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2011年05月21日 イイね!

全日本ラリー選手権 第3戦・2

全日本ラリー選手権 第3戦・2全日本ラリー選手権の第3戦「HIMUKA RALLY '11 in 美郷」は2日間にわたる戦いがスタート。
ラリーの取材では毎回、どのように撮影と取材を進めていくかのスケジュールを組み立てるのがとても難しいのですが、今回はステージの走行シーン撮影を優先するためにセレモニアルスタートはパスして、朝一番のSS1「山神下 1」からSS内のメディアポイントに張りつくことにしました。
この大会ではセレモニアルスタートに地元住民の皆さんが大勢駆けつけて声援を送ってくれるので、出来ることなら撮影しておきたかったのですが致し方ありません。

ということで早起きで始まった土曜日のDAY1。
コースチェックを行う「00カー」よりも前にメディアポイントに到着しなければならないのですが、そこから実際に競技車両がやって来るまでには30分~1時間くらいの空き時間が出来てしまいます。この時間、取材陣は朝食を摂ったりしているのですが、あとは大半を他愛の無い世間話に費やしているわけでして・・・。いやいや、真面目にラリーの将来に向けた発展的な議論もありますよ。たまには、ですが(^^;。

最終的なコースチェックを担う「0カー」が通過したら、ほどなくして競技車両が1号車から順にやって来ます。
これがラリーの撮影ならではのポイントで、とにかく勝負は一回きり。レースのように、待っていれば再びやって来る訳ではないですし、次のSSまでにリタイアしてしまう可能性もあるわけで、かなり気合いを必要とする撮影です。
しかし、正直なところ私のような“ニワカ”のカメラマンにとっては、これが大きなハードルとなるわけでして・・・。当然、上位ゼッケンの車両は総合優勝の筆頭候補たちなのですが、実際に撮影のリズムを掴めるようになるのは5号車とか6号車あたりから。重要な撮影対象も多い上位ゼッケンを、しっかりSS1で撮影出来ると、逆にどこか安堵感に包まれたりもするもので、どうしても最初のステージはカッチリと抑えた写真を撮ることが多くなります。

そのSS1でブッチ切りの速さを見せたのが、1番をつけた勝田範彦選手。13.72kmのステージで2番手に13秒6の差をつけましたから、1kmあたり1秒近く速かったということになります。その勢いはSS2でも衰えず、連続ステージベストを奪取。しかし、気まぐれな空模様が、このあとの展開を面白くしていったのです。
序盤2つのステージは前夜の雨が残ってウェットコンディションでした。しかし時に真夏を思わせる太陽が顔をのぞかせたことから路面は急速に乾き、ドライコンディションに転じてからは前戦の久万高原を制した奴田原文雄選手組の大逆襲が始まったのです。

SS1を再度走行するSS3で奴田原文雄選手組がステージベストを叩き出すと、ここからなんとベストを連発して序盤で開いたマージンをどんどん詰めていきます。
我々はDAY1で4本のステージを撮影、そのうち後半の2本はギャラリーステージのSS5&7でしたが、ここでは霧と雨になりました。再び勝田選手がタイムを刻んでくるかと思われたのですが、奴田原文雄選手組の勢いは衰えることなく、終わってみればSS3からSS7まで5連続ステージベストを奪いました。
その結果、両者の差は僅か2.6秒にまで縮まることに。しかし、SS総距離で約102kmの今大会、DAY2にも40kmほどを残しているので、まだまだ勝負の行方はわかりません。

また滑りやすい路面や石がゴロゴロしている箇所もあるステージに手こずったのか、上位陣からも早々にリタイアを喫する車両が続出。そんな中で3番手には写真の柳澤宏至選手組がつけて、粘り強い戦いぶりを見せてくれています。

DAY1の撮影と取材を終えてホテルに帰ってからは、明日も早起きなので昨夜よりは短い時間で夕食を済ませて就寝。サーキットレースの取材よりも、ラリーの方が全般的に朝が早く、体力勝負の面が強いような気がします。
 
Posted at 2011/05/27 22:10:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年05月20日 イイね!

全日本ラリー選手権 第3戦・1

全日本ラリー選手権 第3戦・1金曜日からは、宮崎県美郷町を舞台に開催される、全日本ラリー選手権の第3戦「HIMUKA RALLY '11 in 美郷」の取材モードに突入。
お昼前に、昨日チェックインした「ホテルベルフォート日向」を出発、小一時間ほど走ってHQ(大会本部)やサービスパークが設けられている美郷町の南郷区に到着しました。

この日、選手はステージへとレッキに出ています。帰ってくるのは夕方遅く、ということでサービスパークは比較的ノンビリとした空気に包まれていました。
そして我々取材陣ですが、メディア受付やブリーフィング、合同記者会見といった予定が入っています。しかし、これらは全てが日暮れ後のスケジュール、ということで日中は特に何かに縛られるわけでも無く。ならば別に急いで来ることも無さそうに思われるでしょうが、逆にこうした“ゆるい時間”というのが、ちょっとした取材や情報交換には打って付けなのです。
ということで日中は関係各位との情報交換、さらにインタビュー取材などを行って、有意義な時間を過ごすことが出来ました。

ところでラリーウィークの週末は、予報では天気は下り坂。私がサービスパークへとやって来る間にも雨粒が落ちてきて、南郷区に近づいてからはワイパーも間欠作動ながら必要なコンディションとなってしまいました。
もちろんSS(スペシャルステージ)となる林道も雨模様で、レッキから帰って来たラリーマシンには泥がしっかりついていました。何人かの選手にお聞きしたところでは、この一帯ならではの赤土路面が濡れると非常に滑りやすくなることから、明日からの戦いはタフなものなりそうだ、という声がありました。

日が暮れて、諸々のスケジュールが終了したのは21時すぎ。
ここから再び小一時間ほど走ってホテルへと戻りましたが、遅くなったのにもかかわらず宮崎名物の「地鶏炭火焼」にありつくことが出来たのは幸いでした。
 
Posted at 2011/05/27 21:45:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | モータースポーツ | 日記
2011年05月19日 イイね!

広島 → 宮崎

広島 → 宮崎携帯電話のアラームを30分間隔で2時間ほどに渡ってセットして仮眠に入ったのは、山陽自動車道の「小谷サービスエリア」。そのアラームが車内に鳴り響いて起きてみると、あたりは当然ですがすっかり明るくなっており、サービスエリア内も多くの乗用車や観光バスで賑わっている状態になっていました。肝心の起床時刻は、当初の理想的予定としていたタイミングよりも1時間半ほどの寝坊という結果に。

しばし車内に佇み、頭の中がシャキッとしてきたところでリ・スタート。まずは50kmほど走って「宮島サービスエリア」に立ち寄り燃料を満タン補給。前回の給油から943kmを走って、呑み込んだハイオクガソリンは68.4Liter。単純な満タン法の計測で出た燃費の値は13.8km/Liter。これには100kmほど都内を走行した分が含まれていますので、東京からここまでの高速道路移動分だけで見れば14km/Liter程度は出ていたように思います。
社用車1号機(日産フーガ 350XV)が搭載するエンジンはV型6気筒で排気量は3,500cc。これと5速オートマチックを組み合わせてカタログ上の10・15モード燃費は9.2km/Lirerですから、カタログ値の50%増というまずまず良好な値をマークすることが出来ました。

給油後は晴れ渡った空の下を引き続き西へ。
先にフロントハブなどを交換していることもあって快調な走り、関門橋を渡ったら自走では今年初めての九州上陸。苅田北九州空港インターで九州道を流出、ここからは国道10号と椎田道路を経由して、やって来たのは大分県中津市。私にとっては頻繁に訪れているこの町、お気に入りの店に立ち寄っていきます。

まずは「チキンハウス」で、当地の名物でもある鶏のから揚げをお昼ごはんとして調達。次に「たまごキッチンMaman」で“しろぶぅさん”へのお土産にフィナンシェなどを大量購入、あとは前回の初来店で購入してすっかり気に入った濃厚な味わいのシュークリームを購入。残念ながらこちらは賞味期限が短いので、私自身のためのおやつです。

買い物を済ませたら、再び国道10号を南下。
今回は当初の予定では佐伯市で名物の「ごまだしうどん」、または宮崎県に入ってから延岡市で当地発祥の「チキン南蛮」を昼食か夕食にしようと思っていました。
しかし寝坊の影響が出てしまい、どちらにしても中途半端な時間帯に両市を通過することになってしまい、今回はどちらも断念。特に「ごまだしうどん」は気になる存在だったので、次の機会にお預けです。

外気温28度という表示も見ながら、眩しい日差しの下をラストスパートで、宮崎県に入って無事に目的地であるホテルに到着。チェックイン後は早々に部屋で仕事環境を整え、ちょこちょこと制作作業を片づけて西日本横断大移動を含めた業務が終了。
東京からの走行距離はおよそ1,400km、この間にオドメーターは17万km台に突入したのでした。
 
 
中津市|チキンハウス
中津市|たまごキッチンMaman
 
Posted at 2011/05/20 11:47:23 | コメント(0) | トラックバック(0) | 取材・業務雑記 | 日記
2011年05月18日 イイね!

東京 → 広島(小谷SA)

東京 → 広島(小谷SA)この週末は宮崎県美郷町で開催される全日本ラリー選手権・第3戦「HIMUKA RALLY '11 in 美郷」のために出張です。
シリーズ開幕戦の取材では九州を久しぶりに飛行機で往復しましたが、今回の出張は私にとってはこちらがスタンダートと言える東京からの自走往復。その距離は片道でおよそ1,400kmほどになります。

今回も撮影機材や身の回り品を積み込んだ社用車1号機(日産フーガ 350XVDで、水曜のお昼前に事務所を出発。そしてまずは都心へと向かい、先週メンテナンスのために預けておいたカメラのレンズをキヤノン・サービスセンター銀座で受け取り。
さらにせっかく銀座まで来たので、松阪屋・銀座店の1階にある「ねんりん家」に立ち寄って、このあとに会う予定の友人への手土産を購入して準備は完了。

あとは首都高速→東名高速と走って、ひたすらに西を目指します。日中の移動となりましたが平日ということもあり、交通量はそんなに少なくないものの大半がトラックと営業車。つまり高速道路を走り慣れている車がほとんどなので、特にストレスを感じることもなく快調なクルージング。時間に余裕のある移動だったので大型トラックのペースに合わせる感じで走りましたが、こうなるとオートクルーズが欲しくなってしまいます・・・。


夕方には伊勢湾岸道の「刈谷ハイウェイオアシス」に到着。ここで友人と合流して、近くにある「和風キッチン 蔵」というお店で夕食。ここは名古屋地区を代表する味である“味噌カツ”が人気のお店、今回も美味しくいただきました。
食後は場所を「コメダ珈琲店」に移して、しばし業界話などで盛り上がり。「刈谷ハイウェイオアシス」に戻って再び西に向けてスタートを切った段階で、時刻は22時をまわっていました。

あとは交通量も少なくなった高速道路を淡々としたクルージング。
伊勢湾岸道→東名阪道→新名神→名神と走って大阪、さらに名神から中国道、そして山陽道へとリレーして中国地方横断に入ります。なんだかんだで走り続け、最終的に仮眠の場となったのは広島県の「小谷サービスエリア」。既に時刻は夜明け前といったところでしたが、ひとまずはこの地で落ち着いて運転席のシートバックを倒してしばしの仮眠モードに突入です。


愛知県刈谷市|和風キッチン 蔵
 
Posted at 2011/05/20 10:54:25 | コメント(0) | トラックバック(0) | 取材・業務雑記 | 日記
2011年05月17日 イイね!

命名

命名それは数日前の雨の夜に、社用車2号機(フォルクスワーゲン・パサート 2.0)で都内を走っていたときのこと。
信号待ちをしていると、隣のレーンにやってきて並んで止まった車に目を奪われました。車そのものは宅配便などでも使われているウォークスルー型のバン。しかし上品なダークグリーンにペイントされた車体、そのボディサイドには写真のような表記がされていたのです。

店名と思われる表記の下には“FLOWER / PLANTS”とありますから、フラワーショップであろうことは容易に想像できます。
帰ってから調べてみると、東京は青山の外苑西通り沿い、エリア的には“キラー通り”とも呼ばれているところですが、そこに店を構えている「FUGA」というフラワーショップがありました。こちらのお店は生花類の販売はもちろん、植栽や企業・媒体向けのフラワーアレンジメントなども幅広く手がけているそうで、イベントの飾りつけや撮影用の花のセッティングなどにも定評があるそうです。

偶然にその存在を知った店ですが、ロゴ書体が似ていることもあって日産フーガを所有している自分としてはどこか親近感も覚えるのは自然なこと。ちなみに今回知った「FUGA」は漢字で“風花”と書くところをアルファベット表記したもののようです。
なお、同名の商業店舗では、山形県にある「山寺 風雅の国」には足を運んだことがあります。このほか都内では新宿プリンスホテルの最上階にある和風創作料理の店が「FUGA」という名称ですが、こちらは漢字で表すと“風雅”となるそうです。

オーナーであればご存じの方も多いでしょうが、日産フーガの車名の由来は音楽用語にあります。この技法を用いた有名な作曲家の一人がヨハン・セバスチャン・バッハで、「トッカータとフーガ」はオルガンの名曲として広く知られています。
シンプルながら強弱を巧みに組み合わせて生み出された重厚感が特徴の一曲だそうで、クラシックファンからは根強い人気があるそうです。

自動車のネーミングというのはなかなか難しいもので、特に世界的に展開を図る車種の場合はそれぞれの国や地域で、名称として用いる言葉がどういう意味を持っているのかを徹底的に事前調査する必要があります。その上で辞書に載っているような一般的な意味のほかにも、スラング(俗語)として別の意味がないかなどを調べ、商品名として適切か否かを最終的に判断しなければなりません。
もちろん商標登録の問題もあり、世に同名の商品が出ていなくとも先に他社が商標権を抑えていた場合には使うことが出来ません。各メーカーは使えそうな言葉を多く商標登録しているのが常で、どうしても特定の言葉を使いたい場合は権利を有しているライバルメーカーから名称を有償譲渡してもらうケースもあったりします。

日産フーガの場合、日本では伝統ある「セドリック」「グロリア」というブランドネームを廃して、事実上その後継という位置づけになる車種だったことから慎重なネーミング決定プロセスを経たことだろうと思います。海外ではインフィニティブランドとなるためにフーガという名称は日本市場向けと言えますが、漢字表記の“風雅”にも通じるこのネーミングはなかなか良い響きを持ち合わせているように思います。

ただ、全く新しいネーミングを一般に広く浸透させるのは、並大抵のことではありません。やはり年配の方にとって日産の高級セダンといえば「セドリック」「グロリア」の印象が強いようで、いまだにフーガと言ってもピンとこない人も少なくありません。
そこで、例えばトヨタ自動車などが良く使う手法ですが、まずは伝統的なネームに対してサブネームとして名称を付与して1~2世代に渡って展開し、ある程度浸透したところでサブネームをメインメームと入れ替える、というマーケティング戦略もあります。近年の例では「コロナ」から発展して現在に至る「プレミオ」がありますが、その流れで言うと「カローラ アクシオが今後どのようにネーミング展開をしていくのかが気になるところ。

ちなみにこのようにサブネームを新型車で用いる場合には、市場への浸透を図る目的とは別にコスト的な制約をクリアするため、というケースも存在しています。車両名称をガラリと変えてしまうということは、全国にある販売会社に掲げてある看板も掛け替える必要があり、そのために要するコストは決して小さくありません。そこで既存の看板表記をそのままにしておくために「既存ブランドネーム+新規サブネーム」という組み合わせの車両名称を採用することも珍しくなく、公式には言われることこそありませんが過去にもコスト的な理由によって既存ブランドネームを残してサブネーム展開を図った車種というのがいくつか存在しています。
 
Posted at 2011/05/20 10:34:35 | コメント(0) | トラックバック(0) | 自動車全般 | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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