2015年12月10日
【90's コラム】VWパサート教習車とウインカーの位置
がっしりとしたボディのデキの良さで、アッパーミドルクラスに新風を巻き起こしている新生VWパサートに「教習車」が出現した。ベース車両となったのはノンターボのパサート1.8で、その性格上、教官用の補助ミラーと補助ブレーキが付いている。このブレーキは、当然ながらABS対応という。
そして、注目なのがワイパーとウィンカーレバーの位置である。この教習車パサートは、「ワイパーもウィンカーレバーの位置も国産車と同じに変更して」あり、「他の教習車から乗り換えても違和感のない操作ができる」(リリースより)ようになっているのだ。
この二つのレバーの位置というのは、ベテランのドライバーであっても、日本車と輸入車を乗り換えると、しばしば最初のカドや交差点でワイパーが動いてしまうことがある。ハンドルが「右」に付いていると、どうしても日本車と同じようにカラダが反応してしまうようだ。
さて、教習車なのだから他のクルマと同じに……というVWのスタンスはわかるとして、でも、ここでソボクな疑問が生じる。教習車でそれができるのなら、どうして一般の市販VW車は「右ウインカー」方式になっていないのか。さらには、この“間違いようのない”パサートというのは、いったいドコで作っているのか。どこかの工場製であるのなら、わが国にはそれを輸入すればいいではないか。こういう疑問である。
だが、聞いてみると、この教習用パサートというのは、日本国内の特殊架装メーカーによって、まったくの手作り状態で制作された超スペシャルだった。とてもじゃないが、一般市販車に適用できるような方法で作られたものではないということ。そうか、やっぱりね……。これまでにも例があった輸入車の教習車は、メルセデスにしてもオペル・ベクトラにしても「ちょっとヘンだったけど(日本車と同じ位置に)変更した」とは、それらを取り扱ったヤナセの弁だった。
ただ、そこまでわかってくると、今度はもうひとつリクツをこねたくなる。そもそも「左ウィンカー」のままだっていいじゃないか。世界にはいろんなクルマがある。そのことをドライバーに教えるのも、リッパな“教習”ではないのか……なんて、ね。
さて、この教習車というものだが、実は、教習車はこうでなければならないというような規定は何もないのだそうな。この場合にカスタマーとなる教習所の側が、どういうクルマを自分のところの教習車として設定するかと、ただそれだけの話なのだという。
そして、このフィールドで立場を貫いた(?)ところがあって、それがBMWだったとか。同車を導入した教習所が「ウチは教習車がBMWなんですよ~」ということをウリにしたからでもあるが、318iの左右のレバー、その位置と機能はオリジナルのまま。この場合は、国産車とは違うというその違和感こそが必要だったのだろう。日本のマーケットで、輸入車をどう位置づけるか。このことについて、こと教習車だけを見ても、各社の微妙なスタンスの違いが出ているようだ。
(「ワゴニスト」誌 1998年記事に加筆修整)
○2015年のための注釈的メモ
量販車メーカーと高級車メーカーの、マーケットやカスタマーに対する姿勢の違い。ケンキョなVWとゴーマンなBMWを対比させたつもりだったのかもしれないが、果たして、そうなのか。よく考えてみると、BMW側は別にゴリ押しはしていない。「318だったら『左ウインカー』のままでいいですよ」、BMW様はどうぞそのままで……という判断をしたのは教習所側だったはず。そうしたマーケティングの一環として、「違い」がいっぱいの教習車を用意し、それが“客寄せ”にも有効だという判断。教習所側がそうしたくなる“何か”が、この時期(1990年代後半期)にはあったということであろうか。
ところで、運転席に設定される二本のレバーだが、普通にクルマを設計・生産すると、運転席の「窓側」の方にウインカー・レバー、そして車室中央側にワイパー関連のレバー&スイッチ類を配する。これがどうやら“自然”であるらしく、右ハンドル車/左ハンドル車のどちらであっても、基本はそのようになっている。
ただ例外的なのが、欧州の大陸内で設計・生産された右側通行用のクルマを、英国の左側通行/右ハンドル仕様に仕立てた場合──。二つのレバーの機能は変更せず、すなわち「左ウインカー」設定のままで市販車とする。どうして、そんなハンパ(?)がまかり通ったのかというと、大陸車をブリテン島で乗ろうとした英人が「あ、いいよ。そんな(些細な)ことは、そのままで」と言っちゃったからであると、1990年代のジャーナリズム上では信じられていた。
その後、この時の“寛容なイギリス人”(笑)の判断はいつの間にか世界基準となり、世界中の右ハンドル・マーケットに出される、最初は「左ハンドル」だった(?)モデル群はすべて、「右ハンドル+左ウインカー」という仕様になって今日に至っている。ただし、例外はあった。トヨタとGMが組んだ米国NUMMIが日本市場向けの米車(キャバリエ)を作った際には、しっかり「右ハンドル+右ウインカー」だったのだ。日本人、そして米人は、英人ほどに“寛容”ではなかった。
そして最後に。この問題は「右か左か」よりも、ウインカーのレバーはドライバーにとっての「窓側」にあるべし。これがクルマ作りの原理もしくは不文律のひとつなのだと、あらためて気づく。この理由の探索は、今後の課題ということで……。
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90年代こんなコラムを | 日記
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2015/12/10 04:20:32
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