
昼食後とりあえず来た林道を下り始めます。
下りのルートはそのまま下っても面白く無いので途中から別ルートへ分かれて下る予定です。

しばらくは富士見パノラマのAコース並の超ハイスピードダウンヒルを楽しみます、が今日は
プロテクター類はヘルメットとグローブだけなのでこのスリッピーな路面に足下をすくわれないように
少しセーブして下ります。

目指す分岐地点まで下ってきました。
っていっても実は調子こいて下ってこの地点を見逃して下りすぎてしまいまた登り返してきました(笑)
しかしこの先にルートなんてあるのかな?

不安になりナビで確認すると国土地理院の地形図にはしっかりと破線が記されています。
もっとも破線なので廃道って可能性もありますが・・・

ここでとりあえずMTBを置いて探索に出かけます。

踏み跡らしき所は見当たりません・・・

しかし薄暗い林の中を見渡すと木の幹に付けられたピンクリボン発見。
もしかしてここがルートなのか?

とりあえずピンクリボンを頼りに下って見ます。

やはり一定の間隔でリボンが確認出来ます。

しかしここで次のリボンが確認出来なくなりました。

斜面はこんな感じの急斜面。
このままMTBとともに無謀に下って行ってはっきりとしたルートが確認出来れば良いのですが万が一ルートロスしてこの急斜面をMTBとともに登り返すのは非常に過酷なのでにこのルートは無理をせず諦めます。

MTBの置いてあるところまで急斜面を引き返します。

で、引き続き超ハイスピードダウンヒルでかっ飛ばします。

あっという間にゲート到着。
気持ちよかった~!

13:20
無事下山。
下り始めたのが12:50
途中引き返したりルート探索を行っていて時間ロスしていますがそれでも山頂から30分で降りてきました。

今日は路面はスーパードライ(ビールじゃないよ 笑)だったのでMTBの汚れも砂埃だけしか付いて
いません。
なのでと言うわけではないですが時間的にも何か物足らない感じで終わっちゃいました・・・
ってことで、またいつものように断念したルートの麓側を車で探索に行ってみます。

一度国道まで下って・・・

ナビの画面を見ながらとある所を林道目指して入って行くと・・・

農園になってしまいそれ以上進入出来なくなってしまいました。
う~ん、悔しい。
そうなるとなんとしても上から下って来たく思えてきます・・・
で、
終わっちゃいました・・・
本日の予定、終わっちゃいました・・・・
またいつもの温泉の用意もあるのですが、やっぱり物足りません・・・・

ってことで、また国道に戻り、「車de林道探索」に行っちゃいましょう~!

とある集落を抜けて行くと・・

道路脇のかなり遠くにある畑に鹿の姿が・・・

みんなこっちを見ています。

車駐めて写真撮っている間、まるで置物のように微動だにしませんでしたよ。

その後もどんどん山に向かって進みます。

とある場所で記念撮影。
この場所は遙か昔私がまだ高校生の頃に始めて買ったMTBで今から向かう峠へチャレンジした
時にMTBの写真をここで撮った記憶があります。
その写真何処行ったのかな~?

こんな激狭なルートを進んで行くと・・

出てきました。
「時山~多賀林道」
今では車両も通行できる舗装林道になっていますが以前は車道は途中まででそこからは登山道になり車両の通行は出来ませんでした。
高校生の私がMTBでチャレンジした頃は勿論途中から登山道になりあまりのハードさに途中で
引き返した峠でした。
で、その時人生で始めてヤマビルって奴に吸血された一生忘れることの出来ないルートです。

前方に自転車発見。
軽装なのでロードの方かと思いきや珍しくMTBの方でした。
この峠をMTBで登るのは辛そう~。

その後も快調に登って行きます。

五僧峠到着。
この峠はかなり歴史がある峠なのです。
遠い昔の話では関ヶ原の合戦後に敗れた島津義弘が逃げる時に越えた峠だそうです。
他にも色々な言い伝えが残る古い峠だそうです。
歴史に興味ある方は少し見にくいですが下の画像の案内看板で勉強してくださいね・・笑

ここが旧五僧峠だと思われます。
こけむしった石垣が歴史を感じますね。

この五僧峠には廃村「五僧」の建物が今も残ります。
今はこうやって車で簡単に訪れる事が出来ますがこの時山~多賀林道が開通するまでは
三重側からも滋賀側からも登山道を歩いてこないとたどり着けませんでした。
私も若かりし頃に林道、廃村好きの友人K氏とともに滋賀側から歩いてたどり着いた記憶が
あります。(滋賀側からの方が近くまで林道が通っていました)

五僧峠から三重県側に戻って次なる林道へ向かいます。

ここは、未舗装の本格的林道。

川が横切っていたり、大小いくつもの落石があったり、ビアンテだと底を擦ることも度々あります。

横を流れる川には崩れかけの堰堤があったりします。

しかし、なぜ、そこまでしてビアンテでこの林道を進むかと言いますと・・・

こんな建造物がこんな山奥の河原に残されているのです。

「白石工業第二発電所」
ここは、超メジャーな廃墟で今はもう取り壊されてしまった白石工業の当時の発電所跡だそうです。

壁にはこんな大きな落書きが・・・
建物右端の扉の大きさからこの落書きの大きさが推測出来ると思います。
いつ、誰が、どうやって、何のために描いたのか?謎です・・・・

この建物も以前に友人K氏とジムニーで訪れた事あるのですが中には入れませんでした。
単なる立ち入り禁止とかではなく物理的に進入出来ませんでした。(基本的に立ち入り禁止だとは思いますが)
ネットで調べると立ち入っている方もみえるみたいですがどうやって入ったのでしょうね~?

ちょっと離れたところで置き去りのビアンテ。
林道には似合わない車ですね・・・笑
で、この後この林道を100m程バックしました~(^^;)

さらに戻りついでに「白石工業第一発電所」も少しだけ紹介しておきます。

さっきの第二発電所より下流にこの第一発電所は存在します。
県道の一般道沿いにこの石碑が見る事出来るので比較的簡単にアクセスできる場所です。
この白石工業株式会社と掘られた石碑には横に皇紀2600年記念建立と掘られています。
この皇紀とは「神武天皇即位の年を元年としている明治五年に制定されたわが国独自の
日本紀元のこと」らしい。
で、皇紀2600年とはいったいいつなのか?
調べると昭和15年だそうです。
って事はこの発電所もその時代の物なのですね~。すごい・・
ちなみにかの有名な旧日本軍の戦闘機、「零式戦闘機」通称ゼロ戦のゼロはこの皇紀の年号の一番下の位を付けたそうです。
すると、この発電所は零戦と同い年って事なのですね~。

そんな歴史的うんちくはこれくらいにしてうっそうとした細い道を第一発電所へ向かい進みます。

川沿いの落ち葉の積もった細い道。
足早に進みます。
なぜ、足早かと言うと・・・
それは以前にここでもヤマビル野郎に吸血された事あるからなのです。

すぐに歴史を感じる古びた橋が出てきます。

うっそうとした林の中に今もその第一発電所はたたずんでいます。

もちろんここも友人K氏と探索済み。
ここは扉が全開(というか壊れていました)だったので中も拝見させていただいた記憶があります。
しかし、今日はこれ以上進みたくありません。
なぜならヤマビル野郎に狙われるからです。
この梅雨時期間近の今は超危険な時期です。
しかもヤマビルは足下だけでなく木の枝からも降ってくるのでこの先は危険きわまりない場所です。
ってことで、この橋の上で写真撮ってすぐに退散します。

車道に戻ってヤマビルチェック~!
大丈夫でした。
今日はまさかこんな所を探索するつもりもなく家出てきたので、アディダスの登山靴以外はこの愛犬もみじの散歩用のサンダルしかなかったので気が気じゃありませんでした。
(なら登山靴履けって?・・笑)

色々な意味でハラハラする林道探索を終え帰路につきました。
ちなみにこの画像の場所、朝に通った時桑名方面向きの車線でネズミ捕りやってましたよ。
この画像見て何処かピンと来る方は是非ご注意を!
この場所が分からなくて気になる方はコメントでもメッセージでもOKなので遠慮無しに聞いて下さいね。

最後にいつもの池越しに鈴鹿山脈を眺めながら休憩。
もう梅雨ですね。
暫く山はお預けです。
梅雨明けたら明けたで暑くて結局鈴鹿の山は登る気になれませんが・・・笑
終わり