
ちょっと気になることがあって、開いてみたのは
JAL(日本航空)のウェブサイト。この中に、時刻表データをpdfファイルで閲覧できるページがあるので、こちらにアクセスして時刻表の内容をチェックしていきます。
このページには現在使われている6月1日~30日のものと、7月1日~8月31日まで有効な次のシーズンの時刻表データが掲載されています。そこで、両者を開いてじっくりと比較していくと……。
やはり気になっていた事項については、悪い予感が的中しました。
それは、
JAL(日本航空)が運航している
マクダネル・ダグラスMD-90という機材が、完全退役にまた一歩近づいたという事実です。
6月の時刻表では、同機種は東京(羽田)発着で、女満別、旭川、釧路、青森、三沢、宮崎、熊本の各路線に就航しています。これが7月1日以降に適用となる時刻表を見ると、北海道と東北の路線からは完全に姿を消し去り、宮崎便に1日6往復中の2往復、熊本便に1日8往復中の1往復のみが残るだけとなるようです。
最盛期には
JAL(日本航空)が運航している
マクダネル・ダグラスMD-90に16機が在籍した
マクダネル・ダグラスMD-90ですが、2012年1月に登録番号JA8062が初の抹消機となりました。この機材はJAS(日本エアシステム)時代、黒沢明監督が手がけたレインボー塗装の4号機として活躍したものです。
以降、月ごとに数を減らし、それらはアメリカの
デルタ航空へと売却が進められています。恐らく、6月のうちに大量の機材が登録抹消されてしまうのではないかと予想します。
マクダネル・ダグラスMD-90、その前身はMD-81、さらにDC-9と歴史を積み重ねてきており、日本の航空会社としては日本航空と合併した旧・日本エアシステムが、まだ社名を東亜国内航空としていた1973(昭和48)年12月1日に初就航させました。路線は東京-釧路で、機材はDC-9-31。その後、翌1974(昭和49)年4月3日にDC-9-41型を東京-大分線に就航させ、この41型からレッド&グリーンの新塗装が採用されたのです。
以降、亜幹線や全国の空港ジェット化が進んだことにより、ローカル線にも活躍の場を拡大して言ったDC-9。
1981(昭和56)年にはTDA初のワイドボディジェット機であるエアバスA300が3月1日に就航を開始した一方で、同じ日にはストレッチされて全長を拡大し座席数を増加させ、運航システムもアップデートされたDC-9-81が東京-三沢線に就航しました。さらに進化型のMD-81が1985(昭和60)年の5月1日に東京-帯広線と東京-三沢線に就航、社名を日本エアシステム(JAS)と改めた1988(昭和63)年には6月に短胴型のMD-87型機が導入されて、特にローカル線を主体とする日本の空では主役級の存在となりました。
最新のMD-90が導入されたのは、元号も平成に変わってしばらく経った1996(平成8)年。3月8日にJASとして最後のYS-11がフライトして完全退役を果たし、翌月の4月1日には最新のデジタルアビオニクスを備えたMD-90が東京-長崎、東京-帯広、東京-青森の各路線に就航しました。
以降、東京と各地を結ぶ翼として活躍してきたMD-90。DC-9の系譜を受け継ぐ1本通路のナローボディ機は、スリムなスタイリングとリアのボディサイドに2発のエンジンを備えるリアジェットスタイル、そして垂直尾翼の頂上に水平尾翼をレイアウトする“T型尾翼”が特徴です。最新の2発ワイドボディ機に比べるとたしかに客室空間は狭く、手荷物収納スペースなどにも物足りなさを感じるのは事実。さらに騒音や燃費という面では最新型機に性能面で譲る部分も多く、特にコストダウンと環境への配慮が航空業界に強く求められている日本においては、代替も致し方ないところとなってしまいました。
昨今はLCC(ロー・コスト・キャリア)の台頭や航空運賃の低価格化も進んでいることから、飛行機に乗ることは決して特別な感情を抱くものではなくなったかもしれません。しかし、少なくともMD-90の系譜、例えばDC-9の時代であれば、今よりは飛行機に乗ることが特別なものという認識は強かったでしょうし、それこそビジネスではなくプライベート、家族旅行などで飛行機に乗るともなれば、子どもたちは前の夜からワクワク・ドキドキしていたのではないかと思います。
そんな思いをDC-9や歴代MD機の中で感じた方も少なくないでしょう。私自身もそんな一人ですから、なんとか退役前には搭乗する機会を設けてみることにします。
Posted at 2012/06/17 18:33:55 | |
トラックバック(0) |
航空・鉄道・海運 | 日記