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2010年11月26日 イイね!

JAFモータースポーツ表彰式 (東京 → 水戸)

JAFモータースポーツ表彰式 (東京 → 水戸)11月最後の週末、金曜日は昨年同様に東京都内でJAF(日本自動車連盟)のモータースポーツ表彰式が開催されます。

国内のモータースポーツを統括しているのがJAF(日本自動車連盟)。この表彰式では全日本選手権のレース&スピード行事、ラリー、レーシングカート、FIAインターナショナルシリーズのSUPER GT、そして先に開催されたジムカーナとダートトライアルのJAF-CUPの成績上位選手が招待されています。
昨年は選手権の上位3選手までが表彰対象でしたが、今年は再び上位6選手が対象とされました。それゆえに限られた時間を効率的に活用するべく、進行が目まぐるしいこと・・・。受賞の喜びを見せる表情を撮影するチャンスも少なく、やや慌ただしい感じの表彰式でもありました。

そんな中からご紹介するのは、SUPER GTのGT300クラスで見事にチャンピオンを獲得した星野一樹選手柳田真孝選手。お二人とも偉大なるお父さんを持ち、そのDNAを受け継いだ選手。偉大な存在の父親は時としてプレッシャーにもなったかと思いますが、今ではお二人ともに見事に日本を代表するレーシングドライバーとして一線級の実力を持ち、さらにこれからの躍進も期待される存在です。
サーキットで見るレーシングスーツ姿とは違う新鮮な受賞シーン。なかなかファッションの方も決まっていて、良い笑顔を見せてくれました。


この表彰式は2部構成になっていて、前半は前述の通り各カテゴリーの成績優秀者の表彰。そして後半の第2部は懇親会が催されます。
立食形式のパーティになっているのですが、カテゴリーをまたいで多くの日本におけるモータースポーツのトップ選手たちが集まることから、時期的にも年末の挨拶をする場にもなっています。

そんな中、ステージ上ではいくつかのトークイベントが行われましたが、写真はそのうちのひとつ。全日本ラリー選手権で好成績をおさめたコ・ドライバー(ナビゲーター)3選手と、全日本ジムカーナ選手権から1選手、合計4人の女性選手が顔を揃えての“女子会”が行われました。
サーキットレースの世界では、正直なところ女性ドライバーの活躍はまだまだ日本では限られた範囲の話。しかしラリーのコ・ドライバーやジムカーナ競技では女性の活躍も目立っており、特にラリーでは今季のコ・ドライバー(ナビゲーター)部門では総合、JN4/JN2/JN1でチャンピオンを女性が獲得しました。

こちらは男性選手以上に、普段の競技会で見るレーシングスーツ姿とは全く異なる艶やかさも目立った“女子会”。来る2011年シーズンも女性コ・ドライバーの活躍は期待されるところですし、逆に男性陣の巻き返しにも注目したいところであります。


無事に表彰式が終わった後は、スーパー耐久最終戦取材のために移動を開始。
ご一緒した某選手と「びっくりドンキー」で夕食、色々と情報交換や世間話をして某所までお送りしてから、いざ向かうは水戸市

予約しておいたホテルにチェックインしたのは午前0時近く、明日のホテル出発予定は午前6時・・・。慌ただしくシャワーを使ったりしてから眠りについたのでした。
 
Posted at 2010/12/02 10:49:18 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2010年11月21日 イイね!

第57回 マカオ・グランプリ

第57回 マカオ・グランプリアジアで最も伝統ある一戦、「マカオ・グランプリ」が今年も盛大に開催されました。
今年で57回目を数えるこのレースは、マカオの市街地にある一般公道をクローズした特設コースで競われるストリート・レース。エスケイプゾーンが事実上皆無というシチュエーションでの激しいバトルは、世界でも屈指のチャレンジングでエキサイティングなレースとして多くのファンを魅了しています。

メインレースは1983年から行われている「Formula3 Intercontinental Cup」と、「WTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)」。
前者は世界各地で開催されているF3を勝ち抜いてきた猛者たちが集まる“F3世界一決定戦”という位置づけであり、この大会での活躍を大きなステップとしたF1パイロットも多く輩出しています。ちなみに'83年の第1回ウィナーはアイルトン・セナ選手、2001年に日本人で初めて優勝を飾ったのは佐藤琢磨選手でした。
今年はシグネチャ勢が速さを見せ、中でもエドワルド・モルタラ選手が史上初の大会二連覇を達成。期待された日本勢は残念ながら上位進出はなりませんでした。

一方、お馴染みのWTCCは、発足した2005年から一貫して最終戦の舞台がマカオに設定されてきています。今年は残念ながら大会前に下ったFIA控訴裁判所の採決を受けて、シボレーのイヴァン・ミューラー選手がドライバーズチャンピオンを確定させました。自身にとってセアト時代を含めて2回目の栄冠は、2005年の初年度から参戦を続けてきたシボレーにとって悲願のタイトル獲得。FIA世界選手権でシボレーがタイトルを手中におさめたのは、これが初めてのことです。
そしてレース本番ですが予選からアクシデントが続出して、金曜日の日程は日没によって一部が土曜日に順延されることに。日曜の決勝もマカオらしい波乱の展開となりましたが、第1レースはロブ・ハフ選手が3年連続でマカオを制するとともに、ミューラー選手がこれに続いてシボレー勢がワン・ツー・フィニッシュ。第2レースはリバースグリッドでポールポジションからスタートしたノルベルト・ミケリス選手(セアト)が優勝、2008年に日本でトム・コロネル選手が優勝して以来となる非マニュファクチャラー車両での総合優勝をなし遂げました。

また、「マカオ・グランプリ」では2輪も含めて多彩なサポートレースが開催されます。
その中で注目だったのが「マカオ・ロードスポーツ・チャレンジ」。市販車に近い“チューニングカー”といった感じの車両によるストリート・ファイトは、まるでゲームの世界のことの様です。しかももちろんバーチャルでは無くリアルワールドでのレース、ほんの僅かなミスがガードレールへのクラッシュに繋がる、まさにドッグファイト。
そんな一戦に日産GT-Rで出場したのは織戸 学選手、予選2番手から決勝では見事な逆転で優勝を飾りました。

掲載した写真は、コースの山側区間の一部。場所的にはファラウェイ・ヒルの辺りで2003年に撮影した写真です。
道の片側にズラッと路上駐車が列を作っていますが、道幅の狭さが良くお分かりいただけるかと思います。幅員の狭い場所はレース中も常時追い越し禁止とされるようですが、単独でもこの両側をガードレールに囲まれた狭い道を全開で駆け抜けるのは、かなりの恐怖を感じるはずです。

こんなシチュエーションであることに加え、あくまでも一般公道なので路面状態はクローズド・サーキットの様に良好ではありません。
ミューはやや低いですし、路面はフラットではなく中央から両側の路肩に向かって下りの傾斜がついています(排水性向上のため)。それゆえに広い幅員のところ、例えばスタート後に迎えるマンダリンオリエンタルベンドやクラッシュの名所として知られるリスボアコーナーへのアプローチでも、道幅いっぱいにラインを取るとこの傾斜を乗り越えることになるので、独特のマシンコントロール技術が求められます。

谷口信輝選手によれば、マシンコントロールの“幅”は数センチ単位が求められるとのこと。全開走行でもガードレールのギリギリ数センチのところまでマシンを寄せ、コーナーを次々に駆け抜けていくことがラップタイム向上の条件。ゆえにセッティングの整っていないようなマシンではこの“幅”が広がってしまい、例えば30センチまでしか寄せられないようになると、ラップタイムにも大きく影響を及ぼすことになるのです。

日本での実現は夢のまた夢といった感じもする、公道を封鎖してのストリート・レース。
これこそ地域全体の協力が必要であり、官民一体となって成功に向けた取り組みが求められるモータースポーツ。文化的な側面も強いのですが、日本の土壌には残念ながら馴染まないのかもしれません。
 
Posted at 2010/11/25 22:33:30 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2010年11月13日 イイね!

AP●C

AP●C11月13日から14日にかけて横浜市で首脳会議が開催される「APEC JAPAN 2010」。「APEC JAPAN 2010」を締めくくるこの会議にはアメリカや中国、ロシアといった主要国の首脳が一同に介することから、横浜をはじめ首都圏は厳戒体制に入っています。
個人的にはちょっと会場周辺を見学に出かけようかとも思いましたが、やはり厳戒体制下ゆえに特に車での移動は不便でしょうし、やはり面倒なので足を運ぶのは見送ることになりそうです。

ところで「APEC」とは「Asia Pacific Economic Cooperation」の略で、日本語にすれば「アジア太平洋経済協力」となります。1989年に第一回の会合が設けられ、貿易・投資の自由化や経済協力、さらには安全保障の面に至るまでの連携を目的としています。日本をはじめとした12ヶ国で発足、現在では21の国と地域がメンバーになっています。
日本で開催されるのは1995年の大阪以来15年ぶり。この時は最大で28,000人の警察官による警備態勢が敷かれましたが、今回は21,000人ほどの体制と発表されています。大阪開催以降、9・11テロなど世界情勢の不安定化もあって警備環境はよりシビアになったかと思いますが、ハイテク装備などの効果もあるのでしょうか、発表された人員は少なくなりました。

さて、ここから一気に話題は変わります。

モータースポーツ、特にラリーも対象としている私にとっては、「AP●C」というとどうしても「APRC」が真っ先に思い浮かびます。
APRC」とは「FIA Asia Pacific Rally Championship」の略。アジア太平洋地区を転戦するFIA地域選手権のひとつであり、格式的にはラリーの最高峰にあたる「WRC(FIA世界ラリー選手権)」の次に位置します。
シリーズの一戦は日本でも開催されており、その大会とは今年は5月に開催された「Rally Hokkaido」。北海道・十勝地方を舞台に繰り広げられた熱戦は、まだ記憶に新しいところです。

この「APRC」、2010年は全7戦のカレンダーが予定されていましたが、第6戦のインドネシアが中止となったため6戦で競われました。開催地を順にご紹介すると、開幕戦はマレーシア。日本、ニュージーランド、オーストラリア、ニューカレドニアと続いて、中止になったインドネシアをはさんで、最終戦は中国が舞台となりました。

この「APRC」で、今季は日本人がシリーズチャンピオンを獲得したことが最大のニュース。
そのドライバーは田口勝彦選手、三菱ランサー・エボリューションⅩを駆って参戦。最終戦は田口選手を含むタイトル争いの上位陣が揃ってリタイアという波乱の展開になりましたが、見事に11年ぶり2回目のチャンピオン獲得となりました。

また最終戦の中国では、「CUSCO」の炭山裕矢選手(三菱ランサー・エボリューションⅩ)が初優勝を飾り、同時にアジアカップのタイトルを獲得。さらに同じチームからスズキ・スイフトでスポット参戦した番場彬選手がクラス優勝。途中までトップを快走していた柳澤宏至選手は残念ながらトラブルによりリタイアとなってしまいましたが、「CUSCO」にとっては素晴らしいシーズンの締めくくりとなる結果を残せました。

2011年も「APRC」の日本ラウンドは「Rally Hokkaido」としてこれまで同様に北海道・十勝地方で開催されます。
全日本ラリー選手権との併催も従来通り、ただし開催時期が大きく変わって2010年の5月から、2011年は9月30日~10月2日と秋に予定されています。

国内ラリーの中では段違いの大きなスケールで開催される「Rally Hokkaido」。ぜひ来年も一人でも多くの方に現地で観戦していただきたいと思います。
 
Posted at 2010/11/19 01:52:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2010年11月07日 イイね!

全日本ラリー選手権 第8戦・3 (白河 → 東京)

全日本ラリー選手権 第8戦・3 (白河 → 東京)土曜日のDAY1は午前4時にホテルを出発するという、超・早起きスケジュールだった「MSCC 東京ラリー 2010」の取材。
明けて日曜日のDAY2は前日よりはかなりマシな感じのするスケジュールでしたが、それでもホテルをチェックアウトして取材をスタートさせたのは午前6時のこと。ごく普通の早起きといったところでしょうか。

連日の早起きとなった最大の理由は、それぞれ朝一番に行われるステージの撮影をすることにしたから。ゆえに必然的に朝も早くなる訳です。
サーキットレースとは異なり、ラリー取材の場合はメディアが決められた中で自由に取材スケジュールを組み立てることが出来ます。自らの宿泊しているホテルやサービスパークを拠点にスケジュールを組んで、自分自身で車を運転してステージの撮影ポイントまで行く。これらは事前のブリーフィングにおける説明や配布される資料に則っておのおのが計画を立てて実行するのですが、いろいろな面で本来モータースポーツにはつきものの“自己責任”がメディアにも強く求められるのです。

赴いたのはSS9・MuroOodairagusaⅠ。ここはジャンクション部がメディアポイント、そこでかなりステージとなる道から離れた後方に陣取って安全を確保した上で、望遠レンズを使って撮影してみます。多くのカメラマン諸氏は1本撮影すると、次なる撮影ポイントとしてギャラリーステージとなっているMikabubokuyaへと移動。しかし私を含めた数人はそのまま居残って、リピートのSS11・MuroOodairagusaⅡを撮影。
ちなみにDAY2のギャラリーステージ1本目となるMikabubokuya Ⅰでは、ゼッケン17のランサー・エボリューションⅩを駆る大西康弘選手/市野 諮選手組がステージベストを奪取。先の「Rally JAPAN」では最後の最後に襲ったまさかのトラブルを見事に克服、感動の涙でフィニッシュとなったベテランの大西選手が、いぶし銀の走りを見せてくれました。

こうしてDAY2は2本のステージ撮影で終了、サービスパークに戻ってフィニッシュや表彰式の様子を撮影。

今回は久しぶりに全日本ラリー選手権に参戦した鎌田卓麻選手が好走を見せたり、全日本ラリー選手権参戦2戦目という若手の川名賢選手(トヨタヴィッツ)が終盤で激しいポジション争いを展開するなど、見どころの多い内容でした。
特に川名選手のような若手の台頭は、これからの全日本ラリーを背負って立つ人材の登場ということで大いに期待したいところ。日本国内ではモータースポーツ全般、特にラリー参戦は金銭面などで非常に難しい状況が続いていますが、ぜひいろいろな形でこうした若い力を多くの方が支援して欲しいと思いますし、ご本人も一層の努力を積み重ねてステップアップを果たしてほしいと願っています。

さて、大会終了後は実に11日ぶりとなる東京に帰ります。
しかし紅葉シーズン真っ只中で好天の週末ということから、東北自動車道は大渋滞との情報。そこで海側へ抜けて常磐自動車道に入りますが、やはりこちらも激しい渋滞が始まりました。
ちょうどその頃、一足先に「MSCC 東京ラリー 2010」の現場を後にしていた社員嬢から連絡があり、東北道の渋滞が余りに酷いという情報が。ならばと、社員嬢に佐野ICで高速を降りて適当な場所で休憩しているように指示、私の方は友部JCTから北関東自動車道に入り、桜川筑西ICで流出して国道50号を移動。

この国道50号は流れがスムーズ、予定よりも早い時刻に佐野IC付近に到着して社員嬢と合流。ファミリーレストランで時間を潰しつつ制作作業、東北道の渋滞がおさまった頃合いを見計らって館林ICから再び高速道路へ。
全く渋滞無く山手トンネルまでを走破、トンネル出口の3号線合流での混雑は覚悟の上でしたが・・・。その先も工事渋滞が意外なまでに激しく、最後の最後で疲れさせられた結果となったのでした。
 
Posted at 2010/11/12 22:00:11 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2010年11月06日 イイね!

全日本ラリー選手権 第8戦・2

全日本ラリー選手権 第8戦・2いよいよ2010年の全日本ラリー選手権は最終戦となる「MSCC 東京ラリー 2010 」が今日から開幕。
週末を通じて福島県は好天に恵まれるという嬉しい天気予報、今シーズン最後の激戦を生で見ようというファンや地元の皆さんも、多数会場に詰めかけるのではないかと期待されます。

ところで昨夜、金曜の夜に就寝したのは23時30分すぎのこと。その後、自分自身が寝坊をしてはいけないと緊張していたからか、目覚ましをセットした30分前に起きてしまいました。

その時刻とは、、、2時45分!

ちょうど寝ついてから3時間、90分サイクル×2回というタイミングだったので目覚めもスッキリ。もちろん外はまだ真っ暗、そんな中をいそいそとホテルから出発してサービスパークが設けられている「ルネサンス棚倉」へ。
ここでカメラマン氏と合流して、相乗りさせてもらって今日最初のステージである12.05kmのSS1・ManahataYamizoⅠへと向かいます。このステージは2回連続でリピートするので、続くSS2はManahataYamizoⅡとなって同じ場所を走るので、朝のうちに2回続けてのステージ走行風景を撮影することとなります。

メディアは決められた時刻までに撮影を許されているポイントに現着しなければなりません。SS1のステージ入場締め切り時刻は5時30分。ということで2010年5月22日付のエントリで記した「Rally Hokkaido」以来となる超早起きとなった次第です。

もちろんこの時間から競技運営を支えるオフィシャルさん達は活動をはじめており、私たちが撮影をするメディアポイントにも担当の方が一人配置についていました。周囲はまっ暗、星空がまばゆい山中に一人で待っているというのも、なかなかハードは役務。本当にモータースポーツは大勢の人が支えて成立しているのです。

午前6時40分をすぎて、ようやく競技車両のゼッケン1番が目の前を通過。ここから本格的に仕事モードに突入、次々にやってくる車両に対してシャッターを切っていきます。しかし、中盤ゼッケンの車両がSS1で早々のアクシデント、レスキュー作業に多くの時間を要したことからタイムスケジュールは大幅に遅れることに。

30分くらいの遅れで続くSS2を撮影、山の中は紅葉も色づき始めており、合間の時間では報道陣もこの紅葉を仕事用のカメラや携帯電話のカメラで撮影していました。

SS2の撮影を終えたら移動を開始、次に向かったのは鶴石山という今回新たに設定された林道ステージ。
ここは「ルネサンス棚倉」から片道60kmほどと最も遠いステージなのですが、昨日下見をした感じでは撮影環境が悪くないようだったので、赴いてみることにしました。

SS6・TsuruishiyamaⅠ(8.50km)で今日のステージ撮影は終了。
今回の撮影ポイントは全てが携帯電話の圏外だったので、SS2→SS6の移動中に競技の途中経過について情報を得ていたものの、SS6でステージに籠もっている間は全く展開が判らず。
山を下りてみて状況を再確認、60kmを走ってサービスパークがある「ルネサンス棚倉」へと戻ったときには、既に夜の帳が下りていました。

そして、トップ争いにまさかの波乱。
期せずして、サービスパークではメカニック陣によるドラマティックな“戦い”の目撃者となり、その模様を撮影することとなったのでした。
 
Posted at 2010/11/11 20:26:58 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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