそこになるのだろう。
とはいえ、すべてを実地で見られるものでもない。
そのようなとき役立つのは、自身の直感。
作業者の人物的な雰囲気はどうか?
工場内で感じる雰囲気は?
入庫している他の車の作業。
工具・機械の扱い方、整理。
もし工具類が床に転がっているようであれば、それは僕ならばNG。
同じ置くにしても、かならず何かを敷くのがベスト。
(工具について語りだすと話が長くなるので、またの機会にでも)
それは作業者の仕事風景においても同様で、
たとえば車の下に潜るとき、何かを敷いているかどうか。
作業者自身が自分を大切に扱っているかどうか。
これも実は大事なポイント。
汚れやケガを恐れないようなワイルドなスタイルが
職人らしくてカッコよく見えるかもしれないが、これも僕にすればNG。
自分の身や、身なりを守れないひとが、客の車をどういうふうに仕上げてくるのか、
それだけでもわかるような気がしてくる。
丁寧な仕事をする職人というのはライフスタイルが安定している。
丁寧さというのは、作業そのもの以外の部分にもわかりやすく現れるものだから。
実際に会ってみることによってわかる情報はたくさんある。
このような感じでもって作業者との対話をしていくと、
また違ってみえてくるかもしれない。

心がけておくといいと思うことは、作業者の個性を見出してみようと思うこと。
そして、そこで見出した個性は、じつはあなた自身の個性と通じるものがあるか、関連することに気づいていくだろう。
そうすると、おたがいの意識に共通する部分がわかってくるから対話はより一層スムースになり、深まっていく。
車好きの同士の気持ちが通じると、それはとても楽しいこと。
当初は修理費用にお金がかかり、気の重い修理依頼で訪ねてきたはずが、
いつしか楽しいひとときになっているかもしれない。
さらには車に対しての知識や見方への変化や気づきも起こるかもしれない。
だとすれば、まさに『事故は愛車を見直す好機』にもつながることだろう。

speed groove. yoshi


Posted at 2017/12/13 17:25:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2017年11月19日 イイね!

自動車修理職人としてのスタイル「マイカーが必要ではない理由」



もし、仕事として、職人を選択し、
職人として、日々を過ごしていくのならば、
雇われているという意識を手放し、
いっそのこと極めてしまったほうがいいのかもしれない。

もし、事業として、職人を選択し、
経営者として、日々を過ごしていくのならば、
雇っているという意識を手放し、
いっそのこと極めてしまったほうがいいのかもしれない。
ひたすら、ただひたすらに、純粋にクルマを愉しむということを。


 職人として生きてきて、それなりにやっているうちに、
だんだんと不思議な感覚が自分の中で高まっていった。
それは強烈にといっていいほどに尖った感覚で、
こだわりを突き詰めているうちに気づいたものだった。
それを良いふうにいえば、達観。
悪いふうにいえば、どうでもいい、という感覚。
これが人間の心理構造というものなのかもしれないが、
心の構造は多層構造になっていて、
あるひとつの気持ちを感じ切ると、
さらにもう一層奥にある気持ちへと深まっていく。

こだわりを追い求めていく裏で、
光のあたっている影の部分には「どうでもいい」という気持ちが育っていた。
つまり、こだわって、こだわって、こだわり続けて・・・
そして、最後はどうでもいい、となる。
いまとなれば、笑い話としか思えないが、
もしかしたら、こうして人生というのは帳尻が合うものなのかもしれない。
プラス、マイナス、ゼロ。

だからなのだろう、仕事へのこだわりを求めていった先の気持ちとして、
しまいにはマイカーなんぞどうでもよくなっていた。
そして、職人を極めていくということは、こういうことなんだろうと思う。
 
お客のクルマが自分のクルマ。
そんなふざけた感覚。
究極のクルマ好き。

もちろん所有権は客名義。
自分のものではない。
しかし、納期、内容、金額、
ほぼすべてがお任せで依頼されるくらいになっていくと、
それは、クルマに対してもっている技術と感覚を全面的に買ってもらっているということを意味する。
自分の感覚への許可にもなる。
とすれば、究極的にいえば、
自分のクルマとして直していくということにも感覚としては成り得る。
そなると、こうなる。
自分の持っているすべてを出し切る。

出し切る。
そうなったとき、もう自分のクルマ、
マイカーなどというものは必要なものではなくなる。
なぜなら、いま作業しているクルマが自分のクルマだから。
クルマに注ぎたいと思うエネルギーのすべてをぶつけ、
情熱、熱意のすべてが注がれていき、燃え尽きるから。
マイカーがあってもいいが、必ずしも必要ではなくなる。
日常の足として、移動の手段として、必要を満たす1台があれば十分。
社用の軽トラでも、空いている代車でもなんでも。
そこに不足感はない。
クルマ趣味としての欲求は既に満たされ切っているから。

職人として極めていくにしても、経営者として極めていくにしても、
もし、日常用途以外の目的でマイカーを持つとしたならば、
それは使い倒すくらいに乗るか、触れるか、磨くか、眺めるものだろう。
愉しみ方の内容はそれぞれだろうが、
純粋にクルマを愉しむということは、ステータスや所有欲そのものは薄く、
愉しむほうに意識が強く向く。
まして、愉しむという観点からすれば、資産価値や投機目的は意味合いが違ってくる。
それはクルマそのものにではなく、お金儲けを楽しもうとしている。
歳をとって眺めるしかできなくなっているとしたら、それもいい。
ただ、所有欲からコレクションしているのだとしたら、
ほんとうは、その自覚をもっと持っておくといいのだろう。
これからの時代、ただ所有しているという形態は、
どうやら一目置かれるような流れではなくなっていくようだから。
ひっそりとした個人趣味に留めておくようにしておくほうが安全かもしれない。

逆に、これからは、純粋にクルマを愉しもうとしているひとたちが生きてくるのだろう。
それは車種にこだわらず、スタイルにこだわらず、
各々が思うように愉しんでいくという流れ。
クルマが効率的な家電へと変化していくからこそ、
逆に、こだわりを表現していくことへの価値が高まる。
それは、なにかとお金がかかり、なにかと手間と面倒がかかるもの。
壊れ、直し、壊れ、直しの繰り返し。
劣化、交換、劣化、交換の繰り返し。
それは嫌になるかもしれないが、循環という自然のありよう、
逆らいようのない法則。
つまりが、わたしたちが生きているということそのもの。
だから、「もう、どうでもいい」と無意味さを悟ることもできるし、
さらには「もう、どうでもいい」と極みの世界に生きようと
愉しむことに素直になることもできる。
クルマへの想い、躊躇なく。
素直に。
そのままに。
それが、職人にしろ、経営者にしろ、
クルマ修理業界のひとたちの基本的な気持ちであるならば、
もっと、ユーザーと共に愉しめる作業環境となるのだろう。

Speed Groove. yoshi

Posted at 2017/11/19 11:50:33 | コメント(0) | トラックバック(0) | Speed Groove | 日記
2017年10月13日 イイね!

GT-R Magazine 11月号「スカイラインの記憶」



【成功と記憶、さらに、その先にあるもの・・】

仕事がうまくいったり、稼いだり、有名になれば、
それはその人なりの成功となるのだろう。

とすれば・・・

成功とはゴール。
抱いて来た意志、目標を達成した感じがするもの。

成功とは満足。
達成したことによる開放感や喜びがあることだろう。

成功とは幸せ。
つまり、単純に、ひとは喜びを幸せと感じるものだから。

そして、成功には、もうひとつの側面があることにも気づく。

成功とは過去。
達成し、ひとつの区切りが付く感じがするもの。

成功とは記憶。
それまで成し遂げてきたことは記録として記憶に残る。

成功とは死。
良くも悪くもなく、ひとつのことの終わりを意味する。

思うに、成功のさらにその先を見ることができるかどうか、
それが大切なような気がする。
何か目指してきたことが、うまくいき、有名になり、稼ぎ、財をなせば、
それで人生終わりになれるのか、どうか。
後は遊んで暮らすとか、生きがいに生きるとか、やりたいことだけをやる、
などということを、よく聞くが、ほんとうにそれができるものか、どうか。
一見すれば、理想的で自由で、こんなにいいことはないと思うもの。
おそらく僕だけではなく、目指し、夢に描き、日々努力をしてきた人もいることだろう。
でも、試しに実際にやってみればわかる。

遊んで暮らせるようで暮らせない。
生きがいだけに生きられない。
やりたいことだけはできない。

いや、言い直そう。
真実は、たぶんこんな感じだと思うから。

遊んで暮らしたくなどない。
生きがいだけに生きたくはない。
やりたいことだけをしたいわけではない。

というのも、自由は意外と辛いのだ。
正確には、そう感じるのだ。
自由とは縛るものがなく、背負うものがなく、恐れを恐れなくなる。
自由で無敵。
それは強さを極めたから無敵なのではなく、その真逆。
強さを手放すことによって無敵になる。
争うものがなく、平和。
否定するものがなく、自由。
しかし、変な話、最初はその究極の解放感に歓喜していたとしても、
落ち着いて一巡すると気持ちが変化してくるものなのかもしれない。
暇、退屈、辛い・・・と。

さらには、否定しなければ否定されない。
もしそれでも否定されたら、それは理解するから、いずれは赦しとなる。
ただ、怒りたいと、それほど思わないけど、怒ることもできる。
嫌いだと、それほど思わないけど、嫌がることもできる。
競いたいとは、それほど思わないけど、競うこともできる。
とはいえ、期せずして気持ちが熱くなるときもある。
それも良し。
期せずして気持ちが引っ張られるときもある。
それもまた良し。

それは、ひとことでいえば「無」を感じているからなのかもしれない。
見るもの、体験するもの、あらゆるものに無意味さを感じたりもする。
積極的に死にたいという気持ちではないが、心が静かすぎて、穏やかすぎて、
なにごともが、特に問題とは思わなくなる。
かと言って、虚しさや投げやりな気持ちではなく、
分離感で、ひとを避けるわけでもなく、
むしろ、人のつながりを感じるレベルはあがっているように思う。
以前に比べたら、心は愛で満たされ、静かな湖面のように穏やかのよう。
でも、それが、感覚としては無意味さを感じるという不思議。

それは、もしかしたら、過去の記憶が原因なのかもしれない。
あまりにも、つらかった。
苦しかった、から。
でも、当時、そのようにまともに認識したら、おそらく心は壊れていただろう。
だから、心をどうにか保つために感情と感覚を感じないようにしてきたのかもしれない。
仕事や目標に不都合な部分はカットしようとしてきたわけ。
ただ、それは、僕の場合には貫くことができなかった。
そして、そんな過去の挫折の記憶が、この感覚へと偶然にも辿り着いたような気もする。
いま思うのは、こうなって、こういう経緯を辿って、
なにか次があるのかもしれないということ。
もちろん具体的には見えてはいないし、実感ベースに落とし込めていないけども、
ただ、いまが、なにかしらの地点ではあるような気はする。

クルマの業界でも、成功者と言われるひと。
成し遂げたひと、いることだろう。
そこで何をするか。
生き様を見せるひと。
クルマとの付き合い、ありようを説くひと。
若手を応援する側にまわるひと。
変わらずにチャレンジし続けるひと。
みんな素晴らしい。
なぜなら、愛が土台にあるから。

そして、なかには、
若手を批判しまくるひと。
蹴落とすひと。
カモにするひともいるかもしれない。
みんな素晴らしい。
なぜなら、わかりにくいけど、それも愛の一面ではあるから。
倒されるマトになるのも、深いレベルでは愛。
敵になるというのも、愛なんだ。
だから、若手は遠慮なく挑み、倒せばいい。
倒してあげるのも愛だし、負けてあげるのも愛。
ただし、表面的には必死と必死の闘いにはなるだろうけども。
仮に、そこで敗れても大丈夫だから。
むしろ、負けたほうが得るものは大きいのかもしれない。
傷を負っても、命さえあれば。
心は折れても、魂さえ腐らなければ。
帰還兵のような生き残り証人の見本は、ちゃんといるから。
だから、思うがままに、やれるだけやってみな。
悔いなくやるつもりで。
本気の情熱を相手を通じて自分にぶつけるんだ。
じゃないと、マトになってくれている相手に、かえって失礼だ。
だから、自分の思いが燃え尽きるくらいのつもりで。
じゃないと、ほんとうには気づけないから。
自分のなかにある大きな愛に。

GTRの記憶。
歴史が記憶。
速さが記憶。
それは、いつだって、歓び。
それは、いつだって、爽快。
それは、いつだって、輝いていた。
それは、いつだって、生きていた。
なぜならば、いつだって、つながっていたから。

GTR。
だから、いつだって、さようなら。
いつだって、いつだって・・・。
記憶のある限り。
心の中では、いつだって、全開で疾り抜けている。
その姿を、いつだって、愛している。

speed groove. by yoshi




Posted at 2017/10/13 19:10:13 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記

プロフィール

「GT-R Magazine 7月号「情熱 R 人生」 http://cvw.jp/b/2033345/41561707/
何シテル?   06/03 21:22
元自動車修理職人 . . . . Speed Groove... speedに溶け込んでいった感情
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