
地道な……というか、つまりは何もできあがらない、研究と模索の日々が続いた。メンバーの25人以外には内容を口外してはならないという、秘密のプロジェクト。資料集めという作業の中には、鈴鹿サーキットのゴミ箱あさりまであった。F1マシンの破片はないか? それがあれば、モノコック作りの組成の参考になるのではないか? そしてスタッフは、ベネトンとウイリアムズのウイングやノーズの一部を、実際に手に入れたという。
もうひとつ困ったのは、外注しなければならない部品の処理だった。たとえば、「こんなデカいラジエター、いったい何に使うんですか?」といった話になってしまうからである。社外秘どころか“社内秘”という障害を越えて、F1マシン「RC」ができあがった時のスタッフの喜びは想像するに難くない。
そして、1号機が完成した時のエピソードが、またちょっと楽しいものだ。栃木研究所にやって来た川本信彦社長を、橋本氏が素早く捉まえる。「カワさん、ちょっと見ます?」。え、何をやったんだ?と川本社長、できあがった「F1」を見て一瞬こわばった表情をしたが、すぐにニコニコして、こう言ったという。「おい、俺にも乗せろ!」
さらに、1号機に載っていたエンジン(V10)を見て、次のようにも言った。それはほとんど命令であった。「V12も載せろよ」。(やったー!)とスタッフが快哉を叫んだのは言うまでもない。そこから、RCプロジェクトのセカンドステージが始まり、いま見ることができる「V12マシン」が現存するわけである。
「RC」プロジェクトのスタッフは、V10用のモノコックと、エンジンを搭載した完成車の二台を作り、同様にしてV12車も二台作った。そして、この一台以外は、剛性テストのために捻ったりぶつけたりして、すべて壊したという。残念なようだが、クルマを作る(試作する)とは、そういうことの繰り返しであるようだ。
したがって、このF1は「競走用」のクルマではない。サスペンション・アームの取り付け部にしても、大幅にジオメトリーを変更してテストができるように、ブラケットが介されている。テスト走行として鈴鹿も走ったが、この時もあくまで、足作りのデータ採りだった。だから鈴鹿のS字では、必ず縁石に乗り上げて走ることといった条件を付けて走行した。
このクルマのモノコックは頑丈ではあるものの“レーシングF1”よりも20キロは重く、ここでも研究用の域を出ていない。「これはまだ、ウェポン(兵器)にはなってない」とは、橋本氏の言葉であった。
ただ、F1を実際に作ってみたことによる「リサーチング・シャシー」のノウハウの蓄積は、相当なものがありそうである。たとえば、サーキットのストレートを走ってのダウンフォースは、F1の場合は「空力」によって、何と4トンの荷重がボディとシャシーに掛かる。つまり、これに耐えるのがF1の車体であるということだ。対して市販車では、フロントがリフト気味になり、せいぜい1トン・プラス、つまりクルマの自重くらいしか掛からないという。コーナリングでの横Gにしても、F3000マシンと較べて、F1は1・4倍近い「G」が掛かっていた。
そのようなF1マシンを実際に製作したことによって、空力、ボディ&シャシー、そしてサスペンションなどについてのシミュレーション技術が大幅に向上したと、橋本氏は言う。つまり、これまでにない次元のデータを、ホンダはこの「RC」によって得たということであろう。
そして、この“社内秘の課外授業”が生み出したものは、すでにホンダの市販車にも活かされているそうだ。たとえば、アコードの一部に。そして、あのインテグラの走りに。「でも……」と、橋本氏は最後に言った。「やっぱり、セナには乗ってほしかったですね。これに乗って何て言うか。一度、聞いてみたかった」
(了)
(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
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新車開発 Story | 日記
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2016/02/09 20:35:31