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2010年01月02日 イイね!

友好の証

友好の証 【2010年1月2日 13時15分/和歌山県東牟婁郡串本町樫野】

潮岬を後にして再び国道42号方面を目指しますが、その途中で目に入ってきたのが海をまたぐ大きなループ橋。
1999(平成11)年に開通した「くしもと大橋」は、本土と沖合およそ1.8kmに浮かぶ紀伊大島を結んでいます。橋長290mの"くしもと大橋"と、橋長386mの"苗我島ループ橋"から成る道は晴天の下で走るには格好のドライブコース。

そこで早速、車を島へと走らせて見ましたが、なかなか心地よい道のりでした。こうして紀伊大島へと渡ったわけですが、せっかくなので島の奥まで行ってみることに。

県道40号で島の最東端にあたる樫野崎までやって来ました。
ここには無料の駐車場が用意されており、この先は徒歩で岬の先端にある樫野崎灯台まで遊歩道が整備されています。

樫野崎灯台は1870(明治3)年に稼働した日本最初の石造灯台であり、かつ日本で最初の回転式閃光灯台。こうした当時の最先端技術を駆使した灯台が配備されたということは、それだけ"海の難所"であったことの裏返しであるとも言えるでしょう。

そんな場所であることを象徴するような海難事故が1890(明治23)年に、ここ紀伊大島沖で発生しています。

当時のオスマン帝国(現在のトルコ共和国)の軍艦・エルトゥールル号が日本からの帰路で台風により遭難、沈没してしまいました。
この事故は587名が死亡または行方不明となる大惨事になってしまいましたが、まさにここ樫野崎灯台まで命からがらたどり着いた生存者により事故は島民の知るところとなり、総出で救出作業にあたった結果、69名の生命が守られたのです。

生存者たちは後日、日本の軍艦によって母国まで送り届けられますが、自らの非常用食料も生存者に惜しむことなく供出するなどした島民の対応などが知らされると、オスマン帝国では日本に対する友好ムードが強くなり、それは現在のトルコ国民にも受け継がれています。
その証としては、1985年のイラン・イラク戦争においてテヘランで孤立した日本人を救出するために、トルコ政府が救援特別機をフライトさせて邦人救出にあたったという事例があります。当時は日本に政府専用機がなく、法整備の遅れから自衛隊が海外での救援活動を行うことも出来ず、日本航空は乗員組合が現地の危険性を理由に救援飛行に反対するという、まさに八方塞がりの状態でした。
そんな中で救援にあたってくれたトルコ政府の英断を日本人は忘れるべきではありませんし、決して地理的に近い関係では無いにも関わらずこれほどまでに長く続けられている友好的な関係を、いつまでも継続させていく労を惜しむべきではないでしょう。

遊歩道を進むと、この遭難事故についての碑が建てられており、近くには事故にまつわる展示などもある「トルコ記念館」が設けられています。
観光地としての知名度では潮岬の方が数段上かもしれませんが、個人的には訪れて得られるものが多いのはこちら樫野崎のような感じを受けました。


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2010年01月02日 イイね!

本州最南端に到達しましたが・・・

本州最南端に到達しましたが・・・ 【2010年1月2日 12時50分/和歌山県東牟婁郡串本町潮岬】

いよいよ車は紀伊半島周遊の一区切りとなる、本州最南端の町である串本町へとやって来ました。
ということで、これまでになんだかんだと"端っこ巡り"をしてきた身としては、本州最南端の地である「潮岬」へと車を走らせることに。

国道42号を離れて、岬を周遊する県道41号を走ること数分。右手前方に白い灯台が見えてきましたが、あれこそが本州最南端に位置する「潮岬灯台」です。

さらに近づくとタワー状の観光施設などがあり、灯台に行く観光客向けの有料駐車場(300円/台)が。
なんとなく駐車場の前を通過、しばらく走って戻ってみるも、気分的に何かそそられるものがなく。ちょっと離れた場所で灯台や岬を望める駐車帯があったので、そこで簡単に記念写真を撮影しただけで、潮岬を後にしたのでした。


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2010年01月02日 イイね!

南紀にある"王国"

南紀にある&quot;王国&quot; 【2010年1月2日 12時00分/和歌山県西牟婁郡すさみ町見老津】

車は紀伊半島の最南端を目指して走り、すさみ町までやって来ました。
人口およそ5千人、農林水産業が主体の町は、良質のカツオやブリが水揚げされることで知られています。また地理的に温暖な気候で、年間の平均気温は実に17度。温度計が0度を下回ることは滅多にないという地域です。確かに車の外に出ると海沿いゆえに風はやや強いものの、身体が芯から冷える感じはありませんでした。

熊野古道などの観光拠点としても便利な地ですが、ほかにもいくつかユニークな名所が存在しています。

まずひとつご紹介したいのは「海底ポスト」。
クラブノアすさみ」のウェブサイト内に詳しい記述と写真がありますが、元々は博覧会に付随したイベントのひとつとして設置されたポストなのだそうです。
枯木灘海岸からの沖合およそ100m、水深およそ10mの地点に円形のポストが設置されており、毎日地元のダイバーが投函された郵便物を回収しているので実際の郵便ポストとして機能しています。

投函するには「クラブノアすさみ」で専用のハガキ(切手代込みで150円)を購入、あとは文面や宛て先を書いて投函するだけ。もっとも気軽に投函しに行けるポストではありませんが・・・。

そしてもうひとつご紹介するのが「イノブータン王国」。

元々はこの地にある「和歌山県農林水産総合技術センター 畜産試験場」が1970(昭和45)年にはじめてイノシシとブタを交配した"イノブタ"を誕生させたことに始まるようです。

この"イノブタ"は当地の特産品となり、地域活性化を目的として1986(昭和61)年に「イノブータン王国」が"建国"されました。
この"王国"はなかなかの徹底ぶりで、ウェブサイトを見てもイノブータン大王とキララ王妃を筆頭に、町の要職にある方々も多くが"閣僚"として名を連ねています。

"町=王国"とも言える状態なので、特に大きな"王国施設"があるわけではありませんが、そんな中でシンボルとなっているのが「道の駅 イノブータンランド・すさみ」。
国道42号沿いにある施設は壁面にイノブータン大王の"肖像画"も掲げられた立派なもの。少々駐車スペースが手狭な感がありますが、建物内には大王と王妃が鎮座しており謁見を賜ることが出来ます。

王国には国家や国旗があるほか、なんと建国した年を起源とする"猪豚歴"もあり、王国の城という位置づけでもある「道の駅 イノブータンランド・すさみ」が完成したのは猪豚11(1996)年のことなのだそうです。


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2010年01月02日 イイね!

長年来てみたかった空港

長年来てみたかった空港 【2010年1月2日 10時30分/和歌山県西牟婁郡白浜町才野】

昨日、ちょっと珍しい名前の高校を見学した後も、引き続き国道42号を南下。
紀伊半島の西部は和歌山から、阪和自動車道・湯浅御坊道路で南紀田辺までを走ることが出来ます。しかし今回は私にとって初めての紀伊半島周遊。ということで沿道の様子を楽しむべく、一般道で移動することにしています。

そして昨日の夕方、御坊市にあるちょっと広めの駐車場があるコンビニエンスストアに立ち寄ったのですが・・・。
遅めの昼食を摂り、ちょっと一息つくつもりがすっかり爆睡。目を覚ましてみると既に辺りは真っ暗、時刻は既に夜の9時すぎ。頭の中がボンヤリした状態でいると、なんと二度寝に突入してしまい・・・。
再び気がついたときには既に日付が変わるどころか朝を迎えており、自分自身でもビックリした次第。

思わぬ"車中泊"となりましたが、おかげで寝不足も解消されてスッキリした頭で紀伊半島周遊を再開。
白浜町に車は入り、私の長距離ツーリングでは"お約束"となっている、空港探訪を行うこととしました。

やって来たのは「南紀白浜空港」。
和歌山県唯一の空港であり、2,000mの滑走路を一本有する第三種空港です。開港は1968(昭和43)年で滑走路は1,200m。プロペラ機で東京線が開設されましたが、本州でも温暖な紀伊半島南部がリゾートや新婚旅行の地として注目を集めたことから、なかなかの賑わいを見せていたようです。

旅客の増加に伴い、より大型の機材が就航できるようにするべく隣接地に新空港が建設されました。1996年にこの新空港に移転しましたが、それでも滑走路は1,800mと比較的短め。2000年に滑走路が延長されて2,000m化されましたが、現在のところはJAL(日本航空)が東京線を1日に2往復就航させているのみとなっています。

ちなみに2009年4月~8月の東京-南紀白浜線の搭乗率は47.8%。JALの国内線151路線中、搭乗率124位という厳しい利用状況にあるのが現実です。

この「南紀白浜空港」、私にとっては子供の頃からちょっと気になる存在でした。
以前はJAS(日本エアシステム)、さらには前身のTDA(東亜国内航空)が就航していた「南紀白浜空港」。TDA1社就航という点では、私の育った北海道・十勝にある帯広空港と同じ。時刻表にある"南紀白浜"の文字を見て、「どんなところなんだろう?」と思っていたのです。

果たして初めてやってきた「南紀白浜空港」は、こぢんまりとした印象。隣接する高台の航空公園からは、ターミナルビル、エプロン、機材、管制塔を全てひとまとめにして撮影できるほどのコンパクトさでした。

ちょうど東京行きのJAL1382便が離陸するシーンも撮影に成功。
誘導路がないため、出発機は管制塔の許可を受けるとエプロン内でプッシュバックされた後、滑走路を走ってエンドまで行ってUターン、そこから離陸滑走するというローカル空港ならではの光景を眺めることが出来ます。

そしてちょっと特徴的なのが滑走路の背後にある施設群。
当地を代表する観光施設の「アドベンチャーワールド」、そしてテレビのコマーシャルでも有名な会員制リゾート施設「エクシブ白浜」を望むことが出来ます。

つまり離発着シーンではこれらの施設をバックにした航空機の姿を撮影できるわけで、全国各地に空港がありますが観覧車やリゾートホテルをここまで間近に背景に入れられるところも無いかと思います。

今となっては少々懐かしさも感じる「マクダネル・ダグラス MD-81」の離陸シーンも無事に撮影完了。
その昔はレッドアンドグリーンのTDA塗装が施された"DC-9 super80"、さらに旧空港時代は"YS-11"といった往年の名機たちが就航していたことにも思いを馳せての撮影となりました。


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2010年01月01日 イイね!

学生諸君、レーサーを目指してみませんか?

学生諸君、レーサーを目指してみませんか? 【2010年1月1日 13時45分/和歌山県有田郡湯浅町】

和歌山市から国道42号を南下して、海南市有田市と走り、やって来たのは湯浅町

人口はおよそ1万4千人、みかんなどの柑橘類に加えて、醤油の産地としても有名な町です。
確かに国道42号沿いにも醤油、そして金山寺味噌という独特の味噌を製造・販売している店が多く目につきました。特に金山寺味噌は調味料として味噌汁などを作るために用いるのではなく、そのままご飯のおかずや酒のつまみとして食べるという面白い味噌。
味わってみたいものでもありましたが、残念ながら沿道のお店も元旦ということで軒並みお休み、これは次回来訪までとっておく楽しみとなりました。

ところで国道42号を走っていて、ある交差点でちょっと気になる看板が目に飛び込んできました。

「耐久高校→」

交差点の名称を見ると「東南道」とあり、この地域の住所表記をカーナビゲーションで見ても「湯浅」とあります。
果たして"耐久高校"とは? と思い、カーナビゲーションを改めて見てみると、これがれっきとした公立高校。なんとなく気になったので一旦国道を離れて、校舎のある方へと車を走らせてみました。

やや狭い道の先にあったのは「和歌山県立 耐久高等学校」。
確かに公立の高校がそこにはあったのです。ですが、向かい側にある郵便局は「湯浅郵便局」。なぜにこの高校、"耐久"なる名を冠しているのでしょうか?

仕事がら"耐久レース"に携わる身としては気になって仕方なかったのですが、取り敢えずこの時点ではその名の由来について知る術もなく。
今、こうしてエントリを記すにあたって、同校のウェブサイトに記されている歴史と沿革を確認して、その名の由来を知ることが出来ました。

なんでも創立は1852(嘉永5)年といいますから、その歴史は150年以上になる由緒正しい学校。幕末の国際情勢に備える人材育成を目的とした"稽古場"が起源だそうで、この"稽古場"が「耐久社」という名前だったそうです。
この名が現在に受け継がれているということなのだそうですが、忍耐強い人材の育成ということがその名にこめられているのではないでしょうか。

この学校で耐久レースの代名詞でもある「ル・マン24時間レース」での総合優勝を果たしている荒聖治選手の特別講演を開催したら面白いかも・・・、などと勝手に考えてしまった面白い名前の学校発見でした。


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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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