
原稿執筆にあたって、その内容によっては調べ物をかなり要することも珍しくありません。
昨今はインターネットで色々な情報を得られるので、この"調べ物"もやりやすくなりました。もっとも情報が星の数よりも多いのではないかと思うくらいに氾濫しているネットの世界ですから、
その中から的確に欲しい情報を見つけ出すことと、さらに情報の信憑性を確かめることには、相応の経験やテクニックも必要になってきます。
しかし、今日は久しぶりに手元にある資料を紐解くという、古典的な手法である"調べ物"をしていました。
それは、1987年にデビューした三代目の三菱ミラージュについて。21世紀を迎えて間もなく消滅してしまったポピュラーカーのブランドネームですが、
三菱自動車工業の屋台骨を四半世紀にわたって支え続けてきた存在でした。
今回注目した三代目は1987(昭和62)年にデビュー。2年前のプラザ合意などを契機としてバブル景気が進行、国内の自動車市場は大いに活性化していました。中でも
三菱自動車工業はパジェロがパリ・ダカールラリーで活躍、その模様がNHKで採り上げられたこともあって全国的に人気が急上昇。さらにアウトドアブームに乗るかたちでデリカ・スターワゴンも販売を伸ばしていました。
一方で乗用車系のラインナップも一新され、ミラージュの3ドアハッチバックがフルモデルチェンジされるのとほぼ同時に、ギャランもE3#系に進化。こちらは「インディビジュアル4ドア」というキャッチフレーズを掲げ、フルタイム4WDとインタークーラーターボエンジンを組み合わせた"VR-4"をフラッグシップとしていました。
ギャランとミラージュは、ともにそれまでの国産同クラスモデルとは異なる、とても"戦闘的"なデザインが特徴。2010年の現在、
三菱自動車工業のアイデンティティになっている"ジェットファイター"顔の源流をここに見いだすことが出来ます。
ミラージュは当初3ドアハッチバックがデビュー。走り指向の「CYBORG(サイボーグ)」、スタンダードな「SWIFT(スイフト)」、お買い得な女性ユーザー向けの「Fabio(ファビオ)」、そして定員2名化してリアサイドウィンドゥを廃したパネルアウトとし、ラゲッジスペースの自由度を高めた「XYVYX(ザイビクス)」という、性格付けを明確にした4類別を展開しました。
そして3ヶ月遅れて4ドアセダンボディもフルモデルチェンジ。こちらはルーフラインを後方に伸ばし、立たせ気味のCピラーにつないで室内空間を確保するという、兄貴分のギャランに通じるデザインを採用していました。
また、ユニークなのは兄弟車との関係。ミラージュとギャランに遅れることおよそ1年で、それぞれの兄弟車という位置づけでランサーとエテルナがデビュー。
異なる販売系列向けに兄弟車を設定するのは今も珍しくありませんが、当時のギャランに対するエテルナ、ミラージュに対するランサーは、単なるバッジエンジニアリングでは無かったのです。エテルナ、ランサーともに、専用の5ドアハッチバックボディを架装。当時の日本では5ドアハッチバックが市場にほとんど受け入れられなかったので販売実績は大きくありませんでしたが、これもまた意欲的な商品展開でした。
もう一つ、ミラージュ/ランサーで注目したいのはセールスプロモーション展開。
ミラージュは
松任谷由実さんがイメージソングを担当、デビュー時のコマーシャルでは「リフレインが叫んでる」が使われCM画像には「YUMING」のクレジットが入っていました。この曲は1988年にリリースされた「Delight Slight Light KISS」に収録されています。
一方のランサーは、イメージキャラクターに女優の賀来千香子さんを起用。1986年の「男女7人夏物語」への出演などで人気が高まっており、都会的で洗練されたイメージが好感をもたれての起用だったかと思います。デビュー当時のカタログでも巻頭見開きページを飾っていました。
最後に1987年の世相を見てみると、政治の世界では竹下登政権が発足。6月には「総合保養地域整備法(リゾート法)」が施行され、全国的にテーマパークやリゾート施設の開発が進むきっかけになりました。
経済面では2月にNTT株が上場され、株式投資がブームに。4月には国鉄が分割民営化され、JR各社が発足しました。また土地の高騰が急激に進み、社会問題化していったのもこの頃です。
文化面では俵万智さんの「サラダ記念日」がベストセラー。後楽園球場がこの年を最後に閉鎖され、翌年からは日本初のドーム球場「
東京ドーム」が開業しました。
ちょっと懐かしいカタログを開くことで、当時のことも色々と思い出されたりするものです。
Posted at 2010/06/20 15:33:19 | |
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