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SPEED GROOVE @ yoshiのブログ一覧

2015年09月10日 イイね!

GT-R Magazine Vol.124 「ファインチューンの法則」



『チューニングはお金持ちのお遊びです』
今号89ページにあるラルテフィッチェさんの、この言葉が印象的だった。
僕は、こういった言葉の背景や真意を読み解いていくということがおもしろい。

先日、Gマガ編集部の山崎さんと話をする機会があり、各地で取材された時の印象などを尋ねてみたりした。
山崎さんの話の要点として、ラルテさんのその言葉はGT-Rオーナーとしての気構えを表しているのだろう、ということであった。
それは、GTRが元々持つ性能を理解して乗って欲しいというプロとしての思いと、GTRを同好する人への思いやりの気持ちからであるように僕には感じられた。
その気持ちは、よくわかるような気がする。
ラルテさんのこの言葉の背景には、もしかするとチューナーとして完調ではないエンジンや劣化している足回りのままで乗られているGTRを見るたびに残念に思ってしまうような経験をされてきたからなのかもしれない。
そんなふうに思ったものだ。
日本を代表する価値あるスポーツカー、GTR。
だからこそ、GTRオーナーには基礎のコンディション作りからしっかりとして欲しい。
たぶん、そのように思うのがGTRのプロとしてのありようなのではないか。
そのあたりのことを、今回は考えていきたいと思う。



基礎のコンディションとは何か?
それをあらわす象徴的な事例が、P89にある「シート合わせ」なのだと思う。
「いまさらシート合わせ?」などと思った人も少なからずいたのではないだろうか。
じつは、何を隠そう僕自身が最初に読んだとき、そう思った。
しかし、職人時代を思い返してみれば、着座位置のズレたシートで乗っていたり、クッション材のヘタったシートで乗っているオーナーが何人かいたことをすぐに思い出す。
目の覚めるような感覚といったらいいだろうか、かつての記憶をそのときに取り戻したのだった。
シート合わせとういうのは、GTRに限らずクルマを運転するときには必要なこと。
ましてやスポーツカーであるGTR、その重要性に細かくこだわっていくのはあたりまえのことである。
しかし、そのようなあたりまえの基礎的な準備が疎かになっていたり、見落とされたままでチューニングを依頼されるようなケースが後を経たないのもチューニング業界の現実であるのだろう。
常日頃から、そのような状況を憂慮していたがゆえに、GTRオーナーにあらためて基礎の重要性をわかってもらいたかったのだと思う。
編集部の山崎さんは、「ゼロに戻すこと」、という言葉でもって表現していたが、
それは、不調があるマイナスレベルの状態からプラスマイナスゼロの状態に戻すこと。
つまりは初期常態にリセットして初めて本来のGTRになるということである。
言い換えれば、そうなってはじめてチューニングが出来るスタートラインに立てるということを伝えたかったのだと理解できてくる。
チューニングの前に見落とされているような不調や不具合を直しておくこと。
少なくとも、そういった作業の重要性を理解しておくことが、ネオヒストリックなGTRを乗り続けていくために必要なことになるのだと思う。

これらのことをわかりやすく語り口調で書いてみれば、このような感じになるだろうか・・・・。
 まずはメンテナンスレベルから始めようよ。
 それからチューニングをしようよ。
 そうでないとGTR本来の楽しみ方はできないよ。
 それは、とてもモッタイない状態で乗り続けていることになるんだよ。
 ついては、それだけの段階を経て仕上げていくのだから、どうしてもお金はかかるものだよね。
 でも、GTR本来の性能を発揮して乗るには、それは当然のことなんだよね。
 さらにチューニングをするとなれば、なおのことお金がかかるものなんだよね。
 遊び心という余裕があってはじめて楽しめるものなんだよね。
このような思いを伝えたくて、ラルテさんはわかりやすい喩えとして「お金持ちのお遊び」と言っているのだと思う。




ぼくの経験であったことをひとつ記してみよう。
Aさんという、あるスポーツカーのオーナーがいた。 (*写真とは関係ありません)
憧れのスポーツカーを中古で買い、エアロキットを取り付けたいという要望で来店された。
しかし、クルマを見れば外見こそ綺麗なものの、ボディ下回りやフェンダー内側などの中身は錆だらけであった。
おそらく融雪剤によるものだろう。
パネルの一部が腐食でボロボロに劣化している。
このようなときに、どうするか?である。
そのようなコンディションのボディに高価なエアロキットを取り付けていいものかどうか。
ビジネス的な観点でみれば、要望どおりに取り付けて工賃を請求すればいいだけの話である。
しかし、そこで葛藤がおこってくる。
なぜならば、エアロ取付けの前にまず錆の修理が先ではないか、そう思うからだ。
それがプロの視点というものであるだろう。
その理由は費用対効果でもあるし、クルマのライフ(生命)そのものを慮ってのことである。
「エアロはお金持ちのお遊びです」とまでは言わずとも、カッコいいエアロを付けて走りたい、その気持ちは同じクルマ好きとしてよくわかる。
しかし、腐食を抱えたボディであれば、そのままほうっておけば寿命は短くなっていく。
近いうちに錆の修理が必要となってくることが容易に予想できる。
ついては、できるかぎり、そのときに備えて予算を確保しておいて欲しいと思う。
ローンでエアロを組む予算を錆の修理に振り替えるほうがクルマのライフを伸ばし、維持していくのに良いのではないか。
このような考えでもって、まずクルマのことを思うのがプロの視点というものであるだろう。
そして、それがオーナーの経済事情の為にも将来的に望ましい選択になるのではないか。
少なくとも、いったんは検討されることを提案したいと思うものだろう。
しかし、いっぽうで、所有権を有するオーナーの意思あっての、そのスポーツカーのライフ(寿命)である。
オーナーがどうしても先にエアロを付けたいと作業を依頼をすれば、それはきっと請けることになるだろう。
もちろん錆修理が必要な状況であることを承諾してもらってからになるだろうが、それは責任の線引きとして明確にしておきたい部分だからである。
これは、お客さんにリスクを承諾してもらってから作業を行うというスタイルであり、おそらく、このようやりとりが一般的には行われていることと思う。



さて、もうひとつ別のアドバンスな見方を考えてみたい。
このようなケースの場合、望ましいとおもうことは、オーナーとのカウンセリング的な打ち合わせである。
それというのは、オーナーの価値観や考え方、さまざまな気持ちを引き出し、共感し、理解していくことから始めていく。
場合によっては、オーナー自身のプライベートな話に発展するケースも多々あることだろう。
クルマの話題など通り越してしまう。
しかし、そのような関係性を築いていこうとするのは簡単ではないが、大切なポイントとなる。
なぜならば、つながりを構築し、信頼づくりのきっかけになっていくものになると考えられるからだ。
いわゆるカリスマ的に人気のある店員さんというのは、少なからず、このような能力を身に付けている人たちであるだろう。
チューナーや職人においても、それはまったく同じことになると思う。
たとえば、先のAさんのケースでいえば、なぜエアロを付けたいのか?
なぜ、錆は後回しでいいと思うのか?
マネープランについては、どう考えているのか?
クルマを維持していくことに対して、どのようなプランをもっているのか?
クルマに対しての価値観のみならず、その人の人生観や価値観にも耳を傾けていく場合もあるかもしれない。
そんなことをしていれば、もちろん時間はかかるし、そもそそもが、そうそう打ち解けられるものでもないだろう。
が、しかし、そこまでしようとしてはじめて得られるものがあると思う。
それは、お客さんに良いコンディションのGTRに乗って楽しんでもらいたいという願いに基づくものだけではなく、オーナーその人を、ひとりの人間として理解していきたいと思うからである。
GTRという共通の趣向をもった仲間意識を超えた、もっと深い意識からの思いというものなのかもしれない。
ビジネス追究のスタイルからすれば非効率的に思えるかもしれないが、しかし、そうして得られる価値はさまざまに広がっていくのだろう。
たとえば、「GTRに携わってきて良かったなあ」と、こころから思えるようなときも、そうだろう。
それは共感する喜びや、つながり感がベースにあり、そのような気持ちは必ずといっていいほどオーナーたちとの間において循環し続けていくものになることだろう。



チューナーや職人に要望を言うだけの関係は、依存するマインドがベースになっている。
ショップ側においても依頼を請けるだけでは、それもまた責任をお客さんに依存していることになる。
それでは、おたがいにとって意義のある、長く付き合っていける関係とはならない。
なぜならば、そこにはGTRを通しての つながり感が希薄になってしまうからだ。
大切なことは、ショップもお客さんも共に成長していくための協力関係を育んでいくことだろう。
それは、GTRをきっかけとしたコミュニケーションをしつつ、
「ほんとうに求めているものは何か?」を見いだしていくコミュニケーションがキーとなる。
たとえば、ほんとうに600馬力が欲しいのか?
なぜ600馬力なのか?
その欲求はどこからきているのか?
夢なのか、それとも必要性があってのことなのか?
もしかしたら、高出力高性能というスペックに裏づけされた強さに対しての憧れをシンボル化して600馬力という数値を求めていたのだと気づくのかもしれない。
もし、そうであればコミットする仕様は変わってくる。
予算についても600馬力仕様ほどには必要ではなくなってくるだろうし、もっと気楽なスタンスで維持し、GTRと付き合っていけることだろう。
このようにして、ひとつひとつの欲求を読み解いていくことによって、欲求の奥にあるほんとうの気持ち、オーナーひとりひとりの個性や価値観が明らかになってくる。
きっと、自分の本心に気づいたオーナーは、たとえノーマル280馬力のGTRであっても幸せを感じ、日々を楽しむ人になっていることだろう。
目指すところは、「GTRが好き」 そのシンプルな気持ちがお互いにあることをショップもオーナーも共に認め合っていくこと。
さらにいえば、その気持ちさえ持ち続けていれば経済事情等によって今はまだなにも施してやれなかったとしても、ビジョンを元に前向きに歩み続けていくことは可能であるだろう。
もちろん、ショップ側においても、そのメリットはある。
もし、人気店になる秘訣があるとすれば、そのひとつはGTRが好きという意識を高めていくことだろう。
技術うんぬんというよりも、まずは、「思い」が基本になるように思う。


【あとがき】
クルマは消耗する工業製品のひとつに過ぎない。
自分自身を投影したり、子供や恋人に擬人化するに相応しいものでは本来ないと思う。
ただ、こだわりが熱くなってくると忘れがちなことでもある。
それについては、今号において、フェニックスパワーの横山代表がこのように言って諌めている。
「機械である以上、いつかどこかが壊れるのあたりまえです。」
誰もが一度は聞いたことがあるだろう。
クルマ業界においての基本中の基本となる言葉である。
ただ、そうはいってもGTRというクルマは単なるクルマではないのではないか。
なにか存在感のような温かさを感じるクルマではないか。
そんなふうに、ぼくはずっと思ってきた。
それは、GTRにかかわっていると、人と人とのつながりを強く意識せざるを得ない感じがしてくるからなのかもしれない。
僕自身の心理を分析してみれば、きっとそれだけ僕自身が思い焦がれてきたクルマであったからなのだろう。
だから、ついついGTRに思いをのせてしまう・・・のだと。
まあ、とにもかくにも、いまもGマガの誌面を拝読するたび、そのような自分を自分でもおもしろく思っている。
 yoshi



photo by yoshi
Posted at 2015/09/10 21:09:45 | コメント(2) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2015年06月11日 イイね!

GT-R Magazine Vol.123



【スペシャルマシン】
オンリーワンという言葉がよく聞かれるようになってから、もう何年も経つ。
そして、いま、あらためて周囲を見渡してみると、いったいどれだけのオンリーワンに出会うことができるだろうか。
言うのはカンタンだが、なかなか、そうはなれていないのが実態のような気がするのは、おそらく僕だけではあるまい。
というのも、独自な存在であり続けるということのデメリットの分量のほうが多いと感じてしまうからだと思う。
それは、羨望が偏執した感情、嫉妬を怖れることや、人と違うことによる孤独感が高まってくるからなのかもしれない。
しかし、そういった怖れは自分の価値観のなかでつくりあげた思い込みであることに気づき、自分自身の心の自由さへの挑戦を諦めたくはない。
まずは、そんなふうに思った。




 92ページに掲載のKUHL JAPAN PROJECTが、いまの時代をどことなく具象化しているように思える。
それというのは、セレブ感というか、きらびやかな優越感のようなものが、このクルマ全体の造形と目を惹くカラーから発せられてくるように感じられてくるからだ。
かつてのバブル期頃のことだったか、GT-Rファンのあいだで話題となったHKSのコンプリートカー、ZERO-Rをはじめ、TRUSTのGReddy RXや、APEXのA450などなど。
どれも驚愕的な話題にはなったものの、実際のオーダー数は極めて少なかったというのが実情であったのではないだろうか。
フラッグシップ的な存在の意味というよりも、パーツ販売やチューニングメニューの見本としてのデモカー的な色合いが強かったと思う。
そして、もしかすると、GT-Rというクルマを好む人たちは、外観上の大きな変更を望まないものなのかもしれない。
一番敷居の低いカスタマイズ、誰もが許せるようなモデファイは、ホイール交換くらいのような気すらしてくるくらいだ。
ちょっと冒険心のある人や、個性にこだわりのある人がレストアをする際にボディーカラーを純正色ではないオリジナルカラーにすることはままあるが、それも奇抜なアメリカンカスタムな方向ではなく、あくまでも純正ベースの色合いに落ち着くケースが多い。
かつての経験でも、レストア・全塗装の依頼のほとんどが同色での塗り替えであり、ついでR34の純正色への変更が多く、カスタムペイント系への変更はかなり少なかった。
なにも、それでもってRオーナーは保守的であるなどと批判的な見方をしたいというわけではない。
Rオーナーたちの意識の大勢が、たまたまそうなっているということなのだろうし、なによりも単に純正色がカッコイイからという意見が大半を占めるものだろう。
もしも、これを心理的に分析してみるとすると、可能性のひとつとしてまず思い浮かぶことがる。
それは、自分のオリジナリティを表現することを禁止するという罪悪感に基づく自罰的な意識が深い部分にあるからなのかもしれないということであるが、
強調して言っておきたいことは、どのような理由が潜在的な意識にあるにせよ、その人自身がそれを好むという趣向の選択は絶対的に尊重しておくべきものであると思っている。
なので、これからも、ご自身の選択に自由であって欲しいと思うし、もしも自分の選択に何か躊躇うような気持ちがあるのならば、その隠れたホンネを見出し、それを大切にしていくことをお薦めしたいと思う。



 さて、このKUHL Racingのコンプリートカーのメタル塗装が、かなり強烈に目を惹くものだが、ついにGT-Rもここまできたかという驚きと感慨深さが入り混じった思いを感じる。
価格は、なんと3900万円の設定をしているそうだ。
おそらく、ラッピングという手法を使って似たようなメタル感を出すほうが安上がりになるとは思うが、そここそが他の手法で仕上げたカスタマイズとの差異となり、オンリーワンのスペシャルマシンとしての存在価値が高まるといえるのだろう。
作り手も、やりがいが相当あったに違いない。
量産体制は難しいものになるとは思うが、たとえリリース数が少なかったとしても、このレベルになると職人冥利につきるといえるものになるのだろう。
場合によっては、これでもって引退してもいいと思うくらいに、入れ込んで作業していったのかもしれない。
むしろ、そのくらいの意気込みと鬼気迫る思いがあったほうが、オンリーワンという言葉の持つ意味に対して真にふさわしいものとなるようにも思える。
しかし、それによって、いくら価値が高まっていったとしても商業ベースからはどんどん外れていってしまうリスクもまた高まるものだろう。
つまり、そのレベルにまで追い込んでいったものが匠の技術によるスペシャルマシン作りの最大の魅力であり、しかし、それがまた弱点にもなりうるということなのだ。
なにか、人の思いの結集として究極的に優れたもの、いわゆる尖ったモノというのは、その優れた性能や美観と引き換えに、物凄く脆い一面を裏面に併せもっているといえるのだと思う。
たとえば、あまりにも塗装が綺麗であるからこそ、どこか他の箇所の粗が目立ち、どうにも気になってしまったという悩ましい経験をした方もいるのではないだろうか。
人間心理として、求めるものが究極的になればなるほど、その期待の落差は広がっていくものなのかもしれない。

 オンリーワンのスペシャルマシン作り、そのコンセプトは素晴らしいし、崇高でさえある。
きっと、これからの時代をRと共に歩んでいくRオーナーにとってのスタンダードなコンセプトとなっていくものだろう。
そして、そのために大切なことは、スペシャルマシン作りというものは、じつは、同時に自分作りにもなっていくということなのだと思う。
それは、なぜならば、常に自分自身の表面的な趣向のみならず、人生上の目的とするところや、人間としての夢や理想といった、きわめて主観的かつ人間的な意識の部分にもフォーカスを向けなければならないからだ。
そうでないと、ただのバブリーな金銭消費という一時的な快楽に終わってしまうかもしれない。
それは、ある意味、悲しいマシンの末路を辿っていくものとなってしまうものなのかもしれない。
古くからのRオーナーならば、そのようなRを何台かは見てきたことがあるのではないだろうか。
ゆえに、できるならば、長く所有する気になる、飽きないマシンをプランニングしていただきたいと思う。

 そうしてオンリーワンのスペシャルマシンが出来上がったとき・・・・、
 すべての思いがつながっていたということを実感として体験することになるのだろう。
 このマシンは自分自身を投影したもの、自分自身の分身となっているものだと。  
  yoshihisa


Posted at 2015/06/11 23:02:43 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2015年04月10日 イイね!

GT-R Magazine Vol.122

 

 今号において気に入ったことから書いてみたい。
まず、あたらしい企画として登場した「GT-Rの棲み家」、ついにGT-Rにもこのようなライフスタイルを紹介する企画が出てきたのだと思うと興味深い。
ガレージライフは、たいていがフェラーリやランボといった高価なクルマ向けのものというイメージがあったが、
その豊かな意識の波はGT-Rオーナーにも影響を及ぼして当然のことだし、またこれからも、より一層広まっていく流れなのだろう。
これはGT-Rオーナーの意識の変革ともいえると思うが、
それは今号110ページにあるkansaiサービス代表向井氏の言葉に集約されると思う。
「乗りづらいクルマを操る、それがステータス・・・速いのが正義という時代でした・・」
この言葉の意味するところは、当時の社会全体の時代背景、心理的な状況からしても純粋な競争心というよりは、どこか人と張り合うような意識が強く根付いていたからなのだろう。
つまり、オーナーの意識の方向性が他人(外側)に向いていたということであり、それは誰かとの比較競争ゆえの優越感を満たそうとするものであったかもしれない。
そのような意識の方向性は少しずつ移り変わっていくものだが、大切なことは自分自身の内へと意識のありようを取り戻していくということになるのだと思う。
だからこその、夢あるガレージ紹介の企画であるだろうし、「長く付き合っていきたい」という多くのオーナーの希望に対するひとつの提案として誌面で展開していく価値は大きく、次号以降の掲載も楽しみであるのは僕だけではないだろう。
きっと取材への応募も多いと思うが、いまも付き合いのあるGT-Rオーナーさんが、さっそくこのガレージ企画に応募したとの連絡をいただている。
彼のガレージは実用的な家の動線が考えられていることと、夜間の照明に美しく映える工夫もされており、GT-Rを魅惑的に眺められることが、いまも印象に残っている。
もしも掲載されたなら、なんとも嬉しいかぎりであるが、まずなによりも彼のその積極的な気持ちにエールを贈りたい。
長く維持してきたからには、いろいろと紆余曲折があったりするのかもしれないが、たとえそうであったとしても、GT-Rとの付き合い方に対する彼なりの自信と意気込みが伝わってくるように思う。





 もうひとつ、先月のことだが、かつて大破復元をしたGT-Rのオーナーさんから久しぶりに便りをいただいた。
いまも調子よく乗られているようで、このたびチューニングをされたとのことだった。
そのGT-Rは廃車確定レベルの大クラッシュだったが、それも思い起こせば懐かしく、もう10年くらいが経つ。
その頃は自分のスタイルとして確立する前だったか黎明期だったこともあり、完成後にオーナーさんと食事をしたり撮影をするということはしていなかったのだが、辞めた今も近況を知らせてくださったり、なにかと気にかけてくださることはたいへん有難く、そして感慨深い。
 振り返れば思うことはいろいろでてくるが、幾ら修理をしたとはいえ、大破したことのある車を10年以上も乗れるとは、一般的な考え方からすれば、それは予想外というものなのかもしれない。
修理工場側からすれば、ホンネをいえば、とっくに買い換えているという想定であったかもしれない。
それというのも、たとえ新車からであっても10年も経てば、どこかしらに経年劣化は表れてくるものだろう。
まして、大破である。
新車より劣っていたとしても、おかしくはない。
しかし、だからこそ土台となる骨格系の修理や、内板パネル系にはある意味オーバースペック的な作業が必要だと思ってきた。
もちろん、その前提としてオーナーさんの思いと理解がいるものだが、GT-Rオーナーはじめ、クルマ好きな人たちが、いったいどれだけの思いをもっているのか。
かつて、このような投げかけをしていたことが、いまもって懐かしく思い出されてくる。
そして、すこし目を瞑って当時の自分に思いを馳せば、さまざまな感情がしみじみと湧き出てくる・・・
それは、ひとことで言ってしまえば、戦い、であったと言えるだろうか。
 業界の常識、慣習。
 職人の意識、概念。
 オーナーの意識、期待。
それらのすべてを超えようと、無い知恵絞ってやっていたように思える。



あれから業界はどのようになっているのか・・・
俯瞰するかのように距離をとって見るようになると、それは当然のことだろうが、その渦中にいたときとは色々と違って見えてくるもの。
進歩してきたなあ、と思うところもあれば、あいかわらずだよなあ、と思うところもある。
まあ、それについてはまたの機会にでも書いていければと思っているが、 なによりも、いま思うことをまとめてみれば、先駆けて何かを為さんとするからには真実一路であればいいというものではなく、正義を貫けばそれでいいというものでもないのだということだ。
ひとそれぞれに、そのひとなりの真実があり、そのひとなりの正義がある。
環境や立場が変われば、その真実は変わり、正義の概念もまた変わって然りであるだろう。
それは実際に自分自身が変ってみてはじめて気づくもの、認められるようになるものなのかもしれないが、
大切なことは異なる価値観を排除する方向にではなく、融和統合していく方向に意識を置き続けていくということになるのだと思う。
もしも、なんにせよ”倍返し”的な奇跡的逆転劇を目指すとするならば、それは復讐心からではなく、愛を持ってでしか成し遂げられないとさえ思っている。
復讐心には押し込めていた悔しい感情を吐き出す快感が伴うものだろうが、
それは所詮、終わることのない仕返し合戦である。
自分自身が心の奥から納得できるようになるためには、それは愛にたつ選択をすることだろう。
そうしたならば、見えてくるものは、また違ったものとなる。
そして、それはきっと、このような感じになるのだろう・・・。
   もっと愛して欲しかった・・・
   いや・・・ ほんとうは、もっと愛したかった・・・のだと。



今回の記事はGマガに準拠していないと思われるかもしれませんが、GT-Rを心から愛するオーナーにとって、なにかヒントとなる意識のもちようや、関連する思いが伝われば幸いに思うものです。   yoshihisa
Posted at 2015/04/10 22:55:53 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2015年02月12日 イイね!

GT-R Magazine Vol.121



 今号において何より印象に残った言葉。
それは、『RacingからRevolutionへ』という、68ページのタイトルである。
GT-Rは、グランドツーリングカーなのか、それともレーシングカーなのか?
モータージャーナリストの西川氏は、
歴代のGT-Rは、その両方の高みを目指すがゆえの「振り子の歴史」、もしくは「せめぎあい」であったのではないかと問いかけている。
そして、Rとは『Rへの扉』であり、『Rの正体といえば、実に観念的であった』と結んでいる。
 そもそも観念とは、主観的な印象や考え方のことであり、思い込みとでもいえるだろう。
であれば、歴代のGT-Rというクルマはレーシングを想起させる記号とパフォーマンスを秘めたクルマであり、Racingというよりも、その本質はGTというものになるのだろう。
そもそも主に日本の道を走る想定で作られたクルマである以上は、少なくてもタテマエとしてそうでなければならず、
なにしろ法的な縛りがある中では、レーシングをそのままストリートに持ち込むというわけにはいかない。
しかし、ルールの裏には必ずといっていいほどホンネというものが潜んでいるのではないか。
そして、それこそが社会的な善悪判断を超えた偽りのない人間らしい心からの欲求といえるものではないだろうか。
心理的な面から考察すれば、人間のすべての行動や感情は欲求である。
スポーツカーが欲しいという気持ちの奥には、やはり、速く走らせてみたいという純粋な欲求があり、
さらにそれを読み解いていくと、根底には自己承認欲求があるのだと思う。



 職人時代に付き合ってきたオーナーたちは、その多くがストリートを舞台にしていた。
彼らは、ツルシのRからは程遠い仕様のGT-Rに乗っている。
エンジンもボディも彼らなりの好みに仕上げ、そして、何よりもホンネでGT-Rを「R」として楽しんでいる。
オトナであるがゆえ、タテマエはあってしかるものだし、その使い分け、バランスでいいのだと思う。
タテマエも善悪判断も突き詰めていけば主観的な観念であるに過ぎないからだ。
いまさらタテマエだけでは生きられないなどと青臭いことを言うまでもなく、世間でいうところの非日常を日常の一部としている。
もちろん、日常であるからこそ自他共に守るための最大限の配慮が欠かせないことはいうまでもない。
 精神的な世界観からすれば、この世の中はすべてが観念である、とされる。
いま一番興味があるのは、それを、はたして、どこまで実感できるものなのかどうかである。
ひとつ確信的に言えることは、誰しもが何にせよ究めていった先に、そういう世界観に辿りつくか、垣間見るのではないかということだ。
そして、きっとホンネ主義のオーナーであれば、GT-Rに乗るたび無意識に観念的な現実世界とでもいえる瞬間を感覚的にでも感じているのではないだろうか。
 西川氏は、35GT-Rについて、このように記している。
『R35GTRの伝説は、レーシングの舞台ではなく、完全にストリートに存在する』
これは、R35に限定したものではなく、まさに歴代のGT-Rそのままを言い得ているものだろう。
サーキットでのレーシングのイメージもあるにはあるが、個人的な思いからすればストリートにこそRの世界観がある気がしてならない。
もういちど、タイトルコピーの『RacingからRevolutionへ』を振り返ってみる。
これは、いつの時代においても少なくともGT-Rにおいては、この観念的な「R」という世界観を究めていくクルマであって欲しいと思わせるものだ。
最新の35GT-Rだけではなく、かつてのRたち、それぞれにおいてである。
GT-Rとは伝説の統合なのだ。
羊の皮を脱ぎ、レーシングの面影を超え、革新し続ける、その孤高なる存在として・・・・。





 もうひとつ印象に残ったものは、P134のBCNR33運行日誌について。
まあ、こちらもラフに書いてみたいが、カナザワさんは、いい仕事しているなあ、と思う。
作業予約が多いようなので、もう誌面で宣伝する必要などないのではないかとも思うが、
正統派の仕事として見本になるので続けていって欲しい。
マスキングによる養生の仕方もそうだが、何より、リヤスポを外す際の慎重さが伝わる写真となっている。
ひとつ補足で書くとすれば、純正シールの替わりにブチルゴムを使うという手法。
このワザは、他の箇所にもつかえるので覚えておくといいと思う。
たとえば、R34のテールレンズ取付け部分のパッキンや、サイドステップのグロメット部分。
R32では、NISMOサイドステップカバーや、リヤスポイラー取付けボルト周辺、ドアガラスのリテーナ取付けネジなど。
純正パッキンよりも耐久性をだしたいと思うときや、雨漏れ防止などの用途でつかえる。
3M製のブチルテープを推奨したい。(Amazon通販でも扱っている)
ちなみに、3Mウインド・リボンシーラーという太いものの方はR32のテールレンズ取付部周辺などにつかえる。(取るのが、めんどくさいところのやつね・・)
ブチルテープという細いものは、グロメットの周辺などにチョットつけるのに適している。
まあ、すでに知っていることとは思うが参考までに。
あと、もう一点注意したいのは、建築用途など粘着性の強いものはクルマの塗装をいためるので避けるのが無難。
マスキングテープも粘着性の強いものがある。
長時間貼ったままにしておくと、塗装部分だけでなく、プラスチック部品やゴム部品もいためるので作業が終わったらすぐに剥がすこと。
直射日光のもとでは特に注意が必要となるでしょう。 yoshi
Posted at 2015/02/12 18:51:02 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2014年12月12日 イイね!

GT-R Magazine Vol.120. 20th Anniversary



 GT-Rマガジン創刊20周年おめでとうございます。
創刊号のときからずっと読み続けていますが、その長さを振り返れば感慨深いものがあるもの。
20年前は、たしか、整備士をやっていた頃で、エンジンを開けてはおもしろがっていたものでした。
それからボディ修理の板金塗装業界へと転向していったわけですが、32、33、34の第二世代GTRのボディ修理は徹底してやり尽くした思いがあります。
 と、いちおう達成したかのようなカッコいいことを書いていますが、まだやり残した感じがいくらか残っているのも、また自分の偽らざる思いであると今号を読んでいて感じたものです。
特に、今号においてカナザワさんが施工されようとしている「34GTR用のセンターピラーレインフォースの移植」。
これは、私も、もう何年も前から考えていたことでありまして、当時お付き合いのあったオーナーさんたちにはプランとして話してあったことでした。
まあ、その実現化はしていなかったので、カナザワさんがその成功の第一号となるものでしょう。
今号の写真を見る限りにおいて当該部分のみの組み込みのようですが、当時のわたしのプランとしては、既に施工経験済みであったルーフ補強とあわせ、さらにはクオーターインナー周りまでを連結しての一体感のある補強システムを32GTRの究極補強プランとしてアイデアを持っていました。
(まだありますがそれは秘密・・)
おそらく今後、カナザワさんはじめ新進気鋭の若手の方たちが進めていくものと思われますから、また誌面を通じて楽しみに思っています。
 ひとつ補足しますと補強においてだいじなことは、ある程度大きく行うことが効果的であり、部分部分で行っても、それはあまり意味がないということです。
ファッション性を重視するとわかっているのならば、数十万円するようなものをたくさん取り付けてもいいのですが、本気で長く乗るための補強をしたいと考えているのならば、やはりボディ本体に大掛かりな改造を施す必要があるものでしょう。



 もうひとつ思うことは、32GTRの部品価格が相当に値上がりしていることです。
わたしの記事を前々から読まれている方達は既にストックを完了していたり、交換済みとの連絡をもらっていましたから、これについては想定どおりで心配なし。
カナザワさんのコメント(P117)にありました「買い占め・・・」の言葉にニヤッとされた方も少なからずいらっしゃることでしょう。
買っておいて良かったですね。
もはや第二世代GTRはワールドワイドに広まっている貴重なクルマとなっていますから、オーナーは意識を変えていかなければなりません。
デビュー当時は450万くらいの価値の車だったわけですが、いまやその潜在的な見込み価値(バリュー)は現在の部品価格を考慮すれば、その倍くらいはあると認識してもいいものでしょう。
もはや、一般的な国産車に対する価値基準からは脱しているのが実情です。
その認識と意識を持ったうえで、今後の維持プランを見据えていくことをお薦めしたいと思っています。
まず、部品については投資と同じで、まだストックしていない部品があるならば値上がる前に買っておく。
仮に自分が使わなくても誰かに売れる。
(クオーターのガラスは大丈夫ですか? ←無くなったら厳しい・・)
そして、ここからが大事な問題なのですが、それはパーツの製廃が相当進み、万一クラッシュしたときの大手術が出来なくなったらどうするか?? というもの。
おそらく第二世代GTRの海外輸出は、ますます拍車がかかることでしょう。
買い替えるにも、もうタマが無い。もしくは物凄く高価になっている。
そのような未来が予想できます。
したがって私なりの本気の維持プランを提案するとしたら、今のうちに部品取り車を購入しておくことを提案したいと思います。
エンジンなどの機関よりも、ボディの状態を優先してです。
もし買えるとしても、いま出回っているほとんどが事故車であることでしょう。
選び方としては、前後大破歴のある個体は避けたいところですが、望むならばリヤ側が生きてる(無事故)ほうがいいと思います。
ただし、その場合にはフロントのメインフレーム左右、コアサポート類は買っておく。
またはフロントが生きているのであれば、リヤクオーター左右とエンドパネル類は買っておく。(ホイールハウスアウターが再売されたら即買い)
いずれも、ガラスモール類は必携。
あとは過去記事を参照ください。
 つまり、なにを想定しているかといいますと、究極の裏技、ニコイチ作戦のための準備をしておくということです。
ヘタに部分的な腐食修理をし続けていくことよりも、よっぽどマトモなものに仕上がります。
溶接と補強がしっかり出来ていれば強度的にも問題なし、です。
それと、よく聞かれるのですが、ニコイチは合法です。
法的に禁止されているのは車台番号打刻部分の入れ替えです。

 以上、パーツ製廃時代を見据えての1000万円級のバリューあるクルマに対する備えとして、私なりの見解を書いてみました。
第二世代GTRオーナーが持っておくべき意識と将来的な覚悟ともいえるものでしょうか。
当サイトは非現実的なことを書いているように思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、実際にこのようなスタイルでやってきたがゆえに書いています。
これからもGT-Rを長く乗り続けていくと心に決めた方にとって参考になるところがあれば幸いです。
yoshihisa


Posted at 2014/12/12 14:23:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記

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