映画『セッション』を観ておもうこと。
悪く批評されていることが多い映画のようだけど、
確かに、それは見ている間中、ぼくもそう思った。
主人公をパワハラで心理的に追い込んでいく様子が描写されているから、
ある意味、見る人を選ぶ映画かもしれないね。
でも、ラストまで見て、理由はよくわからないけど、ぼくはいい感じに泣けた。
というのも、自分で感情を抑圧して記憶を消し、わかならなくしていた部分がフラッシュバックされたから。
そして、なにより一番タメになったのは、自分のしてきたこと、もちろん車の仕事を含めた過去の解釈が変わった感じがすることかな。
いい意味で衝撃を味わった。
とにかく、ぼくは観て良かった、と思う。
きっと、また月日をあけて観るであろう、思い出に残る一本。
要は、恥を承知であえて言ってしまえば、「これは、オレだ」と思った。
まあ、勝手な思い込みなんだけどもね。
かつての職人時代のリアルなぼくを知る人が観たら、
その意味もなんとなくはわかってもらえるような気がするかな。
ぼくは、クルマ系のなにか専門学校などで学んで職人になったわけではなくて、
いわゆる「小僧」って呼ばれる見習いからこの業界に入ったから、
体系的なレッスンや講義などは一切なく、
すべてが見様見真似の実践あるのみ、というところからスタートした。
だから、っていうのもヘンな話なんだけど、先輩や上司が口の悪いのはアタリマエの世界。
シメるだの、シメられるだの、とか、
まあ、そういうガラのわるい言葉のある世界だった。
でもね、いちおう言っておくけど、たぶん、いまは、もう時代が違うから。
これからやろうって思っているひとは特に心配することなく安心して働けると思うよ。
むかし話だからさ、ね。
で、話をもどすと、セッションを観て感じたのは、なんていうのかな。
愛と憎しみが裏表で存在するように、才能と狂気もまた裏表なんじゃないか、ということ。
なにか物事を極めていこうとすると、それも真に極めようとすればするほど、試練や苦難に出会うものなのかもしれないね。
であれば、大切なのは「もちろん、そこで潰れることもある」ということ。
それは精神的にかもしれないし、物心両方かもしれない。
潰れてもある意味当然なんだ、とまず受け入れることが大切なんだと思うんだよね。
「オレは平気だぜ」とか、「オレには関係ねえ」とかって思っているとしたら、
それは、上から目線でモノ言っててごめんね、まだまだだと思うから。
そのうち、じゃないかな。
で、なんで、こうやって、ぼくが技術以外のことをずっと書いているか?っていうと、
技術を極めていこうとすればするほど精神的なことのほうが大事になってくるから。
仕事で重きを置くポイントが変わってくるんだよね。
つまりは、見習いの頃はさ、早くいっちょまえな作業がしたくて仕方ないのよ。
で、それなりに経験積んでそれなりに稼げるようになってくると、そこで道がわかれる。
そのレベルで安住するか、それとも、さらに上のレベルを目指していくのか。
ぼくの ”みんカラ”を見てくれている同業の人たちはレベルの高い人ばかりだから、
だからこそ、小手先の技術どうこうよりも、どう仕事に対して向き合っていくか、その考え方をなにか参考にしたいとおもっているんじゃないかと思うんだよね。
で、もうひとつは、走りの世界にいるひとたちにも、それは、そのまま言えるんじゃないかな。
というのも、だって、トップレベルで走り続けていくには慢心が一番危ない、でしょ。
違うかな。
セッションで描かれている世界観は、かなり、それらに近いか同じなんだと思うんだよね。
走りも職人仕事も、才能と狂気、そういう面があって、
だからこそ魅入られるんだと思うし、お金もつぎ込むのだろうし、人生もかけるのかもしれない。
ぼくは、そういう情熱をもったひとが好きなんだけど、
だから、なにか関わりをもって応援しようとでもしているのかもしれない。
才能と狂気。
ポイントは、そのどちらか、という分離した考え方ではなくて、統合することなんだろうね。
で、その統合した世界観がセッションには描かれていると思った。
ただ、簡単には統合できないものなんだろうね、汗かき、べそかき、挫折し、ひとを傷つけ、また自分も傷つき・・。
そうやって、やっとこさ見えてくるものなのかもしれないね。
だとしたら、すくなくとも、いま、もし悩んでいたり壁にあたっているとしたら、まず、その境地・レベルまで到達していることを自覚することなんじゃないかな。
よく、やってきたよね。
ほんとにさ、こんなに悩むほど・・。
で、それを超えた先に、なにか、あなたにとっての光となるものがあるんだと、ぼくはそう思う。
気持ちが、つぶれてもいい。
挫折していい。
なんなら、もっと泣こうよ。
そのような気持ち、わかるから。
そして、この先に進むためには、むしろ、こういう経験が必要だったんだって、きっと後で気づくことができるのかもしれないね。
だとしたら、いまは、けして無駄な時間なんかじゃない。
この映画、セッションを観て、ぼくはそんなふうに思った。
yoshi