現行スイフトに続いて、エスクード2.4(旧型エスクード)も生産終了のようですね。
いよいよ次期スイフト発表が秒読み段階になってきましたが、ちょっと気になる記事を見つけたのでご紹介。
と、言っても8月の記事なんで、すでに読まれた方も多いと思いますが、responseの
【スズキ バレーノ 800km試乗】スイフト で描いた欧州コンパクトの“夢”は消えた…井元康一郎
という記事です。
この記事の最後の方で、スイフト開発に携わった「小野浩孝」さんという方について触れられています。
自分は不勉強で存じ上げなかったのですが有名な方だったのでしょうか?
ちょっと長いですが該当箇所を抜粋引用しますね。
かつて、スズキの次代を担う男として注目された小野浩孝という男がいた。現在の鈴木修会長の娘婿で、通産省(現・経産省)のキャリア官僚だったが、修氏に乞われて2001年にスズキに入社。小野氏は文系官僚だったが、スズキを商品面で夢ある会社にしたいという考えを持っており、サブコンパクトカーのスイフトを安物ではなく、欧州市場でも通用するベーシックカーにしようとした。デザインを改革し、アピアランスでユーザーを惹きつける。また、走りを知り尽くした欧州拠点の現地スタッフに心ゆくまでチューニングをやらせ、欧州メーカーのサブコンパクトに走り負けないためのクルマづくりを進めた。その結果出来上がったのが、マッシブなスタイリングを持つ2代目スイフトだった。
修氏はスズキ社内で鉄壁の権力者であったが、その頃、「僕みたいな年寄りがクルマづくりに口を出してもロクなことにはならない。もうそろそろ若手が全部やってもいいんじゃないかな」と、唐突に口にしたことがある。低いブランドイメージゆえ先進国市場での苦戦は続いていたが、ハードウェア面ではスイフト、スプラッシュをはじめ、スズキのクルマがおしなべて、コンパクトの本場である欧州市場でもきわめて高い評価を受け始めていたのに目を細めていたのだろう。そして、ほどなく小野氏に社長をやらせ、自分はスズキの経営の第一線から退いてもいいと考えていた気配すらあった。このように全幅の信頼を置いていた小野氏が07年、膵臓がんのため急逝。それから間もない頃、修氏は一転、生涯現役を口にしはじめた。
現行の3代目スイフトもまた、国産サブコンパクト離れした素晴らしい走り味を持っているが、それはまさに、この世を去った小野氏が描いた、先進国でも輝きを放つようなクルマづくりでスズキのブランドを一流にするという夢が受け継がれたものと言えよう。が、バレーノはそのスイフトの良さとはまったく異なる方向を目指したクルマとなった。小野氏の夢は今、終わったのだ。
バレーノのプラットフォームに今後、どのくらいのカスタマイズの余地が残されているのかは現時点では不明だが、世界戦略車である次期スイフトも基本的に同じものが使われるという話をきく。
次期スイフトをスズキの開発陣がどういう思いを込めて作り、どういう味を実現させるかによって、スズキが単なる安物メーカーを志向するのか、価格帯は低くてもユーザーの注目を集める輝きのあるブランドになろうとするのか、方向性がある程度見えてくるのではないか。
正直この記事読むと、次期スイフトに不安しかわいてこないんですが(汗)
自分の不安を吹き飛ばすような新型スイフトが出てくることに期待したいと思います。
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Posted at
2016/11/05 15:20:48