*Tuner's soul 限界に挑むチューナーの胸懐*
「チューナーとして当たり前に思うことを当たり前に挑戦しています」
84ページにあるサブライブさんの言葉がヒットした。
それは、人と同じことをやりたくないという独自性や自由な気持ちを表すものであると思う。
以前から不思議に思っていたことに、いつの頃からか自動車の修理や販売業界には「お客様のために・・」という意識が強く広まりすぎた感じがしていた。
それは、いい意味で、お客さんを大切に思い、大切に扱うこと、お客様主義に則っているというのは理解ができる。
しかし、自分自身でも経験してきたことなのだが、いささか行きすぎた感じもあり、どことなく犠牲的なスタンスを従業員に強いているかのようにも感じられていた。
よく通る道すがらにディーラーが2社あるのだが、そのどちらもが来店したお客さんを見送る時に店の前の信号が赤信号から青に変わるまで立って待っている。
そして信号が青になると、そのお客さんのクルマに向かって深々とお辞儀をして見送る。
(まあ、よく見かける風景だよね)
だから、たいして何も感じることはないのかもしれない。
ただ、あくまでも個人的な感じ方としては、どちらにも違和感を感じる。
というのも、A社のほうの従業員は、なんとなく上からの指示で仕方なくやらされている感じ。
いっぽうのB社の従業員は丁寧で完璧すぎるほどに礼儀正しいのだが、それがかえって気味が悪い。
おもてなしの精神でやっているのだと頭では理解できるが、あえてキツく言えば、マインドコントロールされているのか・・・?
そんなネガティブな印象さえ持ってしまう。
自動車業界の展望は苦しいと言われ続けている。
だから、そのくらいの丁寧な対応をしなければ生き残れないという危機に瀕しての必死の思いがあるからなのかもしれない。
しかし、それによってスポイルされている部分もあるような気がする。
話は少しそれるが、あるメジャーな整備工場では今までプラスアルファのサービスとして提供していたものがカットされていたり、あらかじめ担当者に釘を刺しておくかのように言っておかないと対応してくれないことが増えてきている気もする。
もちろん、サービスはタダではない。
きちんとした対価があってのサービスという考え方自体が悪いとは思わないが、それにしてもサービスの内容についての選択肢があるということへの説明が不足しているというようなケースも少なからずあるように思う。
そのようなこともあって今号において思ったことは、クルマ屋さんはクルマそのものへの技術やサービスではもはや成立しないと考えているのだろうか?
接客接遇はとっても大事なことではあると思う。
しかし、クルマそのものに対してすること以外の付加価値を高める方向への流れに偏りすぎてはいないだろうか?
そんな疑問についてのヒントが今号にあったように思う。
サブライブさんは製作中の1000馬力オーバーのデモカーについて、こう言っている。
「このマシンメイクは商売とは別のマスターベーションみたいなものです」
つまりは、デモカー作りというクルマそのものに対しての技術サービスが営業的な狙いではなく、結果としてお客さんに対してのプラスアルファのサービスになっているのだと思う。
まず、誰だって、欲求不満を抱えている人や鬱憤を解放できずに苦しんでいる人に好んで近寄りたくはないだろう。
だから、それだけやりたいことを明確にし前面に出しているスタンスというのは勇気があると思うし、素敵なことだと思う。
そのチャレンジ精神は会社を成長させるものになると思うし、社員の心を解放し自由にするものにもなるだろう。
だから、そんな自分の夢や欲求を感じることを否定する必要はなく、むしろ、そんなことをしたら会社を潰してしまう・・と思われるくらいの強い欲求があっていいのではないか。
(経営に影響のない範囲でだけどね)
なぜならば、そのくらい強い欲求を持つということは同時にそのくらいお客さんのクルマに対しても情熱を傾けられる能力があるということを示していると思うし、クルマのさらなる楽しみ方や可能性を見出すことは、これからの時代ますます必要なことになるだろう。
もし、ボディ屋さんであれば、それだけ修理するクルマ丁寧に扱いたいと思っていることでもあるだろし、作業の慎重さの表れにもなるだろう。
欲求とは自分の気持ちと向き合えた分だけ解放されていく。
そして、向き合った心には余裕が生まれ、お客さんの気持ちも理解できるようになっていく。
あらためて思うことは、自分の欲求というものは最終的にはお客さんに与えることへと変化していくことによって解消していくのだろう。
そうなった時、デモカー作りのようなイベントごとはマスターべション的な自己満足ではなくなると思う。
なぜなら、デモカーという素晴らしい見本となるものを作り、クルマの楽しみ方の一つを示すことによって、お客さんの心をも満たすものになるからだ。
素晴らしい技術と熱意を持つお店を応援したくなるのは、クルマ好きの素直な思いであるだろう。
デモカー作りのように自分の夢や熱意をぶつけるような仕事をした人はわかると思うが、お客さんが応援してくれるということ、これほどありがたい形となって自分の欲求が自分の元に帰ってくることはなかなかないと思う。
外見的に店の知名度の向上を図ることよりも、お客さんぐるみで盛り上がっていくこと。
そのほうが長い目で見て大事なこと(有効なこと)になるのではないだろうか。
お客さんをもてなすことの方向性と、そのバランスは実に大切なことのように思う。
自分の好きなことを見つけ、やりたいことを実行することは心を豊かにする。
そして、そこに人は魅力を感じ、やがて信頼へと繋がっていくのだろう。
対外的にはマスターベーションだと言いながらも、それが相手(お客さん)の為にもなるという好循環の流れをサブライブさんは体現されている。
それは犠牲的な精神を従業員に強いるスタンスでの運営よりも、よほど効果的な営業スタイルにもなっていると思う。
つまりは、クルマ屋であれば、それだけクルマが好きであるという自分をもっと認めていけばいいというこになるのだろう。
クルマ屋ならクルマで勝負する。
そんな熱意と勢いのある店は、いつの時代もカッコいい憧れの店であり続けると思う。
yoshi
