
モンベルクラブ会員に四半期ごとに送られてくる情報誌「アウトワード」。
毎回、モンベル代表を務める辰野勇氏と何らかの関わりのある、有名無名問わず様々なジャンルの最前線で活躍している人物との対談ページがあり、各回とも非常に生々しく読み応えのある内容で、色々なことを考えさせられます。
今回の対談はタイトルの通り、福島県南相馬市長の桜井勝延氏。
3.11から数日経過してなお国に放置され続けた南相馬を海外に発信して一躍注目を浴び、ご存知の方も多いかと思います。
その後も農業をバックボーンにした自身の立場から様々な提言や行動を起こし、出来ないことを嘆くのではなく出来ることを積極的に進めて行く、非常にポジティブな精神を持った市長さんとして活躍されています。
内容はお互いのライフワークであるマラソンと登山と言う事から行動する上での目標の持ち方、人生観にまつわる話、それらを下敷きにしての3.11とその後の世の中の具体的な話と展開し、最初から最後まで一気に読んでしまいました。
正直、これが会員限定の内容なのは非常にもったいない位。とはいえここに丸写しと言うわけにも行かないので、特に印象深かった具体的な部分、ガレキ処理についてのお話をご紹介します。
---【引用開始】
(辰野)先ほどがれきの収集場を見せてもらいました。がれきが種類ごとにきれいに分別されていたのには驚きました。市長は以前、がれきを堤防に活用するという話をされていましたよね。
(桜井)いまもその考えに変わりはありませんが、官僚の考え方が変わっていかないとだめなんです。放射能の問題について官僚は完全に頭が堅くなっていて、がれきの活用を許可しません。同じ津波被害にあった宮城県・岩沼市も、岩手県・大槌町も、我々と同様にがれきで堤防を作りたいと手を挙げていて、放射能の被害がない地域は少しずつその工事が始まろうとしています。
(辰野)どう考えたってがれきの広域処理は理に合いませんよね。放射線量が比較的高い地域から、低い地域へわざわざもっていく理由がどこにあるというのでしょうか。
(桜井)私は広域処理には絶対に反対ですし、その前にできることはいくらでもあります。それをやらず、分別もせずに、ただごみの山にしてしまっているというのは最悪の状況ですし、亡くなられた方々や遺族の気持ちを考えると心が痛みます。そもそもゴミではないのですから。
---【引用ここまで】
新聞報道等を見ていると、地方のがれきが処理されないのは受け入れ先が抵抗しているからだ→被災地が困っているのに受け入れないのは非人道的だ、といった論調が目立ち、がれき受け入れに反対する人たちの過激な行動が「事件」としてクローズアップされたりしていますが、今一度考えてみると
『そもそも広域に持ち出す必要があるのか?それにどんなメリット・デメリットがあるのか?』
という議論は、すでに決定されたからなのか他に意図があるからなのか、それほど深まっている様子もなく、ただ『受け入れるか否か』みたいな話になってしまっている感があります。
そこにあるガレキはただ「厄介もののゴミ」としてわざわざ遠方へ持って行って、堤防を作るために恐らくは付近の山を崩してまた土石を持ってくる。あるいはこのご時勢、どさくさに紛れて不法な産廃を持ち込む輩が続出する可能性もある。どこが地方のためなんでしょうか?
近寄れないほどの放射能ガレキはともかく、そうでないものについては、地元で活用出来るのであればそれに越したことはないでしょうし、タダでさえ膨大にならざるを得ない国民の復興負担を少しでも軽減できる可能性がある。
それをあえて妨げるものとは一体なんなのか。桜井市長は端的に官僚の頭の問題と論じていますが、実際はもう少し込み入った事情があるものと推察はできます。しかしやはり端的にはそうなのだろうとしか思えない。
現在、桜井市長ほか地域の方々の奮闘虚しく、南相馬では先日も自殺と見られる方の遺体が見つかるなど、震災および原発災害は地域を暗く覆ったままの状況が続いています。更にこれだけのダメージを目にしながら、国と経済団体は今後数十年の単位ではなくほんの目先のレベルでしか大きな決断が出来ません。
主に推進・維持を主張する方々がよく口にされる「国家百年の計」というのは、元々勢いで動かし始めたことを破滅まで続けることではありますまい。地震の巣の上に54基の原発を維持したまま、百年後が無事に迎えられると真剣に思っている人はいないでしょう。
関東大震災で壊滅した帝都の復興案を即座に考案した後藤新平のように、一番大事なことのために頭を切り替えられる人が、国の中枢にどれだけいるか。
数十年の実験の結果が「このままいけば近々破滅」だったと分かったのなら、それは無駄ではない。ダメだった結果は結果として、サヨクが反対するのしないのヘチマのではなく、胸を張って転換させればいいのではないですか。どのみち時間はかかることを考えれば、決断は早くしないといけないですが、決断しなければ事は動かない。
大飯の問題は夏に止めるか止めないかなんて事ではないでしょう。福島第一の4号機を見ての通り、止まっていたって地震が来ればあの通りです。浜岡もしかり。炉に核燃料があり、それが制御不能になれば同じ。
廃炉が完了しない限り、事故の際の巨大リスクは無くならないのだから、地域の経済問題に矮小化して論じても虚しい。
ずっと両立すると信じられてきた「夢のエネルギー」と「将来に渡る充実の人生」が、一瞬にしてご破産になった。これは夢でもトンデモ理論でもない。目の前にぶら下がった現実、できれば見たくない現実、
でも見たくないもの=見なくていいもの、ではないのが厳しいところ。
矛盾だらけの電気料金値上げも、天然ガスや自然エネルギー発電のリスクも、あるいはそれでも最低限残さざるを得ない原発もぜんぶ受け入れて、それでも電気が止まるというのなら、不自由を受け入れる他はないのでしょう。
でも日本人はまだそこまで愚かじゃないと思いたい。
少なくともこのお二方の対談を読んで、また人の力を信じる気になれました。
いや、信じてがんばらなきゃいけないんですよね。自分は自分の持ち場で。

Posted at 2012/06/12 13:36:00 | |
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