最終日、3日目となりました。
本日は、新潟市と並ぶ新潟県内の中核都市、長岡市をブラブラ、その後は、帰京する予定です。
長岡と言うと、
米百俵の精神で有名ですが、戊辰戦争で官軍から城を奪い返した河井継之助と帝国海軍の山本五十六元帥の出身地でも有名です。
まずは、朝ご飯で腹ごしらえ。ビジネスホテルの朝ご飯で、前日と同じようなものの食べ放題ですが、新潟イタリアンがあるのが前日のホテルとは異なりました。
長岡市内の最初は、
山本五十六記念館から。駅から歩いて10分程度です。
駐車場は、他都府県ナンバーの車で待ちも出ていました。人気あるスポットのようです。
日本海海戦以来の大鑑巨砲時代から、航空母艦と飛行機による兵術変換を主導、太平洋戦争の緒戦勝利に繋げた立役者という認識でした。
マレー沖海戦が好例です。
英語は駐在で鍛えられたのでしょうが、日本語の文才、漢学の素養もあり、文武両道の模範と言えるでしょう。
後で出る北越戊辰戦争で河井継之助と共に奮戦、最後は官軍に捉えられ、斬首された
山本帯刀の山本家が断絶、元長岡藩主の牧野子爵が高野五十六を山本家を継がせ、山本五十六となった由。
長岡藩は謂わば賊軍ですが、そういう中、海外事情と最新の軍事動向に詳しいことから、ここまで上り詰めたのでしょう。
尤も、太平洋戦争については「(開戦を唱える陸軍との)内乱でも国は滅びないが、戦争で負けた場合は国が滅びる」と主張、開戦には徹底抵抗する気だったとか。実際には、そこまで進みませんでしたが‥‥。まぁ、ネットで徘徊すると、毀誉褒貶ある人でもあります。
次は、
河井継之助記念館です。
北越戊辰戦争で一旦は数に勝る官軍に奪われた長岡城を奪取、ラストサムライの意地を見せた武将です。戦争前は、特権を享受していた既得権益を撤廃、財政再建を果たし、軍備の刷新にも努めていました。
記念館には、河井継之助が導入したガトリング砲(多分、模型と推察)が置かれており、ハンドルを回すこともできます。
河井継之助は、司馬遼太郎の「峠」により有名になりました。今回は行けませんでしたが、小千谷市に司馬遼太郎のベストセラー「峠」の
文学碑がある由。
そこには、
「武士の世の終焉にあたって、長岡藩ほどその最後をみごとに表現しきった集団はない。運命の負を甘受し、そのことによって歴史にむかって語りつづける道をえらんだ。」と刻まれているとのこと。
作家故の名文となっているとは思いますが、戊辰/北越戦争で、旧幕府軍は、
1.「義に死すとも、不義に生きず」(会津)
2.「今般、奸臣、天使を挟んで幕府を陥れ、御譜第の諸侯、往々幕を背いて薩長に通ず。大いに怪しむ に堪えたり。余、小藩と雖も、弧城に拠りて国中に独立し、存亡を唯天に任せ、以て三百年来の主恩 に酬い、且、義藩の嚆矢たらんと欲す」(長岡藩)
との思いから、「義」のために戦いました。長岡の北越戦争では、小藩の長岡藩に手こずり、官軍は戊辰戦争最大の900名の犠牲を出したとの由、まとに「ラスト・サムライ」です。
河井継之助は、また「立身出世は孝の終り」とも言っていたそうです。城内でスタンドプレイ、阿諛追従に走るサムライを難じているのはスカッとしました。
近々、
映画化されるということでした。
さて、連れ合い様は、歴史より市街地観光です。駅前ホールのアオーレ内にある
「ながおか花火ミュージアム」で花火の映像が良かったとかで、私も連れて行って貰いました。
花火は確かに圧巻でした。こんな感じ↓ ↓だそうです。
歴史上の有名人関連の展示を見た後は、
新潟県立歴史博物館へ向かいました。
長岡市街中心部から離れたところにありますが、これも立派な博物館でした。
新潟市歴史博物館が「潟」との戦いに重きを置いていましたが、県立なので、佐渡金山、県下の豪雪との戦いの他、近現代史に重きを割いているように思えました。
新潟の政治家・軍人では、先の山本五十六の他、田中角栄もいました。
また、オブジェによる展示は、当方が今まで訪ねた博物館にはない試みで斬新でした。
雪国を対象としたものです。
もう一点。
この後は、近くの
国営越後丘陵公園で
チューリップ祭りをやっていたので、そちらへ行ってみました。
整備された公園で、見頃でした。
iphoneによるアップ写真です。
これで予定された行程は、全て終了、帰京の途につきました。
帰りは、行きと同じでは能がないため、関越道経由としましたが、渋滞予想では鶴ヶ島JCT辺りで大渋滞が予想されていたので、時間調整して帰ろう、ということにしました。
時間調整先で候補に挙がったのが小千谷市の
「錦鯉の里」、公共の温泉施設である「
ちぢみの里」です。
「錦鯉の里」が閉まる可能性があったため、長岡⇒小千谷市は高速で行きました。
その前にさすがに腹ごしらえ。「錦鯉の里」の前にある産業会館内にある
「ラーメンつり吉 小千谷店」で昨日同様、遅いお昼ご飯としました。
京都の
新福菜館のラーメン系でしょうか、まずまず美味しかったです。
食べログでの評価もまずまずのようです。
「錦鯉の里」は、子供の日ということもあり、入場料はタダでした。
入ってみると、品格のある錦鯉が悠然と泳いでいました。錦鯉も育ちが泳ぎにでるのですかね。
外の池です。
片岡鶴太郎他、有名人が預けている錦鯉もいるとか。
優雅な錦鯉の存在を知った後、「ちぢみの里」へ出向きました。
ここの
リラックスルームなりで仮眠していこう、と思っていましたが、ドアを開けると‥‥、何とも言いがたいかびっぽい臭いがしてきましたので、当初の思惑は崩壊、どうも渋滞も心配したほどでもなさそうなので、温泉から出た後、帰ることとしました。
但し、
温泉自体は、関東と異なり無色透明、ヌルッとしていてとても良かったです。
帰路は、ちぢみの里の前に17号線が走っていたため、湯沢ICまで下道を辿ることとしました。
折から、また夕暮れ時となり、魚沼の水田に夕陽が映え、信号にも余り引っ掛からず快適な17号線ドライブとなりました。
日暮れ前です。
湯沢Cから高速に乗りましたが、あちこちにビルがそびえ建っています。帰ってから調べるとホテル、リゾートマンションということでしたが、リゾートマンションの所有者は管理費払っているのかな、管理費滞納が増え、マンションがスラム化していないか等、つい気になりました。
鶴ヶ島JCTの渋滞はいつの間にか解消され、圏央道でつくばまで行き、帰宅しました。
新潟県はスキー以外では初めてであり、新潟市・長岡市と巡りましたが、いろいろと見ることが出来たほか、綺麗な景色を見ることも出来、いい思い出になりました。
引き続き、未踏の地の解消で出掛ける機会があればと思います。
最後まで、お付き合いいただき、ありがとうございました。
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Posted at
2019/05/12 15:12:08