MiniCar|Hi-Story 日産セドリック 4ドアハードトップ グランツーリスモSV
投稿日 : 2011年12月06日
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日本がバブル景気に包まれはじめていた1987年に登場した、7代目となるY31型の日産セドリック。6代目のY30型からV6エンジンを搭載して、ライバルのクラウンに対して一歩先を行く展開を見せたセドリックは、4ドアハードトップと4ドアセダンがY31にフルモデルチェンジを果たしました(ステーションワゴンはY30型を継続生産)。
そのテイストはY30型の豪華絢爛なものから一変し、欧州風のシンプル&クリーンな路線に。さらに走りの良さも訴求、その象徴となったのが新たに設けられた「グランツーリスモ」シリーズでした。
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「グランツーリスモ」は排気量2,000ccのエンジンを搭載、ターボ仕様とノンターボ仕様の2種類をラインナップ。外観は大きな開口部と角形フォグランプが個性的なフロントエアダムバンパーを備えて、快適性能を重視していたブロアム系などと一線を画していました。
なお「グランツーリスモ」のボディバリエーションは、1987年にフルモデルチェンジを受けた時点では4ドアハードトップのみでしたが、翌'88年には4ドアセダンも追加。そして今回ミニチュア化されたのは、マイナーチェンジを受けた1989年の後期型となっています。
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当時、パーソナルユースの高級4ドアでは、サッシレスドアで低めのルーフという4ドアハードトップのボディが全盛でした。しかしトヨタのクラウンやマークⅡがヒドゥンタイプのBピラーを持つ“ピラード・ハードトップ”であったのに対して、日産はセドリックやローレルでBピラーが存在しない“ピラーレス・ハードトップ”を展開。
室内の開放感では圧倒的に勝っていましたが、ボディ剛性や側面衝突安全性などでは間違いなくピラードタイプに一歩譲る性能だったことでしょう。
また、ハードトップでも現在のフーガやティアナにも通じる、6ライトのサイドウィンドゥとしていました。この小さな窓を持つ6ライトのサイドビュー、ハードトップは430型で登場し、Y30で一旦姿を消しましたが、Y31型で復活。ただし、次のY32型以降は消滅してしまいました。
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Y31の前期型と後期型、外観上の最も大きな相違点はテールランプのデザイン意匠。ちなみに2本出しのデュアルモードマフラーは「グランツーリスモ」のノンターボ&ターボ両仕様と、VG20DETエンジンを搭載したブロアムのみに装備されていました。
なお、基本的には5ナンバー上限サイズのボディであり、3,000cc車や後期型では2,000ccターボのブロアムについて、大型バンパーやサイドガードでサイズを拡大して3ナンバー仕様としていました。
一方で「グランツーリスモ」シリーズは全仕様が前期・後期を通じて5ナンバー登録となっていました。
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日本全体の好況に比例して高級車市場も拡大、それまでよりも若い年齢層のニーズも増えたことから、若々しさを感じさせる「グランツーリスモ」シリーズも高い人気を得ることとなりました。
その後、「グランツーリスモ」は伝統ある「ブロアム」と双璧をなすセドリック(兄弟車のグロリアを含む)の主役となり、8代目のY32型と9代目のY33型では丸目4灯ヘッドライトを与えられて更なる差別化を図ります。
これに触発されて、ライバルのクラウンも走りを訴求した「ロイヤルツーリング」や、後の「アスリート」シリーズを展開することになりました。
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