• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

horry_tのブログ一覧

2020年09月04日 イイね!

ルノー5(シュペールサンク)1984

ルノー5(シュペールサンク)1984Renault Super 5 (Bertone)
発表:1984 Salon de l'Auto
出力:956-1,397ccTurbo / 44-120bhp
重量:695–850kg


 皆さんこんにちは!ガンディーニの部屋第三弾は?ルノーの大ヒット作5(サンク)の第二世代、こちらも大々的ヒット作となった5(シュペールサンク)です。

 タイトルの画像ではあえてガンディーニがどのようにリデザインしたのか解るように初代サンクが一緒に映った写真です。なんだ、ほとんど同じじゃないか、って?
 確かに私もその不思議を追求したかったのです。シトロエンではGSとCXの間の車格を埋める後継車、としてあのガンディーニらしいBXを提供した訳ですよね?何故ルノーにはガンちゃん節を散りばめなかったのでしょうか?

alt

alt

上がGSで下がCXどちらもCITROËNのシトロエンのチーフデザイナーロベール・オプロン(Robert Opron)
の率いる社内チームでデザインされました。しっかりした共通のスタイルがあります。

ガンディーニはシトロエンとしては新しい車格、カテゴリーだったのでコンセプトカーボルボ・ツンドラプロトタイプのツンドラのイメージをそのままぶつけて、、

alt

alt

alt

alt

 おっと、ここはルノー5の新型についてでした。まずは2代目サンクの概要から。

 1984.10月パリサロンにてデビュ。1984-1996の間約400万台も生産され商用版のエクスプレスとともに小型大衆車として多くの人に愛された車です。構造的には初代が縦置き四気筒だったのをより現代的に横置き4気筒としました。ジアコーサが横置きのFF車を開発後、縦置きのFFは古いですよね。スペース効率的にエンジンとトランスミッションを横々に置けば足元はスッキリ、フロントミッドシップも可能です。
 当初は3ドアのみでしたが1985年5月に5ドアが追加されました

 2代目サンクの開発は発表の6年も前1978年春に140プロジェクトとしてスタートしました。前提条件として初代で世界初採用となった樹脂バンパーの開発がありました。トランクへの荷物の出し入れで塗装が傷つくことを防ぐため樹脂製パーツは自ずと荷室下の高いラインまで上げる必要がありました。初代サンクがあまりにもヒットしたため、すべては顧客とのモニターチェックが必要になり、原寸のスケールモデルを用意するなど非常に高価になると予想されました。

 そこでルノーの会長であったバーナードハノン氏(Bernard Hanon)はこのプロジェクトのためにマルチェロ・ガンディーニを呼ぶことにしたのです。ガンディーニの使命はルノー5の生産ラインを近代化すること。生産ラインを新たに構築するわけですからそれは長期にわたるビックプロジェクトです。そして最大の変更点、横置きパワートレーンに変更する際、ガンディーニはボンネットをより低くできるよう、フロントサスペンションをトーションバーからストラット式に変更したのです。1984年9月にシュペールサンクの準備が整いました。

alt

 先代の5サンクは社内デザインチームによるものでミシェル・ブエ(Michel Bouë )が担当しましたが、彼は完成したサンクを見ることなく1971年に癌で亡くなりました。彼は通常業務の傍らでルノー4の後継車のデザインコンペに参加しルノーにプレゼンしたのです!カーデザインについて歴史を紐解く事を生きがいにしているFacebookユーザーによれば、イザベルグローインスカイの下で色彩と素材部門のカラーリストだったから、彼のその他の自動車に関わるデザインは探しても出てこないです。ルノーの幹部がその仕事を知った時、彼のコンセプトに非常に感銘を受け、彼らはすぐに正式な開発プログラムを承認しました。亡くなったのは彼の設計がおおやけになり発売される数ヶ月前とのことです。ここが重要なポイントです。これだけのヒット作品をどんなカタチにするのか?

alt

alt

alt

alt


 それはガンちゃんだってよく知っています。オリジナルを保ちつつ改良です。そうに決まってます。写真を見て思います、やっぱり一流ですよね。なんの違和感もない新しいサンク。急勾配のリアハッチ、愛らしい目をしたフロントマスクもほぼそのままです。前モデルと共通のアイデンティティ。新しいボディはより広くより長くなりガラス面積が20%増加し、室内スペースが増加、でも誰が見ても5です。だからカクカクした稜線を用いたガンディーニ風、疾走するイメージのリアホイールアーチだって使いません。ブエ氏への追悼の意も込めて。。そこは大人にジェントルに。。私はそう感じます。

alt
工業デザインなんて門外漢なのに多感にトライするブエ氏、作業の多くは社内デザインチームのサポートなしでは無理だったでしょう。

 誰ですか?ダイハツ・エッセがサンクに似てるなんて言ったのは?似てたって同じじゃないですから!エッセの担当スタイリストに失礼ですぞー


 このルノーの新型5にまつわるガンディーニとのデザイン提携は調べていくともっと遡ります。このプロジェクトは1978年から始まっていました。前任のミシェル・ブエは1978年に夭折したのですから、運命の巡り合わせです。生きていればガンディーニの2つ年上です。

 1972年から発売されている5には幾つかの派生モデルがありました。このクルマをベースにWRCグループ4のホモロゲーションを獲得するため5ターボが開発されました。デザイナーはもちろんブエ氏亡き後、ルノーとの専属契約をかわしたマルチェロ・ガンディーニ氏です。

 ただし全部がガンディーニの功績として万歳するのは私がガンディーニ贔屓だからです。エコひいきはいけませんRenault5turboがガンディーニのデザインだとしている記事は多いですが詳しくはちょっと違います。

 もともとこのプロジェクトはルノーがターボエンジンを積んでF1で大活躍した事がキッカケとなります。

 ルノーは「プロジェクト822」と呼ばれる計画により、世界ラリー選手権への参戦も目指していました。先見の明を持っていたジャン・テッラモルシは、1976年に既にプログラムを始動していました。
 ところがその成功を目にすることなくジャンは他界(悲)なぜここまで因果に満ちたストーリー。。のちにル・マンで優勝経験のあるジェラール・ラルースがその後を引き継ぎました。

 スタイリングはルノー社内のディレクションによりベルトーネ社が担当しました。最大のキーイメージとなったのはのちにガンディーニの後任としてベルトーネのスタイルディレクターとなるデザイナーのマルク・デュシャンによるデザインスケッチです。

alt
ルノー5のシルエットをほぼそのままにブリスター風のオーバーフェンダーでトレッドを拡大

 デザインスケッチは5月に完成し、数ヶ月を掛けてマルチェロ・ガンディーニがプラスターモデルを仕上げました。そして、ジャンが1976年8月に心臓を患い命を落とした1ヶ月後、ルノー5ターボのプロトタイプが完成したのです。

 フランスのコーチビルダー、ヒューリエ(Heuliez)社がルノー5ターボの量産モデルを全世界へ届ける仕事を請け負いました。

 サンク・ターボのスタイリングはオリジナルをベースにトレッド長1345/1475 mm
ホイルベース2430mmと左右に85mmほどリアホイールが外に出て、前後車軸の間隔が20mm長いというもの。車幅が16cmも広いけれど5のイメージを崩さずポルシェ930ターボばりのブリスターフェンダーと大きなエアインテークで武装した感じです。
alt

alt


 車重970kgに対しエンジン出力は160馬力。1976.10月のパリサロンでお披露目されたときには、まさかこれが量産モデルとして販売されるとは、誰もが考えなかったでしょう。

alt


alt


 ガンディーニが最終的に石膏モデルを作って販売されるサンク・ターボのカタチを作ったのですから、彼の作業とするのは間違っていませんが、このイメージはほぼデュシャンがイラストに描いたものを忠実に再現していると言えます。平面の絵を実際立体化する場合、平面で見えなかった面の部分のボリュームやシェイプは、実際のスタイリストに依るのですけどね。

alt
alt

 内装は初期モデルのターボ1に限ってはイタリアの建築家でデザイナーのマリオ・ベリーニが担当しましたがその色彩と近未来的なインストゥルメントパネルは正にショーカーとしか思えないもので、非現実がかさなるようなこのサンク・ターボのハンドルを握る最初の1820台のオーナーになれた人は、さぞかし満足だったと思います。だってベリーニって人はオリベッティ社のタイプライターや計算機を開発した経歴を持つ超人気のデザイナーですから〜。

alt

Renaultサンクの派生モデルその他ディティールはまだ書けそうですが、私の疑問が解けたところで、そろそろお終いにします。

あっと、恒例の当時のコマーシャルVTRを見てくださいね。それではさようなら。

スーパーサンクとスーパーマン
https://youtu.be/mqTFbYzKW4E

官能的な。。
https://youtu.be/7nXsmGloEfg

シュールな映像と寸劇
https://youtu.be/7Bt3GmbGcD0

なんて言ってるのか、解説求む
https://youtu.be/gP_RDGAv6MQ

初代サンク、燃料が底をつくと小さくなる?
https://youtu.be/uVZ-A0jUKGQ

初代サンクの元気な映像 初代サンクAMCとの… Le car
https://youtu.be/3V0mRvh14Wc
Posted at 2020/09/04 16:56:26 | コメント(3) | トラックバック(0) | ガンディーニの部屋 | クルマ
2014年05月18日 イイね!

ランボルギーニ・エスパーダ

ランボルギーニ・エスパーダLamborghini Espada (Bertone)
発表:1968 Geneva Auto Show
出力:3,929cc / 325bhp
重量:1480kg

皆さんこんにちは!ガンディーニの部屋第二弾は?ランボルギーニの黄金期を支えた4シーター量産モデル、1968-1978の間1227台生産されランボルギーニのベストセラーとなった、エスパーダです。ガンディーニがミウラの次に模索したニューカーのディティールを余すところなくご紹介いたします。
さて、イキナリですが、、ガンディーニはミウラをはじめ車名を凝ったロゴにしてバッジしてますが、エスパーダはスペイン語で剣!左右リアフェンダーに取付けられたこれです!、右と左で違うんですよ!ノーズに向けた剣をモチーフとした巧妙なデザインです。。



このブルーのエスパーダはシリーズ2です





エスパーダのデザインの素はちょうど1年前1967年3月ジュネーブショーでお披露目されたマルツァルであると言います。ランボルギーニの4人乗りという構想はフェルッチオのオーダーです。未来的なガルウィングドア、エンジンの位置は後車軸よりやや後方ですがいちおうミッドマウント! ゆったりとした4座、薄いノーズ周りと長いボンネット、サイドラインと全体のフォルムはエスパーダも同じです。





このショーモデルを原型としたもう一つのクルマが同年10月のロンドンショー(アールズコート)で発表されたジャガー・ピラーナです。1968-1971少年マガジンに連載されたタイガーマスクの愛車はエスパーダではなくピラーナだそうです。実体験としてはほぼ無かったですが・・・
参考ブログ→伊達直人さんの車





そしてピラーナの長いボンネットと緩やかなスロープのファストバックスタイルを特徴としたこの形状は、ほぼそっくりエスパーダに受け継がれたと考えて間違いないでしょう。実は最初に紹介した剣をモチーフとしたロゴデザインだってピラーナで既に使っていたのです・・・。できたての頃には無かったはずですが、少し後に付けたようです。



ピラーナはショーのためだけに6ヶ月で製作されたワンオフモデルですが、完全な製品として今でも健在です。モータートレンド誌が当時の様子を記事にしています。
モータートレンド誌のサイト→1967 Jaguar Bertone Pirana Coupe Classic Drive

マルツァルの提案から一年後、1968年3月ジュネーブショーでエスパーダは発表されました。ガルウィングドアは長いスパンの2ドアに換えられクーペながら4人の大人が乗るのに十分なスペースの座席を備え、革張りのインテリア、エアコン、パワーウィンドウなどすべてがラグジュアリーでした。




ブルーのエスパーダの内装 シリーズ2です

実はピラーナの発表の後、フェルッチオの願いに応えるためプロトタイプの制作がされていました。そのプロトタイプではフェルッチオがマルツァルでドアの下半分がガラスで透け透けなのをとても嫌っていたので、ガルウィングを採用しながらもガラス部分は普通に上半分とし、ガラス全部を上下させるとその機構が大掛かりとなるので、軽量化のため先端の一部が開く方法を取った。エンジンの冷却と大量の空気を取り入れるためフェンダーに大きくエアダクトを設け、ヘッドライトはバンパーを切りかいて丸形4灯とし、ほぼエスパーダと同様のマスクでした。
ところがそもそも車重が重たくなるガルウィング式をフェルッチオは気に入らなかったようです。やっぱりふつーのドアにして再設計されたんですね。。。そのとき、ガンディーニはせっかくの新しい提案をなぜ気に入ってくれない??と少々ふてくされ気味にピラーナでの要素をそのまま流用したんでしょうね。。。。きっと(笑)



エスパーダはオプションでポータブルテレビとミニバーを装備したVIP仕様も販売されたそうです。ちなみにポータブルテレビはイタリアのブリオンウェガ社製で有名なマルコ・ザヌーソ(Marco Zanuso)とリヒャルト・ザッパー(Richard Sapper)によるもの。


この情報はこちらのブログから頂きました。
参考ブログ→ brionvega Algol in Lamborgini

ガンディーニはスリットやパターンの繰り返しを多用します。マルツァルの前後バンパーには縦に凸凹。エスパーダのリアウィンドウにも縦にスリットが設けられました。この縦スリットはシリーズ2以降廃止されますがエスパーダの素敵なポイントだと思います。たくさん検索しましたがシリーズ1でも初期の個体にしか付いていないようです。


こちらがシリーズ1

また、量産車では少しでもコストを下げるため他のクルマからパーツを流用することはよくある事です。ミウラの起き上がるヘッドライトもジウジアーロがデザインした850スパイダーから拝借しました。エスパーダではリアのコンビネーションランプを124クーペから拝借。124スポーツクーペは1967年フィアットの元で仕事したマリオ・ボアノによるデザインでした。


元ソース: http://californiastreets.blogspot.jp/2014/03/san-francisco-street-sighting-1969-fiat.html

他にも初期型だけが持つ素敵なアイテムが六角形の繰返しで形作られたダッシュボード+インストルメントパネル部分です。これはマルツァルでのデザイン要素が反映されたに他ならないでしょう。マルツァルではステアリングのデザインにも六角形が使われますが、このステアリングはワンオフモデルのミウラ・スパイダー(のちのZN75)にも採用されてます。つまりガンディーニは六角形の繰返し、ハニカム構造のスリットやパネルなど大好きです。


シリーズ1です

マルツァル、エスパーダはモナコGPに縁があります。フェルッチオが仕掛けたPR作戦として1966年のモナコGPにミウラを持ち込んだのがきっかけです。(マルツァルのリアエンド左側にある不思議なマークはモナコの何かからきているのかな...と調べても分かりませんでした)



1967年5月のモナコGPではペースカーとしてマルツァルが登場。グレース公妃を乗せたマルツァルはモナコ大公(レーニエ3世)のドライブでコースを周回しました。レーニエ3世はカーマニアとして知られモナコGPでのオープンカーパレードはお決まりらしい。1969年5月のモナコGPでは発売されたばかりのエスパーダに乗ります。生産型との違いはグラストップとミウラスパイダーと同じスカイブルーメタリックの塗装です。



アメリカに連れて行かれたランボルギーニが45年ぶりにヨーロッパに戻ってきたニュースの記事(アルベール二世は当時まだ11歳?)→ニュースの記事

モナコグランプリ1969の模様(Youtube)→Monaco GP 1969 - Race Day

$214,500で買い戻したようです!
とても市場価格からかけ離れているので問題だ!と言っております...

ということでランボルギーニ・エスパーダは揉みに揉んだ(揉まれた?)初期の傑作なのであります。動力性能においても、この当時の4シーターラグジュアリーで最高速度245km/hはなかなかないですし、、同年のコルベットスティングレー211km/h、1967 アストンマーチン DBSで225km/h ジャガーEタイプでも240km/h...なかなか4シーターで出す速度じゃないですね。

ちなみにシーリーズ3は?といいますと、これもダッシュボードの変更と、リアコンビネーションランプの変更、専用のホイールと、エンジンに多少のチューンナップがされ(350ps/7500rpm)最高速も250〜260km/hと書かれている場合が多いです。対米向けにも多数生産され5マイルバンパーを装備するモノもあります。




元ソース:Almost perfect, tastefully/thoughtfully modified Lamborghini Espada for sale
シリーズ3の対米仕様です


やっぱり初期型が美味しそうですね(^^)

最後におまけのニュース!
マルチェロ・ガンディーニ、ジュネーブで特別功労賞を受賞!
いまさらですが3月10日ジュネーブショーにてマルチェロ・ガンディーニが特別功労賞なるものを授与されたそうです。あれ?まだまだ現役じゃないんですかね?そろそろもらう頃?
喜びのインタビュー記事はこちら→Marcello Gandini receives Car Design News Lifetime Achievement Award

Auguri!
Ciao!!
Posted at 2014/05/18 20:52:15 | コメント(3) | トラックバック(0) | ガンディーニの部屋 | クルマ
2013年12月23日 イイね!

イノチェンティ・ミニ

イノチェンティ・ミニBertone Innocenti Mini
発表:1974 Turin Auto Show
出力:998 cc / 43 bhp
   1,275 cc / 63 bhp
重量:730 kg

ブリティッシュ・レイランド(BLMC)...イギリス車は苦手ですがオースティンやジャガーまでも保有ブランドとしたイギリスの国営企業ですね(1975〜国有化)。BLMC社傘下のイノチェンティ社がミニにベルトーネデザインのボディを着せ1974年発表したのがイノチェンティ・ミニです。デトマソ・ミニと言えば我々には取っ付きやすい。イノチェンティ社は1976年デ・トマソ社に買収され、かのアレッサンドロ・デトマソはダイハツ・シャレードのエンジンに目をつけそれをミニに搭載することとなります。ダイハツとの友好関係からシャレード・デトマソなども生まれたわけですね。

さてそのイノチェンティ・ミニですがこれがガンディーニ節炸裂な訳で、アンダーブローのように効いてくるデザインパーツに目を当ててみましょう。

いきなりメーターパネルですが、これはX1/9の初期のものと同じ意匠が使われています。マットブラックなパネルの切り欠き穴からメーター類が垣間みれるという1972〜3年としては未来的です。



全体としては、これはX1/9と同じシリーズモデルではないかと思えんばかりにディティールが同じです。ホイールアーチからサイドのプレスラインに繋がるラインや、バンパーの形状、


元ソース:http://www.aronline.co.uk/blogs/cars/innocenti/mini-overseas-innocenti-90120/

リアのナンバープレート周り!X1/9と同じだ。分割されたバンパーの切れ目にナンバー灯を埋め込んでいる点も注目!


元ソース:http://heckyeahhatchbutts.tumblr.com/post/42127311337/bertone-innocenti-mini

なにより微笑ましいのがこのルーフエンド!、これはガンディーニですよ。空力的効果を狙ったわけではないでしょうが、駆け抜けるクルマのイメージは跳ね上げなければならんでしょう。


元ソース:http://www.autopareri.com/forum/auto-depoca/41924-innocenti-mini-90-sl-1979-a.html

デトマソ・ミニの一体型バンパーも当時革新的だったと思いますが、私はこのクロームメッキの古めかしさ、簡素なカタチがたまらなくつぼに入ります。。(笑)
X1/9の初期モデルと一緒に並べたくなる、、できれば所有したくなるモデルですね。

おまけですが、、当時PVの念の入れようからしてとてもとてもセンセーショナルだったと思われます、、とくに火を噴く女性!

YouTube: http://www.youtube.com/watch?v=Uy18NGaYJj0
Posted at 2013/12/23 22:44:01 | コメント(1) | トラックバック(0) | ガンディーニの部屋 | クルマ

プロフィール

「整備、大して写真も撮っていない、メーターパネルが薄暗いので、3wのところ5w入れたら大変明るくなってGOOD!スピードのケーブルが外れて速度計ゼロのままだったり、接触不良接点磨いたり、一日中やってた汗」
何シテル?   12/10 19:31
'80年製FIAT X1/9に乗る。家族のクルマは'95 XJ Cherokee(2008年売却)。世がスーパーカーブームの時、小学4年生だった。確かにカウンタ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/7 >>

  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

リンク・クリップ

ヒューズホルダー溶ける 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2024/09/24 22:03:09
ENKEI RPT-1 16inch/5.5J/+20 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/04/01 20:24:40
Tryforce company インテークチャンバー 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2021/03/20 06:23:16

愛車一覧

フィアット X1/9 フィアット X1/9
フィアット X1/9 1500に乗っています。 こんなに安上がりに楽しめるイタリアンスポ ...
フィアット X1/9 フィアット X1/9
ま〜いろいろあって復活後のクルマ。アバルトカップにエントリーするなど活動してましたね。し ...
フィアット X1/9 フィアット X1/9
いろいろあって安いクルマを探していて、あぁ、あのクルマ最近見ないな..と田園調布にあった ...
マツダ ユーノスロードスター マツダ ユーノスロードスター
あれこれ目移りして衝動買い。CR-Xから乗り換えた。ハンドルが軽くお尻がかんたんに飛び出 ...

過去のブログ

2024年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2023年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2022年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2021年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2020年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2014年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
2013年
01月02月03月04月05月06月
07月08月09月10月11月12月
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation