自分にとっての永遠の憧れのクルマ。
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’64 Honda S600
ホンダスポーツ600は1964年(昭和39年)に発表された。
日本初のDOHCエンジン搭載市販車の”S500”に手を加え、より高性能な2座
スポーツカーとして誕生した。 ボディスタイルは、ブリティッシュ・ライト
ウエイトスポーツの流れをくんだスマートなデザインで軽快な走りを見せる。
室内もスポーツカームード満点で、アルミパネルのインストルメントパネルに
は、4連のメーターがつく。 タコメーターに刻まれた11000rpmがこの
クルマを表現している。
水冷直DOHCエンジンは、606ccながら4連CVキャブレターが装備され、
最大出力は75馬力、最高速度145km/hという数字をたたき出す。
1/32オーナーズクラブ箱絵より
●私は常々、2輪にこだわっていては大成しないと思っていたんです。
そこで面接のときに、初対面の宗一郎さんに言ったんです。
「4輪をやる気がないのなら、ホンダには入らない」とね。
そしたら宗一郎さんは「やれるかどうかわからないが、オレは4輪も
やりたいんだ」と言ったんです。
そこでホンダ入社を決意しました。
●オヤジさんはエンジンとデザインが得意ですから、かなり注文が来ましたね
粘土をこねらせると、そこからなかなか離れないんです。でも私はデザイン
にはノータッチで、シャーシなどの開発に没頭しました。 :中村氏談
●オヤジさんはモーターサイクルでノウハウの多い空冷式にこだわったので
すが、うまくいかないので水冷式も仕方なしと諦めました。
●当初は360ccでいく予定だったんですが、発売されたのは531ccのS500
です。これも492ccの排気量だったんですが、営業サイドからモアパワー
の要望が出されたたため、エンジンをスケールアップしました。
エンジン屋として最も困ったのはS800でしたね。
どんどんスケールアップするのでエンジン高が高くなりボンネットに納ま
り切れなくなってしまったのです。苦肉の策としてパワーバルジを追加し
ました。またピストンスピードも限界の20m/sに達してしまったんです。
でもオヤジさんが「いいからやれ!」と言うので構わずやってしまいまし
た。最初はオイル上がりやオイル下がりのトラブルが多かったですね。
これも苦労したことのひとつです。
最後はオヤジさんに泣きを入れましたよ。
「もうこれ(791cc)以上は排気量を上げないでください」ってね。
:2輪のレーシングエンジン設計が一段落したのを機に
Sプロジェクトに参画した久米氏談
(その後川本氏と共にF-2エンジンを手がけブラバムに提供し成功を収め、
N360のプロジェクトに参画しホンダは再び空冷路線を歩み始める。
その集大成がRA302。 しかしデリケートな温度管を要求されるため、
そのポテンシャルを発揮することなくレースの世界から退いた)
●宗一郎さんは、全て原寸にしてモノで実証しないと納得しませんでした。
クレイモデルでは何度も変更を命じられました。クレイモデルに触って削
り取ってしまうことも度々でした。しかもそれをすぐに直さないと機嫌が
悪いんです。(忘れないうちにもう一度やってほしいという気持ちが人一
倍強かった)だから朝に言われると夜までにもっといいカタチにやり直し
ました。
必然性から変更を命じるんです。機能性を重視したデザインを宗一郎さん
から随分教えられました。
●本格的な開発指令が出るまでは軽トラックとスポーツ360と並行して作業
していたんですが、進展ははかばしくありませんでした。
樹脂グループに頼みクレイモデルからFRPボディを作ってもらい、オレン
ジに近い赤に塗ったんです。この赤いダミーのスポーツカーを宗一郎さん
に見せたら、その瞬間、目がグッと輝いたんですよ。
あの瞬間は忘れられません。
翌日、藤沢副社長を引っ張ってきて盛んに説明してる。
下落合「よく見てよ。」
六本木「いいねぇ。」
下落合「いいだろう。」
永年の夢を目の当たりにしてよほどうれしかったのでしょうね。
(でも量産化する時に、消防車と似ているから赤はダメと役所から・・・)
●「親にも叩かれたことのない頭を叩かないでくださいよ」と言いましたが、
次の日に宗一郎さんの笑顔を見ると、何もかも忘れちゃいました。
『殴ったね。親父にもぶたれた事ないのに。。。』
●サイドビューはカルマンギアを意識してデザインしました。宗一郎さんは
芸者さんのお尻をイメージした少し色気を出したふくらみをもたせると言
っていました。
●宗一郎に知られず(喜ばせようと3人で隠れて)作った2シーターの流麗な
S600クーペは「3シーターにせよ」という命令で泣く泣くルーフラインを
40mm高めさせられてしまった。(最終的に3シーターは認可されず、
そのままクーペとして発売された):河村氏談
●「ホンダの社長は、技術畑出身であるべきである」
●「松明は自分の手で」←コレのオマージュがinsightの「 i 」:六本木談
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insight LPL福尾さんに直接聴きました。

▲箱絵
▲組立説明書 ▲中身の全貌。
実は今回、調べるまで1/32シリーズにSが存在するとは知りませんでした。
Nのフォルムがアレだったので期待していなかったのですが、作った人の写真を
見たら結構いい感じ(ヘッドライトが大き過ぎるとか細かな部分はありますが)
実際手に取った感じもこれで700円ちょっとなら正解ではないでしょうか。
で、今回はハードルを上げてスキルアップを図ります。
上がりのクルマになったらめちゃうれしいS600クーペです。
元々、パテでの表現は苦手ですが、何事もやってみなければ変わりません。
幸い、幌を畳んだ状態の他に、ハードトップも付属しています。
これを使って・・・。 プランAと命名。
実は昔はSは好きでもクーペのことはカッコ悪いと思っていました。
元々、Aピラーが立っている上(ガラスはラウンドしてますが)に
ルーフからお尻にのラインがなんとも不恰好に見えました。
なんというか、絶壁ならぬ凸ってるっていうか。。。
でも、インサイトに乗るようになってから、以前はカッコ悪いと
思い込んでいたモノも馴染んでくると逆転することを知りました(笑)
あんなにリアタイヤが見えないことを脳内で否定し抹殺してたのに。。。
スポーツ・クーペもだんだんカッコよく見えるようになり
あまり見かけない方がいいんじゃないんだろうかと。
実は今まで唯一乗った(乗せてもらった)のがS800のクーペです。
ロゴで市内の山側を走っていた時、信号待ちでクーペが走り去ました。
青になった途端、後を追い走り続けコンビニに入ったのを見て隣に駐車。
「あのー。 すみません。 ちょっと隣に乗せてもらえませんか?」
オーナーの方は変な顔をされてましたが買い物を済ませ、助手席の
工具を退かせて僕の入る場所を確保してくれました。
あの数十分間は、夢の時間でした。
オーナーになることは可能かどうかとか聴きました。
鈴鹿ならショップもあるよ。と言われましたが、どこにあるのか
分かりませんし、イチゲンさんには入り辛いところだと思われます。。。
一度、亀山の山中に民家に混じって倉庫に旧車ばかりをレストアしている
ショップには訪れたことはありますが。
理想を言えば名技オートなんですが・・・つながりもなく。
昔、数回訪れたガレージスズキも今はなく。。。
R800さんの秘密基地に泊まった時に「自分でレストアするんならクーペ
譲ってもいいよ」と言われましたが、あの時はそんな大それたことをする
自信もありませんでした。 甘えとけばよかったかも。
でもあの時は、車庫に屋根もなかったし。。。
保険として、失敗した時にはワークス仕様のS6になります(笑)
(これなら加工なしでキット付属のハードトップで再現可能)プランBと命名。
▲ちょっと合わせてみる。
▲ほう。 部分的に合いが悪いところもあります。
▲フォルムもいい感じ。
▲これだけで時たま見せるホンモノ臭を感じます。ハッとするみたいな
▲リアバンパーの隙間が気になる。→切り離して詰めます。
▲こんなもんで良しとする。
▲フロントはフェンダーアーチは繋がるようにしたけれど気に入らない。
シャーシ部分付属のボディを切り離しボディ上部につなげます。
▲バンパー&グリルを独立させたのでボディ下部はパテで再生。
▲どちらのパターンで行こうかな?(ラインイメージは下手くそです)
▲1マイルシートはT360のが余ってるので使います。
って、、、リアにはシートはありませんでした(汗)
▲内装は赤いレザーがいいので塗り分けしやすいように分割しました。
よく見たらバルクヘッド&センターコンソールがもう一個あるんですけど。
▲シャーシを黒く塗ろうといたんですが、もしかしてシャーシは黒いけど
ボディ裏面はボディ色かも?とクーペなら絶対この色という青みの銀。
(ちょっと粘度が高すぎる割に色が乗らない塗料でした)
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外出禁止令が解除されたので、ごんきつねさんとプチオフ。
ごんきつね「テンパータイヤのマット要らんのやけど、要らん?」
13 「ほ、ほしいです。」
「でも使わないんですか?」
今回のトピック。
バモスでやってみて効果があったのでインサイトにやってみたアルミシート。
しかし・・・キーレスが壊れたままのガンシップには効かず。。。
※業務連絡 こういう風に撮って欲しかったんです。。。
後編につづく。