【完璧さを目指す気持ちの奥にあるもの 〜愛ある自分に気づくために〜】
もし、仲間を引っ張っていく責任感の強いリーダー的な立ち位置にあったとしたら、あえて厳しい局面に率先して自らを追い込んでいく、そんな犠牲的な姿勢を示さなければならないと考えることも、時にはあるのかもしれない。
そして、そんなストイックな生き方が身に馴染むのは、人へのやさしさや思いやりなどの気持ちのほかに、完璧な自分でありたいと思う気持ちがあるように思う。
完璧主義には、目指す完璧な世界へ向けて自らの心をも追い込んでいくことに、ある種の快感があるようだ。
そのためには揺れ続ける感情を排し、めまぐるしく沸き起こる思考を目的一本に絞ろうとしがちである。
もしそうなれたなら願いは叶い、生き甲斐を感じることができると、そう思ってのことかもしれないが、しかし、そうはなかなかなれないものだろう。
結論から言えば、そのために必要なことは皮肉なことにも排除し抑圧しようとしてきた心なくしては成し遂げられない。
完璧を目指している時、それは何か大きな法則や真理に反する行為であると、その矛盾に気づきながらも後戻りのできない自分がいたとしたら、その矛盾に気づいた時点で、たとえ自分の理想とする完璧には到達できていなかったとしても、少なくともトップレベルの実力は獲れていることだろう。
本人が気づけない、自分で自分を認めることができないだけであって、周りはもう十分に評価をしている。
そのくらい、自分を追い込むことで得られる快感は心と感覚を麻痺させるもののようだ。
完璧さを目ざす苦しみのループから抜け出したくても抜け出せない時、心の奥で強烈に欲しているもの。
それはきっと、愛だろう。
しかし、いくら大切な人からの愛があっても、愛されているとわかっていたとしても愛を受け取れない。
愛を受け取ってもらえないことにあなたは傷つくが、愛を受け取れない人にすれば、その愛を受け取ってしまったならば今の自分ではいられなくなってしまうかもしれないという恐れが出てくる。
だから、愛を拒絶すればするほど、その悪態の裏には、そのくらいあなたの愛がありがたく、価値あるものだと認識していることを示している。
人には、愛したくても愛せない時というのがあると思う。
わかりやすい愛だけが愛なのではなく、わかりにくい愛でもってでしか愛せないこともあるだろう。
それは、愛してくれていたあなたの気持ちに素直に応えることができないもどかしさ、そんな自分の心の弱さの一面を甘えという表現でもって、唯一あなたにだけは見せられたということだったのかもしれない。
そうであれば、意見がぶつかりあうたび、心の深いところではいったいどれほどの愛情を感じていたことだろうか。
後になってでしかわからないことは悲しいと思うかもしれないが、あなたとの絆を胸にそっと抱きしめ、あなたを思い、見守っていることだろう。
愛を、愛だとは気づかないふりをして受け取らないこと、それがその人なりの頑張り方だったのかもしれない。
愛を、愛としてはわからないように伝えようとすること、それがその人なりの愛し方だったのかもしれない。
偽善と矛盾で満ちたルールばかりの世の中で素直に愛を表すことは、真っ直ぐな気持ちを持つ人であればこそ難しい。
そのような状況の中で、その人なりの精一杯の愛を表すとすれば、それは偽悪をしたり悪態でもってでしか表せなかったのなのかもしれない。
その振る舞いの奥には計り知れないほどの深い愛と、あまりにもピュアで繊細な心があるということを表しているのだと思う。
きっと、見えないところに真実は隠れているものなのだろう。
疲れた体に鞭を打ち、無理を押してでもやり遂げようとしていたこと。
隠れた努力でもって、周囲に迷惑をかけないよう一生懸命に報いようとしていたこと。
絶望的な状況の中で、それでも諦めずに最善を尽くそうと必死になって立て直そうと努力していたこと。
それは隠れた思いやりであり、隠れた配慮であり、隠れた恩返しでもあったのだろう。
幾度となく切れそうになっても切れない関係であったということは、そんな心の深い部分からつながりあっていた二人だからこそ感じ合え、伝え合えると信頼していたからなのだと思う。
もしかしたら、今になって、そんなことをわかったところで「いまさら・・・」と、あなたは思うかもしれない。
確かに、昔の気持ちのままの延長として、やり直すことはできないかもしれない。
しかし、いま、あらためて愛を理解し、もう一度愛し始めてみようとすることはできるのではないだろうか。
そして、たぶん、その方がより深い気持ちから愛することができるのだと思う。
愛するとは、まず、あなたが幸せを感じること。
自分を責めることを手放し、大きな愛と幸せのある自分に気づいていくこと。
そして、ありのままを愛していくことによって、その人もまた、あなたを通じて自分の中にある愛に気づいていくことができるのだろう。
なぜならば、その人がほんとうに心の底から欲して望んでいたものは、自分が完璧になれば手に入れられると思い込んでいたもの、実は、それこそがありのままに愛してくれる愛だったのだから。
何よりも、あなたには幸せになってほしい。
それが、その人なりの生き様を通して伝えたかったメッセージなのだと、僕はそう思う。
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