
父が旅立って1年経ちました。
昨年末に
短い闘病について記載し、春に
葬儀の件を書いて、そこで「思い」について夏までには記すと書いたのにも係わらず、夏になり、秋を越して冬になってしまいました。
節目ですので、ここで記載しておきます。
しばらくは毎晩のように父の事を思い出してはある事を思っていました。
「人はいずれ死ぬ」
祖母が亡くなったのが約20年前で、そこから親族の弔事がまったくなく「死」という事からしばらく遠ざかって生活していました。
身近な人の死は自分の死を想像させるに十分なインパクトがありました。
「死」についていくら考えても解らない。解らないから恐ろしい。
恐ろしいから宗教などに救いを求めるのであろう。
(教会で葬儀しましたが、我が家はたぶん浄土真宗だと思います)
それも悪くはないが、私にはそういった選択肢はなかった。
初夏の頃に私の中である結論を出した。
人はどこからも来ないしどこにも行かない。
ただ、生まれ死ぬ。
現象的に発生しそれが終わるのみ。
ただ、その生の間に何をするか。
私は人間が他の生物とは違うのは、遺伝子以外にも意志や考え方など他の生に繋ぐことができる能力だと思う。
誰にどのように何を残すかが重要なのではないだろうか。
私は父の遺伝子を受け継ぎ、子に継承したが
それだけでない私が生きた断片を残していきたい。
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ちと固苦しい感じになってしまいましたが、
その他、2点ほど色々と考えた事があったので記しておきます。
父が入院している時に叔父(父の弟)も入院しました。
悪性リンパ腫で余命1ヶ月。
父にこの事を告げるかが非常に難しい問題でした。
また、叔父が先に亡くなった場合はその事を告げるか。
結局は、父には何も告げませんでした。
正解だっかのかどうかは今でも解りません。
叔父は父が亡くなって約20日後年明け1月3日に亡くなりました。80歳。
これを読んでいる方ならどのようにご判断されたでしょうか?
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もう1点は「緩和ケアは道半ば」という事を思い知らされた事です。
父には苦しまず旅立って欲しかったのですが、残念ながらそのようにはなりませんでした。
多臓器に癌が転移してしまった為、単純に痛みを取るだけではうまくいきませんでした。最初は良かったのですが、痛みを取ると息苦しさが出てしまったり、モルヒネの量もなかなか難しいようです。最終的には鎮静(意識を無くす)状態にする薬を入れましたが、それでも苦しそうでした。
希望していた在宅でのケアも出来ませんでしたし...精神的にも肉体的にも厳しい状況だったかと思います。まだまだ希望通りにはならないというのを痛感しました。
Posted at 2017/12/12 12:28:54 | |
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