
お待たせしました!
後編です。

荒れた山道を恐る恐るロドで進んで行きます。

すると、何やら雑然とした古めかしい建物が見えてきましたよ。
人、住んでるのかな~?

これ以上はロドで進むのは心配な道になってきました。
ハンディーナビでは目指す場所のすぐ近くまで来ているのでここでロドにはお留守番をしてもらいます。
道は左右に別れていますが、右には立ち入り禁止の立て看板が・・・
流石におおっぴらに入って行くのは大人として気が引けます。
ナビではどちらから行っても行けそうなので左手の方に進んで行きます。

やがて古い苔むした石垣の脇の細い道になります。

山の中の登山道のような道ですがしっかりとした踏み跡があり迷うことなく進んでいけます。
しかし、雲の中のような感じで凄く神秘的に感じます。

数分歩くと突然目の前が開けました。

眼下には伊勢の町並みが見下ろせます。

天気良かったら絶景なのでしょうね~。
しかし、今日はもう下界の景色は今までいっぱい見てきたので免疫付いちゃってあまり感動が
ありません。
と、言うか今日の本当の目当ては景色じゃありません。
それが何処にあるのか周囲を探すと・・・
ありましたよ~
コレです~。

斜面の下に見える苔むしたコンクリート建造物

けどこの崖どっから下りるの?
ていうかやっぱりこっちからはではあそこにたどり着けないのですね・・・

ってことで、少々無理矢理ですが崖を下りて行ってみます。

無事?この崖を下りてきましたよ。
(実は2度ほど滑落しそうになってました・・・笑)

濡れた岩に濡れた落ち葉、そして苔。
滑る要素満載なうえに、今日履いてきたシューズはアディダスのスニーカーで全くのフラットソール
なのでグリップ感ゼロ!
非常に怖い思いをしました・・・汗
いつも山歩きするときは登山靴もしくはトレッキングシューズなのでそのつもりで斜面を下りたら
エライ目に遭いました・・・笑

で、いよいよ建物の側まで来る事が出来ましたよ~。
ワクワクしますね~。

建物に近すぎて全貌が分かりにくいと思いますがコンクリートで固められた足元の下にも
何やら空間があります。

そして左手には苔むした階段のような物も見えますね。

コンクリートの空間を飛び越えてから階段を下って行ってみます。
ここも苔まみれになっているので滑って転ばないように慎重に下りて行きます。

苔むした階段を下りてきて振り返るとさっきのコンクリートの建造物を確認出来ます。
まるで「天空の城ラピュタ」のよう・・・

さらに階段を下りていきます。

階段を下りてくるとこの先で行き止まりになっています。
この階段の左手の一段低くなった所から遙か前方にトンネルの様な物も見えますね。
ちなみにそのトンネルまでも階段同様のかなり急角度の斜面が続いています。
階段の脇の山の斜面からトンネル方面へ続く斜面に下りられそうだったので一歩踏み出して
みましたが案の定滑って転びそうになったので諦めました。
こんな時に限って超スリッピーなスニーカーで来てしまったのを後悔しました・・

で、階段より下の斜面にあるトンネルは諦めて建物を見に階段を登っていきます。

やっぱりコンクリート建造物の下にも空間がありますね。

こちらが建物の全体像です。
「なんだコレ!?」・・・・
By なんだコレ!?ミステリー・・・笑

苔と蔓に覆われた古いコンクリート建造物。
実はこの建物、大正時代から昭和の初期に活躍していた登山用のケーブルカーの山頂駅の跡
なのです。
下記は三重県総合博物館のH/Pからの抜粋です、興味ある方はどうぞ~!
正式名称 「朝熊登山鉄道」
朝熊(あさま)ヶ岳(555メートル)は、伊勢市の東方にそびえる山です。
山頂には伊勢神宮と関係の深い金剛證寺(こんごうしょうじ)があり、
伊勢湾を望む展望の地としても知られています。
「伊勢へ参らば朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参宮」という言葉も残されています。
現在は、伊勢志摩スカイライン通ってくるまで簡単に山頂へ行くことができます。
この朝熊ヶ岳にかつて東洋一を誇るといわれたケーブルカーがありました。
もともとは、朝熊ヶ岳登山を目的としたケーブルカーでした。
ケーブルカーとは、鋼索(こうさく)鉄道ともいわれる鉄道の一種です。
ケーブルにつないだ車両を動力巻上機などで引き上げる交通機関のことです。
ケーブルカーは、一般の鉄道では登ることのできない急斜面を登ることができるため、
現在も全国で運行されています。
「岳電(だけでん)」ともいわれた朝熊登山鉄道(あさまとざんてつどう)は、電車で運行されていた楠部(くすべ)から平岩(ひらいわ)までの平坦線4.3キロと平岩から朝熊岳の鋼索線(ケーブルカー)1.1キロがありました。
鋼索線は、約1キロの間に標高差415メートルを登ります。
勾配がもっとも急なところは、652パーミル(‰ 1000メートル進む間に652メートルを登る勾配の意味)で、鋼索鉄道としては日本一の急勾配を誇っていました。
通常は、。朝7時から夜7時までほぼ15分おきに運転されていたことから、多くの観光客を運んでいたことがわかります。
※ 朝熊登山鉄道株式会社
大正 9(1920)年 1月28日 会社創立
大正14(1925)年11月 1日 路線開業
昭和 3(1928)年11月 1日 会社合併で三重合同電気(みえごうどうで
んき)となる
昭和12(1937)年 3月31日 東邦(とうほう)電力に合併
昭和14(1939)年 8月 1日 会社分離により神都(しんと)交通となる
昭和19(1944)年 1月11日 第2次世界大戦時の不要不急路線として営
業休止
昭和19(1944)年 2月11日 交通統合により三重(みえ)交通となる
昭和37(1962)年 7月15日 営業廃止(書類上の手続きのみ)

(上の画像は伊勢市のH/Pよりお借りしました)

(上2つの画像は三重県総合博物館のH/Pからお借りしました)
このような大正時代開業のケーブルカーの駅舎がまだ存在しているのに驚きですね。
中にも入って見ます。

内部のコンクリート壁も一部崩れてきていますが全体的にはまだしっかりした感じで建っています。

この足元下の空間は動力等の機械室だったのでしょうね。

建物の中には仕切られた小部屋が一つあります。
その小部屋からはさっきのトンネルのある斜面を見下ろせるような感じで窓が付けられています。
私の推測ではありますがこの部屋はケーブルカーの運行管理をするような部屋だったように
思われます。

だたし現在は草木が多い茂ってしまいこの窓からはトンネル部分は見下ろせません。

木々越しに見える伊勢市の景色。
遮る物のなかった当時は見晴らしよかったのでしょうね。

小部屋から駅舎内部を見た画像。
当時は多くの人々が行き来したのでしょうね。

駅舎内部から外へ出て、駅舎の屋上へつながる階段を登ってみます。

こちらが屋上。
ここもラピュタ感満点ですね~笑

屋上からの景色。

屋上から見下ろした階段(プラットホーム)部分
左右の階段(プラットホーム)の間にレールがありケーブルカーが行き来していたのですね。
しかし太平洋戦争末期の鉄不足の為にレールなどの金属は軍に回収されちゃったのでしょう。

こちらが在りし日の山頂駅の様子。
小さくて見づらいですがバスの背後の建物が今も存在する駅舎ですね。
今はありませんが他にもいくつか建物があったのが分かりますね。
ちなみに駅舎横に駐められたバスは「朝熊山登山バス」と言われここから朝熊山山頂の金剛證寺
までの運行を行っていたそうです。
(画像は「伊勢志摩きらり千選」というH/Pよりお借りしました)

上の画像の下三枚が当時の山頂駅の写真です。
展望の良い駅舎の屋上や、急斜度のプラットホームの様子がわかりますね。
(画像は伊勢市のH/Pよりお借りしました)
駅舎を後にして、周囲の建物の探索に向かいます。

駅舎よりすぐの所にあるコンクリート建造物。
たぶんトイレだと思われます。
しかしいくら切羽詰まった状態になったとしてもここには入る勇気は私にはありません・・・笑

もう一つコンクリート建造物があります。
売店か何かだったのかな?
他には建物は見つけられませんでした。当時の他の建物は木造の建築物だったのでしょうね
しかし約90年経っても今もなお存在するコンクリート建造物には驚きですね。

その後90年前の世界からのタイムスリップから無事現代に戻ってこられました。
何事もなく静かにたたずむロドをみてホッとします・・・笑

早速車に乗り込み次は朝熊山山頂方面へ向かってみます。

霧に包まれた神秘的な山道を進んで行きます。

途中、見晴らしの良い駐車スペースを発見、車駐めて見ます。

その駐車スペースにはこんな看板が立てられていました。

かつては江戸時代創業の旅館がここに建っていたそうです。
そして大正時代にはかなり大きな旅館として賑わっていたようですね。

もう当時の旅館を偲ばせる物はありませんが唯一周囲の斜面にある苔むした古い石垣が
当時この場所に人々の営みがあったことを想像させます。

旅館跡地からの下界の眺め。

伊勢安土桃山城下街も見えますね。
当時の旅館からも絶景を眺めることが出来たのでしょうね。

そして旅館跡地の横には登山道が通っています。

古からの登山道なのでしょうね、、お伊勢参りからの朝熊山山頂の金剛證寺への参拝の人々
が通った道なのでしょう。
当時はこの登山道を歩いて登って来た人々がこの大きな旅館で足を休めていたのかな。
また伊勢参りの旅の旅館としてここに宿泊するのはかなりの贅沢だった事でしょうね。
そんな時代を実際に見てみたく思いました・・

そんな事を考えながら登山道を見ていると下から風にのって上がってくる霧が身体を包みます。
その霧に包まれるとまた古の世界にタイムスリップしてしまうような感覚になってしまいます・・笑

旅館跡地からすぐの所に建てられている看板。
「朝熊山登山バス」の案内看板ですね。
当時はケーブルカーの山頂駅から朝熊山山頂の金剛證寺までの運行を行っていたバスですね。

そのバスの通ったルートを暫く山頂方面へ向かって歩いてみます。
道路脇にある何か分からないコンクリートの柱。
ここにも何かの建物があったのでしょうね。

道路脇に山頂周辺のルートが書かれた手書き感満載の看板発見。
看板によると山頂までは歩くにしてはちょっと距離がありそう。
なのでここは車に戻って、ロドで行ってみる事にします。

当時の登山バスも走ったであろう山道をロドで進んで行きます。

走ること数分で山頂に到着。

山頂には立派な電波塔も建っています。

こちらが朝熊山山頂にある「金剛證寺八大龍王社」
名前からしてお寺かと思っていましたが神社のようですね・・

この神社の境内からも良い景色を見る事が出来ました。
当時の参拝客もこの絶景を楽しみに登って来ていたのかな~。

その後神社を後にして来た道を戻ります。

その後は快調に下りの伊勢志摩スカイラインを進んで行きます。

しかしこの道には景色の良い駐車スペースが数多くありますね。
一度しっかり晴れた日に来てみたいものですね。(数年前に来たときも雨上がりの曇り空で
今日よりも景色見えませんでした・・・)

そして麓まで下りてきました。
伊勢志摩スカイラインもここで終わりです。
随所に昭和の香りが漂う道で結構楽しめました。
そして極め付けはケーブルカーの山頂駅の遺構ですね。
あのまま朽ちていずれは自然に帰ってしまうのかな・・・

その後は国道23号線から中勢バイパスへ入りひたすら北上。

三重県津市出身の吉田沙保里さんにちなんだ「サオリーナ」っていうスポーツ施設前を通過。

道の駅河芸で小休止。

この中勢バイパスの未開通部分が最近開通したようなのでそこを通ってみます。

ここが出来たてほやほやの新しい道です。

その後鈴鹿サーキットを越えてまだ北上出来ましたがここで突き当たりですね。
早く四日市までつながってくれないかな~。

その後は鈴鹿市内を抜け国道1号線からいつもの山ルートで自宅へ向かいます。
鈴鹿の山にはもうほとんど雪ありませんね。
今年の冬はもう終わっちゃったのかな~。
なんか嬉しいような、寂しいような・・・笑

15:30
無事帰宅。

暗くなる前に山道走った汚れを洗い流します。

綺麗になりました。
そしてガレージに入れて、お疲れ様でした!
ゆっくり休んでくださいね。
けど次はあまり深い眠りはしないでね・・・笑
終わり