
さて、マツダ「787」である。細部の違いで、米国IMSA仕様の「787」、ル・マン24時間を含む世界耐久選手権仕様「787B」の二種があるが、もちろん同じクルマだ。そして1990年、このマシンはひそかな野望とともに「ル・マン」に参戦した。
市販車に搭載されている「2ローター」(おむすび型の回転するロータリー・ユニットを二個重ねたもの)から始まったレーシング・ロータリーは、この年、ついに「4ローター」に到達していた。この年の結果を先に書けば、同社のいう「レーシング・マルチ」を搭載したマシンは、総合7位(歴代日本車の最高位)と出場全車の完走だった。
レーシング・ロータリー・エンジンの場合、1ローター当たり150馬力というのがひとつの目安である。したがってそのマルチ化は、単純にパワーアップの手段として有効なことは見えていた。そしてそれが問題ないこと、レーシング・スピードで連続24時間走行しても、十分以上の耐久性があること。そのことが1990年に確認できた。
マツダの夢はふくらんだ。「4ローター」のさらなるコンパクト化(とくに全長方向)とエンジン・ユニットの軽量化。これらの基本的なシェイプアップに始まって、吸気系、燃焼系、排気系のすべてが見直された。そして、そもそも1ローター=150馬力なんて誰が決めたんだ?……というところからレーシング・ロータリーを再考し、ツメていった。
「R26B」と呼ばれる、その新設計ロータリー・エンジンが獲得した出力は700馬力/9000回転。ちなみに「4」で割ってみると、1ローター当たり175馬力ということになる。つねに極限であるはずのレーシング・エンジンから、なお、これだけの“モア・パワー”が絞り出された計算だ。(これについてはマツダは、さらなるパワーアップも可能だと語っている)
そして「R26B」搭載車のシャシーは、それまでの「767」系から「787」へ発展していた。ロータリーの耐久性はそれまで、数々の24時間レースで実証できた。次は、ロータリーの「速さ」のアピールだ。これがマツダ「787」の課題で、それまでの「マツダ」とは違う何かをル・マンで示さねばならない。
ただ、客観的には1990年の「ル・マン」は“ニッサンの年”だった。勝ちに行ったニッサンの前に、マツダはかすんでしまった。そして、レースのウイナーはまたしてもジャガー。「787」は挑戦者らしさを見せることもなく、マツダにとって表彰台ははるか彼方だった。
4ローター・ロータリーに秘めた野心、1990年で確認できた耐久性、しかし結果は、言ってみれば「完走」だけであったこと。そんな自信と屈辱の後の、そしてレギュレーションの変更で、異色のロータリー・エンジンが「ル・マン」を走れる最後の年になること。こうした野望や思惑が渦巻く中に「1991年ル・マン」の時は来た。
1991年、サルテ・サーキット。マツダ「787B」は、速くて、そしてタフだった。決勝はメルセデスC11とジャガーXJR12の対決模様で始まったが、それにマツダが割って入った。そして、ジャガーを抜いて2位に上がったマツダ。だが、燃費の問題がある大排気量のジャガーは、マツダを追えない。さらに、先行する首位メルセデスにプレッシャーを掛けるように、マツダがペースを上げていく。
それに対抗して、メルセデスは2位とのギャップをさらに広げるべく、タイムを上げての走行に入った。しかし、そのハード・プッシュが招いたのはミッションのトラブル。ピットに止まっているメルセデス、ストレートを駆け抜けるマツダ……。
1991年、ル・マン24時間。マツダ「787B」のオーバーオール・ウイン! 堅実にして速いロータリー・パワーの、見事な勝利だった。ラストの3スティントは、ジョニー・ハーバートが連続してひとりでドライブすることになったが、フィニッシュ後のジョニーは脱水状態となって動けず、表彰台の中央では、ベルトラン・ガショーとフォルカー・バイドラーの二人だけがトロフィーを受けた。
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はじめに、エンジンありき。これが他のメーカーとは異なる、マツダのレース活動の一大特色だ。たとえば、特異なそのエンジン形状は、レシプロ・エンジン搭載を前提に作られた既存のレーシング・シャシーとの組み合わせが不可能。エンジンの実走テストひとつを取っても、ロータリーの場合はシャシーから自製して行なわなければならない。そしてシャシーだけではなく、装着されるタイヤまでこのロータリー・レーサーのために作られている。
また、クラス分け、つまり排気量の換算方式という局面でも、孤高の闘いを強いられる。人為的に定められる「1・8」とか「2・0」とか、そんな「係数」ひとつで、レーシング・エンジンの戦闘力とその強弱が決定されてしまうこともある。
ただ、マツダがマツダである限り、このメーカーはロータリー・レーサーを作り続けるだろう。生まれて二十数年しか経っていない「若い」エンジンを、ひとつのメーカーがさまざまな場で鍛えている。レースがそのために使われたとしても、誰も異議はあるまい。レースはそれだけ、広く深い。
(了) ── data by dr. shinji hayashi
(「スコラ」誌 1992年 コンペティションカー・シリーズより加筆修整)
Posted at 2016/01/28 10:15:23 | |
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