
【2008年8月12日 11時00分/秋田県南秋田郡大潟村】
国道101号を一旦離れて、車は「
大潟村」へと入りました。
ここは学校の社会科でも習う、一大国家プロジェクトによって誕生した地。
元々は日本で二番目の広さを誇る湖だった"八郎潟"。戦争が終わった当時、日本では将来に向けた食料の増産と農業の復興が課題のひとつでした。
そこで1952(昭和27)年に農林水産省八郎潟干拓調査事務所が秋田市に設けらます。八郎潟は古くから小規模の干拓は行なわれてきており、国家的にも何度かの干拓計画が持ち上がっていましたが、遂に大規模プロジェクトが実現に向けて動き出すのです。
1956(昭和31)年、
農林水産省の事業計画が確定、翌年に着工にこぎつけました。
新たな地は新規の自治体として発足させることが決まり、東京オリンピックの開催を間近に控えた1964(昭和39)年10月1日に公募によって名付けられた「
大潟村」が誕生。最初は工事関係の6世帯14人が住民となりました。
1966(昭和41年)には入植者が公募され、第一次入植者は58の定員に対して600人もの申込があったそうです。
また工事の方は、同年に中央干拓地が全面干陸。
入植に向けて試験をパスした者は研修に入り、1968(昭和43)年に第一次入植が開始されました。その後も複数回の入植が行なわれ、現在「
大潟村」は1,022世帯、3,346人(2008年8月1日現在)の規模になっています。
ただし干拓当初の計画では農家4,700戸、全体人口は40,000人が想定されていたようです。
この地の農家一戸あたりの耕作面積は15ha。全国平均の1.2haに対して10倍以上、北海道の17.2haに匹敵する規模となっています。
これも元々は周辺既存農家との格差発生を懸念した官庁側は一戸あたり3ha程度に抑えようとしていたそうですが、干拓中の現地を訪れた時の佐藤栄作内閣総理大臣が発した"ツルの一声"で全国平均の10倍規模になったという話です。
ところが入植が続いている中で、日本は未曾有の経済発展を遂げたものの、皮肉なことにコメが余るという状況になってしまいます。政府は食料増産から一転してコメの減反政策に舵を切り、1970(昭和45)年から実施します。
しかし入植直後の困難や減反政策といった逆風に立ち向かった現地の皆さんの努力は実り、現在も「
あきたこまち」をはじめとした農作物は全国的な支持を集めています。
また「
大潟村ソーラースポーツライン」という約30kmのコースが設けられ、太陽電池を動力としたソーラーカーの競技会が催されるなど、先進的な取り組みも展開されています。
既に開村から40年以上が経過した八郎潟干拓地の「
大潟村」。必ず社会科の教科書で習う項目のひとつかと思いますが、学校では「干拓事業が行なわれました」という表面的なことしか教えてはくれません。せいぜい、目的として"食料増産"が時代背景にあったということが付け加えられる程度でしょうか。
しかしこうした国家的プロジェクト、そろそろ評価算定とその結果を将来に活かすことを考えた方が良いのではないでしょうか。
●政府、諫早湾事業で控訴 開門調査実施も
-2008年7月10日 22時40分 MSN産経ニュース
長崎県の「
諫早湾干拓事業」は水門の開門を政府に求めた佐賀地方裁判所の判決に対して、やはり国は控訴しました。
●諫早湾干拓地でレタス収穫 造成農地から作物を初出荷
-2008年4月22日 10時13分 MSN産経ニュース
一方でこの春、諫早湾干拓地からは初めての農作物が市場に出荷されました。
果たしてこの諫早湾干拓地は40年後どのような姿になっているのか?
そんなことも考えながら、車窓に
寒風山斜面の芝生、そして干拓地に広がる田園の鮮やかな緑を眺めつつ、「
大潟村」をあとにします。
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Posted at 2008/08/13 23:15:57 | |
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2008年 東北(下北・津軽) | 日記