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2011年12月16日 イイね!

19万kmを前にしてのリフレッシュ

19万kmを前にしてのリフレッシュ先月の後半に継続検査(車検)を受けたばかりの社用車1号機(日産フーガ 350XV)ですが、昨日の朝から再びいつも面倒を見てもらっている東京日産自動車販売のお店に一泊二日で入庫させていました。
今回の作業メニューは少々大がかりで、前後4本のショックアブソーバーと付帯する関連部品の全交換です。

私の元にこの車がやって来てから4年と5ヶ月、購入時に29,475kmだったオドメーターの数字は既に188,500kmを超えています。北海道から九州まで、沖縄を除く46都道府県を走り回り、さらには本土の四隅も制覇してきただけに、私が重ねた走行距離は15万9千kmに及び月当たりの平均を出すと約2,900kmとなっています。
明らかな過走行の個体、もちろん仕事で使っているのでそれは予想通りでもありまして、購入直後からエンジンオイルをはじめとした油脂類や消耗品については基本的にディーラーメンテナンスで定期的な交換を実践してきました。

使い方としては渋滞の無い高速道路の巡航が大半ゆえ、距離の割りには車への負担が大きくないようで、ディーラーの担当者さんも状態の良さは認めてくれるところ。外装については過酷な仕様条件ゆえに折りを見てボディコーティングはかけていますが決して良好な状態と胸を張れるレベルではありませんが、ことエンジンやミッションなど車の基本的な部分については年式や距離の割りにはかなりコンディションは良好であると自信を持っています。モータースポーツのオンシーズン中はほぼ月に一度はディーラーに入庫してエンジンオイルとフィルターの交換をしていますが、特に下回りでもオイルの漏れや滲みも見られません。

しかし、当然ですが距離を重ねることで消耗が進んでいく部位もあるわけです。
そのうちのひとつがショックアブソーバー。元々、Y50型のフーガを購入しようと思ったときの大前提に「乗り心地に優れるXV系」と決めていただけに、私にとって乗り心地というのは重要なポイント。それこそ九州まで片道1,000km以上を走破するような場面では、乗り心地というのは疲労度に直結しますから、安全性という意味でも重視している部分なのです。

ところがさすがに19万kmにも届こうかという距離になると、ショックアブソーバーの劣化を感じずにはいられないコンディションになってしまいました。
今年の5月にカメラマン氏と二人で北陸から四国にかけて出張した際は、二人乗車+二人分の撮影機材&身の回り品という状況だったがゆえ、高速道路のウネリなどで明らかにショックアブソーバーの“ヘタリ”を実感したのです。しかし5月の時点では秋に車検を控えており、果たして継続使用するか代替するかの判断をつけかねていたことから、そのまま我慢することとしていました。

そしてここに来て代替を見送ったことから、いよいよ“乗り心地回復作戦”を実行に移すこととしたのです。
交換部品はショックアブソーバー4本と、ラバーやブッシュなどの付帯部品一式。夏以降はリアのショックアブソーバー取り付け部付近から異音も発生していたので、スプリングを除いて丸ごとリフレッシュすることにしてみました。ちなみに脚の交換となると一般的にはアフターマーケット製品の装着となるのかもしれませんが、私の場合は一応は対応商品を調べてみたものの、基本的には最初から純正部品への交換を念頭に置いていました。実際のところはアフターマーケット製品では車高ダウンを伴うため、ラリー取材などでダートを走行する機会もあることから現実的な選択肢ではありませんでした。

当初は継続検査(車検)と同時の作業を予定していましたが、一部の部品について入庫が遅れたために12月に入ってからの作業となった今回のショックアブソーバー交換。
無事に作業を終えた車を引き取り走らせてみての印象は、如何に19万km近くを走行したショックアブソーバーが疲弊していたかを思い知らされるものでした。段差乗り越え時などに生じていた異音もすっかり消えて、快適性を取り戻した1号機。
いよいよ年明けには20万kmの大台に入ることになりそうですが、まだまだ元気に2012年のモータースポーツシーズンでも全国各地に出没することになりそうです。
 
日産フーガ|ショックアブソーバー交換
 
Posted at 2011/12/23 17:02:34 | コメント(0) | トラックバック(0) | 日産フーガ (Y50) | 日記
2011年12月15日 イイね!

“あんぱん”ではなく“ようかんぱん”

“あんぱん”ではなく“ようかんぱん”昨日の静岡日帰り出張では、ひとつの悲願を達成することに成功しました。
それは往路で立ち寄った東名高速道路の上り線・富士川サービスエリアでのこと。トイレ休憩のために何の気なしに入ったパーキング、車を停めてトイレに向かって歩いていくと、ひとつの“のぼり旗”が目に留まりました。そこには「ようかんぱん あります」と記されていたのです。

「ようかんぱん」。

初めて耳にするという方も多いことと思います。表面に薄く羊羹をコーティングした菓子パンのことで、北海道では全域で広く一般的にお馴染みの商品。いくつかの製パン会社からラインナップされており、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで昔から普通に手に入れることが出来るアイテムでした。しかし、これは北海道に限った話。津軽海峡を渡ると「ようかんぱん」を見る機会はほぼ皆無、その存在は全くと言ってよいほどに知られていません。

そんな「ようかんぱん」ですが、北海道以外で生産されているのが静岡県富士市。この地にある富士製パン株式会社は1935(昭和10)年に菓子屋として創業、1942(昭和17)年に有限会社としての富士製パンを設立したという老舗のパン製造メーカーです。
なにより同社のウェブサイト、そのURLが“youkanpan.com”となっていることからも、主力商品であることが一目瞭然。「ようかんぱん」の製造は1956(昭和31)年から始めているといいますから、北海道よりも先にこちらで生まれた菓子パンであろうとも思われます。

果たして「ようかんぱん」を求めてサービスエリアの売店コーナーに足を運んだのですが、残念ながら売り切れ。しかし諦めきれず、今度は帰り道の下り線で再び富士川サービスエリアに立ち寄ってみると、こちらでも店舗の外には「ようかんぱん あります」の掲示が。そして店内を見ると、10個くらいの「ようかんぱん」とようやくご対面が叶い、お土産として購入した次第です。

いざ食べてみると、北海道で親しんでいたものとは若干の相違点も見つけられました。まずパンの中身ですが、北海道ではホイップクリームが一般的。対してこちらは真ん中の“ヘソ”にあたる部分にこそホイップクリームが盛られていますが、パンをふたつに割ってみると“つぶあん”がたっぷりと入っていました。
こうなると、つぶあんと羊羹、さらにホイップクリームという組み合わせゆえに相当な甘さも覚悟したのですが、そこは巧くバランスを取っているようで餡の甘さは控えめ。表面の羊羹と合わせて食べてちょうどよい感じに仕上がっていました。

今年、北海道に出張した折にはコンビニエンスストアで「ようかんぱん」を購入して食べましたので、その時の味を思い出しながら比べてみると、静岡のものの方が食べ応えという意味では一枚上手な印象。
最終的には甲乙付けがたい美味しさなので、これから東名高速道路を走るときには「ようかんぱん」を求めて上下線ともに富士川サービスエリアに立ち寄る機会が増えることになりそうです。
 
Posted at 2011/12/23 16:14:01 | コメント(0) | トラックバック(0) | ドライブ・観光ガイド | 日記
2011年12月14日 イイね!

往復300km+α

往復300km+α気持ちよい冬晴れの朝、社用車1号機(日産フーガ 350XV)でこの日はお出かけ。目的地はおよそ160kmほど西に走った先にある、静岡県藤枝市です。
往復で300kmちょっとの道のりになりますが、九州や北海道も自走範囲としている身にとっては、極端に言えば「ちょっと、そこまで」的な感覚。ましてや私が住む東京都町田市からであれば都心を横切る必要も無いので、平日ならば東名高速にさえ乗ってしまえば渋滞もなくスムーズにひとっ走りという感じです。

まさに行程はイメージ通りで、快適なクルージング。車内ではmp3データ化したお気に入りの音楽を収録しているCDをBGMにして、淡々と西へと向かっていきます。
途中、富士川サービスエリアでトイレ休憩。そこにクライアントさんから入電、至急の依頼を受けてパソコン作業をスタート。依頼内容は数点の画像データをメールで送信すること、ただしデータは軽くないので圧縮ファイルにまとめてからストレージサービス経由で送ることに。送信作業には多少の時間を要するレベルの容量だったことから送信を開始してからクルマを再スタートさせて、日本平パーキングエリアまでの走行中に送信を行ってロスタイムを最小限に留めます。

そしてやって来たのは株式会社岡部自動車。こちらは「OKABE JIDOSHA motor sport」としてスーパー耐久に参戦していることでもお馴染み、社長である長島正明さんはレーシングドライバーとしてもステアリングを握っています。
ちなみに岡部自動車という名称の由来ですが、前述の通り経営者が“岡部さん”だからではありません。当地はそもそも岡部町という東海道の宿場町としても栄えたところで、2009年の元日に藤枝市と合併するまでは独立した自治体でした。

こちらを訪れたのは、依頼されていた制作物を納品するためでした。もちろん一年間お世話になりましたので、ご挨拶も兼ねての訪問。時間的には正午の到着ということで、長島社長にご自慢の「メルセデス・ベンツ 190E 2.0」で焼津港にある「与作鮨」というお店に案内していただいて、ここでお昼ご飯です。
さすがは国内屈指の水揚げを誇る焼津港のお膝元、写真の刺身定食をいただきましたがボリューム満点で新鮮な魚はどれも美味。さらにご当地名物である「黒はんぺん」のフライや「静岡おでん」、「まぐろのヘソ(心臓)」なども美味しくいただいてきました。

食後は会社に戻ってしばしモータースポーツ談義。なお、岡部自動車そのものはモータースポーツ専業店ではなく、大手自動車メーカーの看板も掲げている“街のクルマ屋さん”。新車・中古車の販売から車検点検までなんでもお任せ出来る地域密着型のクルマ屋さんですが、モータースポーツに参戦していて社長さんが現役のレーシングドライバーであるというところが、ちょっと他とは違うポイントになっています。
この日も仕入れられた中古車を見たのですが、珍しいところではトヨタ・プログレが2台。排気量2,500cc版と3,000cc版がありましたが、ともに年式を感じさせない内外装の綺麗さ。特に3,000cc版はイメージカラーでもあったグリーンメタリックに色あせは全く覚えず、しかもオドメーターは3万kmほどしか刻んでいない記録簿付きの上玉でした。

なんだかんだと3時間ほどの滞在を終えたら、やって来た東名高速を今度は東に向かって帰路につきます。曜日によっては大和トンネルなどを先頭に激しい渋滞も珍しくない東名高速の上り線ですが、この日は平日ということもあって夕方の帰路もスムーズそのもの。往路に続いて復路も予定通りの定時運行、往復300kmちょっとの静岡日帰り出張が無事に終了しました。
 
Posted at 2011/12/23 14:51:03 | コメント(0) | トラックバック(0) | 取材・業務雑記 | 日記
2011年12月13日 イイね!

初めての直噴エンジン車ゆえに……

初めての直噴エンジン車ゆえに……当方はここ数年にわたって2台体制を維持していますが、この日は近距離用務を主に担っている「フォルクスワーゲン・パサート 2.0」の不具合を点検するために、ディーラーへと足を運びました。
その症状は、インパネのタコメーター内に備わっているエンジンチェックランプが点灯したというもの。これまでに所有した経験のある往年のフランス車やイタリア車では警告灯そのものの信憑性すら疑うところですが、さすがに近代のドイツ車ともなるとチェックランプの点灯はあまり気持ちの良いものではありません。ゆえに、点灯から間を置かずしてのディーラー訪問となりました。

混雑気味の店を訪れて症状を伝えると、今どきのクルマらしく診断装置をスタッフの方が接続して状況をチェック。その結果は「EGRエラー」とのことですが、取り敢えずはアイドリングも安定していますし、異音なども確認するには至っておらす、通常の走行には支障もないのでエラーメッセージを消去してしばらく様子を見ることにしました。

「EGR」とは「排出ガス再循環装置」のこと。燃焼が終わった後に出る排気ガスを循環させて混合気に混ぜ、窒素酸化物の排出量の低減と燃費の向上を図るための装置で、機構的には決して新しいものというわけではありません。
ごくごく一般的な装置なのですが、デメリットとしては純粋な混合気よりも燃料効率が悪化してしまうため、時に燃えかすが生じてしまう場合もあります。このススが詰まることでエンジンの不調につながるケースもあるわけですが、特に直噴エンジンではメーカーを問わず事例として多く報告されています。

かく言う私が乗っている「フォルクスワーゲン・パサート 2.0」に搭載されているのも、排気量2,000ccの直噴ガソリンエンジンである「FSI」。実際に直噴エンジンは一般論として技術的に成熟されきっていない面もあるようで、例えば日本車の同じ車種でも国内一般市販用に直噴エンジンを搭載していたとしても、海外市場用や国内の警察車両用ではスタンダードなエンジンに置き換えられているという事例も多くありました。

私にとっても初めての直噴エンジン車なので、果たしてこのエンジンチェックランプ点灯から今後どのように展開していくのかは想像もつきません。取り敢えずはEGRバルブなどに詰まっているとも想像される燃えかすを除去するために、わざとに低めのギアで高いエンジン回転数をキープする走り方で燃えかすを“飛ばす”ような対応をしてみようと思います。
 
 
エンジンチェックランプ点灯
 
2011年12月12日 イイね!

1991年・ガイシャ初めて物語 (2)

1991年・ガイシャ初めて物語 (2)※2011年11月29日付 「1991年・ガイシャ初めて物語 (1) 」のつづきです。

2代目の愛車候補だった「マツダ・カペラカーゴ」のプレッシャーウェーブ・スーパーチャージャーディーゼル。ようやく手配してもらった試乗車でしたが、事前の期待値が高すぎたのか購入には至らないという結論に達して、どうしたものかと途方に暮れていました。場所は釧路市にあった「ユーノス道東・釧路店」のショールーム。平日の午後、試乗車の手配もしてくれた担当セールス(当時のユーノスでは“トレーダー”と称していました)のY嬢がコーヒーを出してくれて、私はしばらく店頭にあったカタログを適当にめくりながらボンヤリとしていました。
すると、たまたま意識することなくめくっていたカタログが「シトロエンBX」のものだったからでしょうか、Y嬢が私に車のキーを渡してくれて「気晴らしにシトロエンにでも乗ってみなよ」と言ってくれたのです。

外の駐車場に佇んでいたのはシルバーの「シトロエン・BX 19TRi」。マツダの高級ブランドと位置づけられていたユーノス系列ではロードスターなどのマツダ製車種に加えて、フランスのシトロエンも販売していました。この頃はバブル景気の恩恵もあって、輸入車の普及が進んだ時期。シトロエンは永く西武自動車販売が取り扱っていましたが、発足させたばかりの販売系列に対して商品ラインナップを満たすためにもマツダはシトロエンに白羽の矢を立てたようで、既に日本でも一定の支持を集めていた「AX」と「BX」を販売していたのです。
思えばこの店には既に何度も足を運んでおり、コスモやロードスターなどには試乗していましたが、シトロエンについてはノータッチでした。このころは比較的熱心に自動車専門誌も読んでいましたのでもちろん基礎的な知識と理解はありましたが、やはり「“トラブル”のリスクが大きい風変わりなクルマ」という先入観もあったようで、自分自身で乗ろうと思う対象ではなかったのです。

折角のご好意なので、試しにステアリングを握ってみることに。左ハンドルの4速オートマチック、もちろん“ガイシャ”ですからステアリングコラムから生えているウィンカーとワイパーのレバーは日本車と左右が逆になります。実際、この時の試乗が初めての左ハンドル体験だったのですが、そこはコンパクトな5ナンバーサイズのボディですから、特に違和感を覚えるようなこともなく。
エンジンをかけると独創的なハイドロニューマチックサスペンションにより、下がっていた車高が生き物が目覚めたかのごとく上がってくるのも雑誌で得ていた予備知識の通り。

キーだけを預けられ自由に乗ってきても良いと言われたので、適当に20分くらい近所を走ってみるかとスタートさせたのですが、パワフルさや切れ味の鋭いハンドリングフィールとは無縁だったものの、なんとも落ち着いた居心地のよい空間に驚いたことを今でも良く覚えています。
“魔法の絨毯”などと形容されるハイドロニューマチックがもたらすフラットで素晴らしい乗り心地。ダルなように見えて意外と切れ味も鋭いハンドリング。踏力に対して確実に効いてくれるブレーキング。やや日本の道路事情に対してはマッチングに難ありとされたZF製のオートマチックも、北海道がヨーロッパの環境に近いこともあるのか大きな違和感を覚えるほどでもなく。あえてもっとも違和感を拭いきれなかった部分と言えば、広大なステアリングのセンターパッドではなくライトレバーを押し込むことで作動するホーンくらいなものでしょうか。

店に戻って「どうだった?」という問いには、素直に感じたまま「素晴らしい!」と回答。しかし新車価格は300万円以上、予算的には全く縁遠い存在ですし、120km離れた帯広在住ということでメンテナンスの不安があることも伝えました。

すると……。

「あの試乗車、売るよ!」

そう、たった今ステアリングを握った個体そのものを、中古車として売るというのです。走行距離は3,000km、車検2年付。要するに1年落ちのディーラーもの、無事故の試乗車落ち。気になる価格はフランス車の相場に沿って、かなりお買い得。
気になるメンテナンスについては販売会社が釧路のみならず帯広エリアもカバーしているので、ユーノスの看板こそ掲げていないものの会社は同じなので対応は可能とのこと。ならば帯広市内にも店舗がありますので、安心度が一気に向上します。

というわけで、2代目の愛車は「シトロエン・BX 19TRi」に決定。思えば人生で2台目に購入する車、しかも初めての“ガイシャ”がシトロエンというのは、なかなか若気の至りというか怖いもの知らずというか。ただ、20分の試乗で触れ合ってみて、この車でライフスタイルが大きく変化して楽しくなりそうな予感を覚えたことが購入した最大の動機となりました。
たしかにこのクルマは私のライフスタイルを大きく変えました。購入後しばらくして帯広にもユーノス店がオープン、親会社は異なるものの私もメンテナンスでお世話になり、この店を中心にして多くの出会いがありました。そしてユーノス・ロードスターのユーザーを中心としたユーノス車のオーナーズクラブが立ち上がり、ツーリングや食事会などの企画運営にも携わり、多くの仲間と楽しい時間を過ごすことも出来ました。
また、クルマというものに対する見識を深められたのもシトロエンのおかげであり、ともすればスペック偏重主義になりがちな思考回路を矯正することも叶いました。そのうちに“コクサン”と“ガイシャ”という固定概念も取り払われ、自動車というものに正面から向き合えるようになったのも、シトロエンのユーザーになったことが礎であるように思います。

この「BX 19TRi」では、11万kmほどを走りました。その間に札幌と帯広の間を何往復したかは数えきれず、ドライブ癖が身に染みついたのもこのシトロエンからだったように思います。
購入して数年後には地元にオープンするサーキット場の職員となり、毎日往復で100km弱を通勤のために走り距離を重ねていきました。そしてある朝、出社するために走行中にエンジントラブルが発生して、天寿を全う。しかしそのまま登録抹消した後も所有していると、中学時代からの友人が同じく「BX 19TRi」を購入して、部品取り用に欲しいという申し出があったので、まだまだ別の形で活躍を続けることになったのでした。
 
Posted at 2011/12/23 00:04:54 | コメント(0) | トラックバック(0) | その他 | 日記

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各種取材やウェブサイトを中心とした制作業務を行なっています。 主なテリトリーは自動車/モータースポーツ、飛行機などの交通関係。 自動車は乗用車からトラッ...
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