
クラウン6代目 110型(1979)
1970年代のクラウンは、いわば波乱の幕開けとなった。1955年の初代デビュー以来、ごく少数の例外はあっても、常に着実にヒット作を積み重ねてきた同車だったが、その“例外”が起こったのだ。
1971年登場の4代目クラウンは、「スピンドル(紡錘型)シェイプ」と呼ばれる斬新な(?)造形だったが、このデザインが意外にウケず、販売面でもライバルに負けてしまった。その“鯨のクラウン”のあとを受けた5代目は、不評だった曲面造形を廃して、すかさず失地を回復したが、(やっぱり……!)と確信したのかどうか。ともかくクラウンとトヨタは、1979年の秋、“ザ・クラウン”とでも呼ぶべきモデルをデビューさせる。
その6代目、造形のテーマは「直線」、そして「水平」だった。つまり曲面といわれそうなラインを一切使わず、全体はきっちりとした3ボックスとして、ボンネットとトランクリッドの高さを同じ(水平)にする。落ち着き感の中に主張のある、そんな新型のデザインは多くの人に受け入れられ、ついでにクラウンの「らしさ」も一気に確立するようなヒット作となった。
その後のクラウンは、この「直線と水平」を造形の基本に(ウェッジ・シェイプを導入して小さな失敗をしたことはあったが)、これが“日本のクラウン”の格好だという自信とともに、ヒット作を重ねていく。私たちが「水平」造形を見ると何となく落ち着くのは、日本の周りが海であり、また野には水田があって、「水」が必ず「水平」を形成することに関係があるかもしれない。ちなみに「日本三景」と呼ばれる景色は、三つとも「海」(水平)がその背景や基盤になっている。
ハードウェアとしてはこのモデルでは、クラウンの史上では初となるターボ・エンジン仕様、また3ナンバー・サイズのボディも、このモデルで初めて設定された。メカニズムとしては、当時としては先進の“カー・エレクトロニクス”を導入し、燃費や平均車速などを表示するクルーズ・コンピューターやマイコン制御のオートエアコン、運転席のパワーシートが装備されていた。
ちなみに、このクルマが登場した「1979年」とは、ホメイニ師による“イラン革命”が起こった年で、さらに石油メジャーによる対日・石油輸出削減で、日本は第二次の「石油ショック」となり、日曜日にはガソリン・スタンドが揃って休業するといった動きがあった。
(ホリデーオートBG 2000年3月より加筆修整)
Posted at 2016/10/17 04:40:08 | |
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