
日本の国土は大きくわけて、北海道、本州、四国、九州、その他島嶼という5つから構成されています。これらについては、その他の島嶼を除いて全てが橋やトンネルで結ばれており、鉄道や自動車を使った物流や人の交流は盛んに行われるようになっています。
その先駆けとなったのは本州と九州の間にある関門海峡。岸線間でもっとも狭い箇所においては本州と九州の間が僅かに650m、このため早い段階で架橋やトンネル掘削の動きがあったことから、1942(昭和17)年には鉄道トンネルが開通。1958(昭和33)年には自動車用の国道トンネルも開通、そして1973(昭和48)年になると橋梁による高速道路の関門自動車道でも本州と九州がつながりました。
さらに現在では1975(昭和50)年に開通した新幹線専用の新関門トンネルとあわせて、3つのトンネルと1つの橋梁ルートが構築されています。また、国道トンネルには人道専用のものも用意されており、徒歩はもちろん自転車や排気量50cc以下の原動機付自転車についても降車して手押しすることで通行出来るようになっています。
このように徒歩や自転車などでも往復できるだけの利便性が確保されている関門海峡ですが、その一方では船舶航路も営業されてきていました。しかし、高速道路の料金割引制度などによる影響は免れなかったようで、航路休止が発表されてしまいました。
●関門海峡フェリー休止 収支悪化11月末で
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西日本新聞 2011年10月14日 2時04分
関門海峡フェリーのルーツを辿っていくと、1901(明治34)年に国鉄が就航させた関門連絡船に行き当たります。この連絡船は1964(昭和39)年に廃止されて関門海峡の定期船は一時途絶えるのですが、1971(昭和46)年に民間企業が再び航路を開設。そしてこの会社から1976(昭和51)年に航路を引き継いだのが、現在の
関門海峡フェリーです。
前述の通り、関門海峡にはトンネルや橋がありますので、フェリーは交通の主役という存在ではありません。より地元や地域に密着した形で運航されていたようですが、昨今の高速道路料金割引に加え、燃料費の高騰など運航コスト面の要因が経営を圧迫する結果になってしまったようです。
現実的には徒歩や自転車でもトンネルを使えば本州と四国の間は行き来出来ますので、瀬戸内のフェリー廃止よりは影響については限定的と見る向きも多いようです。実際、多くの報道は両岸のフェリーターミナル近隣住民が利便性の低下を訴える声を紹介している程度でした。
しかし全国紙では唯一、
毎日新聞だけが隠れた問題点についての指摘を行っていました。
その問題点というのは何かというと超大型車両については、トンネルや橋梁を使って関門海峡を渡ることが法律的に出来ないため、フェリー航路の廃止によって往来が困難になってしまったということです。
例えば関門トンネルでは、車両制限令に規定された一般制限値をひとつでも超えると通行が認められません。具体的には全幅2.5m、全長12m、最小回転半径12m、総重量25トン、軸重10tなどと定められた値の範囲内のなければなりません。同様に関門橋についても通行出来る車両には基準があり、巨大な構造物などを輸送するトレーラー等はこれまでもフェリーを利用していたのです。
そんなに滅多に往来も無いのかと思っていましたが、報道によれば建設や土木工事などで使われる資材や、民間企業の工場で用いる原材料など、意外と大きな物のやりとりは本州と九州の間で行われているそうです。たしかに北九州といえば日本有数の工業地帯、狭い海峡をはさんだ対岸の山口県は目と鼻の先ですから、製造業での交流も頻度が高くて当たり前という気がします。
今後はこうした物流については定期航路がなくなってしまうので、船舶をチャーターする必要が生じるのだとか。当然、そのためのコストは増大することになりますから、本州側と九州側の両方に影響を及ぼすことになるでしょう。
あくまでも民間企業の活動ですから、フェリー航路の廃止は致し方の無い部分もあったのでしょう。しかし高速道路やトンネルと長く共存してきたことを考えると、一定の需要は存在しており今後も継続しそうな気がします。フェリー航路も道路や鉄道と同じく重要な国の基幹インフラです。ならば国家として災害や有事のことまでを見据えた中で、どのように整備・維持していくかを考えても良さそうなところですが、大衆受けばかりを気にする政治家にはそんな大局的見地を求める方が酷なのかもしれません。
Posted at 2011/11/29 12:40:37 | |
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