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2011年11月26日 イイね!

スーパー耐久シリーズ 第5戦

スーパー耐久シリーズ 第5戦およそ4時間半の睡眠を経て迎えた土曜日の朝。この日から二日間、ツインリンクもてぎで開催されるスーパー耐久シリーズの取材です。
今回は土曜日にオーバルのスーパースピードウェイで第5戦が開催され、日曜日には4.8kmのロードコースでシリーズ最終戦となる第6戦が行われます。これらはともに午前中に公式予選、午後から決勝というフォーマットであり、オーバルは50周×2レース、ロードコースは300kmで競われます。とにかくスケジュール的にタイトな二日間であり、ドライバーはもとよりメカニックなどのチームスタッフにかかる負担はとても大きいと懸念されるところです。

そもそも4年前にシリーズ外のスペシャルステージとして初めて開催された、スーパー耐久のオーバル戦。翌年からはシリーズの一戦に組み込まれてきましたが、私自身の見解としてはオーバルコースでの開催には大反対でした。ツインリンクもてぎの構造的な欠陥である観客席からロードコースまであまりにも遠いという点、そして利用頻度が低いオーバルコースの活用策として開催されたという背景がありますが、チームにとってはエスケイプゾーンの無いオーバルコースはクラッシュリスクが余りにも高いという点が気になるところでした。

さらにシケインを設けている為にタイヤやブレーキ、駆動系に対する負担が大きく、本来オーバルコースを走るように作られていないスーパー耐久マシンで競い合うことそのものに無理があったと言わざるを得ません。
そんなオーバル戦も、東日本大震災の影響でコースに補修の必要性が生じた一方で、「INDY JAPAN」の開催が今年で最後となったことから、スーパー耐久においても来シーズンのカレンダーからは外されました。結果的には主催者の都合だけで開催され、同様に主催者の都合だけで終了という結果で終わることになりそうです。

そんなオーバル戦を朝の公式予選から取材しましたが、何故か決勝スターティンググリッドの公式通知が出なかったり、レース運営としては及第点以下という印象です。
第2レースでは3つのチームが初優勝を飾るという面白い結果にもなりましたが、勝負をわけたひとつの要素になったのがセーフティカーの導入でした。エンジントラブルでコースサイドにストップした車両が生じ、17周目で導入されたセーフティカー。当然、タイミング的には義務とされている1回のドライバー交代を伴うピットストップも可能なことから、ここはひとつの勝負どころになりました。

ところでセーフティカー中にピットインした場合、コースに復帰する際はピット出口の信号機が青色灯火の間のみ合流することが出来ます。コース上をセーフティカーが先導する隊列が接近している場合はコントロールタワーから信号が赤色灯火に変えられ、この間は進行することが許されません。安全管理のためには当然のことですが、このタイミングが異なるだけで丸々一周の違いが生じるわけですから、チームにとっては重要なポイントになります。
今回のレースではこのピットエンドシグナルの運用に、若干疑問を生じる場面もありました。要するにセーフティカー先導の隊列がストレートを立ち上がってきているのに、なかなか信号が赤色にならなかったのです。この間にコースに復帰した車両にとってはラッキーなこと、もちろん青色灯火中に合流していますから規則違反にはなりません。ただ、見た目からして「まだ青信号なの?」と思うほどの距離に隊列が接近していたのは事実ですから、競技運営団の隠れたミスと言われても致し方ないように思えました。

決勝第2レースが終わって、勝者のインタビューなどをしているうちに、あっと言う間に日暮れを迎えてしまいました。
取り急ぎサーキットを後にして、途中のコンビニエンスストアで食料を買い出ししたらホテルの部屋に直行。そうです、土曜・日曜と別々に予選とレースが行われるわけですから、レポート執筆や制作作業も2レース分になるわけです。
そんなわけで取材陣にとっても慌ただしい週末、まずはオーバル戦に関するレポート執筆と制作作業を片づけて夜は更けていったのでした。
 
Posted at 2011/12/09 17:40:20 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年11月25日 イイね!

2011 JAFモータースポーツ表彰式 (東京 → 水戸)

2011 JAFモータースポーツ表彰式 (東京 → 水戸)11月25日・金曜日。いわゆる"ごとおび"にあたり、しかも月末の最終金曜日。年度末や年末よりはマシな気もしますが、都内の道路は渋滞が必至と言える状況です。
しかし、この週末は出張があるので、そんなことは覚悟の上で社用車1号機(日産フーガ 350XV)を繰り出します。出張の目的地は「ツインリンクもてぎ」、週末に行われるスーパー耐久シリーズの取材に赴きます。

実はこの金曜日には既にサーキットで練習走行が行われていたのですが、今回は土曜日からのサーキット入り。それというのも金曜の夕方には、都内のホテルでJAF(日本自動車連盟)による「モータースポーツ表彰式」が開催されるので、こちらの会場に足を運びました。
この表彰式はレースやラリー、スピード行事、レーシングカートなどの全日本選手権、JAFカップ、さらにはFIAインターナショナルシリーズであるSUPER GTといった多彩なカテゴリーで好成績を挙げた選手の栄誉を讃えるもの。レースからラリー、ジムカーナにダートトライアル、そしてカートと、これだけのカテゴリーに参戦する選手が一同に会するのは事実上年に一度だけのことと言えるでしょう。

表彰式そのものは淡々とした進行で、各カテゴリーやクラスの上位選手に対して次々にカップなどが手渡されていきます。フォトセッションの時間もとても短いので、意外と撮影していると気が休まる時間がありません。
一部のカテゴリーやクラスを除いて、ほぼ全ての上位選手の写真を撮影しましたが、その中からご紹介するのはSUPER GTの300クラスを制した谷口信輝選手番場琢選手のコンビ。今年でGT参戦10年目を数えるベテラン(と言っても差し支えないような気がします)の谷口選手と、29歳の番場選手は、BMW Z4を駆って参戦。競合揃いのGT300クラスで年間3勝という素晴らしい成績をおさめ、見事にシリーズチャンピオンを獲得しました。特に谷口選手は悲願のGT初タイトルでしたから、喜びもひとしおなことでしょう。

表彰式が終わったら第二部の懇親会までの間で何人かの選手とお話しをする機会が。そして第二部はパスして会場を某選手と後にして、車を少し走らせたところにある「Sizzler(シズラー)」で夕食。モータースポーツ談義を2時間ちょっとしてからは、某選手を宿泊先のホテルまでお送りして、そこからは一気に水戸市まで移動。

さすがに時間的には渋滞も無く、すいすいと首都高速→常磐道→北関東道とリレーして、23時頃に予約しておいたホテルにチェックイン。明日からはバタバタした取材日程になりますので、取り敢えずは早寝を決め込んだ夜でした。
 
Posted at 2011/12/08 23:18:49 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年11月20日 イイね!

第58回・マカオグランプリ (WTCC 第23&24戦)

第58回・マカオグランプリ (WTCC 第23&24戦)今年もエキサイティングでチャレンジングなストリート・レースが開催された「マカオ・グランプリ」。58回目を数えるアジアで最も歴史と伝統のあるモータースポーツイベント、毎年11月の3周目はマカオ全体がレース一色に染まります。
近年のメインレースは、F3インターコンチネンタルカップとWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)。特に後者はシリーズ最終戦と位置づけられており、今シーズンはここがドライバータイトルを懸けた最終決戦の舞台になりました。

タイトル争いの主役は、ランキングリーダーのイヴァン・ミューラー選手(写真・左)と、2番手で追うロブ・ハフ選手(写真・右)。ともに今シーズン圧倒的な強さを見せて早々にマニュファクチャラーズタイトルを手中におさめているシボレーのチームメイト同士であり、セアトから移籍して2年目のミューラー選手には連覇が、一方のハフ選手には悲願の初タイトルがかかっていました。
過去のデータを調べてみると、意外にもミューラー選手にはマカオでの優勝経験がありません。それどころかマカオを含めたストリート・レースではハフ選手が圧倒的に強さを見せており、今回のレースはその行方を占うのがとても難しいものでした。

いざフタを開けてみると、金曜日の予選ではハフ選手がトップタイムをマーク。実に3年連続のポールポジション獲得に成功して、レースウィークの主導権をガッチリ握ることに成功したのです。
そして迎えた日曜日の第1レース。ストリートレースということで抜き所の少ないマカオ、ゆえにポールポジションからのスタートは圧倒的に有利な立場となります。決勝スタート早々に中段グループではクラッシュが発生してセーフティカーが導入される"マカオらしい"展開での幕開け。もちろん先頭のハフ選手、そして2番手のミューラー選手にはスタート直後の混乱も他人事、リ・スタートしてからはミューラー選手が執拗なプッシュを続けていきます。
しかし中盤を過ぎて再びアクシデントによりセーフティカーの導入。9周を予定していたレースは規定により11周に延長されましたが、2回のセーフティカーによって実質的なバトルラップは限られてしまい、見事にハフ選手がミューラー選手を下して3年連続のポール・トゥ・ウィンを飾ることに成功しました。

続く第2レース、逆転チャンピオンに向けて「連勝あるのみ」という感じのハフ選手は3番手、対するミューラー選手は8番手グリッドからのスタート。この時点で両者の得点差は13へと縮まっていました。
スタンディング方式のスタートで勢い良く飛び出したのは4番手グリッドについていたBMWのトム・コロネル選手。巧みなロケットスタートでトップに立ってリスボアコーナーから山側区間へと入っていきます。その後ろにはセアトのミシェル・ニュケア選手がいましたが、これをパッシングが難しい山側区間でハフ選手がかわして2番手に浮上。さらに3周目ではコロネル選手をも捉えて、遂にトップに立つことに成功しました。

しかし、対するミューラー選手も着々とポジションを上げてきて、中盤のセーフティカー導入時点では4番手につけていました。このままの順位でフィニッシュすると得点は同点になり、かつ優勝回数でもミューラー選手とハフ選手が並ぶ結果になり、規則によって2位獲得回数の多いミューラー選手がチャンピオン、という流れになっていました。
つまり、そんなに無理をしなくてもミューラー選手にチャンピオンの称号が与えられることは、チームからの無線などで本人も承知していた筈です。しかしこれで黙って終わらないのがWTCCの面白さ。リ・スタート後、前を行くニュケア選手に容赦なく襲いかかり、8周目では先行するに至らなかったものの、9周目ではしっかりニュケア選手を捉えてマンダリンコーナーで3番手に浮上。

結果、ハフ選手が連勝を飾ったもののミューラー選手も3位表彰台を獲得したことから、しっかり得点差をつけてミューラー選手が2年連続3回目のWTCCドライバーチャンピオンに輝きました。3回のタイトルはBMWのアンディ・プリオール選手に並ぶ最多タイであり、まさにシボレーとミューラー選手の黄金期を象徴する称号であると言えるでしょう。

残念ながら日本のモータースポーツメディアは全く関心をもっていないために、WTCCに関する報道はほとんどありません。しかしインターネットが普及しており、かつWTCCそのものが積極的な情報発信を行っているので、ちょっと興味があればどのようなレースなのかを知ることは決して難しくありません。また、日本でも衛星放送でレースの中継は見ることが出来ますので、ぜひ一度はWTCCの迫力と世界最高峰のテクニックの応酬を見ていただきたいと思います。
 
Posted at 2011/12/03 22:10:32 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年11月18日 イイね!

百聞は一見にしかず

百聞は一見にしかず11月17日(木)から20日(日)にかけては、アジアでもっとも歴史のあるモータースポーツイベントとして知られている「マカオ・グランプリ」が開催されます。例年11月の第3週に開催されているこのイベントは、4輪のみならず2輪も行われるビッグレースイベント。マカオ市街地を走る一般公道をクローズして設けられた全長6kmほどのギア・サーキットは、世界有数のエキサイティングでチャレンジングなコースです。

メインレースのひとつは、1983年から行われているF3(フォーミュラ3)のFIAインターコンチネンタルカップ。F1への登竜門としても知られ、'83年の大会ではアイルトン・セナ選手が優勝を飾っています。俗に"F3世界一決定戦"と称されており、日本をはじめ世界各地のF3を勝ち抜いてきた強者たちが一同に介して、さらなるステップアップを目指して激しい戦いを演じてくれます。
そしてもうひとつは2005年からマカオで開催されているWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)。こちらは世界最高峰のツーリングカーによるスプリントレースであり、日本でもお馴染みになりつつあるカテゴリーです。
さらにこの他にもチューニグカーバトル的なカテゴリーも開催されるなど、とにかくこの一週間についてマカオは"レース一色"に染まることになります。

そんなマカオには、2003年に一度だけ取材で訪れました。
現地からレースの模様を伝えるウェブサイトを運用したのですが、記憶に残っているのはインターネット回線の"細さ"。メディアセンターやホテルには常時接続の環境がありましたが、とにかくその回線速度が遅く、500KB程度の写真データを送るのに30分近くを要する状況でした。これでは仕事にならないので関係者の方とも相談した結果、速い回線を有しているネットカフェを見つけて、毎晩そこを訪れては夕食を摂りながら制作作業とアップロード作業を行いました。
毎日通ったものですから店のスタッフとも仲よくなり、食事をオーダーすると一品サービスしてもらったりしましたし、最終日にはタクシーでホテルへ帰ろうとしたら店のオーナーさんが車で送ってくれるというのでご好意に甘えたりしたものです。

また、到着した翌日には、6.1kmのコースを徒歩で一周したことも記憶に残っています。
走行時間以外はあくまでも一般公道ですから、その気になれば車や徒歩で一周できるわけです。そこで噂に聞いていたコースをこの目で見てみようという話になったのですが、あえてここは徒歩でまわってみることにしました。スタート位置から歩きはじめ、クラッシュの名所として知られるリスボアコーナーを過ぎて山側区間へ。なかなか勾配のきつい上り坂を歩いていくと、その道幅の狭さには率直に驚かされました。道の両側には普通に住宅などの建物があり、ガードレールも設営されているのでエスケイプゾーンは皆無。路上駐車がズラリと並ぶ道はすれ違いも困難なほどで、いくら駐車車両をレース時には排除するとは言え、この狭いところを全開で駆け抜けることが如何にチャレンジングであるかを身をもって実感してきました。

結果的にマカオを訪れたのはこの一度だけですが、やはり現地を訪れて自分の足でコースを見て回ったことは、今でも仕事で活きる貴重な経験になっています。映像を見ていても、文字のレポートを見ても、おおよそ状況が想像できますし、ドライバーの心理などもより深く理解出来るようになったからです。
そしてなにより、市民生活に制約が生じるストリートレースが出来ることの根底に、このグランプリがしっかり文化としてマカオに根付いていることと、大きな経済効果をもたらすがゆえに産業のひとつとして認識され、市民に受け入れられているということも、現地を訪れて生の声を聞いたりしたことで認識が深まるに至りました。

日本はストリートレースの実現がほぼ絶望的と言える環境ですが、その昔に私が仕えていた故・本田耕介氏が「24時間レースと市街地レースこそが、モータースポーツ文化の象徴なんだ」という言葉を、マカオを実際に訪れたときに心のそこから実感したことは、私にとって忘れられない経験のひとつになっています。
 
Posted at 2011/12/02 22:07:04 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年10月30日 イイね!

MOTORSPORT JAPAN 2011

MOTORSPORT JAPAN 201110月最後の日曜日は、都内で行われているイベントを終日取材するスケジュール。ということで、渋滞を嫌って朝早めに出発、向かった先はお台場地区。ここで土曜・日曜と開催されている「MOTORSPORT JAPAN 2011」が取材対象のイベントです。

会場近くの公営駐車場に車を停め、ほぼ一般入場開始と同じタイミングで会場入り。以前はF1とSUPER GTが完全に主役といった雰囲気もあるイベントでしたが、徐々に幅広いカテゴリーをしっかり見せるようになりつつあり、今年は特に会場の一角に“ラリー村”も形成されて、多くの来場者から注目を集めていました。


まず掲載する写真は、奴田原文雄選手が駆る「ADVAN-PIAAランサー」。奴田原選手といえばランサーのイメージが強いですが、2011年は新たにスバルWRX STIでのIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)参戦も実現して、大きく活動の幅を拡げられました。
ちなみに昨年もこのイベントには出演されていましたが、その際はRally JAPANを戦ったフォード・フィエスタを駆りました。実は、ラリーフィールドでお馴染みのADVANカラーをまとうランサー・エボリューションが、このイベントに登場したのは今回が初めてのことでした。


会場内では特設コースが用意されて、デモランや同乗走行が行われました。もっとも、昨年とはレイアウトが変わっており、やや狭くなった感もありましたが、それでも各車が豪快な走りを見せてくれます。もっとも私の場合、コースサイドでの撮影もしましたがラリー車とスバル、あとはパイクスピークスを戦った電気自動車の走行しか見ていないのですが(^^;。

奴田原選手と同じく、IRCにスバルWRX STIで参戦している新井敏弘選手も走行。こちらはIRC出場車両と同じカラーリングをまとうマシンを持ち込んできました。

こちらはスバルのデモラン枠で出走。SUPER GTを戦うレガシィB4や、ニュルブルクリンク24時間レースに出場したスバルWRX STIとともに、その勇姿を見せてくれました。
なお、新井選手は福島県で開催された2011年の全日本ラリーの第4戦に参戦。久しぶりの全日本出場で強さを見せて堂々の総合優勝を飾り、「世界のトシ・アライ」の走りを多くのギャラリーが堪能しています。これまでに2回のP-WRC(FIAプロダクションカー世界ラリー選手権)でチャンピオンを獲得している新井選手、さらに2011年は鈴鹿サーキットで行われたWTCC(FIA世界ツーリングカー選手権)に出場してスプリントレース初参戦を果たすなど、こちらも活躍の幅を大いに拡げた一年でした。


全日本ラリー選手権に参戦している選手からもう一人、クスコ全日本ラリーチームの柳澤宏至選手のマシンもご紹介。
APRC(FIAアジア・パシフィック・ラリー選手権)などで活躍してきた柳澤選手は、2011年に久しぶりに全日本選手権に本格復帰を果たしました。

パーツ開発という側面もある参戦、マシンの速さにも磨きがかけられ、APRCと全日本戦が併催された「Rally Hokkaido」では4輪駆動車を駆っての全日本選手権初優勝をゲット。全19SS(スペシャルステージ)のうち、実に13のSSでステージベストを叩き出す韋駄天ぶりで、2番手に1分以上の差をつけての圧勝でした。


このようにラリーについても盛り上がりを見せた「MOTORSPORT JAPAN 2011」。
会場内では撮影のほかに、ちょっとした企画記事用のインタビュー取材もこなし、最後は某ブースの撤収作業もお手伝いして、無事に一日の予定を終了しました。
 
Posted at 2011/11/13 05:05:08 | コメント(1) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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