
早朝からパソコンの大がかりなメンテナンスを施し、お昼くらいからはひたすらに制作作業と納品に明け暮れた一日。
これから本格的に出張の機会も増えるだけに、常に持ち歩くノートパソコンを今のうちにすっきりとメンテナンスしようと思い立ったのですが、設定やらソフトのインストールやらで、作業開始から終了までは優に6時間以上を費やしてしまいました。
無事に仕事も片づき、あとは週末の出張準備を残すばかりになったのは晩御飯の時間帯。
そうそう、と思い立ってここ数日書けなかったブログに手を出して、これも一段落したところでニュースサイトを見ると、次のような記事が。
●ヤナセ:梁瀬次郎氏死去 日本の輸入車業界の基礎築く
-毎日jp(毎日新聞社) 2008年3月13日 21時33分
輸入車販売の老舗「
株式会社ヤナセ」の梁瀬次郎名誉会長が91歳で天寿を全うされました。
ヤナセという会社名は自動車愛好家でなくとも知らない人はいないでしょう、日本における輸入車史そのものといっても良い代名詞的な存在です。
30代以降の方にとっては「
メルセデス・ベンツ」「
キヤデラック」「
アウディ」「
フォルクスワーゲン」といったブランドネームを取り扱っていたことでなじみ深いという印象をお持ちではないでしょうか。
これらは現在よりも輸入車が高嶺の花とされていた当時に憧れの存在であり、プライスタグも確かに高価なものでしたが、その価格に見合う以上のステイタス性や賞品力、ブランドバリューを有していました。
誰もが認めるブランド力は、商品である自動車そのものの完成度が圧倒的に高かったことももちろん理由のひとつです。
しかし、
ヤナセが商品に絶対的な自信を持ち、顧客に変に媚びることなく真摯な営業戦略を継続してきたがゆえに確立された面も日本市場では大きかったと思います。
多少の車好きでも、
ヤナセのショールームには少々「敷居の高さ」を感じられたものです。
しかし、一度その敷居をまたいでしまえば、その向こうでは接客や商品知識などに長けたスタッフが揃い、とても気持ちのよい世界があったのです。
何となくですが、上級サービスというのは「敷居の高さ」があっても良いと思いますし、「一見さんお断り」とまでいわないまでも、来るものは拒まず的な営業とは一味違ったやり方も正しいように思います。
客の側にも礼節や常識をわきまえている事が自然に求められることで、売り手と買い手が同じような価値観を持ち、互いの商品やブランドバリューに納得してのつきあいが出来るというものです。
特に自動車という商品は購入して終わりというわけではなく、むしろ購入した日がスタート。メンテナンスやトラブル、代替えに至るまで、
ヤナセのスタッフは顧客一人一人の身になって接してくれたのであろうと予想します。
私は残念ながら
ヤナセで車を購入した経験はありませんが、仕事がら
ヤナセの方とお付き合いをさせて頂いたことはあります。
特に販売店の第一線に立つ方々は、立ち居振る舞いや商品知識などで他の自動車販売店を大きく凌ぐものがあり、発表会などで赤いジャケットをキリリと着こなして接客に当たる様は「さすがは
ヤナセ」と感心したものです。
こうした"ヤナセイズム"は、梁瀬次郎氏のカリスマ性によるところも大きかったことでしょう。
海外の自動車メーカー、それも歴史も伝統もある各社と対等に渡り合い、日本市場や日本のユーザーを重視して様々な活動をされてきました。
結局、バブル期に輸入車が大いに売れたこともあってか各メーカーが日本法人を設立、
ヤナセは輸入権を剥奪されるようなかたちで「販売会社のひとつ」となって現在にいたっています。
そして世界の名門メーカーも日本法人を設立したころから方向性が徐々に変わり、高級車を得意としていたメーカーであっても普及車種を開発・販売してシェアを伸ばすことに躍起になりました。
一方で大衆車メーカーは利幅の大きい高級車市場へ進出を図り、なんとなく存在していたメーカー間の棲み分けは無くなり、生き残りを賭けた激戦の時代に突入したのです。
その結果、生まれてくる自動車たちはどうでしょうか。
ノスタルジックに過ぎないのかもしれませんが、以前とは何かが違ってしまっているように思います。
誰もが認める高級、憧れの対象とすらなり得るブランドイメージは、決して短い時間で確立されるものではありません。
長い年月をかけて礎を築くことで、おのずから万人が認めるところとなるものであり、それまでには地道で真摯な努力が必要とされます。
「いいものだけを世界から」。
有名な
ヤナセのキャッチフレーズが、商品への自信と消費者に対する正直な姿勢を表しているといえるでしょう。
梁瀬次郎氏のご冥福を心よりお祈りいたします。
Posted at 2008/03/13 23:00:59 | |
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