今日で無事にGT−Rに乗って8年が経ちました。
自分がこういう仕様のGT−Rが必要だったのは!
雲の上の存在の先輩と走りたくて必要でした。
20年前の現場H番丁稚時代ですら!
先輩のRの性能は!
今の自分のRよりはるかに上でした。
そんな自分は馬力は全然足りなくても!
現場ただ1つ場所で!
最速の先輩にどこまで近づけられるか!
挑戦したかったのが理由でした。
当時自分はベースのニ世代GT−Rを!
業者オークションで探してもらって!
エンジンも時代は2.8リッターでしたが💪
自分は2.7リッターに拘り
エンジン製作から
タービンも決めてましたが!
昔現場で散々走った!
古い友達が!
自分の考えていた仕様に近い車両を!
友達が今持っているBCNR33で💪
後から追いかけ🦾
簡単に抜き去る動画を送ってくれて👍
自分の理想の仕様じゃ話しにならない!
無駄だと言うことの!
現実を教えてもらい!
今の33GT−Rに行き着きました。
過去を良く知る現場の古い友達です👍
横乗りとは言え800馬力オーバーを💪
叩き込んでもらったことは!
一生忘れません!
自分が今のBCNR33に乗り始めた頃は!
先輩は2号機で戦闘を繰り広げ!
750馬力までなら負けないと言われ!
最初の頃は先輩に相手もされず!
飛び石さえくらえず……
ブーストもその頃は1キロや1.2で当然です。
純正5速からゲトラグミッションに変更もあったりで!
2年近く時は過ぎていき……
2号機に遊ばれる悔しさから今のBCNR33で!
乗り始めからの3年間は!
毎月2〜3回は欠かさずに!
⚪⚪町も含め現場へ!
先輩とロエ⚪先輩!
それぞれの場所の先輩に!
通ってしごかれました。
そんな修行もあり!
慣れてきて2号機とやりあえるようになり💪
先輩は相手不足により!
3年近く眠らせていた!
1000Rにスイッチ!
ボディからエンジンまで💪
きっちり仕上げて復活させてくれました👍
やっぱり先輩には33だと!
つくづく思わされました。
先輩がシェイクダウンで田舎まで来てくれて!
現場まで2台で踏んだ夜は忘れられません。
自分の33GT−Rは🦾
先輩の1000Rと2号機に
5年間鍛えられました!
そんな本人から新たに話を聞くことが出来!
【 2024年1月1日一部追加させてもらいます 】
その先輩は知り合う前から
当時の首⚪高を本気のランナー達に!
kingや帝王と呼ばれ恐れられた方です。
昔!1冊の雑誌から存在は知ってました。
雑誌はBNR32だったので同一人物とは!
今日まで知りませんでした。
その歴史はR31フルチューンに始まり!
その後GTS−R改フルチューンと変わり!
先輩は!さらに二世代GTーRに変わり!
32・33・34・33LMとRBフルチューンで走り続け!
国産から外車まで複数台所有しながら!
首⚪高からサーキットまで!
昭和から平成に令和と駆け抜けてきた歴史の方です。
自分は令和6年の2月で50歳になりましたが。
先輩はバリバリの素晴らしい方です✨
出会いは偶然1台目の33で捕まって!
翌週の深夜に寄ったことすら無いPへ呼び出しから!
スタートした!先輩との仲ですが!
出会えて光栄です。
当時から近寄りがたい雰囲気の33Rでした。
その戦歴跡【 勲章 】のついたフロントに……
初日から質問は不要でした。
2年間はピカピカだった自分の
フロントバンパースポイラーは!
先輩にシゴカレ!
あっと言う間に……
⚪番で2着を繰り返し……
ラインは前車のテールにはなるべくつかず!
人と違うラインをなるべく取る走りをしても!
勲章だらけとなりました。
最終戦以外は先輩はミシュランのラジアルタイヤでした。
仲間内では現場はSタイヤ禁止です👍
先輩は現在!1000Rを降りましたが。
今また新しい33も製作している先輩です💪
新しい33では!
昔!散々荒らした!
サーキットも狙うとも語ってました。
その為現在は違うマシンで走り続けてます。
そんな先輩は以下に特に厳しい方でした!
上下関係に挨拶・言葉使い・態度・走りへの熱さ・認める大切さ!
特に言い訳などは!
聞いたためしがありません。
自分も白い33当時から
先輩を見習い!
言い訳はしなかったです。
先輩方に言わせれば!
クルマがどうのこうの言う前に言われることは!
サッサとやれ👍やってこい!これで終わりの!
不言実行が絶対条件の!
言うだけ無駄の厳しい現実世界でした。
湾岸は大きく分けて!ST・Gを決めてやってる人達は💪
走るスタイルは様々な形があると思いますが。
走っていた!約3年前までの話になりますが!
基本⚪番と⚪番しか存在しません。
自分はその1つの時間⚪番でした。
怪我のリハビリ含めると17年!
1つの時間⚪番やりましたが👍
その中で速かったチームは!
BBdan Japan や565ゴルゴ!
そのメンバーは⚪軍の外国の方から!
⚪⚪ドライバーまで存在しマシンも文句無し!
別なルートを流すと言う名目でも!
BBdan Japanや565の人達は……ただ!
……走り出したら止まらない!
知る限り!流すイコール…全開バトルでした💪
そして!群れをなさない人達でした。
偶然出会ってバトルして💪
何も起こさず更にマシンも無事で👍
BBdan Japanや565に停車までついて行けて挨拶まで出来れば!
自分は相当なドライバーと見ます👍
そんな先輩方からの教えは忘れません。
現場で17年間先輩の後ろ姿を見て来ましたが!
本当の走りは抜いて逃げ続けなければ
見せてくれません。
ちょっと前に出た位じゃ…
おそらく本当の恐さは見れません。
何故なら自分が白い33の時から!
今の33で負けてた日々は!
ゴールした際には必ず見える!
ほぼ同じ位置に留まって!
もう少しもう少しだぞの!
追う側へのモチベーションを無くさせない!
役者を演じていたことを!
最終戦で知ったことです。
先輩は本気の姿を現す時!
マフラーの芯まで真赤に染めてくれました。
今のRを踏み切り知り得た結果です。
芯が黒い夜はお遊びだった事実!
戦歴中トータル2回だけでも良い思いをし👍
先輩に認めてもらえるまでに!
17年掛かりましたが👍
努力して得た結果には満足しています。
傷だらけになりましたが!
勲章バンパーを大切にしていきます。
そんな経験した中で最速だった先輩は現場では!
唯一無二のドライバーで💪
深夜の数多くのランナー達を魅了させ!
恐るべき伝説の人で有ることと1000Rです。
停車はしても!ほとんど駐車しない!
走り終わってもその場に5分と居ない先輩でした!
ほとんど取材されない訳です。
特に走りにはストイックな先輩でもありました。
何回か一晩3回給油したことも懐かしい思い出です。
あと!先輩のRのエンジンを!
一度は見せて欲しかった!
その1000Rからは!
常に恐ろしいアイドリングが響き渡り!!
ブースト計の針はメーター上0で止まってました……
アイドリングで負圧0参りました(╥
自分は今のGT−Rも素晴らしい出会いでしたが!
現場で!17年以上修行させてもらった先輩と1000Rも!
最高の出会いでした。
自分はGT−Rの乗り方は!
ソアラから始めて💪トータル20年以上!
走り続けて来た湾岸から現在は離れ!
この3年間で✰ずいぶん変わりましたが!
これからもGT−Rと!
楽しく時に刺激的に付き合って行こうと思います。
独り言です…
素晴らしいクルマは世の中に数多くあると思いますが……
時代は変わっていきますが!
知る限り1つ場所の一時代で!
BCNR33は!
安定した高速安定性・空力・4駆・RBのサウンドに🎵
ドライバーをその気にさせるコックピット!
湾岸で戦うことに優れていたクルマの1台と思ってます👍
現場を離れた今もその気持ちは変わりません。
湾岸を走り続けた先輩が……
特に33に拘り続けたことも💪
きっと同じ理由だったと思ってます👍
愛車BCNR33やこのブログを読み!
共感され👍
イイね!くださった☆
みんカラの皆さん!
みん友の方々☆
イイね!1つ1つが励みになり💪
とても嬉しく思ってます。
これからもGTーRと共に9年40000キロ目指して行こうと思います。
皆さんどうぞよろしくおねがいします。
最後まで読んで頂きありがとうございました。
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湾岸17年 | 日記
Posted at
2023/06/08 12:50:41