
こういう観光地を回っている以上、沖縄戦の記憶を避けて通ることはできません。個人的に。
首里城内にある、戦跡。
第32軍 司令部壕跡
修学旅行であろう多くの高校生が来ておりましたが、足を止めることなく、誰が解説するでもなく、素通りしていったのは気になりますが、そういう時代なんですかね。
太平洋戦争末期の沖縄戦では那覇も地獄の戦場となりましたので、首里城は、この時も消失しています。司令部豪の目の前にふと目をやると今は、そんなことはなかったかのようなのどかな風景が・・。
1944年7月、絶対国防圏であったサイパン陥落を受けて、日本政府は南西諸島の老幼婦女子10万人を県外へ疎開させる計画を決定しました。
しかし、この疎開計画は船舶不足、家族と離れる不安、米潜水艦がウヨウヨ待ち受ける海を渡る恐怖などから、計画どおりには進みませんでした。
結果として、約6万5千人を九州方面に。約1万人余りを台湾方面に。合計 約7万5千人余りの疎開にとどまってしまいました。
実際、1944年8月、学童疎開船「対馬丸」が米潜水艦に撃沈され、判明しているだけで疎開学童784人を含む1,484人が死亡するという悲劇を引き起こしています。

小桜の塔 対馬丸犠牲者のお名前が刻まれています。合掌。

海鳴りの像
沖縄県民が乗船して撃沈された戦時遭難船舶は二六隻です。海なりの像には、対馬丸を除く二五隻の船舶で犠牲になられた県民一九二七人(沖縄県調査)の霊を祀ってあります。合掌。
疎開は計画どおりにいかずに、多くの住民を残したまま、1945年3月23日ごろから、米軍による激しい空襲と艦砲射撃、いわゆる鉄の暴風が始まりました。
投入されたアメリカ艦船は約1,400~1,500隻。地上部隊は陸軍・海兵隊を中心とする第10軍約18万3千人。航空支援、艦船の乗組員を入れるとゆうに20万人は超える大部隊でした。
迎え撃つ、日本第32軍は10万人余り(正規の陸海軍約7万7千~8万人、防衛隊・学徒・現地召集者など約2万~3万人)でした。
このように1945年3月に始まった沖縄での戦闘は、6月22日または23日、牛島満司令官と長勇参謀長が自決。第32軍の組織的戦闘は終わるが、掃討戦と局地的な戦闘はその後も続き、米軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは、7月2日です。
当初から日本軍は、沖縄で米軍を撃退できる可能性が低いことを認識していました。
そのため勝利そのものよりも、米軍にできるだけ多くの損害を与え、できるだけ長く足止めし、本土決戦の準備時間を稼ぐという「出血持久戦」を選びました。
そのため戦闘期間は約3か月でしたが、第32軍の死者は軍人・軍属など約9万4千人とほぼ壊滅。戦場に取り残された住民約9万4千人(沖縄県援護課の集計)も犠牲となる、多大な犠牲者を出して沖縄戦は終了しました。
とりわけ住民被害が集中したのは、第32軍が南部撤退を始めた5月末以降に集中しています。
この「出血持久戦」はアメリカ軍にも多大な死傷者が出ました。
アメリカ軍の戦死・行方不明 1万2,520人 戦傷者3万6,631人 戦闘損害合計4万9,151人。連合軍最高指揮官(米第10軍司令官)サイモン・B・バックナー中将(戦死後大将)も死亡。という犠牲を出し、硫黄島に続くこの犠牲者の多さに衝撃を受けた米軍は、この後の日本本土上陸作戦は計画を取りやめ、原爆投下による日本屈服まで結びつくのです。
別立て
第32軍を指揮していたのは、牛島満中将(自決後、陸軍大将に進級)でした。
以前、鹿児島市の加治屋町を歩いたことがあります。明治維新から日露戦争へと続く時代に名を残した人物たちの息吹を感じる町で、西郷隆盛、大久保利通、大山巌、山本権兵衛、東郷平八郎らの生誕地を訪ねました。
そこには、牛島満の生誕地もありました。
英雄綺羅星のごとく
今回は、上記のブログを書いた時よりも少し踏み込み、牛島満という人物について掘り下げてみたいと思います。
牛島満(以下、牛島氏)は、少年時代から同郷の西郷隆盛を敬慕していたといいます。
熊本陸軍地方幼年学校へ入った頃には、西郷も愛読した『言志四録』を読んでいたと、その伝記には記されています。後年、風貌や物静かでゆったりとした人柄から、西郷になぞらえられることもあったようです。
以前のブログでは、牛島氏も含めて「英雄綺羅星」とくくってしまいました。しかし、牛島氏を西郷らと同じ意味で「英雄」と呼ぶことには、慎重でありたいと思います。
牛島氏について調べると、温厚かつ謹厳な人物で、部下や教え子から敬慕されていたと伝えられています。同時に、軍人としても決して凡庸な指揮官ではありませんでした。
米陸軍の公刊戦史は、牛島氏を冷静で非常に有能であり、将兵の信頼を集めた人物と評しています。また、牛島氏の円熟した判断力、長勇参謀長の行動力、八原博通高級参謀の戦術的識見が組み合わさり、第32軍に均衡の取れた有能な司令部を形づくっていたとも評価しています。
第32軍は米軍の上陸地点をかなり正確に予測し、海岸での無理な決戦を避け、地下陣地と地形を利用した縦深防御によって米軍に大きな損害を与えました。
首里から南部への撤退も、その決断が住民にもたらした結果とは分けて軍事行動として見れば、豪雨と米軍の追撃の中で相当数の部隊を移動させることに成功。巧みなものでした。米軍は、日本軍が南部に新たな防衛線を築けるとは考えていませんでしたが、その予想に反して、組織的な戦闘はさらに続きました。
米第10軍司令官バックナー中将も、牛島氏に降伏を勧告する文書の中で、第32軍が勇敢に戦い、その歩兵戦術は敵からも尊敬を得たと記しています。もちろん、これは降伏を促すための文書であり、その点を割り引いて読む必要はありますけど。
さらに、アメリカの軍事評論家ハンソン・ボールドウィンは、太平洋戦争における日本の優れた指揮官として、「陸の牛島、海の田中頼三」を挙げたとされています。
少なくとも、敵であった米軍側にも、牛島氏の軍事的力量を高く見る評価があったことは間違いありません。
しかし、軍人としての力量と、沖縄戦における責任とは別の問題だと思います。むしろ、有能な指揮官であったからこそ、その決断がもたらした結果も重く問われるのではないでしょうか。
沖縄戦末期、第32軍は首里を離れ、多数の住民が避難していた沖縄本島南部への撤退を決断しました。南部撤退は参謀部内で検討され、進言されたものでしたが、最終的に決定したのは司令官である牛島氏です。
本土防衛の時間を稼ぐために持久戦を続けた結果、南部には軍と住民が集中し、住民の犠牲はさらに拡大してしまいました。
撤退作戦そのものは軍事的に巧みだったとしても、住民保護の観点から見れば、きわめて重大かつ悲惨な結果を招いた決断でした。その責任を参謀だけに負わせることはできないと思います。
少し乱暴な比喩かもしれませんが、企業経営において、社長が「本部長が悪い」「部長が悪い」「課長が悪い」と言って、最終的な責任を免れることができないのと似ています。実際には、そのような経営者も少なくありませんが……。
もちろん、企業経営との決定的な違いは、戦場での決断が人の生死に直結していることです。その責任の重さは、比べものになりません。
話を戻します。
沖縄での戦闘が始まる前に、本土や台湾への住民疎開が進められていたことも事実です。牛島氏が住民の避難状況を気に掛けていたとも伝えられています。
しかし、疎開は国の決定を受け、県や軍が進めた政策でした。それを牛島氏一人の人道的な判断や功績として評価するのは、正確ではありません。また、当時の疎開には住民保護だけでなく、非戦闘員を軍の負担から外すという軍事上の事情もありました。
牛島氏を残虐な人物とだけ決めつけるのも、温厚な人格者、あるいは優れた軍人だったことをもって擁護するのも、どちらも歴史の一面だけを見た評価ではないでしょうか。
人物として誠実だったという評価も、軍人として高い能力を備えていたという評価も成り立ちます。しかし同時に、沖縄戦の最高指揮官として南部撤退を決断し、結果として多くの住民を戦闘に巻き込み、犠牲の拡大を招いた責任を負う立場にあったことも動かせません。
人柄や軍事的能力への評価によって、その責任が軽くなるわけではないのです。
私には牛島満という人物は、称賛か非難かの一言では片づけられない、複雑な人物に思えます。そして、沖縄の人々が彼に厳しい目を向け続けていることは、当然理解されなければならないと思います。
Posted at 2026/09/16 16:53:00 | |
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2026年09月16日

首里城を後にし、隣接する玉陵(たまうどぅん)に。
玉陵は、首里城とともに、2000年12月に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されています。
100円ショップでよく見るガジュマルの木も育つところではこんなにも育つのか、と思いつつガジュマルの木群を抜けると・・・

石造りの小さな入り口があり

抜けると、歴代琉球王の遺骨が安置されている玉陵に。
「第二尚氏王統の歴代の陵墓で、1501年頃、三代目の王、尚真(しょう・しん)が創建したと伝えられています。
周囲は石垣で囲まれ、墓室は東西に連なる自然の崖壁に穴をあけ、連続した3つの室が造られ、東室は洗骨後の王と王妃の遺骨を、中室は洗骨までの遺体を、西室にはその他の家族の遺骨を安置しました。外見は木造建築を模し、棟には尚家の家紋や牡丹・唐草・宝珠等が彫りこまれ、左右袖塔上には陵墓を守護する石彫りの獅子像が置かれています」

トックリキワタ。
酔っ払いのお腹に似ていることから、酔っ払いの樹ともいう。

お隣の首里城の賑わいに比べると、静寂な感じがしますがそれが良い。と言いますか、王族がお眠りになっているところですからね。
玉陵をあとに、あてもなくブラブラ歩くと、首里金城町の石畳道に。
下ると、登らなくてはいかん、と思いながらも石畳を下ってみる。
「16世紀に首里から那覇港や沖縄本島南部へ通じる主要道路として造られた「真珠道(まだまみち)」の一部です。
敷石は20~30cm程の琉球石灰岩を組み合わせた「乱れ敷き」という手法が用いられています。当時は総延長約10kmにも及んだ道でしたが、現在では、島添坂(しますいびら)の下方にある金城大通りから金城橋へ下る約300mで石畳道がみられます
周辺には赤瓦家が並び、琉球王国時代の城下町の風情を感じながら、散策を楽しむことができます。ただし、雨の日はすべりやすいので注意が必要です」
無料休憩所前
ブーゲンビリアが咲く家々。
泡盛と創作うちなー料理
首里殿内 あぐー豚料理食べたかったなぁ(笑)
調べると
ランチ 11時~15時(14時ラストオーダー)
ディナー 17時~23時(22時ラストオーダー)
とあり、ちょうどランチが終わったところですかね。
石畳を下ると金城ダム。
機能としては洪水調節、流水の正常な機能の維持の2つを目的としているようです。
ふとハイドラを見ると、ダムも狙っていっていたわけではないのですが、2年前に到達した上級で終わりました。
神様もあったのですね。
Posted at 2026/09/16 13:53:48 | |
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2026年09月15日

世界遺産の首里城。
2019年10月31日の火災で焼失。復興は着々と進んでいます。
2ヵ月後の首里城正殿の復元完成式は2026年11月22日(日)に開催。一般公開(供用開始)は2026年11月23日(月・祝)の正午から開始されます。

正殿には入れませんが、周辺は立ち入り可能。

弁財天
この画像が表示されたあなたは24時間以内に幸運が訪れます・・・(笑)
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どんよりしていましたが、帰るころは、

てぃだ(太陽)がかんかん(照り)
Posted at 2026/09/15 20:09:47 | |
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2026年09月15日

ポルシェ911 992.2 Carrera 4 GTS

エンジン形式=水平対向6気筒+T-ハイブリッド
排気量=3591cc
システム最高出力=541PS
システム最大トルク=610Nm
トランスミッション=8速PDK
駆動方式=RR
最高速度=312km/h
0-100km/k加速=3.0秒
ポルシェ 911 GT3

排気量 = 3996cc
最高出力 = 510PS
最大トルク = 450Nm
トランスミッション = 7速PDK または 6速MT
駆動方式 = RR
最高速度 = 311km/h (PDK仕様)
0-100km/h加速 = 3.4秒 (PDK仕様)

1980年式 ポルシェ 930ターボ RUF仕様

3465万円のプライスタグが掲げられていました
子供心にも、簡単と思い、この角度からの絵をよく描いていたのを思い出します
さて、ポルシェからのヒョンデ。
車関係はなんの偏見もないセイドルさんが通ります(笑)
東京モーターショーではひとだかりで、全体像がよく見えなかったヒョンデの新型NEXO(ネッソ)
現代自動車

NEXOは54ℓの高圧水素タンクを3本、計162ℓ搭載し、水素有効搭載量は6.69kg。150kW、350Nmのモーターで前輪を駆動
一充填での想定走行距離は1014kmで、水素の充填時間は約5分。ただし、この充填時間は、燃料供給する水素ステーション側にしばらく水素補給する車がいなかった場合ね。
車内外で最大1500Wの電力を供給できるV2Lを標準装備。
停電時には家庭や避難場所へ電力を届ける移動型電源車としても機能する。
BEVからの給電との差は、水素さえ充填できれば繰り返し発電できるのは強みです。ですが、その水素が手軽に手に入らないのですよ・・・
全長4750mm、全幅1865mm、全高1690mm
価格はVoyageが750万円、Loungeが820万円、Lounge+が835万円。補助金は147万円とのこと。
ネッソは、世界で一番売れているFCVですが、たいして
トヨタの燃料電池車、MIRAI。日本では月数台の販売。
アメリカでも、トヨタMIRAIは悲惨なことになっていますねぇ。
今日見たニュースですが、
「とくに驚かされるのが米国だ。2026年モデルのMIRAIは5万1795ドルからだが、現在トヨタは条件を満たす購入者に対し、3万5000ドル(約550万円)もの購入インセンティブを設定している。
さらに72回までの金利0%ローンも用意。米トヨタ公式サイトでも、この3万5000ドルのキャッシュインセンティブと0%APRが確認できる。さらに1万5000ドル分の水素燃料まで提供。それでも2026年も1~7月累計152台にとどまるという。」
つまり
、車両価格は日本円にして550万円の補助で257万円。ローン金利は6年0%。
燃料代は229万円まで補助、でも売れない・・。
私も最初検討したんですけど、当時(今も?)は高速道路上に水素ステーションもなく、近所にあるにはありましたが、営業時間不安定にて断念。
たいして、EVは自宅で充電できますし、外でも充電スポットはもはや2万カ所以上で充電できますから、そちら(ジャガーIペイス)に決定してしまいました。
比べて、水素ステーションの数の少なさ(141ヵ所)と、営業日の不安定さ、営業時間の短さと、燃料代のm※高さと言ったら・・。
※燃料(FCV用):1kgあたり約1,650〜2,200円 トヨタ「MIRAI」を満タンにする場合、約5.6kgで約9,000〜12,000円程度
水素ステーションは神戸のポートアイランドで見ましたが・・
EV入門編その30 コスト編その②
マルチパスウェイですか。
韓国の方があきらめていないといいますか、燃料電池車およびインフラを育てているように思います。
Posted at 2026/09/15 18:05:34 | |
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イベント | クルマ
2026年09月15日

マニアックな曲5分4。メジャーな曲5分1といった割合の歌の風景シリーズ。
今日は、メジャーな曲の方です。
竹内まりあの本気でオンリーユー。
本気でオンリーユー (Let's Get Married) 1984
沖縄の海岸を目的もなくブラブラしていた時に訪れた教会。
この曲が頭に浮かんできました。
L.A.で訪れたチャペルのようで良い雰囲気でした。

誰もいない教会と海。

とおっさん一人(笑)
Posted at 2026/09/15 15:30:59 | |
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