
今日はお昼から外出。
都内某所でウェブサイトの年度更新に関する打ち合わせをしてきましたが、相手先が入居している建物の1階にはモータースポーツ系のショールームがあります。
今日はショールームはお休みでしたが、通りすがりの人が窓越しにレースマシンを携帯電話で撮影しているのが、なんとなく印象に残りました。
さて、事務所に帰ってから一息ついて、軽く制作作業を片づけてからネット上のニュースサイトをあちこち徘徊。
その中で目に留まったニュースがひとつ。
●「ソアラ」後継の高級スポーツ車、生産終了へ トヨタ
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asahi.com (朝日新聞) 2010年1月20日 20時04分
トヨタ自動車は、
レクサス・
SC430の生産終了を発表しました。
SC430は、2005年に日本市場で
レクサスが展開を開始した際に誕生したモデル。
ただしご承知の通り、これは元々2001年に日本では4代目のソアラを名乗ってデビューしたモデルの仕様変更版であり、レクサス化にあたっては大幅な改良を受けたものの、基本的にはソアラそのものの流れを受け継いでいるものです。
ソアラの誕生は1981年。神戸でポートピア'81が開催され、「窓ぎわのトットちゃん」がベストセラーになりました。ちなみに同年のレコード大賞は寺尾聰さんの「ルビーの指環」でした。
端正なスタイルの2ドアクーペはトップレンジに直列6気筒・2800ccのDOHCエンジンを搭載。デビュー当時は一部グレードにアナログメーターが残されたものの、中~上級仕様に装備されたデジタルメーターが先進性を感じさせるものでした。
走りの面でも4輪にベンチレーテッドディスクブレーキを採用、70扁平タイヤなども装備してそれまでの国産車から一歩抜け出した印象。
自動車の"ハイテク化"においては先鞭ともいえるモデルであり、高い動力性能と日本車として久しぶりの高級2ドアボディが孤高の存在感を見せていました。
なにより最上級グレードの販売価格はクラウンよりも高価、多くのクルマ好きにとっては憧れの存在となったのです。
1986年には2代目に進化。
基本的なデザインテイストはそのままに、角がとれた空力性能も高めたスタイリングでしたが、初代で築き上げたブランドイメージをより洗練させた雰囲気でした。
もちろん"先進性"はライバルの追従を許さず、デジタルメーターは虚像反射式に進化。さらに初代後期型でもメーターパネル内にモニターを装備することが可能とされていましたが、二代目では現代の最新モデル同様インパネセンターにモニターをビルトイン出来るようになりました。ここには高速道路の案内情報を表示することも可能でしたが、当時の記憶媒体は"カセットテープ"でした。
この2代目は日本の経済力が高まったことも背景に大人気となり、初代で憧れを抱いた方の中には2代目で念願のソアラ・オーナーになったという方も少なくなかったと思います。
さらに500台限定で、格納式メタルトップの"エアロキャビン"も限定発売されました。完全なオープンスタイルにはならないものでしたが、その稀少さから今も根強い人気があるようです。
1991年に3代目にバトンタッチ。
この頃になるとアメリカでは既にレクサスが展開されており、日本におけるソアラはアメリカにおけるレクサスSCという顔も持つに至りました。ゆえにスタイリングは特に顔つきが大きく変更され、スラントしたノーズの先端に独立4灯ライトを備える個性的な顔つきとされました。
あまりにアメリカンナイズされた変貌ぶりにデビュー当時は戸惑いの声も多かったのですが、ことフロントマスクの鮮烈な印象による部分が大きかったように思います。例えばサイドビューは初代から受け継がれた"ソアラならではの法則"に則ったものですし、リアビューも丸みが強められたもののDNAを感じさせるものでした。
さすがに不人気と判断したかマイナーチェンジではフロントに小さなグリルが追加されましたが、V8・4000ccエンジンの搭載や油圧アクティブサスペンション仕様の設定など、やはり"最高級グランツーリスモ"の名に恥じない完成度を誇っていました。
そして2001年。
ソアラは2+2シーターの格納式メタルトップを持つスタイルに大変貌、ここにきて従来のコンセプトとは趣が異なる方向に進みました。
デザイン的には初代以降の流れとはやや無縁とも思えるものでしたが、上質な仕立ての内装や卓越した動力性能などは国際市場で充分に通用するものでした。
そんなソアラも前述の通り、2005年にはレクサスとなり、ここにきて30年余りの歴史に終止符を打つこととなったのです。
この30年で日本の自動車は大きな進化を遂げました。
世界市場を席巻し、さらにコンパクトカーのみならずラージモデルや高級車の分野でも高い評価を得るようになりました。マルチユーティリティタイプのモデルが欧州や北米で注目を集めると、この分野でも意欲的なモデルを次々に開発、ベストセラーモデルが多数生み出されてきました。
しかし、こと日本の自動車マーケットとなると、特にこの10年ほどで大きな"変化"が生じています。
多人数乗車型のモデルが普遍化、ハイブリッドカーも今やごく一般的な存在になりました。一方ではセダンモデルの低迷が続き、さらに2ドアや3ドアのクーペスタイルも絶滅に近い状態です。特にいわゆるスポーツモデルではなく、コンフォート色の強い高級クーペは日本車では壊滅状態。
背景には自動車に対するユーザーの意識変化やライフスタイルの変化などが挙げられますが、ひとつ個人的に思うのは"強制的総中流社会"になってきているのではないかということ。
元々、日本は"総中流意識"の強い国であり、それは自動車の選び方にも反映されてきました。例えば社会的・経済的に一定の成功をおさめた人であっても、あえて輸入車を選択せずに国産の高級モデルを選ぶ傾向があること。業界内の年功序列を反映した車選びなどは最たるもので、この"ヒエラルキー"が日本の自動車マーケットを支えてきた一面もあるでしょう。
ところがミニバンの普及などでユーザーの自動車選びも多様化。例えば昔は「上司より高いヒエラルキーの車には乗れない」という古典的な会社もあったようですが、今では独身貴族が400万円を超えるミニバンに乗る一方、管理職の人がコンパクトカーで通勤している、なんていう会社も地方では珍しくないでしょう。
もちろん管理職側も高額な車に乗る若者を責める様なことはないでしょうから、自動車選びはとても自由になったと思います。
ただ、何故か社会的・経済的に"大成功"をおさめた人を良しとしない風潮も強くなってきているように感じます。
額に汗して成功した人、頭脳を使って成功した人、好機を逃さず成功した人、と成功にもいろいろなパターンがあるでしょうが、どうも妬みなのか何なのか若くしてベンチャー企業などで成功した人が派手に振る舞うと"出る杭は打たれる"傾向が強くなっているように思います。
ゆえにただでさえ目立つ存在である2ドア高級クーペ市場が衰退していったともいえるのではないでしょうか。
"車が成功の証"という考え方も既に古いとは承知していますが、何かこう"シンボリックな存在"でもあり得たソアラの系譜に終止符を打たれることは、平成になって20年目となる"日本の今"を象徴している出来事のようにも思えます。
※このエントリを記すにあたって、2002年に「
CarWorld」に寄稿した試乗レポートを読み返したのですが、残念ながら"真の日本らしい「ゆとり」のある時代"はやって来なかったですね・・・。
●CarWorld 試乗レポート・トヨタソアラ 430SCV
●クリスマスの賑わいと2ドアクーペ =前編= (2007年12月23日付のエントリ)
●クリスマスの賑わいと2ドアクーペ =後編= (2007年12月23日付のエントリ)
Posted at 2010/01/21 00:37:50 | |
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