
3日(土)から一般公開が始まっている「
東京モーターショー」もそうですが、このような大規模なショーは各メーカーが新型車や新技術を発表する場として注目を集めます。今回の東京でも"ワールドプレミア"と呼ばれる世界初公開や、"ジャパンプレミア"と呼ばれる日本初公開を果たした新型の市販予定車やコンセプトカー、新しい技術などがいくつかありました。
残念ながら往年の「
東京モーターショー」と比べると、その数はかなり寂しいものになってしまっています。これも、世界のどのショーで"ワールドプレミア"を行うかということは各メーカーの販売戦略によるものであり、日本の自動車市場が置かれている厳しい現実を見せられたようにも思います。
ところで今回は、これらとは逆にショーの開催期間中に、販売中である現行モデルの終売とブランド廃止の予定が発表されるという、珍しいニュースがありました。
●ダイムラー、最高級ブランド「マイバッハ」から撤退
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asahi.com(朝日新聞) 2011年12月4日 19時01分
「
東京モーターショー」の開催にあわせて来日した
ダイムラー社の販売担当上級副社長が明らかにしたところによると、2013年までに同社の最上級ブランドである「
マイバッハ」を市場から撤退させ、そのポジションは
メルセデス・ベンツの「
Sクラス」に引き継がれるということです。
「
マイバッハ」の歩みを振り返ってみると、1997年に開催された「
第32回 東京モーターショー」のプレスディ初日に、このブランドが60年ぶりに復活することが発表され、ステージ上の「
マイバッハ57」には世界中の報道陣から注目が集まりました。
1901年に
ダイムラー社が初めて“メルセデス”と名付けた車の設計者、ヴィルヘルム・マイバッハが独立して会社を起こし、飛行船のエンジン設計などを行ったのが「
マイバッハ」の第一歩。その後、息子のカール・マイバッハが自動車の製造を始め、V12エンジンを搭載した“ツェッペリン”などは世界的な最高級サルーンとして王侯貴族や富裕層を顧客としていました。
その後、1950年代に入ってカールが引退すると会社はダイムラーの傘下となりましたが、マイバッハの名を冠した車は市場から消え、自動車としてのマイバッハ・ブランドは長い眠りについたのです。
この眠りから覚めたのが1997年、前述の通り「
第32回 東京モーターショー」でのブランド復活は大きなニュースとなり、日本やアメリカはもちろんですが地元であるヨーロッパでも
ロールス・ロイスや
ベントレーの将来が話題となっていた時期であったために、
メルセデス・ベンツが展開する新しい最高級車戦略がどのようになるのか、という点からも注目を集めました。
そんな「
マイバッハ」が市場に送り出されたのは、復活発表から5年が経った2002年のこと。標準型となる「57」とロングホイールベースの「62」は、ともにV型12気筒で排気量5,500ccにツインターボを組み合わせたパワーユニットを搭載。内外装は贅の極みを尽くしており、「62」では透過率を自由に変えられるガラスルーフなども注文装備することが可能でした。
なにしろ最高級車ゆえにデビュー時の発表会も贅沢なもので、2002年の6月にイギリスからアメリカへと向かったクイーン・エリザベスⅡ世号に積まれた「マイバッハ・62」はガラスケースに納められており、ニューヨークに到着するとガラスケースごとヘリコプターにつり上げられて街中へと運ばれていきました。
特定の顧客を対象としているため、販売手法も独特なものを採用。日本の場合は東京にただ一カ所だけ用意された「マイバッハ・セールスセンター」のみが窓口となり、展示車の確認や商談などは完全予約制。もちろん商談には専任のスタッフがあたるというものでした。ちなみに新車の価格はデビュー当時の日本仕様でおよそ4,100万円。これはあくまでも基本仕様であり、ボディカラーにはじまり、数多くの注文装備品が用意されているので、それこそ値段さえ気にしなければ完全に自分好みの1台を仕立てることが叶うものでした。
その後、いわゆる先進国では経済の低迷が厳しさを増し、一方で新興国は急成長という流れが加速。そんな中で「
マイバッハ」はこれまでにおよそ3,000台が市場に送り出されたと言われていますが、この数字は正直に言って商業的には失敗であったと言わざるを得ないでしょう。
では世界景気の低迷などが要因なのかというと、2010年には
ロールス・ロイスが過去最高となる年間2,711台を販売しています。もっとも、
ロールス・ロイスの場合はブランド内に「ファントム」から「ゴースト」までラインナップの幅もあるので直接的な比較は難しいかもしれませんが、決して超高級車の市場がおしなべて低迷しているという訳では無さそうです。
今回の「
マイバッハ」の撤退、そこからはやはり“高級ブランド”というものが一朝一夕には生まれ得ないということが見えてくるように思えます。60年という時間を経て復活したブランドも、実際の市場、特に新興国市場では全くの新参者として捉えられていたようですし、売り手が販売手法などを工夫してプレミアム感を演出しようとしても、ブランドそのものが持っている価値が追いついていなければ、単なる敷居の高さだけが残る結果になってしまいます。
また、デザインについても受け取り方は個々で様々でしょうが、少なくとも私個人の印象としてはデビュー時に初めてお目にかかったときから「物足りなさ」を感じていました。Sクラスとの近似性や共通性を持たせることの是非、そしてデザインそのものに覚えた質感の不足。超高級車の世界は保守的な価値観を持った客層が主となるため、あまり「
マイバッハ」のデザインは好感を持って受け入れられなかったようです。
残念ながら実車のデビューから10年ほどで歴史の幕を閉じることになってしまった「
マイバッハ」。この教訓も含めて、次のSクラスがどのような形で登場してくるのか、世界的に興味はそちらに移りつつあると言うのが現状でしょう。
Posted at 2011/12/17 22:10:32 | |
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