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2010年01月02日 イイね!

結局、会えたのはゼロクラウン・・・

結局、会えたのはゼロクラウン・・・


【2010年1月2日 15時10分/和歌山県新宮市緑ケ丘】

車は新宮市に入りました。
人口およそ3万2千人、世界遺産にも指定されている「紀伊山地の霊場と参詣道」の玄関口として注目を集めているところです。

新宮市は県境の街であり、ここを過ぎると三重県に入ります。

つまりは今回の紀伊半島周遊は"左まわり"で行っているので、ここ新宮市を最後に和歌山県とはお別れ。

だから、というわけではありませんが、新宮警察署の前に停められていた和歌山県警察のパトロールカーをご紹介しておきましょう。

車種は全国どこでも見かける、はっきり言えばやや食傷気味にも感じられる"ゼロ・クラウン"こと180系トヨタ・クラウン。排気量2,500ccのエンジンを搭載、昇降式の赤色警光灯を装備した全国共通の国費導入型警邏パトロールカーです。

しかし和歌山県警察の車両にはちょっとした特徴が。白黒ツートンの制服カラーリングは日本全国共通のものですが、所属本部表記の前に小さくシンボルマークが入れられています。
このマークは1994(平成6)年に制定されたもので、本部長通達によって名刺やポスターなどの印刷物はもちろん、警察車両や船舶・航空機などにも用いることが定められています。

こうしたマーク図案が車両に入れられている例としてはほかに青森県警察がありますが、まだまだ全国的には少数派。
日本の警察車両は地味で単調なカラーリングゆえに、こうした"ご当地マーク"が各都道府県で描かれるようになれば良いのではないかと思います。

ところで和歌山県警察には全国的にもまだ珍しい、現行J32型の日産ティアナをベースとした警邏パトロールカーが配備されています。
運が良ければどこかでお目にかかれるかと思っていたのですが、残念ながら目にする機会はありませんでした・・・。


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2010年01月02日 イイね!

ここは出身地ではありません

ここは出身地ではありません 【2010年1月2日 14時30分/和歌山県東牟婁郡太地町大字太地】

国道42号を走る旅はまだまだ続きます。
潮岬で紀伊半島を折り返すかたちで今度は東海岸を北上、車は太地町へとやって来ました。

人口およそ3,300人、面積は5.96平方キロメートルと和歌山県で最も小さな町です。
複雑な海岸線を有する漁業が盛んな町で、特に長く捕鯨で賑わった土地柄。古式捕鯨発祥の地でもあり、捕鯨は町の主要産業として受け継がれてきました。しかし世界的な捕鯨への逆風から免れることは出来ず、現在では商業捕鯨は行われていません。しかし長年の伝統は受け継がれており、今もなお"くじらの町"として広くアピールしています。

そんな太地町を走っていると、沿道に写真の看板を見つけました。

「落合博満野球記念館」。

2004年からプロ野球セントラルリーグ中日ドラゴンズで監督をつとめる落合博満氏
セ・パ両リーグで4つの球団に選手として所属、史上唯一の3回の三冠王獲得など輝かしい功績は、ここで改めて紹介するまでもないでしょう。
また現役引退後は2004年シーズンから中日ドラゴンズの監督をつとめ、3度の日本シリーズ進出と1回の日本一に輝いています。

近年はすっかりプロ野球に疎くなってしまった私ですが、現役時代の落合選手は好きなプレーヤーの一人でした。
世間ではいわゆる"オレ流"に賛否両論があるところですが、しっかりと結果を残す"プロらしさ"には好感が持てます。

今回はこの記念館に立ち寄ることはしませんでしたが、また機会があれば覗いてみようかと思います。
ちなみに落合氏の出身地は秋田県。ここ太地町には住んでいたことも無いようですが、トレーニングの地としてここを選んで度々訪れていたことが記念館建設につながったということのようです。


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2010年01月02日 イイね!

悲願の象徴

悲願の象徴 【2010年1月2日 14時00分/和歌山県東牟婁郡串本町鬮野川】

紀伊大島から再び本土へ戻った後は、国道42号で三重方面へ。
国道に復帰して間もなく、右手の海辺に見えてくる不思議な光景、ここが今回の紀伊半島周遊において個人的に最も見てみたかった場所なのです。

「橋杭岩」。

本土側から紀伊大島に向かって一直線におよそ900m、岩の柱が海の中に居並んでいます。
それはまるで橋を架けるための桁のようでもあります。

言い伝えによるとその昔、真言宗の開祖でもある平安の僧・弘法大師(空海)が天の邪鬼と賭けをしたことに由来するのだとか。沖合の島、つまりは現在の紀伊大島まで一夜で橋を架けられるかという賭をした弘法大師は次々に橋の杭を作っていき、このままでは橋が出来上がって賭けに負けてしまうと思った天の邪鬼が鶏の鳴きまねをして朝がきたと大師に勘違いさせたため、大師は作りかけのままでこの地を去ったというのです。

ゆえに橋の杭だけが残って現在に至っている、と。
科学的には海の浸食によって岩盤の硬い部分だけが残って、このような奇岩が残されたということのようですが、伝えられる話ももっともだと思わせるほど見事に一直線に本土側から島に向かって岩が並んでいます。

先に通った「くしもと大橋」は島民悲願の本土側との架橋ですが、この奇岩を見るにつけて島民の長年に渡る思いも伝わってくるような気がしました。


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2010年01月02日 イイね!

友好の証

友好の証 【2010年1月2日 13時15分/和歌山県東牟婁郡串本町樫野】

潮岬を後にして再び国道42号方面を目指しますが、その途中で目に入ってきたのが海をまたぐ大きなループ橋。
1999(平成11)年に開通した「くしもと大橋」は、本土と沖合およそ1.8kmに浮かぶ紀伊大島を結んでいます。橋長290mの"くしもと大橋"と、橋長386mの"苗我島ループ橋"から成る道は晴天の下で走るには格好のドライブコース。

そこで早速、車を島へと走らせて見ましたが、なかなか心地よい道のりでした。こうして紀伊大島へと渡ったわけですが、せっかくなので島の奥まで行ってみることに。

県道40号で島の最東端にあたる樫野崎までやって来ました。
ここには無料の駐車場が用意されており、この先は徒歩で岬の先端にある樫野崎灯台まで遊歩道が整備されています。

樫野崎灯台は1870(明治3)年に稼働した日本最初の石造灯台であり、かつ日本で最初の回転式閃光灯台。こうした当時の最先端技術を駆使した灯台が配備されたということは、それだけ"海の難所"であったことの裏返しであるとも言えるでしょう。

そんな場所であることを象徴するような海難事故が1890(明治23)年に、ここ紀伊大島沖で発生しています。

当時のオスマン帝国(現在のトルコ共和国)の軍艦・エルトゥールル号が日本からの帰路で台風により遭難、沈没してしまいました。
この事故は587名が死亡または行方不明となる大惨事になってしまいましたが、まさにここ樫野崎灯台まで命からがらたどり着いた生存者により事故は島民の知るところとなり、総出で救出作業にあたった結果、69名の生命が守られたのです。

生存者たちは後日、日本の軍艦によって母国まで送り届けられますが、自らの非常用食料も生存者に惜しむことなく供出するなどした島民の対応などが知らされると、オスマン帝国では日本に対する友好ムードが強くなり、それは現在のトルコ国民にも受け継がれています。
その証としては、1985年のイラン・イラク戦争においてテヘランで孤立した日本人を救出するために、トルコ政府が救援特別機をフライトさせて邦人救出にあたったという事例があります。当時は日本に政府専用機がなく、法整備の遅れから自衛隊が海外での救援活動を行うことも出来ず、日本航空は乗員組合が現地の危険性を理由に救援飛行に反対するという、まさに八方塞がりの状態でした。
そんな中で救援にあたってくれたトルコ政府の英断を日本人は忘れるべきではありませんし、決して地理的に近い関係では無いにも関わらずこれほどまでに長く続けられている友好的な関係を、いつまでも継続させていく労を惜しむべきではないでしょう。

遊歩道を進むと、この遭難事故についての碑が建てられており、近くには事故にまつわる展示などもある「トルコ記念館」が設けられています。
観光地としての知名度では潮岬の方が数段上かもしれませんが、個人的には訪れて得られるものが多いのはこちら樫野崎のような感じを受けました。


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2010年01月02日 イイね!

本州最南端に到達しましたが・・・

本州最南端に到達しましたが・・・ 【2010年1月2日 12時50分/和歌山県東牟婁郡串本町潮岬】

いよいよ車は紀伊半島周遊の一区切りとなる、本州最南端の町である串本町へとやって来ました。
ということで、これまでになんだかんだと"端っこ巡り"をしてきた身としては、本州最南端の地である「潮岬」へと車を走らせることに。

国道42号を離れて、岬を周遊する県道41号を走ること数分。右手前方に白い灯台が見えてきましたが、あれこそが本州最南端に位置する「潮岬灯台」です。

さらに近づくとタワー状の観光施設などがあり、灯台に行く観光客向けの有料駐車場(300円/台)が。
なんとなく駐車場の前を通過、しばらく走って戻ってみるも、気分的に何かそそられるものがなく。ちょっと離れた場所で灯台や岬を望める駐車帯があったので、そこで簡単に記念写真を撮影しただけで、潮岬を後にしたのでした。


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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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