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SPEED GROOVE @ yoshiのブログ一覧

2016年08月13日 イイね!

GT−R Magazine vol.130 「限度を超えると、さすがに無理」



製造を打ち切った部品が増え、34GTRの中古車価格がかなり上がったようだ。(ホンダS2000もそんな気がする)
価格変動の衝撃をイメージとして表すと、価格の横ばいからいきなりギャップアップでストップ高したような感じか。
つまりは、いったいどこまであがるのか?といった喜びなのか不安なのかよく分からない複雑に気持ちが入り混じった感じ、34バブルの様相を呈してきているのだろう。
そのような状況変化の中、今号の読者投稿のページ(リーダーズスタイル)には、第二世代オーナーが身近で率直に感じている気持ちが
に記載されている。
大阪のオーナーさんの投稿「第二世代を取り巻く環境おかしいと思いませんか」に、とてもうまく集約されていると思う。
特に、第二世代GTRの中古車価格の高騰傾向の原因はR35GTRとの価格ギャップにあるとの考察は同感で、
それは海外輸出要因のみならず、平均的な生活感覚としては「ちょっと頑張ったら・・・」という感覚を超えているところにも、
その原因の一端はあるように思う。
かつてはよく見られたR32からR33、R34への買い替えというような同級グレードの新型車への購入意欲の流れがR35には起き難くなっていると思うが、それはR35GTRはGTRと名はつくもののスカイラインの名は外されているところから見ても分かる通り、
初代GTRからのスカイラインとしてのコンセプトの流れは、やはりR34でもって終わったと見る方が自然なのだろう。
グローバルな視点でみれば富裕層とそれ以外という二極化の構造が進み、企業としてもそれに合わせたマーケティングを進めていくのが戦略の常識となっているのだと思う。
35GTRがスポーツカー需要の高い富裕層をメインターゲットとして開発・設定されているとは必ずしも思わないが、
企業意識の変化の中で取り残されたかのように悩ましく思う第二世代オーナーも少なくなのだろう。



もちろん日本においても格差が問題となってきており、主流をなしていて中間層の分布が今後どう変化していくのかはなんとも言えないところだが、そのような中で日本企業もグローバルスタンダードという実質的には偏ったスケールに合わせていく流れとなっているようだ。
(たとえば日産CEOの報酬についても国内では突出しているとか、世界標準であるとか毎年のように話題になりますよね)
グローバルな企業としては国内の事情や動向よりも標準を世界に合わせ、ますます「国内 < 世界」へと変化していくのかもしれない。
そして、その行き着く先は自動車の家電化(どれを買っても大差なし・壊れたら直すよりも買い換えたほうが得)のような気がしている。
もしそうなるとすれば、GTRという車は”愛着の持てる自動車”として最後の存在となるのだろう。



これからの時代、部品の足りなくなっていく状況を乗り越えるためにどうするか?
その対応策のひとつが今号で掲載のBFR・ブルーフォースレーシングのようなプライベータースタイルでの展開なんだと思う。
オーナー目線そのもののコンセプトにプラスして優れた技術を提供してもらえるのは、実に頼もしく嬉しい限り。
このような展開にならい、今後も業界内の有志で知恵を出しあったり、気の合うオーナー同士での情報交換、支え合っていく気運がますます高まっていけたらいいように思う。

製造廃止部品の多さは特に板金屋さん(ボディ修理)にはダメージが大きい。
外装部品、パネル類の供給があると無いとでは修理の方向性が全然違ってくる。
「限度を超えると、さすがに無理」とカナザワさんがコメントしているように、致命的と言っていいほどになっていくのかもしれない。
今のところは、まだストックしてある部品取り車のパネルを適宜切り取って使ったりすることによって凌いでいるようだが、
果たしてストックがいつまでもつのか・・。
作業のやり方次第にはなるだろうが、ある意味、妥協となってしまう修理もこれからは増えていくのだろう。
そうなった場合、どの程度でOKとするか、オーナー側に一段と寛容さが求められてくるのかもしれない。
とはいえ、そもそもボディ修理に限っては経験者の立場からすれば、極論、すべての修理は妥協策である、と言える。
それがうまく仕上がっているように見えるのは、元々のコンセプトの違いが大きいが、それだけでなく細かな詰めの部分の処理であったり、微妙な調整の加減であったりもする。
例えば、R32のサイドシルは腐食しやすい箇所であり、外観重視で進めていくのか、強度・耐久重視で進めていくのか・・・。
もちろん、その両立こそが理想ではある。
が、現実的には、その重視するパーセンテージは状況によって変えざるを得ないものであり、「それでベストなんだ」と言えばそうとも言えるし、
「それは妥協だろ」と言えばそう言えるような死角となる部分はどこかに見つけることはできるものだと思う。
僕のやってきた方法を振り返ってみても、もっと強度優先でやることもできたと思うし、使用材料を減らしたりのコストダウンもできたと思う。
特にドアの当たる部分などは補強パネルの枚数をさらに追加する余地はあったし、そうすれば、さらなる剛性アップにはなっていただろう。
(もし、今やるなら多分そういう方向でのバージョンアップをするだろう)
ただ、それと引き換えになるのは当時こだわっていたスポット溶接の打痕を残すことであり、場合によってはMIG埋めでの処置をせざるをえなくなっていたかもしれない。
それはトレードオフとしての美観の耐久ということを意味し、当然またその逆のパターンも考えられる。
でも、あらためて思うところはネガティブな側面、妥協点をどこに置いたかが作業上のポイントとなるということであり、
そのようなネガティブさを見極める判断能力次第によって完成具合に差が生まれてくるということのように思う。




今号において一番心に響いたのは、やはり「限度を超えると、さすがに無理」という言葉。
そこですぐに思い浮かんだのは、実業家ロッキー青木の古い本にかいてあった「​ビジネスはノーから始まる」​​ということ。
(ロッキーがホテル王ヒルトンの出店要請を一度は断ったことによって、ヒルトンとの関係が逆にいい方向へと進んだことに基づくエピソード)
それは、断って終わる「ノー」もあれば、断って始まる「ノー」もあるということであり、
ノーと断ることによって、どうなるのか?
何か、そこから代わりのプランを考えていったり、歩みを近づけていくことはできないものか?
つまりは、無理=拒絶=終わり、と考えてしまうのは決めつけが過ぎるということなのだと思う。
一方で、僕自身を振り返ってみれば、カナザワさんが発したように「さすがに無理」と、
様々な場面で言えたなら人生全体がもっとラクだったろう。
それができなかった心理的な理由のひとつは、自分の弱さに向き合い、その隠れた気持ちを解放できなかったことにあると思うが、
「無理」と言えるということは自分を自分として生きるための基本の言葉であるとさえ今は思う。​​
それは、誰にも従属されず、また誰をも従属させないことを意味し、期待や犠牲といった相手をコントロールすることのない対等さと風通しの良い関係へとつながるのだろう。
わだかまりなくノーと言い合える関係になってこそ真の意味で親密な関係であるように思う。
なぜなら、そこから始まり、さらに深まっていくことができるのだから。
ノーと言うことはビジネスのみならず人づき合いの鍵となる言葉なんだと、今号の記事からあらためて気づかせてもらったように思う。
yoshi

Posted at 2016/08/14 07:24:56 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年06月07日 イイね!

GT-R magazine 129 『20年20万キロは気持ちの分岐点』



『20年20万キロは気持ちの分岐点』
「降りるべきか、乗り続けるべきか」とある。
今回は、そのような心の迷いについ少し書いてみたい。

 心理カウンセリングでは、よくこのような相談が持ち込まれる。
「別れた方がいいのか、それともこの関係を続けていっていいのか・・」
そのような時、それがかなりヒドイ関係であっても無下にやめさせる方向に誘導してはならない。
なぜならば、それはそれで本人にとって必要な状況であることが多いからだ。
このようなスタンスは、きっと車を維持していくことについても同じことがいえるのではないかと思う。
つまりは、年数が経ちコンディションが落ちても、それはそれで何か意識の中では必要なことであると考えられ、もちろん諸事情から妥協的な感覚はあったとしても、少なくとも一応の許容はしてきたということなのだと思う。
であれば大事なことは、その状況から何に気づき学びとするのか、という視点に切り替えてみることになるのだろう。

テクニカル面からのアプローチは誌面で詳細に展開されているが、心理的なアプローチからすれば「降りるべきか、乗り続けるべきか」という問いに正解はない。
あるのは、ひとりひとりの気持ち次第ということであり、たとえ将来後悔するような状況になったとしても、それすらも乗り越えていけるような「自分」をまず創っていくということだろう。
というのも、あまり先々のことを憂いて考えてみても、そこからベストな解が導けるとは限らないと思うからだ。
これは以前の職人経験からもいえることで、真に熱意あるオーナーというのは強烈な情熱を秘めているその奥で、ある意味自分なりに腹を括っている。
それは、たとえどんな状況になろうとも自分と車との関係(幸せや楽しみ)は自分が創っていくんだという自立的なスタンスと、自分の価値観をあらためて見つめたり幅を広げる努力をされてきた人のように思う。
きっと、だからこそ他者との比較や情報に惑わされることがなく、自分の車を自分がどう決定づけるのか自分なりのアイデアを行動に移していけたのだと思う。
yoshi


Posted at 2016/06/08 13:52:59 | コメント(0) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年05月25日 イイね!

GT-R Magazine vol128 * R35GT-R 2017model





今号の表紙、
単に32GTRのメーターパネルを映したものではなかった。
オドメーター55万キロ台を示していることに驚く。

振り返れば、
価値ある車であるからこそ、過走行になってしまっては価値が減る。
そう考えていた。
だから痛まないよう出来る限りの気を使い、
無駄に走行距離を伸ばさぬよう、乗る日を抑えて走りに行っていた。

ワンオーナーで23年、55万キロの偉業。
その事実をこうして見せられた今となっては衝撃としか言いようがない。
それは長いこと、車の価値に重きを置く業界意識に染まりきっていた自分であったのかもしれないし、
乗るのを抑えたくなるくらいに身の丈以上の車であったということだったのかもしれない。
いったい自分は何に捉われ、何を恐れていたのか・・・。
「距離が増えることに抵抗はなく、逆に増やしたい」と語る、
こんなにも度量の大きいオーナーがカッコ良すぎるくらいに眩しい。

ひとつの車をここまで乗り続け、付き合い続けてみたら、どんな感じがするのだろう。
それは、喩えれば、ひとりの女性を愛し続けるのと同じくらいの出来事がきっと起こってくるのだろう。
であれば、大事なことは、何があろうとも彼女にコミットし続けるという意志を持つことと、
自分の愛を信頼し、その愛を大きくしていく意欲を持ち続けていくことだろう。

しかし、そうは言っても”思い”だけでは疲れてしまうかもしれない。
そんなとき新鮮味を持って愛し直すには、今までとは違う観点から魅力を探り見いだしていきたい。
55万キロもの付き合いをしてこられたオーナーは、
きっと細やかに魅力を見いだす無意識の才能があるのだろう。
ここまで乗り続けてきた理由が「運転することが楽しい」という理由しか思い浮かばなかったとしても、
この「楽しい」という気持ちのうちには言葉にならないほどの数々の魅力が広がっていることと思う。












GTRマガジンに速報掲載されていたR35GTRの2017モデル
(日産グローバル本社にて)








Posted at 2016/05/26 00:15:21 | コメント(2) | トラックバック(0) | GT-R Magazine | 日記
2016年05月09日 イイね!

Story of My Life : Renault Clio Williams タカラモノ



この記事は2008年に書いたものを、
かつての職人時代の思い出のひとつとして残しておくために、
当時の原文のまま再掲載しています。










      _____    タ カ ラ モ ノ   _____






秋の日。

青い34GT-Rを納車した翌日。

冷え込む土曜日の深夜のことだった。

腹の具合がどうにもおかしく、寝室で横になり、腹をかばうように丸まっていた。

ジリジリと強まってくる痛みがある。

ロキソニンという強い鎮痛剤をもう1錠追加してみたが、たいして意味をなさないようだ。

痛みだしてから、かれこれ1時間が経った。

日付が変わる頃に、ついに激痛が開始された。


救急車に乗るのはこれで4回目だろうか。

いつ乗ってみても車内は寒い。

それは私の体調がそう感じさせているのか、救急車とは寒いものなのかはわからない。

ただ、救急隊員の方達はいつも暖かく接してくれる。

体温、脈拍を測り、症状と経過をやさしく尋ねられた。

しかし、そんなやさしさをあざ笑うかのように痛みはさらに強烈になっていく。

ついには横になることも出来なくなった。

地獄の苦しみとはこういうものか。

激しく襲い続けてくる。

腹をきつく締め上げられるような痛み。

ギリギリのところで必死に耐える。

「早く痛み止めを打って欲しい・・・」

かすれる声で、そう懇願するしかなかった。





救急隊員は、痛がっている者に「頑張れ!」とは声をかけない。

「痛いな。 痛いよな」と声をかけてくる。

少なくとも私の場合は、いつもそうだった。

返事すら出来る状態ではないのだが、そう声をかけられると、

いくらか気持が楽になるような感じがした。

【 共感 】

「ガンバレ!」などと励ますことしか知らないようではいけないのかもしれない。

深く悩んでいる人や困っている人が本当に欲しているのは、実は「共感」だったりする。

既に十分過ぎるほどに頑張ってきた。

本人としては、もうこれ以上頑張りようのないところまで追い詰められている。

自分がそういう場面になってはじめて身に沁みてわかった。

たとえ根性無しで頑張りが足りなかったとしても、本人が痛いと言うのならば、

その痛さをわかってあげようという救急隊員の心配りが、痛がっている者の心には優しく響く。






真夜中の搬送。

あたりまえのことだが、救急車は速い。

すべての信号をノンストップで通過した。

普段30分かかるところが10分で行けてしまう。

せっぱつまった者にとっては、ほんとうにありがたい。

病院に着き、念願の痛み止めの注射を打ってもらう。

いくぶん落ち着きだす。

やはり注射は効きが早い。

そのまま入院し、数日間、痛み止めを使い続けた。

薬が切れると、痛くてどうしようもなくなる。

しかし、1日に使える本数がきまっているため、夜は睡眠薬も使った。

何度もレントゲンを取り、CT、カメラ・・・色々な検査をした。

鼻から腸まで管を通した。

喉に管があたり、不快なことこの上ない。

点滴だけが、生きていくうえでの最低限のエネルギー源になっていた。

みるみる痩せてきた。

点滴のやり過ぎと栄養不足で血管もボロボロになっていた。

ついには点滴の針が入り難くなってしまう。






一週間が経過した。

ベッドの窓からは、大きな木が見える。

黄色く色づいた葉が、寒空の中、揺れている。

強い風。

落ちる葉・・・。

この先、自分はどうすればいいのだろう。

入院生活になれてくると、色々と考えられる時間的な余裕がでてきた。

仕事は、このルノークリオを中途半端に中断してきたままだった。

オーナーの顔が思い浮かぶ・・・。

わがままだが、退院するまでそのまま待っていて欲しいと願う。

退院がいつになるのかは、わからない。

長期戦になるにせよ、なんとかこのクルマだけは仕上げなければと思った。

仕上げて、そしてまた休めばいいと思った。

うずくまる程の強烈な痛みはなくなったが、鈍い痛みは、あいかわらず続いていた。

車椅子の生活から、なんとか自力で歩けるようになってきた。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





腐食が酷く、左右クオーターパネルそっくりを交換する。

その前に、内部の腐食を修理していく。





ボロボロで、形が無くなっている。








フロアパネルも限界。





すべて切り張りで対処することに。







ここまで分解したからには、ただ、元に戻したのでは面白くない。

GT-Rで培ったノウハウを生かし、リヤ廻りの弱そうな部分に補強パネルを追加。

スポット溶接の点数もノーマルより増やすことに。

オーナーへのささやかなプレゼント。







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【 売店のお姉さん 】

なんとか歩けるようになり、点滴台を引きずって売店まで新聞を買いに行くのが日課になっていた。

特に新聞が読みたかったというわけではなかったのだが、

飲食厳禁だったために、他に買うものがなかったというのが正直なところだった。

売店の「お姉さん」と他愛も無い話を少しする。

初老の痩せた人で、売店部で一番の年配者なのだろう、皆からお姉さんと呼ばれていた。

とても気のよさそうな人柄が漂っていた。

「腹の調子が悪くてね・・・鼻から管入れることになっちゃったよ。

腹はストレスからくるのが多いみたいでね・・・」

「そうよ。 ストレスで内臓やられる人って多いのよ・・・・ じゃあしばらくは点滴なんだね。

辛そうね。でも必ず良くなるから。」

「ありがと。 お姉さんにそう言われると何か救われる感じがするね・・・・。」

毎日、売店のお姉さんとこのような他愛もない話を少しする。

わずかな時間だったけど、入院生活の楽しみになっていた。



ストレス。

特に意識はしていなかったが、確実に蓄積していたようだった。





野に咲く花のように、ささやかでも自分らしく生きていく・・・

そんな人生もアリかもしれない・・・。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





フランスより部品が届いた。

サイドパネルASSY。(左右)

こいつを、そっくり使う。

かなり大きなパーツだ。

オーナーが個人輸入する予定だったが、送料が半端ないので

日産部品経由でオーダー。

こちらの方が安く入手できた。

ルノーと日産は提携してるので、こういう部分はとてもありがたい。

ただ、船便でドンブラコ、ドンブラコとフランスからやってくるわけだから、

傷・変形は仕方ないと覚悟していた・・・・、しかし意外なことに無傷。

T r e s  b i e n  !









完調ではなかったが、いくらか落ち着いてきたので退院させてもらった。

そして、中断していた作業にとりかかった。

腹に力が入らず、重いものは持てなかった。

なので、手伝ってもらいながら進めていった。

痛み出したら、休憩。

しばらく横になって落ち着かせる。

とりあえず、塗装にいくまでは自分の領分・・・・・





なんとか完了し、これで塗装に移れるようになった。

一息入れられる。

体調は、また悪化してきていたので自宅で療養することに。

しかし、強い痛みが再発。

また入院することに・・・





2回目の入院となった。

塗装にバトンタッチできたので、だいぶ気は楽になっていた。

しかし、無理の出来ない身体になっていることを痛感させられた。

まだ炎症が治りきっていないようで、完治するには時間がかかるとのこと。

どうも、しばらくは力仕事は無理なようだ・・・

しかし、そうも言ってられなかった。

塗装も2週間もあれば完了する。

その後には、パーツの組み付けが残っている。

そして、最終の仕上げ、調整・・・見直し。

すべて私の担当するところだ。

2007年も終わる頃になっていた。

預かってから、既に半年が過ぎようとしていた・・・



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



【 雨ニモ負ケズ 】







オーナーはカングーに犬を乗せて、

自ら手配したパーツを持ってきつつ、作業の経過を見にきていた。

小型の犬で、名前は「アメちゃん」という。

首輪に付いていた名札が「傘」の形をしていた。

どうも「雨」が名前の由来のようだ。

「雨」という名前はめずらしく感じた。

「なんで雨なんですか?」

「宮沢賢治の”雨ニモ負ケズ”の雨なんですよ。」

アメちゃんは、捨て犬を保護する施設から引き取ってきた犬だったのだ。

何日も食べていなかったため、激しく痩せこけていたそうだ。

きっと厳しい境遇にあったのだろう・・・

毛艶の良さから、とても捨て犬だったとは思ってもみなかった私は衝撃を受けた。



保健所に持ち込まれ、殺処分される犬の数は年間およそ20万頭にもなる。

殺処分とは文字通り「殺す」ことであり、安楽死とは違う。

経済的な事情から飼えなくなったという人もいるという。

老犬になり、面倒を見るのが大変になったという人もいるという。

流行の小型犬に「買い替えた」という人もいるという。

ペットショップのケースに陳列されている子犬達は、売れないまま大きくなったらどうなるのだろうか?

犬は6ヶ月で成犬になる。

成長を遅らせるために、わざと食事を減らしているショップもあると聞く。

それで売れなかったら・・・?

ワクチンをたくさん打ち、重篤な副作用が起こるケースもあるという。 

売れるから、売るために、どんどん繁殖させるブリーダー。

以前、あるブリーダーの家に子犬を見せてもらいに行ったことがある・・・

3頭産まれた子犬は既にすべて引き取り先が決まっていた。

「子犬はもういないけど、この親犬ならあげるよ」と言われ、驚いた。

「3頭しか産まなかったから・・・」

つまり、一回の出産で8頭くらい産むような犬でないと、ビジネスにならないと言いたいようだった。

「365日、いつでも買える命」

過剰供給の裏で、100秒に1頭のペースで殺処分されている現実がある。





アメちゃんがどのような経緯があって、捨てられていたのかはわからない。

しかし、人間の狡さ、人間社会の犠牲になっていたことは間違いないだろう。

元々は誰かが望んで飼っていたのだから。



雨ニモ負ケズ・・・

小さな命であっても、命は命。

「辛さに負けず、生き抜いて欲しい」と願うオーナーの心が痛いほど伝わってきた。

工場の中を元気に歩くアメちゃんは、とても可愛く微笑ましかった。



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いくらセカンドカーがあると言っても、ここまで気長に待ってくれる人は少ないだろう。

また、会社としても、代わりの職人に作業を進めさせてしまうだろう。

しかし、なんとしても、このクルマは自分の手で仕上げたかった。

ボディをドンガラ状態にして、腐食修理から寸法合わせ・・・

作業を振り返れば、そのひとつひとつに思い入れがあった。

なんとしても・・・



また退院した。

納車の日取りもきまった。

退院したとはいえ、病み上がりの身体にはキツイ。

毎日少しづつ仕上げていく。

いくらなんでも待たせ過ぎだった。

オーナーは心配していることだろう。 

申し訳ない。

週末に進捗状況をメールする。

オーナーは、メールが届くのを楽しみにしていたと言う。

自分のクルマが少しづつ仕上がっていく楽しみ。

持ち込んだパーツが組み上げられていくドキドキ感。

海外から取り寄せたパーツだから、上手く付くのかどうか・・・・・。

エンスーにとっては、そういう工程も楽しみのひとつなのだろう。

ただ、まさかこれが半年にも及ぶとは考えてもいなかっただろうが・・・。



ガリガリに痩せた身体は、まるで力が出ない。

それでも、自分のイメージした仕上がりは譲りたくなかった。

オーナーからは何度も「身体優先で・・・」と励ましのメールをいただいていた。

うれしかった。

たまらなく。







【 タカラモノ 】

入手できたパーツを全て使い、可能な限り新車へと近づけた。

納車の前日、ガラスコーティングも施し、素晴らしい輝きになっていた。

クリオとの別れをするため、最後の試運転に出かけた。

組み上がったボディの状態を、実際に走ってチェックするという理由ももちろんある。

しかし、半年一緒に過ごした・・・汗かき、悩み、苦しみ、そしてなんとか仕上げた・・・

そんな気持ちの整理をつける意味の方が大きかったかもしれない。







いよいよ明日、オーナーに返すことになる。

「なんとかなったな・・・」

「なんかあれば いつでも来いよ」

「じゃあな」





オーナーは、このクルマのために新しくガレージを作られた。

入浴しながら眺められるガレージ。

素晴らしい!



・・・・・・・・・・ 深夜、クルマを眺めながら風呂に浸かる。

ボディはいつも輝くほどに磨きこまれている。

完全なガレージなので雨に濡れる心配はない。

乗れなくなった言い訳はいくらでもあった。

仕事。 家庭。

それはそれでいい。

そう思えるようになってきた。

しかし、やり切れない気持もいくらかある。

たまには自分で自分の頑張りを認めてもいいだろう。

睡眠時間は短くても、精神的に満たされるひと時があるほうがいい・・・。
若い頃は疲れていても走りに行っていた。

あてもなく。

夜道を、ただ走らすだけではあったが。

眠る欲求よりも、走る欲求の方が勝っていた・・・・・・あの頃。

思い出は、語り尽くせないほどある。

クルマをフランスから輸入した日・・・。

パーツもコツコツ集めてきた。

無事に届くのか心配になる。

交換作業も出来そうなところは自分でしてきた。

静まり返った深夜・・・パーツリストを開く。

リストを見ていると、なぜかワクワクする。

今度は、ここを換えようか・・・・夢が膨らむ。

外車の場合、海外業者とのやり取りがメインになる。

為替レートも気になってくるようになり、

「今は円安だが、そろそろ円高に向かうだろう・・・」

為替相場を予測するようにもなる。

そうやって、パーツを集めてきた。

やがて、いつしか乗るばかりが楽しみじゃないことに気付く。

維持していく楽しみというものもあるのだと。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






納車の日。

オーナーは嬉しそうに仕上がり状態を確認していた。

そして、私の方に歩み寄り、そっと手を差し出てくれた。

オーナーの手は温かく、オーナーの心がそのまま伝わってくるようだった。

すべての苦労が消し飛ぶ。

「やってよかった」

心からそう思えた瞬間だった。



_________________

新車です!

これ以外に何と言っていいのかわかりません。

すごく気をつかいます。

腫れ物に触るように接してます。

新車のフェラーリを路上駐車できる人もいるというのに、

自分はちっちぇーなぁと思いますが、僕にとってこの車はホントに宝物で、

その宝物が新品になって戻ってきたことが 嬉しくてたまりません。

毎日会社から帰っては、にんまりと車を眺めて、奥さんに笑われてます。(きっと犬も・・)

____________________



・・・・・ 作業した私にとっても宝物の1台。

車はオーナーの家にあるけれど、想い出はしっかり残っていますから。







やっと、またひとつ大きな仕事が終わった。

これでホッと一息つける・・・

なんとか身体を騙し騙し踏ん張ってきた。

しかし、まだ復帰するのは早かったようだ・・・・・。

納車して気が抜けたのだろう、症状をぶり返し、また入院してしまう。

3度目の入院。

看護師さん達とは、もうすっかり友達。

「まただよ・・・・よろしく」

激痛で苦しくもあったが、そんな言葉が言える心境になっていた。

開き直っていた。

死ぬのなら死ぬ。

もう、好きにしてくれ。

本当にそう思えた時、吹っ切れた。

欲。

こだわり。

恐怖。



それでも生きていた。

少しづつ快方に向かう。

そして、気付いた。

何の因縁か、こうやって生きている。

こんな自分にできることはなんだろうか?

できないことを嘆くのではなく、できることだけに全力を尽くそう。

たとえ小さな歩みであっても、なんの評価がなくても。

とにかく命あるかぎり、一生懸命生きるしかない。

生きたくても、生きられなかった命もあるのだから。







【 女の力 】

入院生活が長くなっていた。

ベッドで横になりながらテレビを見る。

「いい旅夢気分」という番組が好きだった。

のんびりと観光地を巡る・・・。

今日はボクシングの内藤大助選手が家族と旅に出るという内容だった。

王者の休日。

練習で忙しく、そしてお金もなかったらしく、久しぶりの旅行だと言っていた。

つかの間の安息。

しかし、そうであるからこそ充実して楽しんでいる様子が伝わった。

ボクサーという厳しい世界に生きる男を信じ、支え続けている夫人は素晴らしく素敵な人だった。

内藤選手のボクシングの才能を、夫人が見抜いて結婚したわけではないだろう。

将来、金持ちになるとか、有名になるとか、そんなことを計算していたわけではなく、

ただ純粋な気持ちから、一緒になっただけではないだろうか。



男は怖がりだ。

振り返れば、めげてしまう。

勝つためには前に進むしかないのに。

やさしい女は強い。

逆に言えば、強いからやさしい。

しかし、けして強さは見せない。

信じ、見守ることができる心の広さ。

そんな女には、もう観念するしかないだろう。

心から信じられている男は・・・・・

だから、どんな困難にも向かっていけるのだろう。







【 別れ 】

退院の日。

嬉しくて、売店のお姉さんに会いに行った。

売店の店員と客という関係ではある。

でも、ひと言お礼が言いたかった。

「オレ、落ち込んでいたけど、お姉さんと話していたら、なんとか乗り切れたよ。 ありがとう。」

「何言ってんだい。アンタが頑張ったんだよ。」

「お姉さん覚えてる? オレ最初、鼻から管出して、点滴しながらここに来てさ・・・

ロクに話すこともできなかったんだよね。

そんな時、なんでかよくわかんないけど、お姉さんに救われた感じがしたんだ・・・。」

子供への土産と称して、お菓子とジュースをまとめて買った。

子供はまだ2歳で、お菓子は食べられないのだが、そんなことはどうでもよかった。

今日が売店での最後の買い物・・・。

お姉さんはいくらか涙ぐんでいるようだった。

「ここに来る人は皆、最初はガックリしてるよ。 でもね、必ず良くなっていくんだ。

アタシはずっとそういうのを見てきたんだから・・・。 アンタも絶対に良くなるって、わかってたんだ。」

「そうなんだ・・・ありがとう。」

「これも、子供に持っていきな。」

お姉さんは、レジの横にあったチョコレートをプレゼントしてくれた。

「アンタ、お酒をよく飲むんでしょ。 ホント気をつけなよ。」

気遣ってくれた。

「うん。 そうするね。」

ほとんど飲まないのだが、そう答えていた。

お姉さんの言葉が、とても嬉しく感じられたのだった。

私は軽く頭を下げ、店を後にした。

お姉さんは顔をハンカチで拭いながら見送ってくれていた。







 病院の帰りに近所の書店に寄ってみた。

何の気なしに「ガレージのある家」という本が目に留まり、パラパラと見てみる。

「あのクリオが載っているではないか!」







深く付き合ってきたクルマだから、見た瞬間にわかる。

私のようなスタイルで修理をしていくと、たぶん、そうなるだろう。

同じ車種でも1台1台に、どこかしら個性がある。

それは、オーナーが貼ったステッカーかもしれない。

ホイールの擦り傷かもしれない。

ドアやフェンダーの隙間かもしれない。

・・・些細な違いかもしれないが忘れてはいなかった。







【 夏の終り 】

 孤独な闘いが、やっと終わった。

いや、けして孤独ではなかった。

知らないところで、気付かぬうちに、そっと見守っていてくれた人がいた。

ずっと信じ、待っていてくれた人がいた。

死を意識させられたとき、自分というものを見つめ直すこととなった。

命のはかなさを知り、一人で生きているのではないことを感じた。

そして、人の温かさ、優しさに気付くことができた。



 久しぶりにクルマに乗り、海岸に向かった。

海岸通りは、いつしか爽やかで乾いた空気に変わっていた。

波の音だけがやさしく聞こえてくる。

陽が沈む夕暮れ時、誰もいない浜辺に座り、遠く海を眺める・・・

波の響きに身をまかせながら。

夏の終り。








 【 RENAULT CLIO WILLIAMS 】  

          END


  __________  2008-09  yoshihisa style  __________

Posted at 2016/05/09 17:31:06 | コメント(2) | トラックバック(0) | Auto Repair Gallery | 日記
2016年01月25日 イイね!

GT-R Magazine126 「レストアの意義」 Part2 ☆ R32GT-R Evolution





2016/Jan 交通タイムス社GT-R Magazine126号「レストアの意義」に載せていただきました。
職人を引退してもなお、このようにして誌面に登場できたことは担当編集者さんをはじめとした編集部のGT-Rへの熱意があってのことと思います。
そして、なによりも6年前に作業を依頼してくださり、この度の取材に快諾してくださったオーナーさんとの出会いがあってのことでもあります。
さらには、現役時代から応援してきてくださった皆さんの励ましがとてもありがたいことでした。
それは、かつて作業の依頼をしてくださった方のみならず、飲み会、珈琲会、東北旅、神戸旅といったオフ会等で出会った方々のクルマに対する思いの数々がぼくの想い出としてあるからであります。
今回のGマガ掲載は、このような経緯がベースになっているものです。
出会い、交友、ご協力に心から感謝いたします。



さて、このR32GTRは2009年にボディ補強をメインにしたレストアを行ったもので、R32GTRのボディを進化させたもの、Evolution Modelと位置づけて作ったものです。
その具体的なボディ補強内容は、以下のような感じです。
・サイドシル周りの補強一式
・リヤクオーター周り、インナーパネルのスポット増し、パネル追加
・R34GTR用フロントフレームアウトリガーの組込み
・ルーフ~ドア枠周り~ガラス周り全周のスポット増し
・R34GTR用ルーフレインフォースの組込み、インナーパネルへのスポット増し
・リヤバンパーレインフォースの軽量化



それに加えて、通常どおりのレストアメニュー(記憶のあるかぎり)
・下回りシーリング、チッピングコート仕上げ
・サスペンションブッシュ一式入替え 
・防錆剤の各部注入
その他いろいろ・・・



サイドシルは部分的に補強パネルを追加するのではなく、まず、フロントフレームの付け根にアウトリガーを組込み、そこからリヤクオーターまでのキャビン全体の下支えを補強する構造となっています。
特にフロント側は5枚のパネルを合わせてあり、エンジンとサスペンションを支えるフロントフレームとの一体感を向上させるよう考えて作ったものです。
それに加えて、ドア枠周りから前後左右のガラス周り、ルーフ周り、そしてリヤ周りとスポット増しはキャビン全体に及んでいます。
オーナーさんが誌面でインプレッションを伝えてくださっていますが、700馬力ものエンジンを活かすには、やはり、それ相応のボディが必要になってくるものでしょう。
この車両にはロールケージを入れていませんが、もし、サーキットでのレースをメインにするのであったとしても、このような内部パネルからの追加溶接、補強パネルの追加は有効になってくると思いますし、ボディ各部の見直し(錆修理など)を行った骨格があってこそロールケージもより一層効いてくるものと思います。



Gマガ誌面にて、スポット溶接における溶接不良のことが紹介されていました。
このことに関して少し補足を入れておきましょう。
スポット溶接は瞬時に溶接ができる大変便利な溶接方法であり、現在の自動車作りのメインとなっている溶接方法です。
しかし、自動車メーカーのラインで行うスポット溶接と町の修理工場の設備で行うものとではその設備が異なり、意外とクセモノな一面ももっています。
つまりは、溶接できているようでいて溶接されていないという「溶接不良が起こり得ることがあり、そのクセモノであるという理由は溶接後の外観からは判別がつきにくいからであります。
それというのも、いわゆるスポット増し、パネル交換をしないで溶接点数を追加する作業においての不十分な溶着を何度となく見てきましたし、自らも経験してきたことがあるからです。
外観からは溶接焼けがあり、打痕もしっかりとある・・・・ しかし、パネル間にタガネを突っ込んでみれば、1~2ミリ程度しか溶着がされていないために割と簡単に溶接箇所が剥がれてしまう・・・・。
これでは仮止めの点付け溶接と変わらない・・・・たいして強化になっていない・・・・そのようなケースが散見されたものです。
その主たる原因はパネル間の電着塗料や錆が電気抵抗となっていることが第一番目。
そして、工場設備の電力不足が原因となるケースも意外とあるものです。
その対策として、Gマガ誌面に書いてありましたように、溶接時の通電時間や加圧力の調整は当然のこと、工場内で他の電気機器を使用していないときに溶接作業をおこなうというような配慮もしてきました。
塗装ブースや作業用リフト、コンプレッサーなどが稼動していると、そちらに工場内に引かれた電力が分散されてしまうからです。
ただ、一般的な作業レベルでは、ここまでこだわる必要はないと思います。
なぜならば、多少の電力低下があっても、スポット溶接機の設定によって基準を満たす溶接強度はいちおう確保されるからです。
ですが、このGT-RはEvolutionというスペシャルな位置づけでレストアしていったクルマですので、それにあわせて作業のすべてをスペシャルにしたいと考えていったものです。
スポット溶接の一発一発に気合を入れ、可能な限りの「工場内で出せるベストの電力」でもって作ってみたかったということであります。
絶対にというほどに溶接不良は起したくなかったですし、追加パネルを組み込んだことと、そして、溶接強度自体を通常の修理作業よりも向上させたかったからです。
そのために、塗装担当者が塗装ブースを使っていない時間帯に溶接作業を行ったり、居残りや休日作業をすることもあったものですが、ある意味、会社員として​求められる作業効率を度外視していたからこそ出来たものといえるのかもしれません。



*参考1*
もし、アフターでスポット増しの施工を考えている方に、ひとつアドバイス的なことを記しておくとすれば、それは、パネル間の電着塗料を「焼ききる」ということです。
また、パネル交換の際の防錆剤をあらかじめ薄く塗っておくのもポイントといえるでしょう。
特に、刷毛塗りタイプの防錆剤は塗りムラになりやすいので注意が必要です。
その場合、溶剤で希釈することも一法です。
いずれにしても、アフターのスポット増し作業とおなじように溶接時にパネル間の塗料を焼ききることがポイントです。
そうでないと、十分に強度ある溶着は得られません。



*参考2*​
​アウトリガーの取付けにしても、サイドシル強化にしても、ちょっと気の利いた職人であれば出来ることです。
ポイントとなるのは、その取付けの精度、強度、耐久性、そして美観のバランスとなるでしょう。
どれだけ、その取付け方法にこだわっているのか、高次でバランスできているのか、もちろん、価格や納期との条件や関係性もあることでしょう。
ですが、職人の意識の基本としては、よりよいモノを目指すということになると思います。





【R32GT-R Evolution】
目指したのは、R34GT-Rの軽量バージョン。
R32の外観を崩さずにボディ補強をしていくこと。
ロールケージのような「見える補強」は行わずに、しかし、体感のできる確実な剛性向上を目指す。
そのためには、見えない部分での溶接強度にこだわり、見えない部分での補強パネルにこだわり、結果としてトータルでボディのレベルアップをしていったものになっていると思います。
一番嬉しかったのは、今号掲載のオーナーさんの、このインプレッション。
『アクセルを入れたときにボディがそれに直結するように反応する・・・・ その効果はコーナーでも感じられ、大きく荷重がかかっても操作に対して修正舵を入れる必要がなく、常に運転に集中できます・・・・』
これほどまでに成果を伝えてくださるとは思っていませんでしたが、それは、オーナーさん自身の持つドライビングセンス、鋭くも豊かな感性の表れであると思いますし、それだけクルマの挙動と感覚について「違いがわかる」オーナーであったということだと思います。
「違いがわかる」には、それだけの実践経験を積まれてきたからともいえるものでしょう。
クルマ好きな方には色々なタイプいますが、日ごろから「走る」ということに注力されている人であるからこそ伝えられるインプレッションであり、その感性とあいまって、ご自分のクルマに対する愛着を長く育まれてきたということを示しているように思います。



~随想~
​このGT-Rを作業していた頃に​、ガス溶接をやめ、ハンダ盛りをやめ、そしてMIGとスポット溶接をメインに切り替えていった​と思います​。
それは、新型の設備​や​機器という作業技術の進歩​という見方​もで​きるでしょう。
しかし、その一方では、古くからのやり方をしてきた職人たちを暗に否定することにもな​っていたのかもしれず、​であれば、​ときに、彼らのキャリアあるプライドを傷つけることにもなって​いたのかもしれません。
どこの職場でもあることとは思いますが、職人と職人の水面下でのライバル意識というものは、仕事に対してのこだわりが強くなればなるほど、その意識の高まりは熾烈になってくるものなの​でしょう​。
それが、お互いの技量を伸ばす方向に昇華​していくのであれば理想​的な関係となるのでしょうが、そうはならないことも少なからずあ​ることであり、それもまた、なにかの縁というものなのでしょう。
高度成長期、今よりもずっとクルマが夢であり憧れであった時代に、ぶつけて壊れたクルマ、廃車になるようなクルマを救っていったのは当時の職人達の知恵と努力のおかげです。
彼らの意志​と技術​なくしては​自動車修理業の発展はなかったはずです。
ある意味、礎となり、その土台を担ってこられたのだと思います。
​しかし、時代というものは進化し続けていくことを​​求められ​、けして留まることはできないもの​なの​でしょう​。
​新しい方向へと進んでいくことが​、​より多く​の人にとって​幸せを感じるものにな​っていくのであれば、その進化の流れにのっていくことが自然であるように思うものです。



それは、ぼくにとっても同じことで、だから、持ち続けてきた職人のプライドのようなものは手放して​いきたい​​。
ぼくがやってきた​ような​ことはアタリマエの時代になり、遥かに超えていくことが​、ある意味、​進歩のひとつのカタチである​と、そう思っています。
それは、喩えれば、「食っていくためには仕方​が​な​い」​というような​ハングリーな時代からの成長でもあることでしょう。
そして、自己表現の楽しさや、分かち合い、広く幸せのためにという、人と人のつながりを創っていく・・・・そんな時代に移りつつあるように思う​も​のです。
もしかしたら、いまが、まさにその葛藤のさなかにいる状況なのかもしれません。
各地で頻発する、主義や信条の争い​ごともそうですが、ひとりひとりが出来るところからの対処、もっと小さなレベルからの、身近な​人間関係から見直してい​くことによって、そのような、つながりの意識は広がっていくのではないでしょうか。



もし、それが旧来の常識を否定することによって​成り立っていくものだとすれば、一時的にでも葛藤のプロセスを経験していくことが然るべきことなの​かもしれません。
自動車修理でいえば、イ リュージョンテクニックも溶接にこめた一発一発の熱意も、アタリマエのこととなっていく。
そして、もっと容易で、もっと綺麗で、より完璧な作業がそこらじゅうの町工場でアタリマエになっていく・・・・。
そうであってこそ、日本の自動車修理業界全体のレベルがあがっていくことになる​と思いますし、クルマ好きな人達が安心してクルマ趣味を愉しみ続けていくことができるのではないかと思います。
だから、これからの自動車修理職人は、ぼくがやってきたようなことを踏み台にし、むしろ、蹴っ飛ばすくらいであって欲しい。
「ああいう仕事は、どこでもアタリマエにやっていることだよー」、そんな日が来てくれることを願っています。
外観の見てくれよりも強度​やオリジナリティ​を重視し、万一のときにも可能な限り踏ん張ってくれるような、そんなボディ作りや事故車修理がアタリマエの時代となることを。
​そして、さらには、もっともっと個性的な仕事、一台一台が輝く作品のように仕上がっていく仕事、そんな時代になって欲しいと思っています。​



先日、オーナーさんに言われた​ことがあります。
『あの頃のヨシヒサさんは鬼気迫るものが感じられていましたよ・・・・。』
自覚は​ありませんでしたけど、言われてみればそうだったかもしれ​ません。
​そのように感じられたのは、それは、ぼくがクルマを直すという仕事そのもの以外にも​抱えていることが​他にも​​あった​からなのかもしれません。
でも、だからこそ、クルマに真剣に向き合おうという気持ちが高まっていたのだとも思います。
こういってはなんですが、いま振り返ってみて、​あの環境​下​でのベストは尽したと思います。
​完璧には至らなかったとしても、少なくとも持てる​限界まではやってみたつもり​です​。
​だからこそ、​ここまでやらせてくれたオーナーさん​を​​はじめ​、協力してくれた工場の仲間、社長には心から感謝しています。
​修理技術のパフォーマンスと、完成度をどこまで高めていけるのか・・・・、その挑戦、チャレンジであったと思います。
ときには、無理をかけたりしたこともあったと思います。
良くも悪くも、チャレンジするということの裏には、そういった側面も少なからずあるものなのかもしれません。
ですが、いずれにしても、人それぞれに、さまざまな思いをのせて、一台一台が仕上がっていくものだと思います。
このたび、約6年越しに、その結果が実り、幸運にもGTRマガジンという有名な専門誌に掲載していただけたのだと、そう思っています。
それは、読者の方々にしてみれば、たった一台のGTRのレストア記事であるかもしれません。
でも、このようなレベルのGTRを完成させるのに、裏で、どれほどの思いを積み重ね、またぶつけあってきたのか・・・・。
それは、GTRというクルマに惚れ込み、悩んだ末に作業を依頼し、海のものとも山のものともわからない職人と向き合ってこられた人でないと、その真意と価値のすべては伝わらないものなのかもしれません。
また、それは、作業を行ったバックヤードの職人達に対しても同じことだと思います。
オーナーがどれほどの思いをもってオーダーしてくるのか・・・・、その真意を理解するよう努力しなければなりませんし、そして、なによりも、その技術に価値を見出してくれているということを、もっと受け取っていく必要もあるのだと、そう思います。
つまりは、完成したクルマの背景にある、そういった見えない部分での「思い」の結実。
結果とは、そういうものであるように思います。



あとは、質実の充実したオリジナリティを追究している職人にバトンを渡していきたい​。
​いまは、技術の片鱗をネットで自由に見ることができるようになってきています。
そんな意志ある​職人達にとって、ぼくのサイトが、なにかしらの参考になればと思うものです。
そして、これからも、GT-Rをはじめ、クルマを愉しまれている方々に、せめて気持ちだけでも寄り添っていけたならばと思っています。
yoshi



Tuned by T.R
Power:718PS Trq:80kgm (Dyna Pack)
N1ブロック
純正クランク
ニスモF112メタル
Brian crowerコンロッド(I-beam)
HKS step2 鍛造ピストン(87Φ)
ARP コンロッドボルト
Tomei ガスケットキット
Tomei オイルラインオリフィス
Tomei オイルパンバッフルプレート
燃焼室加工(Hi-boost対応)
バルブガイド入れ替え
バルブシートカット
Tomei Procam 270°IN/EX
Tomei バルブリフター
バルブクリアランス
スペシャルバルブタイミング
点火時期
ポート研磨
Reimax オイルポンプ(対策品)
N1ウオーターポンプ
GCG GTX3582R タービンキット
800ccインジェクター(海外品)
燃料ポンプ(海外品)
BNR32純正イグニッションコイル
BNR32純正パワトラ
HKS F-con Vpro
HKS スーパーパワーフロー
ワンオフインテークパイピング
Trustインタークーラー spec-R (L=710mm)
ワンオフフロントパイプ
amuse R1チタンマフラー(90Φ)

【駆動系】
BNR34 純正ゲトラグミッション
Tomei 3.692ファイナル
ATS トリプルカーボンクラッチ
Nismo 純正LSD OHキット
Hicasレス

【ボディ関係 】restored by Mr.yoshihisa
ボディ3次元計測
レストア/補強/全塗装
サイドシル交換・1.2mm補強板追加
リアフェンダー左右交換
ルーフ交換
各部スポット溶接追加
フロントフレーム補強板(34用アウトリガー)追加
ルーフ補強板(34用)追加
前期ドア
NISMO 補強バー(トランク内リア)
リア周りフロア補修、軽量化

【足回り関係】
NISMO アーム/ブッシュ、フル交換
NISMO サーキットリンク
NISMO スタビライザー
NagisaAuto フロントアッパーアーム
クスコ ピロテンションロッド
クスコ リヤアッパーアーム
クスコ リヤトラクションロッド
MF-R 強化タイロッドエンド
OHLINS DFV(F:10k R:8k)

【ブレーキ】
Brembo Fr:F50(343mmRDDローター)
Rr:34後期(322mm)
Pad: ENDLESS MX72

【ホイル/タイヤ】
RAYS TE37 SL 2012limited 18inch 10.5j+22
ADVAN sports v105 (255/35/18)

【セキュリティ】worx auto alarm

上記スペック一覧:オーナーさんのサイトより引用させていただきました




                     【Special Thanks】

                     GT-R Magazine

                     hiro@R

                     
                                                    
Posted at 2016/01/25 17:35:55 | コメント(1) | トラックバック(1) | GT-R Magazine | 日記

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「Speed Groove. BNR32 GT-R Silver Wolf http://cvw.jp/b/2033345/48461825/
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