◇トップに立つということ◇
なにか一線を超えて上に立とうとするならば、
きっと、なにかしらの障害や突き当たるものがあるのだろう。
有名になればなるほど、ついてまわるもの。
たとえば・・・
賞賛。
期待。
それらが、いい意味で効いていて、
表されたイメージが心地よく感じられているうちはまだいいが、
しかし、いずれ、それらは重くなってくるものなのかもしれない。
なぜならば、賞賛と期待の裏側にあるものもセットで存在しているから。
そして、その裏側にあるものとはなにかというと、
おそらくこのようなものなのだろう。
批判。
そして、もうひとつ。
落胆。
「飛ぶ鳥落とす勢い」という言葉があるが、
それを少し皮肉って書くとしたら、こんな感じになるだろう。
飛ぶ鳥もいつかは落ちる。
現実的にも、適当には休まなければ飛び続けられないもの。
それは、勢いよく飛べば飛ぶほどで、
もし、それでも飛び続けていこうとしたならば、
自分の感覚というものを感じないようにしないと続けられない。
なにかしらの無理や我慢と引き換えに・・・。
そして、自分の感覚とはなにか。
それは真実の自分。
ほんとうに思っていること。
ありのままに感じていること。
それが、たとえば、
『面白いと思うことをやっているだけ』とするならば、
その思いに忠実であるということ。
もし、期待されるイメージとのギャップを埋めていこうとするのならば、
道はふたつか、みっつ。
金になるからとわりきっていくか、
それとも、植え付けられたイメージを手放していくか。
その場を離れていくか。
ただ、金を選べば、真実はもう語れなくなる。
もし、それでも期待にこたえるべく語るとしたら、
それは世間うけのいい真実っぽいことと、
口当たりのいいポリシーっぽいことを話せるくらいのものだろう。
期待にこたえるということは、ざっくりいえば、そういうことを意味する。
そして、期待というものの結末は、いつもだいたいきまっている。
それは、裏切られる、ということ。
さらにいえば、裏切りとは、ひとが離れていくというよりも、
じつは、ひとに裏切られる前に自分の気持ちが自分から離れていたことによって起こる。
だから、トップに立つひとは、ひとと関われば関わるほど、
上に立てば立つほど、自分の内面を見ないではいられなくなっていくもの。
そうでないと自分自身がどんどん苦しくなっていくから。
遅かれ早かれ、なにかしらの形で限界を悟るのが物事の道理。
しかし、それにもかかわらず、もし、苦しくないフリをしていたとしたら、
その反応として、周りのひとが離れていくことになるのだろう。
ただ、それもまた、いい意味での気づきとなり、
そこからチャンスは広がっていく可能性はあると思う。
裏切りはメッセージ。
期待をかけすぎているか、
期待を背負いすぎているよ、と。
誰かからの期待。
誰かへの期待。
それと、自分で自分に課している期待。
その両方から。
『死んでしまうまでに何台もクルマを作れないから、
ほんとうに認めてくれるひとのクルマを手掛けたい。
精一杯のクルマ作りをするのが今の当社のポリシーです』
思うに、「精一杯さ」とは、
それは、必死の思いであるとか、一生懸命であるとか、
そのような重そうな感覚よりも、もっとシンプルに捉えることもできると思う。
そして、それもまた、この言葉でもって示せるのだろう。
『面白いと思うことをやっているだけ』
シンプルだけど、この意味は深い。
つまりは、「精一杯のクルマ作り・・・」とは、
面白さを追求する自分自身でありつづけたいという、
自分に対しての素直な意欲であると同時に、
つながりからの信頼を望むものともいえるのではないか。
信頼。
信用ではなくて。
心を頼り、自分の心を委ねる。
その結果として、精一杯面白いものができる、のだと。
期待やイメージは壊れるもの。
守り続けようとしているほうが不自然なのかもしれない。
だったら、いっそのこと手放してしまったほうが真実に近づく。
トップに立ち、そして、本質を伝えるというためには、
自分の真実に向き合っていくことなくして得られないのだから。
Speed Groove. yoshi
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GT-R Magazine | 日記
Posted at
2017/08/07 20:33:34