
「4代目」をめぐって、センチメンタルな言葉が飛び交う文になってしまったが、では、どうであったら「寂しく」なかったかをちょっとイメージしてみる。歴史に 《 if 》 を問いかけるのはあまり意味がないが、仮に2代目以降のプリウスがその「走り」をもっと「よく」したいと念じたとして、しかしそれは、こんな「低姿勢」のクルマにしなくても達成できたはずと、私は思う。
トヨタにはそういう技術力──というか技術陣のファイティング・スピリットがあるし、00年代以降、高いHP(ヒップポイント)のクルマで「いい走り」をするモデルを送り出してきた実績もある。そもそも、そうした技術的に困難と思えるテーマを掲げて、しかしそれをブレークスルーしつつ、誰もが扱いやすいように巧みにまとめるというのは、同社の技術陣の好むところで、また得意ワザでもある。
たとえば、プリウスは絶対に「HPは600ミリにする!」と決めていたら、そのテーマのもと、彼らはそれをやり遂げただろう。でも、そうはしなかったことが、この4代目でわかる。それが残念であり、そしてちょっと寂しい。
ただ思い出してみると、初代の「高姿勢セダン」コンセプトをプリウスが放棄するかもしれないという気配は、実は2代目の頃からあった。その理由のひとつは、2代目以降のプリウスが「ヨーロッパ」をその視界に入れたことである。「欧州」というマーケットとジャーナリズムで評価されたい、そこで通用するクルマにしたいというのがプリウスの課題になった。
そして、この新しいターゲット設定と併行して、初代の「走り」についての何とはない批判にも、作り手として対応する必要があった。その批判は、むしろ日本国内において顕著だったと推測するが、それは概ね、このクルマ(プリウス)はわれわれが知っている「自動車」とは感覚的に異なるという指摘だったであろう。
原動機の作動音や“呼吸音”もなく、変速もせず、ただただスーッと走る。それが電動ベースの「ハイブリッド・プリウス」だった。初代登場の時点で、電気自動車(EV)の走行フィールを知っていた評者がどのくらいのパーセンテージでいたのかはわからないが、「どうもEVみたいで……」というフレーズをネガティブな意味で用いる「批評」は、いくつかこの耳でも聞いた。
ただプリウスにとっては、「EVみたいだ」という評は正しすぎるほどに正しい。何よりプリウスは、そもそも「EV」として動きたいクルマだからである。発進から走行まで、ずっと「EV」でありたい。しかし、バッテリーの電気を消費するだけの“電池車”では、走行距離ひとつ取っても限界が生じる。そこでガソリンエンジンを搭載し、そのパワーを走行と発電・充電に使う。ゆえの異種混合、つまり「ハイブリッド」。これが初代もいまも変わらぬ、プリウスの主張と立ち位置であるはずだ。
(基本的にエンジンで走行し、そのアシストとして、必要に応じて「電動」システムを稼働させ、クルマをより速くタフにするというタイプの「ハイブリッド」ではない)
ただ、そうであるのだがプリウスは、これまでとは違う方式で動くクルマなので、走行フィールも違ってアタリマエですよ……という主張はしなかった。また、私たちは、これまでとは異なる種類の自動車を作っていますので……とも言わなかった。そしてジャーナリズムもまた、「これは、これまでになかった、アナザーなクルマなんだぜぃ!」というヨロコビ、もしくは別カテゴリーとして評価し直すということをしなかった。あるいは、そういう「批評」の方法があることに気づかなかった。
ただトヨタが「これはアナザーなクルマで」という路線で、外部からの「評価」に対応しなかったのは、多分に企業風土もあると思う。このメーカーは、ネガな評価を受けることがけっこう好きなのだ(笑)。……いや、プロダクトを貶されて嬉しいということはないだろうが、ネガティブな評価こそ、それを真っ正面からいったん受け止め、そこから反攻する。企業として、また技術屋として、こうした正面突破的なジョブを好んでいるように思う。
初代に向けられたいろいろな評価を経て、以後、トヨタとプリウスがめざしたのは、普通のガソリン自動車から乗り換えても、何らの違和感がないハイブリッド車にすることだったと思う。つまり、「ハイブリッド」から生じる違和感は、すべてなくす。ベースが「EV」であることも、それをオモテには出さない。要するに、何かの条件が付いたクルマとしてまとめることはしない。
そして突然、ハナシを今日に飛ばせば、この「4代目」の“普通感”は見事なものである。走らせて、クルマにモーターとエンジンの二つのパワーソースが積んであることを体感できる瞬間は、筆者が鈍感であることもあってか(笑)ほぼ皆無。また、電動状態なのかエンジン駆動か、あるいはその双方で走っているのか。この区別を、モニターなしで知ることも極めて困難。もし、今回のプリウスって、要するに“ただのクルマ”になったね……という類の評言が発せられたとしたら、それこそがトヨタのめざしたものだったであろう。
(つづく)
Posted at 2015/12/25 18:28:52 | |
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New Car ジャーナル | 日記