• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

家村浩明のブログ一覧

2016年02月09日 イイね!

ホンダ・オリジナルF1“RC”プロジェクト 《2》

ホンダ・オリジナルF1“RC”プロジェクト 《2》地道な……というか、つまりは何もできあがらない、研究と模索の日々が続いた。メンバーの25人以外には内容を口外してはならないという、秘密のプロジェクト。資料集めという作業の中には、鈴鹿サーキットのゴミ箱あさりまであった。F1マシンの破片はないか? それがあれば、モノコック作りの組成の参考になるのではないか? そしてスタッフは、ベネトンとウイリアムズのウイングやノーズの一部を、実際に手に入れたという。

もうひとつ困ったのは、外注しなければならない部品の処理だった。たとえば、「こんなデカいラジエター、いったい何に使うんですか?」といった話になってしまうからである。社外秘どころか“社内秘”という障害を越えて、F1マシン「RC」ができあがった時のスタッフの喜びは想像するに難くない。

そして、1号機が完成した時のエピソードが、またちょっと楽しいものだ。栃木研究所にやって来た川本信彦社長を、橋本氏が素早く捉まえる。「カワさん、ちょっと見ます?」。え、何をやったんだ?と川本社長、できあがった「F1」を見て一瞬こわばった表情をしたが、すぐにニコニコして、こう言ったという。「おい、俺にも乗せろ!」

さらに、1号機に載っていたエンジン(V10)を見て、次のようにも言った。それはほとんど命令であった。「V12も載せろよ」。(やったー!)とスタッフが快哉を叫んだのは言うまでもない。そこから、RCプロジェクトのセカンドステージが始まり、いま見ることができる「V12マシン」が現存するわけである。

「RC」プロジェクトのスタッフは、V10用のモノコックと、エンジンを搭載した完成車の二台を作り、同様にしてV12車も二台作った。そして、この一台以外は、剛性テストのために捻ったりぶつけたりして、すべて壊したという。残念なようだが、クルマを作る(試作する)とは、そういうことの繰り返しであるようだ。

したがって、このF1は「競走用」のクルマではない。サスペンション・アームの取り付け部にしても、大幅にジオメトリーを変更してテストができるように、ブラケットが介されている。テスト走行として鈴鹿も走ったが、この時もあくまで、足作りのデータ採りだった。だから鈴鹿のS字では、必ず縁石に乗り上げて走ることといった条件を付けて走行した。

このクルマのモノコックは頑丈ではあるものの“レーシングF1”よりも20キロは重く、ここでも研究用の域を出ていない。「これはまだ、ウェポン(兵器)にはなってない」とは、橋本氏の言葉であった。

ただ、F1を実際に作ってみたことによる「リサーチング・シャシー」のノウハウの蓄積は、相当なものがありそうである。たとえば、サーキットのストレートを走ってのダウンフォースは、F1の場合は「空力」によって、何と4トンの荷重がボディとシャシーに掛かる。つまり、これに耐えるのがF1の車体であるということだ。対して市販車では、フロントがリフト気味になり、せいぜい1トン・プラス、つまりクルマの自重くらいしか掛からないという。コーナリングでの横Gにしても、F3000マシンと較べて、F1は1・4倍近い「G」が掛かっていた。

そのようなF1マシンを実際に製作したことによって、空力、ボディ&シャシー、そしてサスペンションなどについてのシミュレーション技術が大幅に向上したと、橋本氏は言う。つまり、これまでにない次元のデータを、ホンダはこの「RC」によって得たということであろう。

そして、この“社内秘の課外授業”が生み出したものは、すでにホンダの市販車にも活かされているそうだ。たとえば、アコードの一部に。そして、あのインテグラの走りに。「でも……」と、橋本氏は最後に言った。「やっぱり、セナには乗ってほしかったですね。これに乗って何て言うか。一度、聞いてみたかった」

(了)

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/02/09 20:35:31 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
2016年02月09日 イイね!

ホンダ・オリジナルF1“RC”プロジェクト 《1》

ホンダ・オリジナルF1“RC”プロジェクト 《1》──噂は真実だった。やはりホンダは「F1」を作っていた。エンジンだけでなく、シャシーもボディも、すべてホンダ製によるF1マシンは存在したのだ。やはりホンダはF1への復帰を、それも“オール・ホンダ”というかたちで考えているのか? いや、ちょっと待ってほしい。とりあえず、それはない。では何故、こんなクルマがあるのか?

ここには、復帰話よりおもしろいストーリーが隠れている。それはとてもマジメで、そして一方では、ホンダというメーカーの柔軟さや意外性を象徴するような、ちょっと微笑ましい物語でもある。そもそも、なぜ「F1」を作るようになったのか。ホンダ栃木研究所の「足」系のエンジニアで、自身もテストドライバーである橋本健氏は言った。「これ、出発点はNSXなんですよ」。

どういうことかと言うと、スーパー・スポーツカーのNSXを作り、栃木でテストし、「これ以上はないはず」というレベルにして、最終確認としてニュルブルクリンクのオールド(北)コースに持ち込んだ。その体験のことである。初めての「ニュル」は想像をはるかに超えてタフだった。

そのコースで、栃木で仕上げてきた(つもりの)プロトタイプNSXを走らせてみたのだが、クルマが「もうグニャグニャで、まったくダメだった」(橋本)のだ。ボディにしてもシャシーにしても、とにかく剛性が足りない。サスペンションの働きウンヌン以前の、サスが付いている車体の問題だった。超高速で走ることができ、強大にして複雑な「G」が不断にかかり続ける「ニュル」は、ヤワな車体のクルマを拒絶したのだ。スポーツカーとしてのNSX(プロトタイプ)を「ニュル」が認めなかったともいえる。

ホンダのスタッフは、「ニュル」のコース脇にある納屋を借り切った。そこを拠点に、およそ一年もの間、車体補強のための溶接や板金を繰り返した。このコースを「走れる」クルマになるよう、スポーツカーとしてのNSXを現地で鍛え直した。

この体験から、橋本氏は二つのテーマを見つけた。ひとつは、シャシーについての技術がまだまだ甘く、その「深さ」も足りていないこと。もうひとつは「道」についての認識と研究の不足である。この後者については「道がクルマを作る」という定理を基に、後に北海道・鷹栖に「ニュル」的なテストコースを新設するというかたちで結実させた。

では、シャシーの探究はどうすればいいか。とりわけ「剛性」ということを深く研究するにはどうすべきか。この時、市販車というのは「入力」の要素が多く、その力の入り方もけっこう複雑という現実があった。たとえば、エンジンのマウント方式を変えるだけでも、シャシーの印象は変わってしまうのだ。「だから、もっとシンプルに、シャシーだけを研究したい。そうすると、レーシングカー、それもフォーミュラしかないな、と」──。

フォーミュラ・カーはモノコックという胴体があり、それに「足」が付いているだけ。まさに、シャシーとサスペンションしかないクルマであり、その研究の材料にはピッタリだという。「それでね! どうせやるなら、オリジナルF1だってことになったんですよ(笑)」(橋本)この超・マジメな動機、そしてそこから、オリジナルF1作りにジャンプしてしまうスピリット。このへんが、ホンダならではというところであろうか。

橋本氏は「RC」というプロジェクトをスタートさせ、栃木研究所内で“同志”を募った。「RC」、すなわちリサーチング・シャシーだが、この「R」が実は「レーシング」(フォーミュラ・カー作り)であることは伏せたままである。「リサーチ」や「シャシー」に惹かれて各部署から集まってきた25人を前に、橋本氏が最初に、「このプロジェクトは、実は《F1》を作るんだ」と言った時、10分間ほど全員が沈黙してしまったという。

時に、1989年の秋。ちなみにこの年のF1戦線は、鈴鹿とアデレードで連敗したものの、セナとプロストによって、コンストラクターズ・チャンピオンでは圧勝だった。そしてアイルトン・セナはアラン・プロストに次いで、ドライバーズ・ポイントで小差の2位だった。

さて、この栃木有志によるシークレット・プロジェクトは順調に進んだのかというと、まったくそんなことはなかった。誰もレーシングカーを作ったことがなく、モノコックの材料であるカーボン・コンポジットなんて触ったこともなかった。さらに橋本氏は、このプロジェクトのスタッフには、必ずその人の専門外の仕事を与えたという。要するに、すべてをゼロスタートにしたのである。

(つづく)

(「スコラ」誌 1993年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/02/09 17:57:12 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
2015年11月07日 イイね!

スバルのWRCエンジン in 1998 その2

そのWRCではレギュレーションが1997年から変更され、「グループA」マシンから「WRカー」による闘いになった。これは「グループA」のように年間5000台作られている必要はなく、年間20台の生産でホモロゲーションが取れる。4ワークスのうちで三菱だけはグループA規格を継続しているが、スバル、そしてトヨタとフォードはこの新しい「WRカー規格」による参戦を選択した。

その場合のエンジンは、生産車のエンジンと何ら関係なく、ゼロから作っていいことになっている。そうではあるが、排気量の制限(2リッターまで)があり、スバルの場合は、グループAレガシィ時代から培ってきたノウハウを生かすべく、従来通りのエンジンブロックをそのまま使っている。

2リッター+ターボ、34㎜径のリストリクター。このレギュレーションによって、各社ともに出力はだいたい300psで揃ってしまう。したがって、エンジンの開発競争は、いまや「見えない部分」(岩井)での競争になっている。レスポンス、あるいはピックアップ、そういった要素での闘いだ。

また、リストリクター付きのエンジンの場合は、「上」(高回転)で窮屈になる(伸びない)という基本的な傾向があるので、いたずらに高回転を狙わず、中速域でのレスポンスをどうするか、そしてトルクをどう立ち上がらせるのかといった点が、ラリー用エンジンを設計する際のキモになっているという。

そして、このエンジンスペックと使用パーツは、これ以後の1年間はこれで行きますということを、事前にFIAに届けるルールになっている(査察もある)。つまり、エントラントとしては、1年間通用するだけの性能を持ったスペックを、まず準備する必要があるのだ。このコンセプトの決定が、シーズン開始前のまず大きなテーマとなる。

シーズンが始まると、各ラリー本番の1月半前に、プロドライブに本番用のエンジンを2基、STIから送り出す。全14戦、したがって年間で28基のコンペティション・エンジンが、ここ「三鷹」で製作されているわけだ。

       *

では、そのユニットはどうやって作っているのか。これは、メカニックの上杉と鈴木の二人が、それぞれ1基ずつを「ひとりで」組んでいる。それに要する時間は「組む時間だけだったら2日です」「でも、それまでの準備は長いですけどね(笑)」(上杉)

岩井が設計したコンペティション用のスペシャルパーツを、二人のベテラン・メカニックが、それぞれ自分の責任で組んでいく。したがって、“ラインオフ”した時には「上杉エンジン」と「鈴木エンジン」の二つができあがることになる。もちろん、この二つのエンジンに性能差はない。このことを、テスターの斉藤が確認する。

もう少し正確には、1基はSTIでコンプリートに組み上げ、もう1基は「仮組み」の状態で送り出して、最終組立をプロドライブが行なう方式を採っているという。どうしてこうするのかというと、ラリーの本番で使用した後でも、レッキや練習などで、プロドライブ側が「STI抜き」でエンジンを使うことがあるからだ。彼らチームとしても、エンジンに関してのノウハウやメンテナンス能力が必要であり、上杉はそのレクチュアのために、1年間ほどプロドライブに出張していたことがある。

それにしても、驚くほど小じんまりした体制で、大メーカーに互して闘いつづけているということになるのだが、いったいどうして、そんなことが可能なのか?
「いや、小さいから、いいんです。われわれ、すごく動きやすいし、全員の意志の疎通もいい。何か新しいことをやってみるのでも、すぐにやれるし、その答えも出てくる」
「大きな組織というのは、こういうこと(コンペティション)に関しては、デメリットもあるんじゃないですか。それに、プロドライブだって、そんなに人数はいませんよ(笑)」(岩井)

では、エンジン・サプライヤーとしてのスバルは、いま、どういうオーダーを彼らチームから受けているのだろう? この質問に、岩井智俊は次のように答えた。
「何もないです。ここ3年、うちはチャンピオンですからね。負けないうちは、彼らは何も言ってきません」

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1998年記事に加筆修整)

(了)
Posted at 2015/11/07 04:20:37 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
2015年11月06日 イイね!

スバルのWRCエンジン in 1998 その1

WRC=ワールド・ラリー・チャンピオンシップにおいて、1997年で3年連続のメーカー・チャンピオンに輝いたスバル・ワークス。インプレッサというマシンの素性の良さ、水平対向のパワーユニットと4WDという組み合わせの合理性、プロドライブの技術力と戦闘力、あるいはドライバー、コリン・マクレーの闘志──。

輝かしいリザルトをもたらしたファクターとして、これまでさまざまなことが語られてきたが、なぜか、ラリーカーの心臓であるエンジンについては、あまり語られることなく過ぎていたのではないか。

最強マシンの強力な心臓、そのスバル・エンジンは、どこでどのようにして作られ、どんな人が関わり、また、コンペティションを闘うためにどんなマネージメントがなされているのか。WRCというハードなフィールドを闘うスバル・エンジンについて、今回あらためてスポットを当ててみることにした。

        *

東京の西部、武蔵野の面影を色濃く残す三鷹市郊外にある富士重工の三鷹工場(正式には東京事業所)。スバルのモータースポーツ活動のヘッドクォーターであるスバル・テクニカ・インターナショナル=STIは、この中に拠点を持つ。そして、「ラリー用スバルエンジン」も、このファクトリーから生まれる。

“闘うエンジン”はここで設計され、ここで組み立てられ、ここでテストされて、世界へと送り出される。その意味では完全な一貫生産であり、ラリー・スバルのパワーソースのすべては、この三鷹にあると言って過言ではない。では、その現場では、いったいどれくらいの人員が、このワークス・スバル・エンジンのために活動しているのだろうか?

「40人……と言いたいんですが(笑)、実質は、今日ここに来た4人ですね」。STIの技術部エンジン設計課のチーフエンジニア、岩井智俊は、こう言って豪快に笑った。エンジンを設計しているのが、その岩井智俊。そしてエンジン組み立てが、エンジン・メカニックの上杉貞二と鈴木晋。そして、テスト担当が斉藤力。この4人である。

たったこれだけの人数で、世界を相手にワールドレベルの闘いを仕掛け、しかも、そこで勝っているのか? それだけでなく、さらに、それをここ何年も続けている? 聞けば、上杉にしても鈴木にしても、ひとつのエンジンは、まったくひとりで組むのだという。ほとんど手作りのようなそういう“作品”が、大メーカー/大資本の手になるプロダクトに、文字通りに後塵を浴びせている。そんな痛快なことが、いま起こっている! 

        *

では、そのラリー・エンジンについて、基本的なことをいくつか聞いてみよう。サーキット・レースの世界、たとえばF1エンジンでは、こんな話がある。本番が300キロのレースだとすれば、走行301キロで「壊れる」のが最良のエンジンだというのだ。つまり、このくらいにまで性能を極限的にツメたもので闘っている。そのことを象徴した“伝説”なのだが、では、WRC用エンジンの場合はどうなのだろう?

「サーキットだったら路面も決まっているし、そういうツメ方も、ひょっとしたらできるのかもしれない。でも、ラリーでは無理です。グラベルからターマックまで路面は違うし、環境だっていろいろに違う」
「第一、何が起こるかわからないから、ラリーのエンジンは、そんなにデリケートには作れない。そういう名セリフは、ちょっと吐けないなあ……(笑)。壊れちゃったら終わりですしね」

では、ラリーの場合、何よりも耐久性重視か? 「いや、それでは甘いです。それは重要ではあるけど(突き詰めたレベルでの)性能も要る。要はバランスです」(岩井)

ひとつのラリーで、スペシャルステージ(SS)の走行距離だけを見れば、合計しても約500キロということがある。しかし、だからと言って、サーキットのような“綱渡り”的チューニングはできない。だが、そうであっても、ツメ切っていない“甘い”エンジンでは、やっぱり勝負にはならない。

そしてラリーでは燃費制限はないが、もし燃費が悪ければフューエルタンクを大きくせざるを得ず、重量面でも不利になってくる。ゆえにパワーだけでなく、燃費、高効率という側面も無視できない。それが4大ワークスがしのぎを削っている、現在のWRCとそのエンジンの現状なのである。

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1998年記事に加筆修整)

(つづく)
Posted at 2015/11/06 17:41:38 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
2015年10月27日 イイね!

初代インプレッサとWRC その3

初代インプレッサとWRC その3STi(スバル・テクニカ・インターナショナル)の向こうには、当然ながらプロドライブがいる。ラリー・フィールドにいる彼らは、「55N」という市販車に対して、どんな要求を出してきたのだろうか。ざっと列記してみよう。

まず、重量軽減である。そして、車体(全長)をもっと短くできないか。ボンネットにはエア抜きの穴を開ける。ターボのタービンはもっと大きくしたい。さらに、グリルもできるだけ大きく開けて、かつブレーキ冷却用の大きな穴も必要。また、燃料の冷却用に第5番目のインジェクターを付けたい。そして、ホモロゲーションに不利になるようなタイヤのサイズやブレーキの装着は絶対に不可──。

インタークーラーについては、「これはどっちが言いだしたのか……。ともかくぼくは空冷にしたくて、30項目ばかり長所を並べた報告書を書いた(笑)」とは小荷田の証言。軽量で、そして初期の応答性がいい空冷のインタークーラーは、こうして生まれた。なお、この第5インジェクターは、市販車でも装備はされているのだが(そうでないとレギュレーション違反になってしまう)市販モデルでは作動はしないようになっているという。

       *

以上のことからわかるのは、今日の「グループA車両」による高度なラリーでは、既に存在するクルマを「ラリー向け」にモディファイするのではなく、どういう素性のクルマでホモロゲーションを取るのが有利か、それがキーになっているということ。市販車からラリーへではなく、ラリーに適した市販車とはどういうものか。そこから企画してクルマ(市販モデル)を作っていく。まさに、ハンパではないクルマ作りである。

そして、インプレッサに加わった高性能仕様「WRX」の開発に、いかにプロドライブが深く関わっていたのかは、1990年の末にできあがった第一次試作車、つまりまったくの初期プロトタイプに、ドライバーのコリン・マクレーが乗ったことを記せば十分であろう。

マクレーはその時、「ハンドリングがすごくいい! 早くこのクルマを出してくれ」と言い、リチャーズは“軽くて小さなスバル”が現実化したことを大歓迎した。そしてこの時点で、クルマにはプロドライブ側の要求はほぼ入っていた。その上で彼らが求めたのは、ボンネット上のエアスクープの穴をもっと大きくすることと、リヤのダウンフォースのためにウィングも大きくということくらいだった。

このフロント・エアスクープの件では、すでにして、スバルの社内基準を超えそうなほどに前の下方視界が悪くなっているので、これ以上は無理。……ということで、サイズは同じのままで効率を上げるからと、彼らを納得させた。また、リヤのスポイラーについては、プロドライブも、そして小荷田も、当時ランチアがやっていた「可変式」を望んだのだが、これはコストの関係で見送られた。

このようなプロトタイプ車に外部のスタッフが乗るというのは、スバルの新車開発の歴史でも初めてのことだった。それは定期的に彼らプロドライブに見てもらうというほどには密接ではなかったが、しかし、事実として第三次の試作車にも彼らは乗っている。そして、この三次試作の段階で、ホワイトボディがプロドライブに渡った。そこから1年後にはWRCにデビューできるようにという準備である。

       *

ただ、「55N」つまりインプレッサは、ダート用のクルマとして作ったわけではないと小荷田は強調している。その証拠というわけではないが、インプレッサは「ニュル」(ニュルブルクリンク・北コース)でも二回のテストを行なった。ドライバーは、アリ・バタネンだ。

ラリーストのバタネンは、1991年の一回目のテストが、彼にとっては実は初めての「ニュル」体験だった。バタネンはドリフトさせながら(!)オールド・コースを攻め、数周回っただけでベストラップを叩いて、トップドライバーがどういうものかをスタッフに教えた。

翌1992年のテストはタイムアタックという趣旨になったが、この時にインプレッサWRXは、全長20km超に及ぶ「ニュル」のコースを、当時開発中だったスカイラインR32GT-Rの「9秒落ち」で周回してスタッフを喜ばせた。

       *

このようにインプレッサは、WRCを明確なターゲットとして開発された。ただスバル側は、レガシィで勝てないからこのクルマを出してきたのだというようには見られたくなかった。これは久世隆一郎も、そしてチーフエンジニアの伊藤健も、まったく同意見だった。

1993年のニュージーランド・ラリーで、レガシィは待望のWRC初勝利を挙げた。伊藤はこの時、やった!……と喜び、同時に(これで、インプレッサがラリーに出られる、そして勝てる!)と思った。強いレガシィの長所を伸ばし、ネガをつぶしていったのがインプレッサWRXであり、もって生まれたその実力の高さは明白だったからである。

インタビューの最後に、伊藤は静かに言った。「インプレッサは、WRCに出ることが目的ではなく、タイトルを取ることが目標でした。ずっとそれを信じてやって来たので、WRCでのインプレッサの成績に驚いたことは一度もありません」

(了)

(文中敬称略)(JAF出版「オートルート」誌 1997年)
Posted at 2015/10/27 15:54:41 | コメント(0) | トラックバック(0) | 新車開発 Story | 日記
スペシャルブログ 自動車評論家&著名人の本音

プロフィール

「【 20世紀 J-Car select 】vol.14 スカイラインGT S-54 http://cvw.jp/b/2106389/39179052/
何シテル?   01/15 10:59
家村浩明です、どうぞよろしく。 クルマとその世界への関心から、いろいろ文章を書いてきました。 「クルマは多面体の鏡である」なんて、最初の本の前書きに...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2025/8 >>

     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

愛車一覧

スバル R1 スバル R1
スバル R1に乗っています。デビュー時から、これは21世紀の“テントウムシ”だと思ってい ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation