
Lamborghini Espada (Bertone)
発表:1968 Geneva Auto Show
出力:3,929cc / 325bhp
重量:1480kg
皆さんこんにちは!ガンディーニの部屋第二弾は?ランボルギーニの黄金期を支えた4シーター量産モデル、1968-1978の間1227台生産されランボルギーニのベストセラーとなった、エスパーダです。ガンディーニがミウラの次に模索したニューカーのディティールを余すところなくご紹介いたします。
さて、イキナリですが、、ガンディーニはミウラをはじめ車名を凝ったロゴにしてバッジしてますが、エスパーダはスペイン語で剣!左右リアフェンダーに取付けられたこれです!、右と左で違うんですよ!ノーズに向けた剣をモチーフとした巧妙なデザインです。。
このブルーのエスパーダはシリーズ2です
エスパーダのデザインの素はちょうど1年前1967年3月ジュネーブショーでお披露目されたマルツァルであると言います。ランボルギーニの4人乗りという構想はフェルッチオのオーダーです。未来的なガルウィングドア、エンジンの位置は後車軸よりやや後方ですがいちおうミッドマウント! ゆったりとした4座、薄いノーズ周りと長いボンネット、サイドラインと全体のフォルムはエスパーダも同じです。
このショーモデルを原型としたもう一つのクルマが同年10月のロンドンショー(アールズコート)で発表されたジャガー・ピラーナです。1968-1971少年マガジンに連載されたタイガーマスクの愛車はエスパーダではなくピラーナだそうです。実体験としてはほぼ無かったですが・・・
参考ブログ→
伊達直人さんの車
そしてピラーナの長いボンネットと緩やかなスロープのファストバックスタイルを特徴としたこの形状は、ほぼそっくりエスパーダに受け継がれたと考えて間違いないでしょう。実は最初に紹介した剣をモチーフとしたロゴデザインだってピラーナで既に使っていたのです・・・。できたての頃には無かったはずですが、少し後に付けたようです。
ピラーナはショーのためだけに6ヶ月で製作されたワンオフモデルですが、完全な製品として今でも健在です。モータートレンド誌が当時の様子を記事にしています。
モータートレンド誌のサイト→
1967 Jaguar Bertone Pirana Coupe Classic Drive
マルツァルの提案から一年後、1968年3月ジュネーブショーでエスパーダは発表されました。ガルウィングドアは長いスパンの2ドアに換えられクーペながら4人の大人が乗るのに十分なスペースの座席を備え、革張りのインテリア、エアコン、パワーウィンドウなどすべてがラグジュアリーでした。
ブルーのエスパーダの内装 シリーズ2です
実はピラーナの発表の後、フェルッチオの願いに応えるためプロトタイプの制作がされていました。そのプロトタイプではフェルッチオがマルツァルでドアの下半分がガラスで透け透けなのをとても嫌っていたので、ガルウィングを採用しながらもガラス部分は普通に上半分とし、ガラス全部を上下させるとその機構が大掛かりとなるので、軽量化のため先端の一部が開く方法を取った。エンジンの冷却と大量の空気を取り入れるためフェンダーに大きくエアダクトを設け、ヘッドライトはバンパーを切りかいて丸形4灯とし、ほぼエスパーダと同様のマスクでした。
ところがそもそも車重が重たくなるガルウィング式をフェルッチオは気に入らなかったようです。やっぱりふつーのドアにして再設計されたんですね。。。そのとき、ガンディーニはせっかくの新しい提案をなぜ気に入ってくれない??と少々ふてくされ気味にピラーナでの要素をそのまま流用したんでしょうね。。。。きっと(笑)
エスパーダはオプションでポータブルテレビとミニバーを装備したVIP仕様も販売されたそうです。ちなみにポータブルテレビはイタリアのブリオンウェガ社製で有名なマルコ・ザヌーソ(Marco Zanuso)とリヒャルト・ザッパー(Richard Sapper)によるもの。

この情報はこちらのブログから頂きました。
参考ブログ→
brionvega Algol in Lamborgini
ガンディーニはスリットやパターンの繰り返しを多用します。マルツァルの前後バンパーには縦に凸凹。エスパーダのリアウィンドウにも縦にスリットが設けられました。この縦スリットはシリーズ2以降廃止されますがエスパーダの素敵なポイントだと思います。たくさん検索しましたがシリーズ1でも初期の個体にしか付いていないようです。
こちらがシリーズ1
また、量産車では少しでもコストを下げるため他のクルマからパーツを流用することはよくある事です。ミウラの起き上がるヘッドライトもジウジアーロがデザインした850スパイダーから拝借しました。エスパーダではリアのコンビネーションランプを124クーペから拝借。124スポーツクーペは1967年フィアットの元で仕事したマリオ・ボアノによるデザインでした。
元ソース: http://californiastreets.blogspot.jp/2014/03/san-francisco-street-sighting-1969-fiat.html
他にも初期型だけが持つ素敵なアイテムが六角形の繰返しで形作られたダッシュボード+インストルメントパネル部分です。これはマルツァルでのデザイン要素が反映されたに他ならないでしょう。マルツァルではステアリングのデザインにも六角形が使われますが、このステアリングはワンオフモデルのミウラ・スパイダー(のちのZN75)にも採用されてます。つまりガンディーニは六角形の繰返し、ハニカム構造のスリットやパネルなど大好きです。
シリーズ1です
マルツァル、エスパーダはモナコGPに縁があります。フェルッチオが仕掛けたPR作戦として1966年のモナコGPにミウラを持ち込んだのがきっかけです。(マルツァルのリアエンド左側にある不思議なマークはモナコの何かからきているのかな...と調べても分かりませんでした)
1967年5月のモナコGPではペースカーとしてマルツァルが登場。グレース公妃を乗せたマルツァルはモナコ大公(レーニエ3世)のドライブでコースを周回しました。レーニエ3世はカーマニアとして知られモナコGPでのオープンカーパレードはお決まりらしい。1969年5月のモナコGPでは発売されたばかりのエスパーダに乗ります。生産型との違いはグラストップとミウラスパイダーと同じスカイブルーメタリックの塗装です。
アメリカに連れて行かれたランボルギーニが45年ぶりにヨーロッパに戻ってきたニュースの記事(アルベール二世は当時まだ11歳?)→
ニュースの記事
モナコグランプリ1969の模様(Youtube)→
Monaco GP 1969 - Race Day
$214,500で買い戻したようです!
とても市場価格からかけ離れているので問題だ!と言っております...
ということでランボルギーニ・エスパーダは揉みに揉んだ(揉まれた?)初期の傑作なのであります。動力性能においても、この当時の4シーターラグジュアリーで最高速度245km/hはなかなかないですし、、同年のコルベットスティングレー211km/h、1967 アストンマーチン DBSで225km/h ジャガーEタイプでも240km/h...なかなか4シーターで出す速度じゃないですね。
ちなみにシーリーズ3は?といいますと、これもダッシュボードの変更と、リアコンビネーションランプの変更、専用のホイールと、エンジンに多少のチューンナップがされ(350ps/7500rpm)最高速も250〜260km/hと書かれている場合が多いです。対米向けにも多数生産され5マイルバンパーを装備するモノもあります。
元ソース:Almost perfect, tastefully/thoughtfully modified Lamborghini Espada for sale
シリーズ3の対米仕様です
やっぱり初期型が美味しそうですね(^^)
最後におまけのニュース!
マルチェロ・ガンディーニ、ジュネーブで特別功労賞を受賞!
いまさらですが3月10日ジュネーブショーにてマルチェロ・ガンディーニが特別功労賞なるものを授与されたそうです。あれ?まだまだ現役じゃないんですかね?そろそろもらう頃?
喜びのインタビュー記事はこちら→
Marcello Gandini receives Car Design News Lifetime Achievement Award
Auguri!
Ciao!!
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ガンディーニの部屋 | クルマ
Posted at
2014/05/18 20:52:15