
Renault Super 5 (Bertone)
発表:1984 Salon de l'Auto
出力:956-1,397ccTurbo / 44-120bhp
重量:695–850kg
皆さんこんにちは!ガンディーニの部屋第三弾は?ルノーの大ヒット作5(サンク)の第二世代、こちらも大々的ヒット作となった5(シュペールサンク)です。
タイトルの画像ではあえてガンディーニがどのようにリデザインしたのか解るように初代サンクが一緒に映った写真です。なんだ、ほとんど同じじゃないか、って?
確かに私もその不思議を追求したかったのです。シトロエンではGSとCXの間の車格を埋める後継車、としてあのガンディーニらしいBXを提供した訳ですよね?何故ルノーにはガンちゃん節を散りばめなかったのでしょうか?



上がGSで下がCXどちらもCITROËNのシトロエンのチーフデザイナーロベール・オプロン(Robert Opron)
の率いる社内チームでデザインされました。しっかりした共通のスタイルがあります。
ガンディーニはシトロエンとしては新しい車格、カテゴリーだったのでコンセプトカーボルボ・ツンドラプロトタイプのツンドラのイメージをそのままぶつけて、、




おっと、ここはルノー5の新型についてでした。まずは2代目サンクの概要から。
1984.10月パリサロンにてデビュ。1984-1996の間約400万台も生産され商用版のエクスプレスとともに小型大衆車として多くの人に愛された車です。構造的には初代が縦置き四気筒だったのをより現代的に横置き4気筒としました。ジアコーサが横置きのFF車を開発後、縦置きのFFは古いですよね。スペース効率的にエンジンとトランスミッションを横々に置けば足元はスッキリ、フロントミッドシップも可能です。
当初は3ドアのみでしたが1985年5月に5ドアが追加されました
2代目サンクの開発は発表の6年も前1978年春に140プロジェクトとしてスタートしました。前提条件として初代で世界初採用となった樹脂バンパーの開発がありました。トランクへの荷物の出し入れで塗装が傷つくことを防ぐため樹脂製パーツは自ずと荷室下の高いラインまで上げる必要がありました。初代サンクがあまりにもヒットしたため、すべては顧客とのモニターチェックが必要になり、原寸のスケールモデルを用意するなど非常に高価になると予想されました。
そこでルノーの会長であったバーナードハノン氏(Bernard Hanon)はこのプロジェクトのためにマルチェロ・ガンディーニを呼ぶことにしたのです。ガンディーニの使命はルノー5の生産ラインを近代化すること。生産ラインを新たに構築するわけですからそれは長期にわたるビックプロジェクトです。そして最大の変更点、横置きパワートレーンに変更する際、ガンディーニはボンネットをより低くできるよう、フロントサスペンションをトーションバーからストラット式に変更したのです。1984年9月にシュペールサンクの準備が整いました。




先代の5サンクは社内デザインチームによるものでミシェル・ブエ(Michel Bouë )が担当しましたが、彼は完成したサンクを見ることなく1971年に癌で亡くなりました。彼は通常業務の傍らでルノー4の後継車のデザインコンペに参加しルノーにプレゼンしたのです!カーデザインについて歴史を紐解く事を生きがいにしているFacebookユーザーによれば、イザベルグローインスカイの下で色彩と素材部門のカラーリストだったから、彼のその他の自動車に関わるデザインは探しても出てこないです。ルノーの幹部がその仕事を知った時、彼のコンセプトに非常に感銘を受け、彼らはすぐに正式な開発プログラムを承認しました。亡くなったのは彼の設計がおおやけになり発売される数ヶ月前とのことです。ここが重要なポイントです。これだけのヒット作品をどんなカタチにするのか?


それはガンちゃんだってよく知っています。オリジナルを保ちつつ改良です。そうに決まってます。写真を見て思います、やっぱり一流ですよね。なんの違和感もない新しいサンク。急勾配のリアハッチ、愛らしい目をしたフロントマスクもほぼそのままです。前モデルと共通のアイデンティティ。新しいボディはより広くより長くなりガラス面積が20%増加し、室内スペースが増加、でも誰が見ても5です。だからカクカクした稜線を用いたガンディーニ風、疾走するイメージのリアホイールアーチだって使いません。ブエ氏への追悼の意も込めて。。そこは大人にジェントルに。。私はそう感じます。


工業デザインなんて門外漢なのに多感にトライするブエ氏、作業の多くは社内デザインチームのサポートなしでは無理だったでしょう。
誰ですか?ダイハツ・エッセがサンクに似てるなんて言ったのは?似てたって同じじゃないですから!エッセの担当スタイリストに失礼ですぞー
このルノーの新型5にまつわるガンディーニとのデザイン提携は調べていくともっと遡ります。このプロジェクトは1978年から始まっていました。前任のミシェル・ブエは1978年に夭折したのですから、運命の巡り合わせです。生きていればガンディーニの2つ年上です。
1972年から発売されている5には幾つかの派生モデルがありました。このクルマをベースにWRCグループ4のホモロゲーションを獲得するため5ターボが開発されました。デザイナーはもちろんブエ氏亡き後、ルノーとの専属契約をかわしたマルチェロ・ガンディーニ氏です。
ただし全部がガンディーニの功績として万歳するのは私がガンディーニ贔屓だからです。エコひいきはいけませんRenault5turboがガンディーニのデザインだとしている記事は多いですが詳しくはちょっと違います。
もともとこのプロジェクトはルノーがターボエンジンを積んでF1で大活躍した事がキッカケとなります。
ルノーは「プロジェクト822」と呼ばれる計画により、世界ラリー選手権への参戦も目指していました。先見の明を持っていたジャン・テッラモルシは、1976年に既にプログラムを始動していました。
ところがその成功を目にすることなくジャンは他界(悲)なぜここまで因果に満ちたストーリー。。のちにル・マンで優勝経験のあるジェラール・ラルースがその後を引き継ぎました。
スタイリングはルノー社内のディレクションによりベルトーネ社が担当しました。最大のキーイメージとなったのはのちにガンディーニの後任としてベルトーネのスタイルディレクターとなるデザイナーのマルク・デュシャンによるデザインスケッチです。


ルノー5のシルエットをほぼそのままにブリスター風のオーバーフェンダーでトレッドを拡大
デザインスケッチは5月に完成し、数ヶ月を掛けてマルチェロ・ガンディーニがプラスターモデルを仕上げました。そして、ジャンが1976年8月に心臓を患い命を落とした1ヶ月後、ルノー5ターボのプロトタイプが完成したのです。
フランスのコーチビルダー、ヒューリエ(Heuliez)社がルノー5ターボの量産モデルを全世界へ届ける仕事を請け負いました。
サンク・ターボのスタイリングはオリジナルをベースにトレッド長1345/1475 mm
ホイルベース2430mmと左右に85mmほどリアホイールが外に出て、前後車軸の間隔が20mm長いというもの。車幅が16cmも広いけれど5のイメージを崩さずポルシェ930ターボばりのブリスターフェンダーと大きなエアインテークで武装した感じです。

車重970kgに対しエンジン出力は160馬力。1976.10月のパリサロンでお披露目されたときには、まさかこれが量産モデルとして販売されるとは、誰もが考えなかったでしょう。
ガンディーニが最終的に石膏モデルを作って販売されるサンク・ターボのカタチを作ったのですから、彼の作業とするのは間違っていませんが、このイメージはほぼデュシャンがイラストに描いたものを忠実に再現していると言えます。平面の絵を実際立体化する場合、平面で見えなかった面の部分のボリュームやシェイプは、実際のスタイリストに依るのですけどね。
内装は初期モデルのターボ1に限ってはイタリアの建築家でデザイナーのマリオ・ベリーニが担当しましたがその色彩と近未来的なインストゥルメントパネルは正にショーカーとしか思えないもので、非現実がかさなるようなこのサンク・ターボのハンドルを握る最初の1820台のオーナーになれた人は、さぞかし満足だったと思います。だってベリーニって人はオリベッティ社のタイプライターや計算機を開発した経歴を持つ超人気のデザイナーですから〜。
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ガンディーニの部屋 | クルマ
Posted at
2020/09/04 16:56:26