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2012年07月11日 イイね!

取り敢えず、予約してみる

取り敢えず、予約してみる2012年5月30日付のエントリでもご紹介したように、マクダネル・ダグラスMD-90が日本の空から完全引退するまでのカウントダウンが始まっています。

系譜をたどると、DC-9を日本の航空会社が初めて導入したのは1973(昭和48年)のこと。以来、脈々と受け継がれてきたリアエンジン2発ジェットの歴史は、40年を前にして終焉を迎えようとしています。今や国内幹線は、通路が2列のワイドボディ機が主流。一方でローカル線は通路が1本のナローボディ機が活躍を続けていますが、騒音や燃費でハンデを背負うマクダネル・ダグラスMD-90は、機数を増やしているボーイング737などの影に隠れるような存在になっていました。

しかし、旧・日本エアシステムや東亜国内航空の主力機として活躍を続け、特に地方空港のジェット化が進むのと比例して全国の空を飛び回り、地方と東京を結ぶ時間短縮や提供座席数の増加による経済効果も非常に大きかった名機です。私自身もそうですが、地方にお住まいの方には初めて乗ったジェット機がDC-9だったという例も多いでしょうし、スマートな独特のシルエットが好きだったというファンも全国に多いかと思います。
そんなDC-9の系譜を受け継ぐマクダネル・ダグラスMD-90は、私にとって引退前に必ず乗っておきたい機材。私が長く住んでいた北海道の帯広でも活躍する姿を空港で何度も目にして、特に初期のレッドアンドグリーン塗装の東亜国内航空機はとても好きな存在でした。

それ以前に地方空港の主役であり、私にとっても格別の思い入れがあるYS-11については、引退前にしっかり搭乗する機会を設けました。
そして今回は、マクダネル・ダグラスMD-90に搭乗するべくスケジュールを調整し、なんとか一泊二日で一往復するチケットを予約したのです。

果たして実際に搭乗することが叶うのか、それとも結果的にスケジュールの調整が上手くいかずに諦めることとなってしまうのか。なんとか予約したチケットを無駄にしないように、仕事も頑張っていきたいと思っています。
 
Posted at 2012/07/27 21:23:33 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2012年06月17日 イイね!

フェリー業界でも進む世代交代

フェリー業界でも進む世代交代ここをご覧いただいている皆さんは、カーフェリーを最後に利用されたのはいつのことでしょうか。
私の場合は年に2~3回の北海道取材も自走で往復していますので、本州と北海道を結ぶ航路を必ず利用しています。しかし、実際のところはカーフェリーでの旅というのはあまり一般的ではなく、生まれてから一度も乗船したことが無い、という方も珍しくないかもしれません。

国内には、知らない人にとっては以外と思えるほど多くの航路が存在しています。そのうち、瀬戸内や小笠原といった離島と本土を結ぶものを別にしても、北海道や四国、九州と本州を結ぶ長距離航路は比較的多く、主にトラック輸送を支える大動脈として機能しています。
もちろん乗用車やバイクなどで乗船する一般旅客向けの営業も行っており、近年では豪華さや速さなど、各フェリー会社は独自性もアピールしながら顧客の獲得合戦を繰り広げています。

近年、特に高速道路の休日特別割引は、フェリー会社の多くに大きな打撃を与えたことがニュースでは伝えられました。その結果として瀬戸内方面では廃業を余儀なくされたケースも出ているのですが、逆に橋やトンネルを使って自動車での往来が出来ない北海道については、青森や仙台といった定期航路の発着港までの高速道路料金が安くすんだこともあって、割引を活かしての顧客取り込みも行われていました。

ただ、それでも国内カーフェリー業界は安泰とは言えない状況にあります。
総務省統計局が発表しているデータによると、2009(平成19)年度の長・中距離航路フェリー旅客輸送実績は4,288,000人。1995(平成7)年は7,119,000人でしたから、実に40%ほどの減少が見られるのです。

そんな中、昨年から今年にかけては国内定期航路への新造船就航が話題になっています。

昨年は東日本大震災の影響で就航開始が遅れたものの、太平洋フェリーが名古屋-仙台-苫小牧航路に三代目となる「いしかり」をデビューさせています。これまでも豪華さと快適さを特徴としてきた太平洋フェリーですが、さらに機能やサービスに磨きをかけて上級個室などはシティホテルに全く見劣りしないクオリティで仕立てられています。

対して日本海航路で本州と北海道をつなぐ新日本海フェリー。こちらは、これまでは太平洋フェリーに対して豪華さでは譲る印象が強く、速さと機能性を強く訴求していました。
しかし、6月から7月にかけて敦賀-苫小牧航路に新造船の「すずらん」と「すいせん」を投入します。これらは一般旅客の需要に応えてプライバシー性を高めた個室を大幅に増強。さらに日本のカーフェリーでは初となる露天風呂を設けるなど、船旅の魅力を大幅にアップさせる充実したハードウェアが特徴となっています。

また、津軽海峡フェリーでは来年4月に、函館と青森県の大間を結ぶ航路に新造船を投入することを決定しています。この航路は片道1時間40分で現在は一日二往復していますが、一時は廃止も検討されていました。最終的には大間周辺の住民が通院や買い物などで函館までフェリーを利用しているケースも多いことから、青森側が支援を強化するかたちで存続が決まり、老朽化した船も新しいものに代替される運びとなりました。
なお、この船そのものこそが行政による支援であり、船は大間町から津軽海峡フェリーに無償貸与されて航路の存続が図られたということです。

時間だけで言えば飛行機や新幹線などに全く及ぶことの無い船の旅ですが、だからこそ感じられる非日常の世界は船旅ならではの醍醐味。船と寝台特急で往復する北海道旅行などは、それこそ時間をたっぷり使った贅沢の極み、と言えるのではないでしょうか。
 
Posted at 2012/07/06 17:37:29 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2012年05月30日 イイね!

引退への足音

引退への足音ちょっと気になることがあって、開いてみたのはJAL(日本航空)のウェブサイト。この中に、時刻表データをpdfファイルで閲覧できるページがあるので、こちらにアクセスして時刻表の内容をチェックしていきます。
このページには現在使われている6月1日~30日のものと、7月1日~8月31日まで有効な次のシーズンの時刻表データが掲載されています。そこで、両者を開いてじっくりと比較していくと……。

やはり気になっていた事項については、悪い予感が的中しました。
それは、JAL(日本航空)が運航しているマクダネル・ダグラスMD-90という機材が、完全退役にまた一歩近づいたという事実です。
6月の時刻表では、同機種は東京(羽田)発着で、女満別、旭川、釧路、青森、三沢、宮崎、熊本の各路線に就航しています。これが7月1日以降に適用となる時刻表を見ると、北海道と東北の路線からは完全に姿を消し去り、宮崎便に1日6往復中の2往復、熊本便に1日8往復中の1往復のみが残るだけとなるようです。

最盛期にはJAL(日本航空)が運航しているマクダネル・ダグラスMD-90に16機が在籍したマクダネル・ダグラスMD-90ですが、2012年1月に登録番号JA8062が初の抹消機となりました。この機材はJAS(日本エアシステム)時代、黒沢明監督が手がけたレインボー塗装の4号機として活躍したものです。
以降、月ごとに数を減らし、それらはアメリカのデルタ航空へと売却が進められています。恐らく、6月のうちに大量の機材が登録抹消されてしまうのではないかと予想します。

マクダネル・ダグラスMD-90、その前身はMD-81、さらにDC-9と歴史を積み重ねてきており、日本の航空会社としては日本航空と合併した旧・日本エアシステムが、まだ社名を東亜国内航空としていた1973(昭和48)年12月1日に初就航させました。路線は東京-釧路で、機材はDC-9-31。その後、翌1974(昭和49)年4月3日にDC-9-41型を東京-大分線に就航させ、この41型からレッド&グリーンの新塗装が採用されたのです。

以降、亜幹線や全国の空港ジェット化が進んだことにより、ローカル線にも活躍の場を拡大して言ったDC-9。
1981(昭和56)年にはTDA初のワイドボディジェット機であるエアバスA300が3月1日に就航を開始した一方で、同じ日にはストレッチされて全長を拡大し座席数を増加させ、運航システムもアップデートされたDC-9-81が東京-三沢線に就航しました。さらに進化型のMD-81が1985(昭和60)年の5月1日に東京-帯広線と東京-三沢線に就航、社名を日本エアシステム(JAS)と改めた1988(昭和63)年には6月に短胴型のMD-87型機が導入されて、特にローカル線を主体とする日本の空では主役級の存在となりました。
最新のMD-90が導入されたのは、元号も平成に変わってしばらく経った1996(平成8)年。3月8日にJASとして最後のYS-11がフライトして完全退役を果たし、翌月の4月1日には最新のデジタルアビオニクスを備えたMD-90が東京-長崎、東京-帯広、東京-青森の各路線に就航しました。

以降、東京と各地を結ぶ翼として活躍してきたMD-90。DC-9の系譜を受け継ぐ1本通路のナローボディ機は、スリムなスタイリングとリアのボディサイドに2発のエンジンを備えるリアジェットスタイル、そして垂直尾翼の頂上に水平尾翼をレイアウトする“T型尾翼”が特徴です。最新の2発ワイドボディ機に比べるとたしかに客室空間は狭く、手荷物収納スペースなどにも物足りなさを感じるのは事実。さらに騒音や燃費という面では最新型機に性能面で譲る部分も多く、特にコストダウンと環境への配慮が航空業界に強く求められている日本においては、代替も致し方ないところとなってしまいました。

昨今はLCC(ロー・コスト・キャリア)の台頭や航空運賃の低価格化も進んでいることから、飛行機に乗ることは決して特別な感情を抱くものではなくなったかもしれません。しかし、少なくともMD-90の系譜、例えばDC-9の時代であれば、今よりは飛行機に乗ることが特別なものという認識は強かったでしょうし、それこそビジネスではなくプライベート、家族旅行などで飛行機に乗るともなれば、子どもたちは前の夜からワクワク・ドキドキしていたのではないかと思います。
そんな思いをDC-9や歴代MD機の中で感じた方も少なくないでしょう。私自身もそんな一人ですから、なんとか退役前には搭乗する機会を設けてみることにします。
 
Posted at 2012/06/17 18:33:55 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2012年04月12日 イイね!

攻防戦はこれで終焉?

攻防戦はこれで終焉?2012年4月1日付のエントリで話題にした、大阪府泉佐野市が計画している市の名称そのものに関するネーミングライツについて。

この奇想天外というか前例の無いアイディアについては予想通りに賛否両論が渦を巻く結果となり、報道でも事の是非について様々な議論が行われました。紹介された市民の声もやはり賛否両論、さすがに地方自治体の名称そのものをネーミングライツの対象とすることは、そうそう簡単には行かないようです。

しかし、私は記したエントリの中で、この計画そのものに秘められた裏の意図があるのではないかと指摘しました。
同市は以前に、市内にある関西国際空港の連絡橋に関する問題で国と意見対立した経緯があるからです。

泉州沖5kmの人工島に設けられている関西国際空港。島と本土の間は全長3.7kmの連絡橋で結ばれていますが、約1,500億円をかけて作り上げた自動車・鉄道併用橋の建設費を賄うための有利子負債が所有者である空港会社の経営を圧迫している要素のひとつとして取り上げられるようになりました。

そこで国は連絡橋を買い取って国有化することで、空港会社の負担軽減を図ることを計画。
ところが国有化されると地元の泉佐野市にとっては年間およそ8億円もの税収減となってしまうため、ただでさえ財政事情が厳しい中での減収は納得出来ないとして、国有化された場合には市独自に通行税を利用者に科することを条例で定めたのです。
しかし、国としては空港利用者の負担増は、空港経営への悪影響も懸念されるとしてこの案に難色を示します。結果、国が国有化することによって市が被る税収の減少分を別に補てんすることを決定、ひとまず通行税の件は見送りとなっていました。

この通行税に関する条例を市議会で可決したのが2008年8月。その後、国からの財政支援が決まり2009年2月に条例を撤回。
ところがさらに2年が過ぎた2011年6月、市は国から具体的な支援策が示されない場合は、通行税条例の復活を検討すると発表、国と市の駆け引きが終わることなく続いていたのです。

財政難にあえぐ泉佐野市、2012年に入って前述のネーミングライツ案を発表しましたが、これは所轄官庁である総務省にとっても、厄介な事案ではなかったかと思います。
全国に財政的に困窮する地方自治体は多いですが、国の支援にも限りがある。かといってここでネーミングライツを認めてしまうと、目先の収入を当て込んで追従する自治体が多く現れる可能性も否定できず、それは決して好ましくない事態を巻き起こすと懸念したことでしょう。

そしてネーミングライツ計画が公になっておよそ10日ほどをすぎて、このようなニュースが。

●関空連絡橋の課税、総務相が同意 泉佐野市の要望受け
asahi.com(朝日新聞)  2012年4月11日 15時59分

総務大臣が泉佐野市に対して、空港連絡橋利用者に対する通行税の課税に同意したというニュースです。
これにより、現在の通行料金に対して一律で100円が上乗せされることとなり、普通車では往復800円のところが900円へと事実上の値上げとなるわけです。

あくまでも勝手な想像ですが、ネーミングライツ案の件も、市と国の駆け引き材料のひとつのように見えてしまう今回の事案。
結果的には市民をはじめ、多くの空港利用者の負担増という、とても安直な解決策に落ち着いてしまったのが残念でなりません。そもそも国の空港整備計画にも問題はありますが、そんな国に踊らされる形で空港関連の再開発整備を推進して、結果的に計画が予定通りに進まずに商業地や宅地の販売が進まなかったことが財政悪化の大きな要因。

国なのか、それとも自治体相手のコンサルタントなのか、果たして誰に踊らされた結果なのかは知る由もありませんが、ひとつ言えることは今回も行政の失敗について当事者の誰一人も責任をとることなく、ツケはすべて市民に回ってくるということです。
 
Posted at 2012/04/25 13:03:35 | コメント(1) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記
2012年03月16日 イイね!

猶予はおよそ5年間

猶予はおよそ5年間今やすっかりカメラといえばデジカメのご時世ですが、私がデジカメを初めて購入したのが2000年の秋。以来、写真撮影は業務のひとつにもなり、デジタル一眼を使うようになって10年近くが経ちました。
モータースポーツや新車の写真は仕事の一貫として撮影していますが、趣味的な要素が強い被写体としては鉄道や航空機も撮影しています。もっとも、これらも時として仕事に活用出来るので、資料写真の撮影という側面も強い部分はありますが。

航空機については軍用機よりも民間機を好むがゆえ、全国の飛行場に時間を見つけて足を運んでは色々と撮影しています。その場合、機体そのものを撮影するのはもちろんですが、シチュエーションとして好きなのは飛行場のターミナルビルを背景にして撮影するパターン。関西や神戸、北九州のような海上空港では難しいですが、できる限り滑走路をはさんでターミナルビルの反対側にある撮影スポットへと赴き、離着陸の場面をターミナルビルを背景にして撮影したカットがウチのサーバには多く収蔵されています。

こうして全国各地でいろいろな航空機を撮影してきましたが、未だにしっかり撮影できていない機体というのも存在しています。その代表格は純粋な民間機ではありませんが、ちょっと気になるニュースが報じられました。

●政府専用ジャンボ機退役へ、後継に787浮上
YOMIURI ONLINE (読売新聞)  2012年3月16日 14時41分

航空自衛隊千歳基地にある特別航空輸送隊が運用している、特別輸送機 B-747-400
一般的には“政府専用機”と呼ばれ、内閣総理大臣をはじめとした要人輸送や、緊急時の在外邦人輸送といった重責を担っている機材です。

民間機としてもお馴染みの“ジャンボ・ジェット”ことボーイング747のダッシュ400型をベースに、機内には総理などの執務室や会議室、秘書官室、随行員室、記者会見席などをレイアウト。事務機器や衛星電話をはじめとした通信機材も設置され、“空飛ぶ首相官邸”としての機能を有しています。

現在2機が配備されている、特別輸送機 B-747-400が導入されたのは1991(平成3)年のこと。主要先進国の一員として遅ればせながら必要性が高まっていた政府専用機を導入した、というよりは、'80年代以降の大幅な対米貿易黒字を解消する策の一貫として国としてアメリカから大きな買い物をしたうちのひとつ、という感じの経緯も導入の背景には有りました。
余談ですが'80年代後半には、衆参両院の議長専用車としてアメリカ車が導入された記憶があります。車種は正確には覚えていないのですが、確かビュイックのパークアベニューあたりではなかったかと。当時は左ハンドルのアメリカ車に対して、警察当局が警備上の問題から導入に慎重な意見をつけていた、という報道があったとも記憶しています。

いずれにせよ、日本も保有することになった“政府専用機”ですが、導入から既に20年の歳月が流れました。
そして今回の報道では、25年の節目となる2018(平成30)年度で退役させ、後継にはボーイング787の導入が検討されているとのこと。大型機メーカーとしてはヨーロッパのエアバス社も思い浮かぶ所ですが、整備性という面では民間航空会社に委託することまで視野に入れた場合、同型機が多く使われている機種のほうが費用的な面も含めてベターな選択となるでしょう。

この機体はなかなかお目にかかる機会もなく、残念ながら未だにきちんとした撮影が出来ていません。
過去、2008年8月21日付のエントリに記したように、一度だけ完璧なシャッターチャンスに恵まれたことはあったのですが……。完全に油断していてエアバンドもウォッチしておらず、それどころかカメラすら用意していない中での不意打ちだったので、1枚もその姿を撮影することは叶いませんでした。

ちなみに写真は同年7月に行われた「北海道洞爺湖サミット」のために飛来していた、アメリカの大統領専用機・VC-25と副大統領や国務長官が搭乗するC-32
これらの機体は大統領搭乗中など任にあたっている際に使われるコールサイン、「エアフォース・ワン」と「エアフォース・ツー」という呼び方が広く知られています。
残念ながら、こちらも写真ついては走っている車内から撮ったものなので、電柱などの影に隠れてロクに写ってはいませんが……。

ちなみに日本の特別輸送機 B-747-400についても、任務中は主務機が「ジャパニーズ・エアフォース・ワン」、副務機が「ジャパニーズ・エアフォース・ツー」というコールサインで呼ばれています。

退役まであと5年ほどとなった「ジャパニーズ・エアフォース・ワン」と「ジャパニーズ・エアフォース・ツー」。なんとか退役前に機会を見つけて、しっかりとその勇姿をカメラにおさめておきたいと思っています。
 
Posted at 2012/03/19 23:46:47 | コメント(0) | トラックバック(0) | 航空・鉄道・海運 | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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