• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

NorthStarのブログ一覧

2010年03月11日 イイね!

時代の変遷

時代の変遷昨日、新規クライアントさんを訪ねて新しいプロジェクトのキックオフミーティングを行った帰り道のこと。

やや混雑気味の環状8号を南下、東名高速道路の東京インターを目指して走っておりました。
ふと赤信号に引っかかって停車した交差点で、写真の建物を久しぶりに間近でじっくりと眺める機会がありました。

「M2(エム・ツー)」。

バブル経済の勢いを駆って、マツダが展開した商品企画プロジェクト。広島の本社に対して流行の最前線となる東京に新しい会社を立ち上げ、新規商品企画やマーケティングなどを担っていました。

当時のマツダは販売網を5チャンネルに拡大、車種ラインナップも次々に新型モデルを投入する拡大路線の真っ最中。
その中からは世界的にライトウェイトオープンの市場を再開拓したユーノス・ロードスターなど、自動車史においてエポックメイキングとなる存在も誕生しています。

M2は、そんなラインナップの中から独自の感性で付加価値や商品力を高めたモデルを提案しました。
第1弾となったのは初代ユーノス・ロードスターをベースにした「M2 1001」。走りの性能を高めることに重点が置かれ、4点式ロールバーを標準装着。足回りはもちろん、エンジンにも手が加えられ、全国限定300台が販売された稀少価値の高い車でした。
当時、友人がこの車を購入したので運転させてもらった経験もありますが、軽やかに高回転まで吹け上がるエンジンと、オープンボディを感じさせない剛性感のある走りに感銘を受けたものです。

「1001」が大好評だったことを受け、およそ1年後に第2弾としてリリースされた「M2 1002」もやはり初代ユーノス・ロードスターがベース。ただし1001とはキャラクターを変え、今度は走りの性能はノーマルそのままに、エクステリア/インテリアの質感を高め、ジェントルな雰囲気を強調したモデルとなりました。
ダークブルーの専用外板色に、これまた専用のアイボリー色を採用した本革シート。インパネ表皮にもアイボリー塗装が施されるなどした「1002」は、どちらかというと車のインテリアを重視する私にとって気になる存在でした。

第3弾はそれまでの2台とは異なり、ユニークな軽自動車スポーツモデルのオートザムAZ-1がベースモデルに選ばれました。「M2 1015」という名称を与えられたモデルは、特徴的なガルウィングドアなどはそのままに、オリジナルのエアロパーツで武装していました。
当初は限定50台を発売、後に希望者のリクエストに応えて追加生産もあったと言われており、これも完売御礼となりました。

しかし、この「1015」がリリースされた1993年の時点で、日本はバブル経済崩壊の影響を受けつつあったのです。

1994年、再び初代ユーノス・ロードスターをベースとした「M2 1028」がデビュー。
この時点でベースとなるロードスターはマイナーチェンジを受け、排気量1,800ccのエンジン搭載モデルが登場していました。そこでこの1,800ccエンジン車をベースに、第一弾である「1001」のコンセプトを復活させて走りの性能を徹底的に磨き上げたのがこのモデル。
10点式アルミロールケージを採用、ベース車が従来型より重くなっていることに対してはFRPフルバケットシートの採用などで軽量化を促進。なんと軽量化のために折り畳み式のソフトトップを廃して、軽量デタッチャブルハードトップを標準化する徹底ぶりでした。

この「1028」は景気後退の波を受けて、280万円と「1001」などよりもかなり安価な値札がつけられ、300台限定でリリースされました。
さらにM2では第5弾、第6弾と新規モデルの計画を温めていたのですが、販売実績に見合わない多チャンネル化などが影響してマツダの経営が急速に悪化。
このため、M2も1995年に短い歴史の幕を閉じてしまったのです。

さて、写真の建物ですがM2の本社ビルであり、特徴的なデザインが当時も大いに話題を呼びました。この建物の中には本社機能のほかにショールーム、ディーラー店舗、書店、レストラン、レンタカー店などが入居していました。
私も1993年に、当時勤めていた十勝スピードウェイでロードスターオーナーを対象とした大規模なミーティングイベント「ロードスター北海道ブランチ」を立ち上げるにあたり、協力依頼や打ち合わせのためにここを訪れた経験があります。

M2が解散して以降は、ディーラー店舗機能だけが細々と残っていましたが、2002年に株式会社メモリードが建物を買収。
以降、内装をリニューアルして斎場として使われ、現在に至っています。

実はこのビル、現在でも外壁に「M2」の文字が残されています。
建物の存在感などから1990年代前半の激動の日本経済を省みることが出来ますが、善くも悪くも日本に"勢い"のある時代だったことに間違いはありません。
真の意味で世界的なブランドと肩を並べる性能や商品力を日本車が持てたのも、独創的な先端技術が普及したのも、こうした時代背景があればこそだったのですから。
 
Posted at 2010/03/13 19:38:07 | コメント(1) | トラックバック(0) | 自動車全般 | 日記

プロフィール

各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

リンク・クリップ

office North-Star業務雑記帳(FC2) 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/08/12 00:27:49
 
ADVAN Motorsports 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2011/08/12 00:27:30
 
NINJA TOOLS 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2007/09/17 19:46:48
 

愛車一覧

日産 フーガ 日産 フーガ
三菱ディアマンテ30M-SE、Y50型日産フーガ350XVに続く、三代目の“社用車1号機 ...
フォルクスワーゲン パサート セダン フォルクスワーゲン パサート セダン
マツダRX-8、三菱ランサーエボリューションVII GT-Aに続く、三代目の"社用車2号 ...
日産 フーガ 日産 フーガ
二代目となった"社用車1号機"。 日産フーガ350XV、ボディカラーはダークブルー。 ...
三菱 ランサーエボリューションVII 三菱 ランサーエボリューションVII
マツダRX-8の後継として導入した「社用車2号機」。 三菱ランサーエボリューションVII ...

過去のブログ

ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation